パイロット版 少女剣客・鶴見屋雷蔵の断頭【仮】

再生

[1]

 電灯の光さえ隈なく赤く暗い。

 部屋一面に鉄の臭いが充ちている。

 四方の壁と天井と床が血と臓物に塗れている。

 鶴見屋雷蔵つるみや らいぞうは二階の一室に暗殺対象の変わり果てた姿を発見した。


 事の起こりはこうだ。

 雲のない暗い夜の通りに黒い車が停まる。後部座席の扉が虫の翅のように開き金髪の女が出て来る。頭頂部で結んだ髪が長く垂れる。脱色された髪の生えた頭を載せた肩は広く、白いシャツ、紺色のスカート、膝下のソックスに覆われた肌は堅い肉を透かしている。

 腰には二振りの脇差があった。

「雷蔵」

 女の隣に座っていた男が車内から言う。

「殺してこい」

 女は頷き一歩前へ進む。革靴は音を立てずにアスファルトへ差し込まれる。女は静かに軽く歩く。

 二十二時を回った住宅街は明かりも消え寝静まって暗い。かろうじて街灯だけが点々と光る中を雷蔵はまっすぐに進む。その先には古びた二階建てがあり、一階の窓からは灯りが皓々と漏れ、玄関の前には一人の男が鉄パイプを持って立っている。蒸し暑い時節らしく英字プリントの入ったTシャツとジーンズを身に着けている。

 雷蔵の身なりは夏の学生服によく似ていた。男は夜の通りに部活帰りの女子高生を見つけ、迷いのない足取りで進む姿をさほど注意することもなく眺めていた。

 雷蔵は大股の忍び歩きで淡々と進む。腰に脇差を提げても、傍目には武道を嗜む学生に見える。あるいはその二つ結びの金髪からコスプレイヤーのようにも。

 暗い夜の通りの剣術少女?

 雷蔵は次の冬に二十になることを男は知らない。

 妄想に耽る男の死角に停まった車から帯刀した少年達が降りては散る。

 彼らは殺しを命令されていない。殺せと命じられたのは雷蔵だけだった。

 音のない足取りでアスファルト上を歩く雷蔵の背丈が自分よりも高いことに男が気付く。彼の背丈は百六十と少し、雷蔵は百七十弱の背丈に揺れる二つ結びが載っている。その腕は太く黒奴や農婦に似ていると男は思う。

 雷蔵は滑るように男へ近付いて行く。その挙措に敵意はない。ただ夜中の閑静な住宅街を自分の帰る先でない家に向けて歩く女生徒。その腰に差す脇差が昨夜既に十余人の血を吸っていることを知らずに男は死ぬ。

 目線が自分より高い位置にある少女が間近に迫っている。気付いても男は手にした鉄パイプを振り上げることもできない。筒先の片方をアスファルトの地面に置いたまま見上げる少女の金髪は、暗い夜の蒸した空気に揺れて淡く光っている。

 その足取りが男の鼻先まであと二歩の地点を踏む。

 二人の間に瞬く光が閃く。

 男の右腕が肩から落ちる。

 太い血の流れがアスファルトを汚す。左右のバランスを失いよろめく男の顎が縦に削れ、斜めに打ちすえられた頭蓋骨が砕けて凹む。

 通り過ぎた雷蔵の手に刀はない。

 円い月に見降ろされながら扉を開ける。

 暗い廊下に入ると、トイレから背の低い男が出てくる。暗闇が一瞬閃く。鋭い刃が男の背中を抜けて赤黒く光り、消える。雷蔵の手に刀は無く、男は声も挙げずに倒れる。

 心臓を一突きされたショックで意識を失い、痙攣しながらどくどくと血を流している。震えが止まるのを見届けるた雷蔵は、明かりの点いた居間へ続く扉へ向かった。

 そこには男たちが十人あまり腰を下ろしていた。手元には黒い土が、新聞紙の上に散らばって、点々と黄色い顆粒が混じっている。男たちの脇には金属管が並び、一方を平たく潰した上で導火線が差し込まれ、火薬と弾丸を籠められればすぐ使えるように待機している。

 手製の単発銃だった。彼らの一人が雷蔵の一党の構成員を殺し、ために彼らはこの夜の内に息の根を止めることになる。

 暗い廊下に続く扉が開く。白い半袖シャツに点々と血を散らした雷蔵が入ってくる。

 視界の隅で動くものをみとめた男たちが顔を上げる。

 夜の暗闇から現れた血みどろの帯刀少女?

 幻だろうか、と疑わなかった者はいない。

 誰一人として身動きをとらない間、雷蔵は部屋の中にいる者の数を数えている。

 部外者が入ってきたなら立ち退かせなければならない、と男の一人が思った。彼は立ち上がった。

 灯りの下で金属が輝き、男は膝を折った。

 首が後ろ倒しに裏返る。

 喉笛と頸動脈を断ち斬られている。

 天井まで血飛沫が飛び、雷蔵の頭を濡らす。スプリンクラーのように赤黒い温い水が垂れ、黒い火薬に鉄が染み込んで濡れる。

 男たちが木偶か石像のように動かずにいるうち、廊下に最も近い一人の背に短い刀が突き刺さって胸へ抜ける。

 心臓に開いた穴から血を噴いて男が死ぬまで、その二、三秒の間に、その隣の三人が腕を斬られ、胸に穴を開け、首を割られ、延髄を折られ、頭蓋を凹ませて土の上に斃れ、赤黒く濡れた夏の学生服の女は部屋の奥まで移動している。五人を斬った刀は腰の鞘の中にあり、無手の女の頭から金色の髪が尾を牽いて靡く。

 まだ生きている約半数の男たちがぼんやりとした目で雷蔵を見る。

 雷蔵の白いシャツに似た上衣は、胸から腹にかけて赤黒く染まっている。他人の血で濡れた紺のスカートに似た袴からは暗い雫が垂れる。火薬の、土塊の中に踏み込んだ脚を包む靴下が、澱んだ血に滲みて変色する。

 男たちは呆けたまま雷蔵を見ている。

 目の前で起きていることが現実であると気付けないのだ、と雷蔵は思う、それはあまりにも彼らの慣れ親しんだ虚構に似ているから。

 刀を帯びた少女。短いスカート。

 血みどろの破壊。深夜の殺人。

 それらはあまりにも、彼らの慣れ親しんだ陰鬱な虚構に似ていて、だからこそ彼らには無害であるはずだった。

 彼らを殺せと命じた鶴見屋一郎は、雷蔵の背格好や装いに皮肉を見出したわけではなかっただろうけれども、と雷蔵は思う、これは一党の剣術にとって一つの解だ。

 また蛍光灯の下で光が輝き、非現実に沈んだ意識の血が板張りの床を濡らした。

 彼女の剣術は一種の居合道である。

 帯刀が日常的でなくなった時代にあって、真剣を帯びている者はただそれだけで深刻な暴力の予感を纏うことになる。裏街道を歩く者にとっても事情は変わらず、拳銃類のように懐に忍ばせることができない大きさのものはそれまで以上に警戒される。

 雷蔵の一党は、ならば、と考えた……帯びた刀を真剣と見せず、抜く前にも構えず、振るう刃を見せず、ただ斬るだけの剣術を作り出せばよい。太刀筋を予想させず、一閃振るう動きだけで敵を斬り命を奪えばよい。

 そうした発想から生まれた剣術は、殺せと命じられても抜刀するまでその意図を感じさせず、抜刀できるとは思われない姿勢から滑らかに動き出し、一瞬まばたきひとつに満たない間に標的を殺し終えるものとなった。

 創始から百年以上に渡り積み重ねられた骸の上に雷蔵は立っている。

 奪われた命に流れていた血が服のそこかしこを汚している。

 動くものが無くなったことを確かめて、雷蔵は外へ電話をかける。待機していた少年たちの一人、大道だいどうが出て、脱走者のいないことを伝える。一階にいた男たちは残らず雷蔵が斬り殺したことになる。

 血溜まりの中に赤い手帳が開いている。明るい色味のプラスチック製カバーに包まれたポケットサイズの手帳の冒頭に、行開けされた文言が次のように書かれている。


 品川駅の朝の七時の

 サインの下を出ていく人が

 すれ違いざま

 首を落として斃れようとも

 僕の快苦の十露盤珠そろばんだま

 ひとつも動かないだろう


 これを書いた男は人の首が落ちるさまなど知るはずもない。

 我知らず憐れみを籠めた目で雷蔵は文字を見下ろし、まだ二階に人が残っているはずであることを思い返す。この家屋は男たちの拠点の一つで、一階は作業部屋、二階は倉庫を兼ねた幹部の私室となっているというのが、これまでの聴き取りや、昨夜の襲撃に伴う機材搬出によって得られた情報だった。三人いる幹部の一人であるというその人物から重ねて話を聞くことによって、この奇妙な組織の成り立ちや目的、現在の勢力範囲についてより多くのことがわかってくるはずだった。

 廊下に出て暗い階段を昇る。

 一歩ごとに濃くなる血と屎尿の臭いに眉をひそめる。

 ――逆ではないのか?

 しかし鼻は狂っていなかった。二階の廊下に出るといちだんとはっきりした。一階の部屋にも満ちていた金臭さと並んで屎尿の、有り体に言えば糞の臭気が、扉が開き明かりの漏れ出る部屋から放たれていると、前に進むたびにわかる。

 人の気配のない暗い廊下を進む。

 部屋から漏れる光が、照明にセロハンを貼ったように赤い。

 雷蔵は耳を澄ます。廊下は静まり返り、パソコンの動く鈍い音だけが聴こえてくる。物音も、人の呼吸音も、雷蔵の耳には届かない。そして悪臭だけが一歩ごとに強くなりつづける。

 踏み込んだ部屋には誰もいない。

 天井から四方の壁、雑然と物の散らばる卓上から床まで、隈なく赤い汚れに覆い尽くされている。

 汚れの色味は暗く、鉄と糞の臭いが濃い。壁や床の上で、かすかに黒っぽく蟠っている物が、今にも虫の集るような臭気を発している。無数の羽音ではなく断続的に鈍いのは、デスクトップ型のパソコンの黒い筐体でファンが変わらず回る音。

 空気の淀んだ部屋は黒弥撒の後のように汚れている。流れ落ちた血が床に点々と溜まり臭う。天地四方のみならず家具までもが血と細切れの臓物に塗り込められたらしい。スライド式の扉の正面の壁には巨大なノコギリクワガタの大顎のレプリカが掲げられていた。カブトムシでもなくオオクワガタでもなく、このVの字に似た大顎の昆虫が彼らの組織のシンボルマークの一つだというが、それも今ではべったりと汚れに沈んでいる。薄赤く染まったパソコン、部屋の主の所有物であっただろうそのモニタはログイン状態のまま、不潔な血糊越しに青白い明かりを放っている。その前の黒い椅子もべっとりと血に汚れているが、これは外から振りかけられたものらしく、傍目にも血溜まりのような湿りを帯びていない。

 部屋の中央、床の上に視線を落とせば、これら血と糞がどこからやってきたかは瞭然としていた。

 白っぽい塊があった。

 皮膚が剝がれている。

 肉は尚のこと。

 嘴に啄まれたように深く抉れた肉を転々と飾る白い脂。随所に見える灰に似た色合いの、肋骨、大腿骨、尺骨、脊椎。背中まで破られた肉の袋の内容物は臓物の一片まで部屋中に撒き散らされたようだった。空になった腹腔を抜けて背中の肉や脂までもが、今や部屋中に広がる絵図のために用いられたらしい。

 皮ごと禿げあがった頭に目玉は無い。顔の肉もあらかた毟り取られている。頭蓋骨すら半ばを砕かれて血と汁に溶けている。

 鶴見屋雷蔵は粉微塵に破壊された暗殺対象の死体を発見した。

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