18話


 大学に行けば何か変わると思っていたが、何かが変わることはなかった。

 一回生の夏ごろには、俺にも大学内の友人ができていた。

 曽根という成金趣向の友達ができた。こいつは全身バーバリーでそろえた大将みたいな奴だ。

 高木という男は肥満体質で背が低く、それを気にしてか消極的な奴だ。俺に似ている。

 平井は田舎から出てきたイキのいい奴で、野生的な男だ。


 入学して一カ月以内に友人をつくらなければ、そのまま卒業までボッチというのが大学の定番らしい。万年無気力な俺でも、友達は自然とできた。

 二回生に学生ライフのピークを迎えたことを早くも理解した。別に彼女ができたとかそんなことではない。おそらくここから上はないと分かった。

 平日は普通に登校し出席日数を稼ぐために授業に出て、月に二回程度、金曜日の夜は河原町にでかけて酒を飲む。すでに三人は20歳を迎えていて、俺だけが未成年だ。だが俺はもう人殺し――それも363人も殺した人殺しだし、未成年飲酒や煙草なんて軽い話だ。


 二回生も残すところあと数カ月という一月のこと、成人式があった。

 スーツを着て、京都市勧業館――「みやこめっせ」に行った。そこで二年ぶりくらいに、振袖を着た無砂利場さんを見た。


 そこにはもう、あの髪を揺らして放課後の廊下を駆けていた、女子高生の姿はなかった。

 別の、何か違う女性になってしまっていた。

 今になって川村さんの言葉を理解した。いや、あれは夢の中で見た川村さんだっただろうか。


 とうとう、この頭の中にいる無砂利場さんは、存在しえない、ただのヴィーナス像になってしまったのだ。いいや。おそらく最初から存在していなかったのだろう。

 これは俺にのみ有効な、超究極的な猥褻物なのだ。

 そして川村さんは、自身の青春の後悔を拭い去ることができず、拘束した若い女性に自分の高校のころの未練について話し、何が間違っていたのか話を聞くのだと言っていたっけ。当時の初恋相手と同じ、青春の真っただ中にいる学生にしか、それは分かり得ないことだと考えたのだろうか。

 だが青春とは結局のところ――これも川村さんは分かっていたみたいだが――渦中には気づけず、むしろ過ぎ去ってしばらくした後に気付くものだ。高校生には分からない。

 だからもう川村さんの青春も、俺の青春も、実際のところそれが何であったのかは誰にも知り得ない。


 なぜなら俺たちは、高校生を卒業したのだから。


       〇


――『腕のない二人の女子学生、遺体で見つかる』


 7月に入ってすぐ、ネットニュースの見出しに思わずにやりとした。

 2日、市内在住の女性大生――佐島唯(20)と元村茜(20)の遺体が見つかった。

 遺体はまったく別の大学の敷地内からそれぞれ見つかった。二人の遺体には腕がなかった。二人は同じ立山第二中学の同級生だ。これらは同一犯によるものと思われる。

 また先月、立山第二中学で起きた、教師殺人事件でなくなった玉木吉信(33)の遺体にも腕がなかったことから、この一連の事件はすべて同一犯によるものと思われる。


 ――らしい。


       〇


 吊り革にぶら下がり、揺らされるだけの日々は楽しいだろうか。

 早朝の気だるい感じと吐き気。車内アナウンスはノイローゼの元だ。景色が高速で入れ替わるだけの窓ガラスは退屈でしかない。


 目の前にあるのは一般的な丸形の吊り革だ。潔癖であるらしい俺はそれを親指と人差し指、中指で摘み右へ半周回す。

 そうすることで、まだ触れらていないであろう部位を下に持ってきては安心する。

 思うにこれは「弱さ」だ。と分析してみるが安易だろうか。

 臆病な俺はこんな些細な汚れすら我慢ならず、周囲の人間や社会に嫌悪する。だが潔癖とは思っていないし、今の俺の行動を誰が見ていてどう思おうが知ったことじゃない。

 と思った傍から車内を窺い周囲の視線を気にしてしまった。


 ふと目が合った。目の前に同じ大学の女子生徒の姿があった。俺を見て潔癖症だとでも思ったのだろうか。


 数週間くらい前から、この人とはよく目が合うようになった。向こうもその気だろうか、俺の思い込みだろうか……。

 名前も知らない彼女を横目に、憂鬱が零れるように小さな息をいた。

 それはため息と呼べる程はっきりしたものではないが、その部類には入るだろう。

 またおもむろに車内を見渡す。


 並列して続く吊り革。それが時々、絞め縄に見える時がある。

 毎朝その前に立つ誰かの表情を覗き見ているのだ。と哲学者を気取り景色を斜めに見ては、自分の薄っぺらさが滑稽に思えてきて無心になる。

 誰も死ぬことはない。だから毎朝ここにいるんだ。

 そんなことを考えながら、故障したスクリーンのように同じ映像が繰り返される車窓へと、腑抜けた面を戻した。


 終点の京都に停車し、扉が開いてすぐ誰かに腕を掴まれ引きずり出された。

 俺はホームに投げ飛ばされ尻餅をついた。


「おいあずさ、こいつか、ずっとじろじろ見てくる奴って」


「う、うん。そうそう」


 顔を上げると、電車の中で隣にいた女性と、いかつい面の男が見下ろしていた。

 電車を降りていく乗客たちが繁華街の雑踏ほどの数、見下ろしている。じろじろ傍観しながら過ぎ去っていく。

 人の足が、肩に足に頭にぼこぼこと当たる。

 男と女は何か汚物を見るみたいに俺を見下ろした。


「おい変態、お前俺の彼女になんか用か? あ?」


 周囲と足音に混ざり、男の声は小さく聞こえた。


「こいつ知り合いか?」


「ううん。でも、たしか同じ大学の人だと思う……」


「同じ大学?……ああ、そうか、あれか。ストーカーか……おい、なに黙っとんねん?」


 その瞬間、バチバチと何かが目の前を横切った。男の上半身がぷしゅっと炭酸飲料を開けた際のような音を出し、綺麗さっぱり消えた。時間差でどろっと血液が漏れ出た。膝から崩れ落ち、下半身から辺りに血が広がる。


 女は震えて口を押え「え……え……」と音を出し、定番なキャーという不細工な奇声を発した。


「レイルウェーイ! レイルウェーイ!」


 どこからか弾むように歌う声が聞こえる。


「我こそは稲妻の獅子! プラグマティズムに毒された家畜共を皆殺しにし、英霊――久能亜草に誓ってこの国を救済するなりー!」


 ホームの先に、全身からバチバチと青い電気のようなものを放電する、スーツ姿の男がいた。

 腰に拳を添えて胸を張っている。欧米の古い死刑囚のような布袋を被って、雑に開けられた二つ穴から目が見えた。


「救世主様、あー救世主様! そんなところで何をされているのですか!」


「……え、俺?」


 いつか久野さんが俺をそう言った。

 俺は腰を上げて立ち上がり、訊ねた。


「そんなことでは亜草殿が悲しまれますぞ! さあ、目の前のその、プラグマティズムの家畜を殺すなりー!」


「へ……」


「ん? 殺さぬのですか? 仕方ありませぬな……」


 稲妻の獅子は合掌すると、腕を突き出し「玉砕覚悟!」と放電し、バチバチと光る球を放った。

 高速に放たれたそれは、一瞬の間に女の体に風穴を開けた。


「では救世主殿!」


 ホームから上空へ飛び上がり、バチバチっと稲妻の獅子は光の速さで遠ざかり消えた。

 あとには足を止めてホームの死体を観察する通行客と、乗客たちの数々の悲鳴、そしてスマートフォンのパシャパシャというシャッター音が聞こえていた。


       〇


 路傍に木が多いせいか蝉の音がうっとうしい。

 駅前には夕方の西日が差し込み、憂鬱な雰囲気が訳もなく漂っていた。 一日のうち、この空が橙色に染まる時間帯が一番嫌いだ。

 蒸し暑さにうんざりしながら、改札横のコンビニに入る。


「だから何でいつも置いてないんだよ!」


「も、申し訳ございません。そちらの商品は現在メーカー側が販売を一時中止しておりまして……」


「あれがないと困るんだよ。まったく。最近の若者はどうなってるんだ」


 入るなり聞こえてきたのは怒号だった。老人がレジで店員に怒鳴っている。

 店員は何度も謝っているが、老人はそれでも怒鳴り続けた。

 そんな光景を横目に冷蔵庫からスポーツ飲料を取り、もう一方のレジで苦笑いをしている店員に誘導され会計を済ませる。

 隣のレジから怒号が聞こえる度に、正面の店員は苦笑いする。対応する店員は何度も頭を下げていた。何とも痛々しい。


「ありがとうございました」


 そんな状況でも、店員は俺にいつものようにそう言った

 そこに意味などないことは分かっている。

 分かっているけど、後味の悪さが残る程には意味を感じながら店を出た。


 ――店の自動ドアが閉まったと同時に聞こえる悲鳴。


 一つは女性のものだろう。もう一つは年配の男性か。声がかすれていた。

 振り返るとビンゴ――女性客が尻餅を付いている。


 いきの良かった老人が、血まみれの状態で痙攣している。

 頭のない首から血が吹き上げている。

 天井から血が滴り落ちている。レジ前のタバコや手前の割引の品々が血でびしょ濡れだ。もったいない。壁に陳列されている“ホット”と書かれた缶類が、どの銘柄も赤く染まってしまっている。背後のガム類も赤い。あれらは廃棄になってしまうのだろうか。

 まったく、季節がまだ夏でよかった。これが冬ならおでんは血の池になっていたことだろう。

 レジ前で痙攣する老人はばたりと倒れた。

 一瞬その小刻みな動きが地団太を踏む子供ようにも見え、なんとなく笑えた。


 帰りの電車はいていた。先頭車両から行先を眺める。


「ねえ、あの人見てよ」若い小声が聞こえた。


 確かめると、高校生の集団が扉前にたむろしていた。斜め向かいの席に座る、濃いメイクのおばさんを見てニヤニヤと笑みを浮かべている。

 男子が3人、うち一人は床にしゃがみ込みスマホをいじる。女子が2人、うち一人は扉横の席で体育座りだ。座席に土足で上がることに、恥を感じない鋼の心に感服した。

 男子はニヤニヤと笑みを浮かべ、女子は手で口を押えたりして、コソコソと笑い合っていた。

 スマホをいじくりまわし傍のポールに触れ、吊り革に触れ、こいつらの手は菌が繁殖しているはずだと想像する。便器で口元を隠しているようなものだ。

 彼らはただ執拗にニヤニヤと、ひたすらにコソコソと笑い続けていた。


 向かいのおばさんは気づいていないらしい。いや、気づいていないフリだろうか。あるいは慣れているのかもしれない。

 それをいいことに、目の前の彼らは飽きることを知らず、コソコソニタニタと笑い続ける。

 俺は見ないように下を向いて表情を隠していた。

 ただ自分の瞳が死んでいくのを感じていた。


 そうこうしているうちに電車が駅に着きアナウンスが流れる。

 向かいのおばさんも俺と同じ駅で降りるのか、席を立ち電車が止まるまで、一つ離れた扉の前で待機していた。

 その間もコソコソとした笑い声は聞こえる。おばさんが離れたせいか、これ見よがしにガヤガヤしてきた。

 陰湿がイキり出したのだ。これほど性質たちの悪いものはない。


 電車が止まるといつものピロピロとした音が流れ、扉が開いた。そして俺もおばさんも、その他の人たちも電車を降りていく。いつもの光景だ。


 ――直後、悲鳴が聞こえた。


 振り返ると、車内にいた男子高生3人と女子高生2人の首から上が、まるで握りつぶしたトマトの様にぐちゃぐちゃになり変形していた。

 溢れ出したのはカシスオレンジとグレープフルーツの果肉。床に伝い溜まっているのは豚カツソースか。駅前のショッピングモールにあるジュース屋さんで、100パーセントのフルーツジュースを飲んでから帰ろう――でそう思った。


 ホームにいた何人かの人達が悲鳴を上げたまま茫然としている。高校生やスーツ姿の男性などが口を抑えている。中には思わず嘔吐する人もいた。

 私立の生徒だろうか――小学生の姿もあった。行儀のよい帽子を被っている。トラウマになってしまわないだろうか。だが不可抗力だ。運がなかったと思うしかない。

 もしくはそんな縁を招いてしまった自分を恨むしかない。この通学路を使わせた親を怨むかだ。


 赤黒く濡れた窓ガラス。これで高速に流れるだけの車窓は暗室のように赤く染まり、見る者の脳裏にトラウマを現像することだろう。

 いや、すぐに掃除されてしまうか。

 何人かの人たちは車内に見えるその様子をスマホで撮影していた。こいつらにとってはトラウマレベルの景色もただの日常を潤す刺激でしかない。人の死は娯楽だ。

 俺はホームを後にした。日常的な学生のまま、駅を離れる――。


「ありがとうございました――」。


 京都駅前のショッピングモール。フードコートにあるジュース屋さんでカシスオレンジジュースを買った。

 柑橘類は好きだ。この甘さと酸味という絶妙なバランスが刺激を生む。可愛いお姉さんに見送られるというおまけつきだ。

 だが一秒後には賢者タイムのように無となっていた。好奇心の限界だ。根本的に興味がなかった。なぜならあの店員も先程ホームいた連中とさして変わらないからだ。


 この陰湿な地では誰もが笑顔に、幸せに暮らしていることだろう。

 無関心が常識。

 不用意に他人と関わりを求める思考は変人であり、誰も変人だとは思われたくない。自分だけは誰かよりも優位な上の立場にないと気が済まない。だから隙あらば他人を見下し、下を作り片手間にさげすむ。 嘲笑の余韻が消えるまでが幸せの絶頂だ。他人の幸せは視界に入るだけで、彼らは片方の口元と小鼻を卑猥なものでも見るかのように歪ませ、鼻にしわを寄せる。

 神社や寺がやたら多いからだというのは安易だろうか。数百年前からお祓い三昧な彼らは、耳と目をくしたのだ。鬼は外、得体の知れない福も外。それがこの地の常識だ。


 山に囲まれたこの盆地そのものにも原因はあるだろう。夏は蒸し暑く冬は身も心も凍えるほど寒い。一年を通して四季折々と築かれるその温度差が、長い年月をかけ彼らの遺伝子に深刻なストレスを与えてきたのかもしれない。とはいえ俺の知能では計れない。

 思うに京都は心霊スポットだ。磁場が狂っている。全域で狂っている。


 でも、だとすれば、やはりそれはもう救うことはできないだろう。

 だが救うなどとおこがましい事を思ってはみたが、その気は微塵もなく、ただこんな俺も、既に視界に入る彼らと同じなのだと自覚している。

 店員に怒号を飛ばしていた老人と同じように、理解の及ばない外見のおばさんを笑うあの高校生のように、常にジメジメコソコソとしたこの陰湿都市――京都の住人なのだ。


 ならば俺も彼らのように陰湿に生きよう。陰鬱に暮らそう。

 この閉鎖的社会空間では他人を見下し、ジメジメコソコソとしていなければ誰も息ができないのだ。でなければ窒息してしまうらしい。

 喉から手が出る程に陰湿さを求めた者だけが呼吸を許され、上手い空気を味わえる。

 視界は個々において一つしかないのだし、それを共有することはできない。だから理解し合うことはない。

 陰湿都市の住人たちは分かっているらしい。

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