14話
何週間かぶりの会話だというのに、誠は俺を見ても自然に話しかけてきた。
知ってるやつでも期間が空くと恥ずかしい気がしてくるもんだが、誠の方はそんな感じはなかった。
浮気していたことがおたふく彼女にバレたと、誠がバイブレーションする携帯を握りしめていた。場所は近所の安いレストランだ。
「出ないの?」
「出られる訳ないだろ」
「てか、なんで浮気したの?」
「……いいじゃん」
反省している訳ではなく、この状況をどう潜り抜けるかということが問題らしい。
おたふく彼女は誠の家にいて、誠のお母さんに縋り付いているらしい。携帯にかかってくる電話は彼女からのものではなく、母親からのものだった。
「さっき出たらカンカンだった」
それで即切りしたらしい。
電話の向こう側からおたふく女のわざとらしい、むせび泣く声が聞こえたそうだ。
「怖っ」俺は笑った。
「だろ? 俺の親を味方につけてさ……腹黒女だわー、そんな子に見えなかったのに」
「俺もお前がそんな浮気野郎だとは思わなかったけどな」
「浮気って、俺たちまだ高校生だぞ? 純愛とかある訳ないじゃん。失踪した俺の親父も不倫してたし」
「今日どうするの?」
「大将のとこ行くわ」
「……まあ、これじゃあ帰れないわな」
「あの女、当分居座るつもりだ。まじ死んでほしい」
「そこまで言うか」
誠は笑い声を上げた。精神的に疲労している人の笑い方だった。
誠には下級生のおたふく彼女がいたが、今はさらに別の、他校の女と付き合っている。この間ばったり駅前で会ったら、隣におたふくではない女がいた。ナナフシみたいな細い女で鼻は苺だった。どうも趣向を変更したらしい。多分その時点でこの浮気問題は浮上していたのだろう。誠は肉付きのいい女が好きだから、ナナフシ苺は絶対にタイプじゃない。
「今度からもっと優しい奴にするわ」溜息をついた。
誠はいつか女に刺し殺されるだろう。
〇
9月の不登校が祟ったのか、季節の変わり目である今年の11月は、今までにないくらい体調が悪い。
随分前からだと思う。何となく、何となく俺の中にはある「慣習」がある。
この季節になると友達が離れていく。
毎年恒例のことで、主に11月に起きる現象だ。
一年の頃がまさにそうだった。最初は新しい顔ぶれに新鮮みを感じていたかもしれない。それにも慣れてきて、4月の頃よりは気を遣わなくなり、またさらに慣れて、今度は人の悪い部分というのが見えてくる。お互い様だが、自分がどう見られているのかなんて分からない。ただ俺への印象はあまり良くなかったのだろう。準進学クラスの連中とは相性が悪かった。
俺はクラスの中では浮いた存在になっていった。入学当初はそれなりに笑い合うこともあったように記憶している。そのあとで背中を突き刺してくるのが、俺の知る京都人というものだ。
最終的に友達は一人もいなかった。
二年に進級し誠に出会った。大将も紹介されて、また11月がやってきて、恒例現象に警戒する。ただしそれだけだった。その一年は何事もなく終わった。
何が違ったのか――。
簡単な話だ、現象は初めからなかった。
要はジンクスに陥っていただけのことで、それは閉鎖的社会空間にはつきものらしい。連続する似たような日々に対して、人は何かの法則性を予感する。中学の頃も11月は俺にとって魔の季節だった。そして高一の11月に同じ現象を経験し、何か確信したのかもしれない。そこで人生においての、ある統一性を見たのだろう。
そして予感していた法則性が明確になった。「魔の11月」の完成だ。
だから今年の11月の、この気だるげな感じは勘違いだ。ただの、季節の変わり目によるものだ。
そんな閉鎖的な環境へ向け、今日も自転車を走らせる。
11月18日、朝の境内は少し霧がかっている。山が近いことから濃霧は珍しいことではないが、川村さんの顔を思い出した。
川村さんが生きていたら、青春に失敗した俺になんというだろうか……。
「言っただろ、霧はそう長くは続かないと」
あの人はなんでも濃霧に重ねて話す人だった。あの人にとっての時間感覚や、人生そのものが霧であったように思う。
砂利道は、いつものように尻が痛い。
お昼休み中の校舎は静かだった。奇妙だと感じながら、俺にはそれを解明する意欲がなかった。
いくつか原因は想像できて、おそらく間違っていないだろうと思えたから、人気のない廊下や教室を見ても心は穏やかだった。
ただし無砂利場さんの横顔が過った。もしくは、これは斜め後ろから見た際の、
すぐに右手の体育館が目につく。じっと凝視して、そこから何か違和感を得た。理由は分からない。昼間の学校に誰一人いない、その答えがそこにあるような気がして、俺は教室をあとにする。
体育館の前までやってきて足が止まった。
扉を開ける。錆びた鉄の擦れ合う甲高い音が辺りに響き、目が点になった。整列する生徒たちが、一斉に振り返った。
「……そこに、いらっしゃいましたか」
壇上の声の主に目を細めると、そこには久能さんの姿があった。
壁際には何人かの大人の姿があった。教員ではない。どれも野蛮な顔つきだ。中には数カ月前の祇園祭のときに見かけた、岩石の男の姿もあった。
「どうぞ、こちらに」と久野さん。
全校集会でもやっていたのか。生徒たちの間の道を通り、誠や伊田島や、平さんや無砂利場さん、他の見知った同級生の顔ぶれをみながら壇上の前までやってきた。
「亜草さんの仲間だったんですか」
「亜草は私の兄です。改めて、お話をしませんか?」
「……話なんか。あの会合から、ずっと監視してたんですか」
「あれは偶然でした。偶然、あなたは私を守った。でなければ兄が守っていたでしょう」
「そうは思えませんけどね」
「どちらでも構いません、嘘を
「正体?」
「あなたのそれを兄は重力操作の類であると考えました。能力は使えば使うほど他者に影響し、能力者の殺害によって影響力は増す。能力者間の争いにおいては、この影響力こそが勝敗に深く関係するのです。しかしベースとなる能力には、そもそも高級なものとそうでないものがあります。兄は自身の能力を凡庸だと言っていました。対してあなたのそれを高級だと言ったのです。彼の周囲では時間の差異が生じる、それはとてつもない影響力だ――と」
亜草さんの言っていたことと違う。
「……亜草さんはどこに?」
「おかしな質問ですね。あなたと対峙した宵山の日に、三条大橋でちゃんと亡くなりましたよ。
「待ってください……俺は殺してない。あのとき俺は念動力を緩めました。亜草さんは落下の直前には、自分でなんとかできたはずです」
「責めてはいません。兄はあなたに自分を殺させたかったのでしょう。ですが能力者の殺害においてイカサマは通用しません。兄の死因は自殺です。あなたには何の影響もありません――霜月さん、そんなことはどうだっていいのです。私たちの仲間になってくださいませんか?」
「断ったはずです。亜草さんは理解してくれました」
「時期を待ったのです。ですが兄はそう長くは生きられない体質でした。ですから死でもって、あなたにすべてを託したのです。必要なことはすべて伝えたと言っていました」
手紙のことを思い出した。まだ中身を読んでいない。
「……わかりました。場所を設けて話しましょう。だからもう」
「会話はここで行います。そして話すのは霜月さんではなく、ここに集まった生徒たちです」
久野さんは壇上を下りた。壇上を正面にして左端一番前の、女子生徒の前に立った。
「お聞きしますが、霜月道加さんについて、何か知っていることはありますか?」
「……二組の」
「はい。霜月さんは二組の生徒ですねえ。それから?」
「……わかりません」
「そうですか」
久野さんは優しく微笑み、女子生徒の額にとんと人差し指を添えた。その瞬間、生徒の体が眩しく発光した。
生徒の体は徐々に縮んで、気付くと赤子の姿になっていた。脱ぎ捨てられたようなブレザーやズボン、学生服の上に、赤子は仰向けになって泣いている。
館内の生徒から悲鳴が上がった。女子生徒の声が目立つが、中かに男子のものもある。ざわつきに対して、周囲の大人たちが「静かにしろ、殺されたいのか」と怒号を飛ばした。
じんわりと止んでいき、あとには生徒のすすり泣く声が聞こえる。
「これが私の修理の力です」
久野さんは振り返り言った。
「では次の生徒のお聞きしましょう」
「待ってください!」
「霜月道加さんについて、何か知っていることはありませんか?」
ありません――怯えた様子の生徒がそう答えるたびに、生徒は発光して、赤子と脱ぎ捨てられた学生服が現れる。泣き声が追加されていく。
いつしか耳が麻痺してきて、無数の泣き声はまるで夏の蝉の鳴き声となった。それでも躊躇なく、ペースを緩めることなく久野さんは生徒に訊ねた。
「何か知っていますか?」質問内容を省略し、ペースは上がっていく。
「中学のときに、その、人を殺したとかって……」
とある男子生徒の回答が聞こえて、動悸が始まった。
「人を殺した? なるほど、それは実に興味深い話ですねえ。何があったのか、詳細についてはご存知ですか?」
「いいえ」
「あなたはどう思いますか? 霜月さんは殺人鬼だと思われますか?」
「……わかりません。でも、みんな言ってるし」
「みんなとは?」
しばらく生徒の返答がなかった。
また眩しい発光があった。
久野さんは壇上の前まで戻ってくると俺に言った。
「4年前、まだ中学二年生だったころ、あなたは当時同級生だった生徒を誤って包丁で刺してしまった。事件は手際よく処理されたはずが、いつのまにかどこからか漏れてしまった。人伝に広まった何かの噂は肥大し、あなたは多くの同級生の中で、いつのまにか殺人鬼になっていた。あなたはそれを薄々分かっていた。そうですね?」
「……」
「この話の多くは兄が調べたものです。あなたを確実に仲間にするためには、霜月道加の人物像を理解する必要があった」
「やってません……」
「分かっていますよ」
「やってないんです、俺は!」
「ええ、分かっています。兄もあなたが無暗な殺人を犯すような人物でないことは分かっていました。ですから殺人者を引き付ける体質が疑問でならなかったのです」
大勢の、生徒たちに知られた。誠に、平さんに知られた。
……無砂利場さんに知られた。
体から力が抜けていく。体が暗闇に置いていくみたいだ。「俺は、誰も殺してない……」
「事故であったと兄にも説明されました。しかしあなたのそれは無実の者の表情ではない。あなたの瞳が黒く沈んでいることに、兄は霜月さんの中に長期的な悪影響をによる何らかの変化を感じたのです。あなたは追い詰められている思ったのです」
そう言って久能さんは、また生徒に同じように訊ねた。
「何か知りませんか?」
次々に光があり、蝉の鳴き声が増えて、増えたかどうかも分からないくらいになって、すると発光が途端に病んで会話があった。
「そいつは……人殺しだ」
知った声に振り返る。「……伊田島」
怯えた魚の黒眼が、俺をじーっと見ていた。まるで俺にすべて当てつけるみたいに。
――お前が悪い、お前が悪い。
そう声が聞こえる気がした。
久野さんは俺と伊田島の顔を見比べた。「お知り合いですか?」と俺に確認した。無言でいると質問を伊田島に戻した。
「人殺しとはどういう意味でしょうか?」
「……俺は、その場にいました。あれは事故なんかじゃない。霜月は刺したんだ。
「それは亡くなられた男子生徒の名前ですね?」
「そうです。あいつは那々騎の背中に包丁を突き刺した。目が合うと、霜月はなんでもなさそうな顔をしてました。包丁が刺さってるのに、なんでもなさそうな顔を……」
「気のせいでは? 彼に直接、殺意があったかどうか聞いたのですか?」
「……いえ。怖くて、聴けなくて」
「そうですか」
久野さんは伊田島に何もせず、次の生徒に「何か知りませんか?」と訊ねた。伊田島は体育館の床を見つめたまま、棒立ちだった。
生徒の数だけ魚の黒眼が増えていく。まるでそんな気がした。無数の目が俺を監視するみたいに見ている。睨んでいる。悪意に満ち溢れている。
顔を上げ、誰かと目が合うたびに動悸が増して胸が痛くなる。吐き気がする。
「何か知りませんか?」
「……俺は」
知った声だった。顔を上げると、困った様子の誠が見えた。
「誠……」
「お知り合いですか?」久野さんは俺に訊ねる。
「……友達です」
「霜月さんのお知り合いですか?」
誠の顔色が悪くなっていく。俺と久野さんを交互に見つめた。
「――違います」
眼球の裏側から熱が押し寄せた。
「違うのですか? 何か知っていますか?」
「噂を知っています。あいつは中学二年生の頃、同級生を殺した」
「それは先ほど私が説明しました。何かまだ出てきていない情報はありませんか?」
「えっと……場所は、家庭科室だったとか」
「なるほど。ですか包丁で刺したということですから、家庭科室というシチュエーションは容易に想像できますね。私が知りたいのは想像ではなく真実です、実際にあなた方が裏で語る内容です」
「死んだ生徒は、霜月くんの親友だったと聞いています」
それは、中学の同級生でなければ絶対に知り得ない情報だった。
久野さんは「なるほど」と次の生徒に質問する。
俺はもう顔を上げることができなかった。誠を見ることができない。目を合わせたくない。その瞬間に何を感じ取ってしまうのか想像するだけで恐ろしい。
それから順にまた光が続いた。鳴き声が館内を埋め尽くしていった。
「私は……」
呼吸も忘れるほどに俺は動揺していた。
それは無砂利場さんだった。彼女は久能さんの質問に困っていた。
わからないと答えれば殺される。知っていても、それが有効な情報てないなら殺される。そんな一連の法則も理解しているだろう。だがそもそも知らなければ等しく殺される。かまをかけることも難しい。
「待ってください、彼女も友達です!」
「霜月さんのご友人だからと生かすつもりも特にないのです。もしくは仲間になることを宣言してくだされば考えましょう」
「……そのために、集めたんですか」
「仲間になりますか?」
「――仲間になるって言えよ!」
生徒の中から声が上がった。平さんだった。
さらにもう一つどこからか同じ声が上がった。俺は急かされるように振り向く。その直後にまた別の場所で同じような声が上がり……。
気付けば次々と同様の声が館内に響いた。残響の中に「死ね!」「お前のせいだ!」「人殺し!」「殺人鬼!」「死んで詫びろ!」「クズ!」などと声が紛れ込む。
久野さんや取り囲む周囲の大人たちは困惑している。俺は一身に罵声を浴びた。
顔を伏せる動作さえも非難されるのではと臆病になり、棒立ちでびくびくと光景を見渡すしかない。
その中に、同じように「お前のせいだ!」と叫んでいる誠の姿が見えた。伊田島が「人殺し!」と震えた笑みを浮かべている。
一度も話したことがないクラスメートまで罵声に参加し、館内は罵詈雑言で満たされた。
何か頭の線がぷちっと切れたとき、俺はがむしゃに、衝動のままに床に向かって叫んでいた。それが自分の中から発せられている声とも分からないくらいに動揺していた。
叫び切った。館内や外に散ったその残響が消えて、しばらくして俺はゆっくりと目を開き顔を上げた。
「あ……あ……あ、ああ……」
床や壁や壇上や、二階の窓――館内のすべてが真っ赤に染まっていた。
過呼吸の一歩手前の中、俺はまた繰り返すように叫び続けた。
足元に何か転がるものが見えたら、それは人の腕だった。
手、腕、二の腕の順に見えて、その先からぱっくりと花が開いたみたいになっている。腕の付け根は血みどろだった。
赤子も生徒も大人も、久野さんも、伊田島も誠も平さんも、クラスメートたちも、みんなどこにもいなかった。みんな真っ赤で鉄臭い。まるで
それらの元がなんであったのか想像できない。
判別できないほどに細かくほぐれている。精肉売り場の挽肉のような、ただし整っておらず統一性のない、ぼろぼろの肉片だ。
そんな真っ赤な中に、ぽつんと無砂利場さんだけが生きていた。
「無砂利場さん……」
声をかけたが返事がない。
若干上を向いたまま、彼女は放心状態のように思えた。俺も人のことは言えない。
ゆっくりと近づいた。
彼女の肩にぽんと手をおいて「無砂利場さん?」ともう一度名前を呼んだ。
「――嫌っ!」
手を払いのけられた。無砂利場さんの目は怯え切っていた。
俺に対して怯えていた。
辺りを見たときすぐに分かった――念動力が暴走したんだと。
俺は瞬間的に感覚でもって、館内の全員を内側から破裂させたのだ。無砂利場さん以外を。
「ごめん……俺、こんなつもりじゃなくて、俺……」
唇を震わせ、瞳孔の開いたような目つきで俺を見る無砂利場さん。眼球も震えているみたいに見える。
「こんなこと、するつもりじゃ……」
説明がつかない。
こんな風景の中じゃ、こんな非現実的な空間じゃ、俺の言葉なんて伝わらないだろう。
それでも俺は、必死に分かってもらおうと言葉を絞り出していた。それはもう意識的に話しているのか衝動なのか、何なのか分からない。
目の前に無砂利場さんがいるから、だから反応しているだけのようにも思える。
俺から逃げるようにゆっくりと後退る無砂利場さん。俺は分かってもらいたくて、本音を知ってもらいたくて、誤解してほしくなくて……。
「行こう」
手を伸ばした。よく分からない行動だ。
今になって自分の手や腕や、体全身が血と肉片にまみれているであろうことに気付いた。
それは無砂利場さんも同じだった。何故だか彼女が真っ赤に染まっていることに気付くまでに、随分とかかってしまった。
今の今までいつもと変わらない、普段の無砂利場さんに見えていた。
「ここを出よう……さあ、行こう」
怯えたままだ。無砂利場さんが俺の手を取ることはなかった。
――しばらくして、俺は蝉の音の消えた体育館をあとにした。
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