13話
20××年9月10日(金) 仏滅
何カ月かぶりに書く。俺の初恋は今日、終わった。
最初から分かっていた、いつかこうると、いつか最大の痛みが自分を襲うだろうことを。
俺はあの人に嫌われるのが怖かった。
だから嫌われるきっかけを作らないように避けた。
避け続けた。
遠い明日ばかり見て今を見ようとしなかった。
いつかは結ばれる。いつか告白する、いつか告白する。そう思っているうちにいつの間にか時間は過ぎて、そして彼女は他の。
俺が壊れる。
景色が変わる。すべてが意味のないものに。
〆
橋の真ん中に立ち、
どこだ?……。
すぐに地元の河川の傍だと分かった。
外に出てきているのに、俺はジャージという部屋着のままだった。足元は適当なスニーカーを履いていた。
いつ外に出てきたのだろうか。覚えていない。
今日が日曜日であることくらいは分かっている。今は夕方くらいか……。
この
背後をママチャリのおばちゃんが通り過ぎていった。なんだか嫌な目で見られた気がした。
徒歩なら45五分から一時間はかかる距離だ。
なのにいつ家を出たのか、家を出てからここに至るまで道中を少しも覚えていない。
あまり清潔な川でもない、少し生臭い。9月とまだ暑く、だから河川敷には見えにくい小さな虫が大量に飛んでいる。白いカッターシャツのまま自転車で走しり抜けると、いくつもの虫がついてしまうほどだ。下手に触ると虫はすぐに潰れ、緑と黒で濁ったような汁が付いて、それが白には目立つ。俺は河川敷を歩いてきたのだろうか……。
よく分からないまま、とりあえず家に帰ることにした。
土日は一日中、終始、心が空っぽだった。空腹な訳じゃない。飯は三食普通に食べた。いつもよりも腹に入らない感じはあったが。
月曜日、支度を済ませ、外の自転車に跨ると日差しが気になった。手で日光を遮りながら見上げると……。
「……」
空が灰色だった。アスファルトが、住宅が、通行人が、横断歩道が、信号が、境内が、車両が……何もかもが、すべて、灰色だった。
おそらく、間違いなく、俺は色を見たに違いない。それは間違いない。なのに教室のいつもの席に座り、耳にイヤホンを差し込むと気付くのだ。記憶の中の情景に色がない。
すべて灰色で、でも今見えている教室の中には色はある。
ただ目を瞑って見たばかりの教室の中を思い出してみると、色はなかった。黒板の深い緑も灰色だ。教壇に立つ教員の表情も無個性なものに見えた。
古典の授業で立葉が生徒の発言に、「夢なんか見ても仕方ないですよ」と慣れた口癖を言った。
教室内の生徒のほぼ全員の顔が引きつった。低い「え」という声で教室内がこもった。
みんなドン引きしている。
俺は無言のまま、確かにその通りだと深く理解した。
そうだ。夢なんか見ても仕方がない。
すでに夢というものに目的を変換してしまっているのだ、すでに叶う叶わないという問題の中に落とし込んでしまっている。目的なら目標に落とし込むべきだ。夢とは絶対に叶わないようにできているのだから、欲しいなら目標か予定にすべきだ。
立葉は変わった教員だが、他の偽善しか言わないような教員よりはマシかもしれない思える。
クラスの生徒の眼が黒く濁っている。それで白いうさぎを思い出した。
それほど綺麗な毛並みでもない白うさぎは、よく少年少女が惹かれるくらいの純粋な何かとして描かれる。少し考えてみたところ、つまりあれは人を惑わす象徴なのだろう。
その瞳は血のように真っ赤だ。
昼の恒例行事だから仕方がなかった。俺は弁当を持っていつものように隣の教室に行った。
誠がすでに黒板に近い空席にスタンバイしていて、俺はその隣についた。
誠の表情は硬かった。俺はすぐに違和感に気付き、察した。
そうか、知ってるんだな……。ということは、謎に発想してしまった最悪のシナリオは、正解だったという訳だ。
俺は間違っていなかった。無砂利場さんはもう……。
「……もう知ってると思うけど」
誠が気を遣いながら切り出した。
「え……うん」
「あの人……付き合ったらしい」
「……知ってる。聞いた」
昔から、悪い勘だけはよく当たる。
放課後のこと。
帰り際、道路を挟んだ高校の向かい側のバス停に、無砂利場さんの姿があった。どうやら今日は自転車通学ではなかったらしい。
一瞬だけ目が合った気がした。以降に見向くことはなかった。ペダルを漕ぐペースは自然と一定になり、俺はいつもと変わらない帰路についた。
〇
20××9年 9月15日 (水) 大安 19時14分
今日、学校へ行った。
またあの日々に逆戻りした。
あの生きている気がしない、意味のない日に。
昨日は学校を休んだ。あんな状態ではいけなかった、随分と、景色も変わってしまったものだ。すべてが薄暗く淀んでいる。
何故、生まれて、そして何故、今も尚、生きている。
そんな必要があるのだろうか……。
俺は理解した。
俺は自分だけを愛する。もともと、そうだった。
〆
平日の朝、いつもと同じ時間に家を出た。学校へは向かわず、そのまま駅前に向かって自転車を漕いだ。大将のマンションに向かった訳じゃない。
あいつのところには、あの日以来一度も行っていない。特に連絡も来ないから、こちらから何か連絡したこともない。
鳳凰の建物は撤去作業が進んでいた。
あと半分だろうか、まだまだ先が長いような気もするが、こういうものは気が付かない間に終わっているのが常だ。
駅前のコンビニや改札付近の売店前をふらついたりして、時間を潰した。
10時に中古ゲーム店が開店し、それから入り浸った。
小学生が主人公のギャグ漫画を見つけて、それがかなり長く続いているみたいで、一日中立ち読みした。
昼食は店の前で自転車に跨りながら食った。それから夕方まで、また同じギャグ漫画を読んだ。
次の日も、そのまた次の日も、平日はしばらくその暮らしが続いた。学校には行かない。土日は部屋に引き籠もった。誠からのメールは返さない。
そのあと、いい加減な登校が始まった。
穴抜けな日々が続き、丸一日休む日もあれば、朝だけ行って昼には帰るとか、昼だけ行くとか、そんな感じだ。でも行っても帰り際のホームルームには出なかった。
それが割と問題だったらしく、ある日担任の教員に呼び出された。
出席日数も危ういが、ホームルームの欠席も問題らしい。来年に埋め合わせの大掃除をしなければいけないとのこと――掃除にだけは参加しろ、もう休むな。
それで卒業だけはできるそうだ。
一年生の頃、一類ではなく一・五類というクラスに属していた。それは二類で入学せず、一類で入学後に希望して入ることになる。二類と一類の狭間の準進学組のクラスだ。
二年に上がるころ、俺はそのクラスから落ちた。そう周囲は思ったらしい。
実際は――成績が危うかったことはそうなのだが――記入ミスだった。
進級後も一・五類に残るかどうかの記入用紙を配られたとき、俺は当時の教員に「これは最終決定ですか?」と確認した。また変えられると教員は言った。だがそれは間違いだった。
要するに教員としては俺が一・五類に残ることを勧められなかったらしい。
あとになって聞かされたのは、その時点で脱落者が二人ほど出ていたそうだ。
脱落とは成績不振によるものだが、それは一類に落ちるということではなく、退学を意味する。退学するくらいなら、一類にいった方がいいだろうという判断だったようで、ただそれを俺本人には言えなかったらしい。
つい最近、地下の階段で一年のころのクラスメートとすれ違った。門脇という、じゃがいもみたいな顔の太った奴だ。
「お、久しぶりじゃん」
「……お、おう」
なんだか気まずかったことを覚えている。
「霜月、そういやお前、自分で一類いったって言ってたけど、あれ、違ったんだな?」
「ん?」
「岡田に聞いたんだよ、あいつ授業と関係ない授業ばっかするからか知らんが、保険室の助手に追いやられたらしいぞ」
岡田とは当時の担任だ。いい先生だったが、科目にない心理学の授業を勝手に始めるやつで、それが問題だったらしい。生徒には好かれていた。
「そうなんだ……」
「あ、そういやお前、三組の無砂利場さんだっけ、狙ってたんだろ?」
「……」
誰々から聞いた――門脇はそう言って、そこからは話が頭に入ってこなかった。やけに楽しそうに笑っていた。それだけは覚えている。
それから最後の言葉もだ……。
「お前、落ちたな――」
にやりとして、門脇は階段を駆け上がっていった。
俺は階段の途中に立ち止まっていた。
それが何かまた、意味を持ってしまった。
〇
20××9年 9月24日 (金) 大安 1時51分
日常の景色は黒よりも恐ろしい色に変わった
生きるのはめんどう
死ねば自由になれる
すべてが無になった
学校に行かないといけないことになってしまった
みんな消えればいいのに
〆
同日 2時13分
視界に映る無数の黒い影
軽蔑と嘲笑の眼が俺を縛る
ただ埋もれる姿を観て存在を否定する
空に希望を求めるが灰色が纏う
生かされていることにもい気付かず気楽に嘲笑
偽善の皮を着た白いウサギを猟奇的に殺したい
〆
10月上旬に体育祭があったが、俺は行かなかった。
もう誰の顔も極力見たくなかった。
昼食は隣の教室には行かず、自分の教室で済ませて逃げるように図書室に行った。
俺以外にも友達はいるから誠は困らない。そのうち誠からのメールもなくなった。あいつも理由は分かっているだろう。
図書室には、いわゆるオタク風の男女が集う。
ここに寄りつかない陽の当たった連中は、彼らを「図書室の住人」と呼ぶ。
俺もここ数年は心の中で彼らをバカにしていたかもしれない。
ただ図書室は居心地がよかった。
イヤホンを差し、ブラックデスメタルをがんがんに流し、適当な本を取って頭を空っぽにして活字を読む。誰も何も話しかけてはこない。
これが教室ならそうはいかない。他人に干渉したがる陽気な奴らがいるからだ。こいつらは気分次第で中身のない質問をしてくる。俺はそれに答えなくてはいけない。不機嫌に答えれば向こうも機嫌を損ねて、面倒なことになる。だからって能力を使ってもさらに面倒なことになるだけだ。
図書室の住人たちは笑顔が絶えなかった。笑っていなくとも、そこに充実感を感じる。
まるで誰もがアニメのメインキャラやサブキャラのように見えた。ブレザーを肩から背負い、鳥の巣みたいな寝癖頭の男子生徒も、教室では笑い者かもしれないが、ここでは認められている。痛い奴だとは思われない。
彼らは誰よりも主体性に満ちていた。
それからしばらくは図書室の住人たちに同化した。といっても俺は無言だ。でも誰も何も気にしないし、何かちらちら見てくるということもない。
彼らにとって俺は物だ。
彼らにとってこの図書室は青春の一場面で、そういう意味で最も濃厚なスポットだ。このスポットの中のソファーに座る俺は、彼らにとってただの置物でしかない。本棚や机や椅子なんかと同じだ。
ウォークマンと本とソファーがあれば、俺は学校でも引き籠もれた。俺だけの世界に入ることができた。
教室の中が、ちらほらAO入試の話題で賑わい始めた11月初頭、おかしな出来事があった。
朝方登校すると、校門の前に記者の群れが集まっていた。
取材を求められている生徒の姿がいくつもあって、それが連日続いた。
なんでも、二年三組の生徒の大半が、突然いなくなってしまったらしい。クラスの女子がそう話しているのを聞いた。
失踪当時はお昼時だったとか。俺はその日は休んでいた。
何かとんでもなく煌々とした光を見たらしい。廊下にいた生徒が、オープンカットにいた生徒が見たと、当校の生徒がテレビで話していた。光は二年三組の教室から見えたそうだ。
それから同時刻、校舎の屋上から男子生徒が飛び降りたらしい。これは屋上で昼食を取っていた生徒が実際に見たそうだが、真相は謎のままだ。というのも、その男子生徒も行方不明で、死体も見つかっていないらしい。
能力者の仕業だろうか、情報が混在している。亜草さんの言う通り、俺は能力者を引きつけやすい体質なのかもしれない。
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