7話


 鴨川デルタの会合以降、世間では能力者の存在というものが濃厚になってきた。ネットの検索ランキングでも長いこと上位だし、ニュースでもそれなりに取り上げられる。

 俺たちのような若者は受け入れるのが早い気がする。中高年ほど「手品の類だろう、遁術などありえない」といった考えが常識みたいだ。日本人は「馴染む」ということに疎いのだろうか。そこに「新しい」なんて属性が付いていたもんなら、身近なものとして認識するまでに数年かかる。スマートフォンがいい例だ、能力者もそんな感じだろう。

 問題が現実味を帯びない理由は意外とある。半年が過ぎたが、出町柳駅の出火に並ぶほどの事件が起きていない。通り魔事件が増えてきている気がするが、だいたい蝉が鳴き始める今ごろから、その手の事件は増え始めるもんだ。能力者との関連性も分からない。


「隠したがるんだ、日本人は」


 テーブルを挟んだ向いの席で、阿草さんは言った。

 窓ガラスの外にぼーっと目がいき、向かいの回転寿司店が見えた。このファミレスと同じ並びに建っている。目の前にT字の交差点があって、丁度、横断歩道が青になった。照り返すアスファルトの上を人や自転車が横断している。交差点を囲む何台もの車のボンネットは、日光が反射し肉が焼けそうなほどだ。隣が小学校だからか、グラウンドの木々から「みんみんみんみんみんみん」と未成熟な児童の鳴き声が聞こえてくる。そもそもは、ただの蝉の音だった。そのうちに、目覚まし時計が癇癪を起こしているんじゃないかと思えてきて、今では訳が分からない。

 レストランの中はクーラーが効いていて快適だ、なのに汗がだらだら流れ出てくるのは、この蝉のせいか。鳴き声が暑くするのか、暑さが癇癪のように思わせるのか、もうどっちだか分からない。


「君は三年生だったか」


「はい」


「一七歳か?」


「そうです。早生まれなので、誕生日は来年なんです」


「そうか。じゃあ高校最後の年か。進学かい?」


「そうなります」


「なるほど。断るのも分からなくはない」


「そういう訳じゃありません。なんていうか、興味がないだけです」


「まあ、めんどうだろうなあ」


「もしかして動きが活発になってるんですか?」


「能力者たちかい? いいや」


「じゃあ、なんで……。僕なんて、能力者としても人としても半人前ですよ」


「人としてはともかく。いつか霧に包まれた校舎で、能力者から女子生徒を守ろうとする君の動きは機敏だった」


 俺は耳を疑った。


「あのとき、校舎上空を偶々通りかかったんだ」


「……見てたんですか?」


「観戦していたのさ」


「……川村さんをご存知なんですか?」


「川村……確か霧使いの名前だったか? いや?」


「じゃあ、なんで……」


「私は殺人者だ、それも五人殺した。その分、発見率は高い」


「川村さんは殺人者じゃないですよ?」


「……では君が殺人者なんじゃないのかい?」


「そんな!」思わず大きな声が出た。「違いますよ」


「冗談だ。その川村とかいう者は嘘をついたのだろう。能力者発見の法則は絶対ではないが、同時に二人の能力者に遭遇するなど、偶然にしては妙だ。今後、能力者の動きが活発化してくれば分からないがな、結局は確率の問題」コーヒーを一口、「てっきり、霧の能力者が殺人者なのだと思っていたよ」


「気の毒な若者だと思ったことを覚えている。死ななくて良かったな」


「見ていたなら、助けてくれれば良かったじゃないですか」


「ただでさえ優遇されているんだ、我々はな。これからも自分で何とかしたまえ。君には能力を使う権利がある」


 テーブルの下で足を組みなおし、顎を触りながら、「その割に、君は何かと発見しやすい」少し難しい顔した。


「……そうなんですか?」


 阿草さんは頷いた。


「あのときもそうだった。私は何も、尾行してマンションを見つけた訳じゃない。あの夜はなんとなく南に向かって飛んでいたんだ。それで、タワーマンションの一画に君の姿をみつけた」


 夜も遅かったことから、昼に出直すかたちで訪ねたのだという。「偶然にしては妙だ」と言って、また顎を撫でた。癖だろう。


「川村さんは、抗争に参加してたんですかねえ、でも関わりたくないって言ってましたよ、女子高生も襲ってないって言ってましたし。俺には正直に言ってるように見えました」


「君は彼の知り合いか何かか?」


「いえ。名前しか知りません」


「では川村という男の何一つ知らないのだろう。苗字以外は」


「……はい」


「大人は汚いぞ、この世で一番汚いんだ」


 高校生という時間の、特に「初恋」というものに、川村さんは未練があった。だからだろう、俺にはあの人の「何か」が理解できそうな気がしていて、それで悪く思えない。自分の行く末が、記憶の中の川村さんとダブって見えることがある。


「能力者同士が出会う場合、どちらか一方は必ず殺人の経験者だ。どちらも未経験ということはない。私の勘によれば……うん、君が殺人者だ」


「……だから、冗談きついですって」苦笑いをした。


 笑い声を上げて、「悪い悪い、高校生を前にするとな、つい……。あの頃はこんなことばかり言っていた。バカをしていれば成立する日常だった、それだけで幸せだった。そうだろ?」


「……どう、ですかね」


「それで生きられるのは子供のうちだけだ。大人の世界では、未熟は淘汰される」

 俺は誤魔化すように言った。「気を付けます」


「君に言った訳ではない」間を持って、「こういう話をするといつも思うんだ。殺人鬼は、なにも無から生まれてくる訳じゃないとね。つまり、あれは大衆社会が生み出すのさ」


 俺は「はぁ」と相づちをうった。


「ミルグラム効果という言葉を知っているか?」


「……知らないです」


「違った、スタンフォード監獄実験だ」


 それは実際に行われた心理学実験だという。ある普通の善良な大学生を集め、看守と囚人という役に分けた。模型の刑務所まで作り、行動を観察したそうだ。


「どうなったと思う?」


「……わかりません」


「わかりません、はやめた方がいい。高校生という立場はできるだけ利用すべきだ。ミスをしても恥をかくだけで、痛くないのは今だけなのだからな」


「……みんな死んじゃったとか?」


「看守も囚人もかい?」鼻で笑って、「最近なにかストレスとか感じてないかい?」

 少しイラっとした。「間違ってもいいって言ったじゃないですか」


「悪い悪い、からかったつもりはないんだ」話を戻し、「実験は二週間行われる予定だったそうだ、しかし六日で打ち切られた。看守の、囚人への虐待が次第にエスカレートしていったからだ」


「虐待……」


 だがこの実験はやらせだったらしいと、阿草さんは言った。看守や囚人の行動は、あらかじめ指示されたもので、演技指導までされていたそうだ。看守は囚人を怒らせるように指示され、囚人は苦しむように指示された。


「つまり発狂したものなど最初から一人もいなかったんだ」


 阿草さんは言った。


「看守役は誰に言われるでもなく、勝手に囚人役に罰を与えるようになった。それがこの実験の怖いところだった。つまり、人は社会的役割や状況に左右される生き物だということだ。残酷が生まれる状況――環境というのものが、まず大前提として先にくる」


「でもそれが全部嘘だった訳ですか」


「アブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件を知っているか?」


 俺は首を横に振った。


「フセイン政権崩壊後、米軍が管理するアブグレイブ刑務所内で、捕虜への虐待に性的虐待、強姦に凌辱などが行われた」


 テーブルに一冊の本が置かれた。


「なんですか?」


「今話した実験や事件について書かれている。参考までに読むといい、楽しめるはずだ」


 阿草さんは言った。「ジンバルドーの実験は証明された。これは全く極論ではない。他者への残酷な行為に及んだ人間――その人間を論じる上で、善良であったか悪人であったかということは重要ではない、問題は人物のおかれた状況だ。環境があり、状況があり、作用し、行動がある。反動もある。それが善であるか悪であるのかは、また別の話だ。国に帰れば軍人は英雄だ」


 テーブルを見つめ、「君には同情する」と言った。阿草さんは席を立ち、伝票を持った。


「同情?」


「閉鎖的社会空間において人は狂う、狂わされる。全員ではない、極一部だ。人はそれを必要悪と呼んで見なかったことにする。当事者であればあるほど関わろうとはせず、それが未来に及ぼす影響を考えない。理解しようともしない、それが普通だ」


「阿草さん?」


「当然だ、誰もが幸せになりたいと欲求するのだから。人は困ったときほど目先の、手近なものに欲求する、一番簡単なものだ、安易であっても構いやしない。当面の秩序さえ守られればそれでいいと思っている」


 話を終えたように、阿草さんは鞄を持った。「急に呼び出して悪かった」と言って席を立つ。


「学校は楽しいか?」


「え……まあ、はい」


「今日は二十九日だったか」


「はい」


「もう五月も終わりか……。七月には宵山だ、四条烏丸には夜店も出る。人が集まれば、能力者も動く」


「祇園祭……」


「いつでも連絡してくれ」


 阿草さんは店をあとにした。

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