8話


 昨年の末、大将のマンションに阿草さんは訪ねてきた。仲間になってほしい――要約すれば、あの人が言ったはのそんなところだ。

 俺の念動力は「魅力的」だそうだ。触れることなく触り、対象に干渉し、傷つけることができる。それまで察知されることがない。「使い方によっても様々だ」と阿草さんは高く評価していた。

 なんでも能力には、影響の規模によって価値基準があるらしく、阿草さんの火や、俺の念動力などは「SERIES」と呼ばれ、抗争を好む能力者界隈では脅威とされているらしい。会合の際に久能さんを拘束した水のジャングルジムだが、あれはSERIESではないらしい。


「あれは滝をを発生させるだけだ、数には質量には限りがある」


 SERIESは何より、その自由度が脅威なのだという。火はそれ自体が暴力だ、放射するだけで相手はひとたまりもない。足から放てば空を飛ぶことだってできる。そして限界はない。

 それは俺の念動力も同様だ。

 俺は勧誘を断った。というのも、阿草さんの目的は抗争に参加している能力者を止めることだった。


「止めるには殺人しかない」


 殺人なんて、冗談じゃない。


「思うにミストマンだが、あれはSERIESだった可能性が高い」


 濃霧の効果範囲は近畿全体に及ぶこともあった。広域への影響力も、SERIESの特徴だそうだ。川村さんが死んでしまった今となっては、能力の全容は分からない。


「川村さんですけど、生きてるかもしれません」


「……死体が消えていたからか?」


「え……」


「それが能力者の死だ、肉体は消える。君も死ねば消えるぞ」


 川村さんは、やはり死んでしまったようだった。


       〇


 五月最後の日曜日に「ボーリングに行きたいでござる」と珍しくひき籠りの大将が電話してきたことに始まる。誠と落ち合い、チャリで少し離れたボーリング場に向かうと、すでに大将の姿はあった。その隣には何故か久能さんの姿もあり……。


「あれ、大将、知り合いか?」と誠が不思議そうに言った。


「こちらは久能さんと言って、吾輩とミッチーの共通の知り合いでござる」


 施設内はほどよく混みあっていた。久野さんのプロフィールを簡単に説明しながら、カウンターで受付を済ませ、長椅子に腰かけ借りた靴に履き替える。


「大将、なんで久能さんがいんだよ、能力者関係のことでなんかあんのか?」


 俺は小声で聞いた。


「いいじゃないでござるか、細かいことは気にするなでござる――あ、かなえさーん、靴は選べたでござるか、手伝いますか?」


「いえ、大丈夫です」


 まるで話を誤魔化すように、大将は久能さんの元へ歩いていった。


 誠がこそこそ言った。「すげえ綺麗な人だな」


「大学生だからな、大人びてるよな」


「色白で、背がほどよく高くて、目鼻立ちがよくて。あれは大学でも目立つだろうなー」


「どうだろう、そうでもないんじゃないか、大学って生徒は全国から集まるんだろ?」


「いや、あれはかなり美人だ。大将が惚れるのもわかるわ」


「え、あいつ惚れてんの?」


「違うのか?」


「……知らん」


「だから必死に話しかけてんだろ」


「……でも大将、このあいだ彼女いるって言ってたけどなあ」


「あれ、俺は別れたって聞いたけど」


「そうなの? てかあいつに彼女いること知ってたの?」


「うん。高校に通い始める前だから……二年くらい付き合ってたんじゃないか」


 教えられた番号に従ってレーンを探しながら、場内の左奥へ向かう。大将が「あそこでござる」と久野さんをエスコートしている。

 ただの下心だけで連れてきたのならクソだ、友人の集まりを何だと思ってんだ。

 誠がにやにやしている、楽しそうだ。だったら……まあ、いいか。

 番号を見つけて荷物を置き、今度はボールを選びに向かった大将と久野さん。


「ボールって何ポンドだっけ?」


「覚えていない」


「だよな」


 前に来たときもこんな会話をしたような気がする。デジャヴを感じながら、久しぶりの感覚を味わう。右奥に向かって、隣り合わせに続くいくつものレーンを見て、軽く溜息をついた。誠が玉を選びにいった。傍の九ポンドのボール台に紛れ込んでいた、十一ポンドのボールを取った。俺の細い指には丁度良く、そのまま持っていった。

 左隣のレーンにふと視線がいった。

 記憶の奥底に封印されていたのような複数の顔ぶれがよみがえる。「……」「……」「……」「……」……。いくつもの無言と、見開いた丸い目が、俺を見ている。「魚の黒眼みたいだ」――川村さんの言葉が脳裏に過った。睨むでもない。まるで物でも見るように、じっと視点だけが固定されている。本人を形作るそれ以外の眉や鼻や口、髪や胴体や足などは個性を失ったかのようにハリボテだ。すべては置物のようにそこにあって、まん丸な黒い眼だけが、生々しく浮かぶ。

 ――お前、なに笑ってんだ? なに楽しそうにしてんだ? なに幸せそうにしてんだ?

 それぞれの眼はそう言った。向こうは俺を知っているのだろう。でも俺の方は、知り合いではあるのだろうが、誰だったか忘れている。

 複数の黒眼のうち一つの視線が逸れると、他の黒眼も順に逸れた。それぞれは個性を取り戻したかのうよに、独自に、座席とタッチモニターと座席の狭いの空間で散った。


「どうかしたか?」


 背中に誠の声がしてた。


「……選んできたのか」


「うん。ミチカは? もう選んだのか?」


 ボールリターンを指さして、「……うん」

 頭の中は、まるで霧がかったように虚ろだった。


 二時間くらい投げたあと、ボーリング場の前で大将と久野さんと解散した。楽しそうな笑みを浮かべ合っている二人の横顔が、タクシーの後部座席に見えて、それが遠ざかっていった。出汁に使われた気分だ。


「あいつって前からあんな感じなの?」


「あんな感じって?」


「女ったらしなの?」


「中学のころから女好きではあったな、今よりも痩せててモテてたし」


 類は友を呼ぶとはこのことか。だとすれば何故、俺だけ未経験なのだろうか。俺だけがその類に含まれていない。

 帰りに二人でコンビニに寄った。ここから解散して、あとはそれぞれの帰路につくだけだ。

 タピオカミルクティーとサラミの会計を済ませ、先にコンビニを出た。視界の隅に他校の制服を着た女子の姿があって、無意識にちらっと余所見をした。

 魚の黒眼が、自動ドアの前で足を止めていた。

 向こうは俺を知っていて、すぐに気づいたんだろう。そういう目をしている。だから俺も知り合いであることは即理解した。ただどこで知り合ったのかが思い出せず、はっきりと思い出すまでに時間がかかった。それは数秒だったが長く感じた。

「みんな知ってるから」

 長谷川は上唇の引き攣った、卑しい笑みを浮かべた。歯茎は蛆が見えそうなほど醜悪だ。上瞼は死んだように平坦で、瞳は煤の混ざった汚水のように濁る。


「……」


「また黙るんだ……」長谷川は呆れた笑みをして、「聞いたよねえ、私?」


「……」声が出ない。


「黙るってことは、認めたってことでしょ、反論できないんだもん」


「……お、俺は」


「あんたが那々騎を殺したんでしょ?」


 去り際、冷えた細い横目で「人殺し」と言って、コンビニに入っていった。


「ぼーっとして、どうしたんだ?」買い物を終えた誠が出てきた。


 ガラス窓の向こうからずっと見られているようで、俺は、しばらくそこから動けなかった。

 五月ももう終わる。辺りから、耳鳴りのような蝉の音が聞こえる。


「ミチカ?」


「……もういいのか」


「ああ」


「……じゃあ、帰ろう」


 今日は疲れた。

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