3話
十二月十一日、金曜日、仏滅。誠と河原町へ出かけた。
学校が終われば少しの時間、俺は教室に残りたい。今日も残る予定だったのに、おたふく彼女へのクリスマスプレゼントを買いたいからと連れ出された。地下鉄東西線太秦天神川行に乗って三条京阪で下りた。三条大橋の東詰に出て、鴨川を右手に橋を西に渡る。
「お前もあんなふうに並んで座るの?」
鴨川の河川敷にいくつものカップルの姿が連なっている。それは一〇〇メートル以上は続いていて、まるで計ったように等間隔だ。カップルとカップルの間に別のカップルが現れると、彼らは自然に移動して左右を等しい間隔に維持する。そうやって、彼らはパーソナルスペースに恋人以外の他人が入らないようにしていて、これを「鴨川等間隔の法則」と呼ぶのだと聞いたことがある。
「付き合ってすぐの頃は、まあな。最近はあんま来てない。夏は虫が多いし、この時期なんかは寒いだろ? 彼女、冷え性なんだ。だからすぐカフェとかに入りたがるんだと」
「へー……」
知らねえよ。
「そういえば鴨川って、昔は処刑場だっただろ。川の傍だと、斬首に使った刀の血とかすぐに洗えるから」
「いやいや、知らんわ」誠は笑った。
「言ってみれば心霊スポットでいちゃついてるようなもんだな」
「お前なあ」
「密接してさ、なんかムード漂わせてるけどさ、まさにあの場所で誰かの首が斬られたかもしれない訳でさ。俺は気が知れないよ。どこよりも心霊スポットだぜ?」
「……俺にはよく分からん。けど、なんでお前に彼女ができないのか、その理由は分かったわ」
「死ねや」
誠は笑い声をあげた。
新京極の商店街には、学校帰りの高校生や大学生の姿がちらほら見られた。
「平日なのに人が多いな」
「つき合わせて悪いな、金曜日だからじゃないか?」
彼女とのデートで通いなれている誠には、繁華街の雑踏は大したことじゃないみたいだ。
二つの楽器屋の前を通り過ぎて、最初の角を左折した。映画館の前にある若者御用達の唐揚げ屋さんで小腹を満たし、南に歩いた。六角公園を通り過ぎると、右手にゲームセンターやプリクラショップの入った建物が見えてくる。その向かいには京極に向かって垂直に、蛸薬師通りが伸びている。
「――動くな」
背後でぼそっと聞こえた声は、脱力感を帯びていた。背中にとんっと何かが軽く当たって、俺は足を止めた。
一瞬で辺りが濃い霧に包まれた。背後に誰がいるのか、俺はすぐに分かった。
「……ミストマン」
「何だって?」
「あ、いや……名前を知らないから、ミストマンって呼んでるんです」
「……そうか」
ごく普通の男性的な声。落ち着いていて、むしろ気力のなさを思わせるほどだ。
「川村だ」
「え」
「名前だ、僕は川村という。能力は濃霧。それで、君の能力は?」
雑踏は静止していた。誰一人動いていなくて、みんな生き生きとした瞬間を留めたまま、銅像のように止まっている。
この霧はどこまで広がっているのだろうか。ふと思った、これが大通りにまで広がっていて、それが走行車に影響してしまったら、一体どうなるんだろうか。運転手が静止しても車は動き続ける訳で、そんな現象が同じ場所で同時に発生したら、大変なことになるんじゃ……。
「大通りにも広がってるんですか、この霧は?」
「質問に答えるんだ」
「……引力と、斥力です」
「せ、せきりょく?」
「はい」
「……そうか」
意味が分かってないように思えた。口答では字面が見えないし、仮に頭の片隅で知っていたとしても分かりにくい。
川村さんは、俺の能力の詳細について聞き返すようなこともせず。
「濃霧は新京極の中だけだ、大通りには干渉していない。ふっ、妙に余裕だな、他人を気にしてる場合か?」
口調は穏やかだ。まるで隠すつもりがない。
「す、すいません、つい好奇心で……」
「霧の濃度は自由自在だ、薄めれば視覚的な影響のみに留められる。大通りも霧がかっているけれど、ここよりは薄く、車両は今も変わらず走り去っている」
「……なんで、そこまで話すんですか」
弱点を教えるようなものだ。
「君をどうにかしたいとは思っていない。でも一度話す必要はあると思っていた」
「殺すために来たんじゃ」
「まさか、殺さないよ、人なんて殺したこともない。君は、あのとき僕を突き飛ばしただろ」
「学校でのことですか」
「ああ」
「あのときは反射的に目を瞑ったんです。でも、多分そうなんだろうとは思ってました」
「触れらてもいないのに突き飛ばされたよ。その時点で僕の負けだ。霧は能力者にはどうも効かないみたいだしね。となると、あとは身体的能力でどうにかするしかないけど、僕の虚弱な肉体では無理だ。ナイフは飾りだよ」
「あなたは、女子生徒を」
「軽蔑するか?」
「……」
「当然だ。でも誰も僕に何をされたのかは覚えていない。濃霧の中では誰もが静かだ、君以外は。そして僕に触れられると動きだす。接触をやめれば、また静止した状態に戻る。霧が晴れれば、最初に静止した直前に記憶はリセットされる。僕はどこにも存在しない」
飾りだと言いながら、今も背中にはナイフが当たっている。長く話せば話すほど、川村さんの口調は少しだけ強まった。
「俺に、どうしろって言うんですか?」
「ただ見逃してほしいだけさ」
「川村さんがそれを言うんですか、この状況で。明らかに、あなたの方が有利じゃないですか。濃霧内なら殺人も簡単に隠せる訳ですよねえ?」
どこに監視カメラがあったとしても、霧を濃くすれば見えなくなるだろう。容易に完全犯罪が可能となる。
「そういうことか。なるほど、君は何も知らないんだな。能力を発現したのは最近かい?」
「そうです……。引っかかる言い方ですね」
「僕は能力者の抗争に関わりたくないんだ」
「抗争? それは、つまり……」
まるで能力者による、何かコミュニティでもあるような言い方だ。
「詳しくは知らない。ただ能力でもって殺せば、その時点で僕は抗争に関わったことになるかもしれない。それが数年前からある暗黙のルールなんだそうだ。能力者さえ殺さなければ、霧で何をしようが誰も僕に干渉してこない。能力者自体、会うのは君が初めてだしね」
「初めて? じゃあ、どうしてそんなルールがあるって知ってるんですか」
「ネットだよ。だから都市伝説かもしれない。でももし事実なら関わりたくない。だから僕が君を殺すことは絶対にないんだ。それで見逃してほしいって頼んでる訳さ」
「……そういうことなら、もちろんですよ。そもそも僕が見逃してほしいくらいで」
「本当かい?」
「え」
「僕みたいな平凡な者には分からないんだ。誰かを殺めようなんて、頭にちらつきもしない。だけど君のような優れた能力者は分からないだろ? 背中を取られていて、いい気はしないはずだ。たとえば殺されるくらいなら……なんてことを考えたりしてないかい?」
「いや、別に……」
「……考えたんだね。でも能力ってそういうもんだよ。慣れてくれば驕りもする、優れているともなれば余計だ。気も大きくなる。でも僕は違う。危機的状況で抱くのは、きっと、助かりたいって気持ちだけだ。相手を殺して助かろうなんて、普通はそう易々と思えないものさ」
背中に当たっていた何かがすっと離れた。
「君はすでに能力にかぶれている。僕には関係ないけど……。ま、そういうことだから。君の高校ではもうしないから、それでいいだろ?」
「他のところではするってことですか」
「……かもね。得た能力を自分から手放した人はいないんだよ。能力って、そういうもんだから」
「人として思うところはないんですか、能力者としてじゃなくて」
「図に乗っていい訳ではないんだよ、霜月くん」
「……」
「でも、それが普通の反応だな」
「普通が何か理解できていて、なのに……犯罪者ですよ?」
「違うよ、僕は……。初めに君が言ったじゃないか」
「は?」
「ミストマンだろ、僕は」
まるで儚いくらいの声色だった。意味がわからない。
いらいらする。いらいらするが、理由が分からない。なんでこんな奴に同情的になっているのか、それ自体にもいらいらする。何が「ミストマンだろ?」だ。せっかく得た能力をそんなことのために使うなんて……。
「見逃さないって言ったらどうしますか、俺を刺し殺しますか?」
――返事はなかった。
「ミチカ、何してるんだ、行くぞ?」
気が付くと辺りの濃霧は晴れていた。雑踏は動き出し、騒がしさも戻っている。誠の呑気な顔がこちらを見ていた。
振り返ると、それらしき人の姿はなかった。
高島屋で誠の目的を済ませた。恋人のいる男とはこんな感じかと思いながら、複雑な気持ちで、店員に相談する誠の様子を眺めていた。事前にどの財布が欲しいか、彼女から聞いていたみたいで、プレミアだか記念品だかを確認していた。なんてがめつい女なんだ。
帰りにOPAに寄った。何も買わずに建物を出て、その足で三条京阪に戻った。地下鉄に乗る前に大将に電話して、そのあと地元のカラオケ店に集合した。部屋番号だけ伝えて待っていると、二〇時前に「おひさー」と部屋の扉が開いた。一〇万以上もするらしい赤と黒のストライプコートを羽織り、大将は現れた。
「ブランドもの?」と誠が言った。
「ヴィヴィアンでござるよ、知らないのー?」
俺と誠は二人して、どん引きした。
歌い始めて一時間くらいしたころ、三人で、廊下に設置されたジュースディスペンサーへジュースを足しに行った。
「ミッチー、味噌汁取ってけろ」
ドリンクバーにはジュースとホットのコーナーがあり、ホットにはコーンスープやコンソメスープ、コーヒーや味噌汁などがある。ホットコーナーのポケットから味噌汁の袋を取って渡すと、大将はホット用のコップに味噌を少々、お湯を少量注いでコーヒー用のプラスチックスプーンで溶かした。やけに量が少ないと思っていたら、急にその上からコーラを注ぎ始めた。
「それはヤバイって……」と誠が言った。
「サイキョ、これが大人の味というやつでござるよ」
大将曰く、それは味噌の塩味とコーラの甘味が合わさり、さらに両方の風味が融合して、「革命的なイリュージョンを引き起こすのござる」ということらしい。
味見させてもらったら舌が麻痺した。まさにイリュージョンで、味は消えていた。
部屋に戻ろうとして、右肩が何かに触れた。振り向いた瞬間に甘い香りがして、心臓が脈を打った。
――目の前に、無砂利場さんが立っていた。
俺は浮遊感の中にあった。まるで体が瞬間的に、空の上の雲海まで浮き上がって、それからゆっくりと下りてくるような感じだ。外見的変哲のない離脱現象だ。
「あれ、森ノ内?」
視界の右隅に何度か見た顔があった。よく学校で無砂利場さんと一緒にいる女子だ。大将がわざとらしく驚いて言った。
「お、お主はヒラメキン!」
くだけたように怒りだす女子は、親しそうに大将にからんできて、何か懐かしそうに話を。名を平さんというそうだ。大将とは中学の同級生という間柄で、同じ陸上部だったらしい。無砂利場さんも同じ陸上部だったらしく、そんな話は初めて聞いた。
「よかったな」
誠がぼそりと言った。
無砂利場さんが目の前にいる。大将は会話の合間に無砂利場さんとも話していた。彼女の方は口数が少なく、大半は平さんと話していた。俺は、ただその様子を見たり、見なかったりしていた。何度か無砂利場さんに視線がいった。目が合うこともあって、でもそれ以上は気持ち悪いと思われてしまうから、自然であれと思いながら、原因不明のむず痒さを感じながら、このジュースディスペンサーみたいに、ただその場に在り続けた。
何度か脳裏に過ったのは、このあとのことだ。丁度いいから同席しないかと、部屋を一つに合わせ、すると数分後には、一つの暗いカラオケボックスの中に五人の姿がある。俺は奥の席に座り、左隣には無砂利場さんが座っている。大将が目の前で訳わからんアニソンを歌っていて、その様子に平さんが笑っているだろうか。俺は緊張している。誠が平さんに話を振って、無砂利場さんに話を振って、会話の途中に俺に振って……そのあとは、分からない。
無砂利場さんと会話する自分の姿が、彼女が俺に話しかけている姿が、一切想像できなかった。
〇
十二月十四日、月曜日、先勝。
六時四五分に目を覚まし、支度をして、七時三五分頃には家を出る。原付を走らせ十分ほどして職場に到着し、制服に着替えて事務所に向かう。挨拶をしながら出勤カードを切った。スーパーの売り場に出て、先に商品の検品を始めていた社員さんの荒木さんに挨拶をした。
「おはようございます。お早いですね」
「川村くん、おはよう。今日特売日だから、店長が来る前に検品とか済ませときたくて」
「あ、はい、わかりました」
冷食や乳製品から先に検品して、冷蔵庫に陳列していく。朝はそれがメインだ。九時四五分まで検品と陳列をやって、十時の開店後には退勤した。
鳳凰を後にした足で、立山第二高校の購買部に向かった。来客用の駐輪場に原付を止め、校舎北の下駄箱の傍にある購買部の鍵を開けて、電気をつけた。十二時過ぎには会社の営業車が到着した。向井さんに挨拶をし、二人で手分けして購買部に商品を運んだ。向井さんが次の営業先に向かい、残りの陳列を終えた数分後――十二時四〇分、最初の生徒の姿が見えた。じきに数が増えて、僕は一人で対応する。
「ミチカ、牛乳プリンいる?」
「奢り?」
「別にいいけど」
「いる」
「牛乳プリン、二つください」
「二四〇円です」生徒からお金を受け取った。ご銭はぴったしだった。
霜月くんは友人と楽しそう歩いていった。後日、牛丼を奢るとか、そんな話をしていた。
僕にも覚えがある。高校生の頃は友達もいた、大学生の頃にもいた。今は一人もいないのは、大学生の頃にリセットしたからだ。僕はそれまでに作った、すべての友人関係を零に戻した。すると行動通り友達はいなくなった。以来、誰とも連絡を取っていない。いつか知らない番号からメールがあった。以前のようにみんなで「会わないか?」と書かれていた。アドレスはリセットと同時にすべて削除してしまっていたから、僕にはそれが、誰からのものか分からなかった。だけどその誰かは、僕が川村であると分かっていたのだろう。僕は返信しなかった。
母親の仕事を知ったのはつい一年前のことだ。それまでは日中、どこで何をして働いているのかも知らなかった。ある日、購買部でバイトをしていたおばさんが辞めたから、代わりに昼間だけ働かないかと言われた。以来、平日の朝八時から十時は、大体スーパーの品出しをし、昼間は高校の購買部で販売をしている。それ以外は引き籠もりだ。
「午後ティー一つ」
「一二〇円です」
明るい茶髪の女子生徒だった。スカートの丈の短さは貞操観念の低さを表すというが、あのような生徒はどうせ、あの痛んだ髪の毛と同じように、感性も痛みきっているのだろうし、まず純粋であるはずがない。人の目は見たいものを見ると聞く。僕の視線は、すっかり別の女子生徒へと移っていた。
「牛乳プリンを一つください」
「はい、一二〇円です」
生徒の髪は清純さの象徴とも言うべき黒。それはとても綺麗な、傷んだ様子のない艶やかな黒だった。そして若々しい肌は、北欧の女を思わせるほど白かった。項が深く隠れるまでに伸びた後ろ髪は、生徒の背中でどこか扇状に広がるなどして、歩みに合わせて馬の尻尾のように揺れていた。
「……流石にあかんよな」
霜月くんに、謝らなければいけないかな……そんな気がした。
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