2話


 ――『9月14日、月曜日です。今朝は西日本を中心に、広い範囲で濃霧が発生しています。場所によっては視界が100メートルもなく、近畿圏内には濃霧注意報が発表されています』


 テレビから流れてくるニュースに聞き耳を立てながら、「スチー、、ヴンキングのミストのようでござるなぁー」と大将は窓の外を眺める。


「ミッチー、真っ白でござるよー」


「メール見た?」


「もち。それで学校に行くわけでもなし、わざわざ吾輩の根城までやってきたのでござろう?」


 大将が住む304号室は、駅前の高層マンションの一画にあった。

 それはニュータウン的な発想で建てられたもので、田舎名物みたいなもんだ。学校と反対方向にある。大将はそこに一人で暮らしていて、なんでもブログと株で生計を立てているらしい。同い年のくせにときおり大人びた余裕を見せる奴だ。語尾は口癖、それ以外には説明しようがない。誠から紹介してもらったのが最初だった、中学生時代からの友人らしい。

 32インチのモニターにはプレイ中のファンタジーゲームが映し出されていた。傍で過剰なブルーの光が目立つタワー型パソコンが動いていて、中には半透明の青い水の入ったパイプが見える。別方向から聞こえるテレビの音を聞きながら、大将はカタカタとキーボードとマウスを走らせる。


「これがつまり、メールにあった霧男の仕業という訳でござるか」


「言いにくいからミストマンって呼ぶことにした」


「ミッチー、まさか薬でもやってんの、売人から買ってんの?」


 大将の右脇のサイドテーブルにあった500ミリリットルのペットボトルを斥力で弾き飛ばした。威力が強すぎた。ペットボトルは瞬時にテーブルを離れ、ゲームモニターに当たった。


「……あ、ああ、あああ、吾輩の32インチがあ!」


 大将はぬくっと立ち上がり、労わるようにモニターを眼鏡用のハンカチで拭く。


「何をするでござるか!」


「ご、ごめん、まだ調整できないんだ。でもこれで信じたろ?」


 床に落ちたペットボトルを念動力で浮かせた。すぐにバテて、また床に落としてしまった。


「前々からアホなことを口走る奴だとは思っていたでござる。メールを拝見して、これでは流石に、あまりに救いようがないと同情したでござる」


「はぁ……じゃあどうやったら信じるんだよ」


「認めたくないっ、認めたくなーいっ!」


「死ねや」


「ひとまず認めてやるでござる、。ミッチーは何らかの特殊能力が使えるでござるな」


「みたいだ」


「実はそんなに驚くようなことでもないのでござる」


「……どういうことだ?」


 大将は机にあったノートパソコンを開くと、なんだかよく分からないまとめ記事を見せてくれた。


「不可思議な現象は数年前から確認されていたらしいのでござる。京都だけでも原因不明の現象や事件が多数確認されているのでござる。例えば鴨川沿いにある路傍の木が、突然に燃え上がった一件。それとこれは西院の辺りでござるな、女性が歩道を歩いていたら突然全身がずぶ濡れになり、持っていたカバンが消えていたのでござる。これらはいずれも、深夜に起きた出来事のようでござる」


「それが全部、俺のこれみたいな、何らかの能力によるものなのか?」


「ネット掲示板には事実から都市伝説レベルまで、日々膨大な量の情報が流れてくるでござる。確かなことは分からないでござるよ。しかしミッチーは、そのミストマンなる者の姿を目撃したのでござろう、あれも確か情報が出ていたでござるよ」


「どんな?」


「濃霧が現れると、どこかで若い女性がいなくなるらしいでござる」


「……なるほど」


 ミストマンの腕には女子生徒の姿があった。あいつ、女を狙って校舎に忍び込んだのか。


「それにしても厄介な霧でござるな。対象人物の行動や、意識さえも強制停止させられるとは、何とも羨ましい能力でござる」


「それだけじゃない。霧が晴れたあと、誰も何も覚えてなかったんだ。襲われた生徒でさえな」


「記憶まで抹消して無かったことにできる。なるなる、実に都合のいい能力でござる」


「ってことは、今もどっかで奴に襲われてる人が……」


 重苦しい空気が流れた。能力を利用してあいつが何をしているのか、そんなことは誰にだって想像できる。


「……吾輩には関係ないでござる」


「外にすら出ない奴に、天気なんか関係ないわな」


 平日は朝九時から昼の三時まで、大将はモニターと向き合っている。夜は遅くとも九時には寝て、翌日は遅くとも朝5時には起きるそうだ。そんな暮らしぶりをこの地上一三階の空の根城で、二年ほど続けている。

 関係がないと言いながら、足の親指で細く開けたカーテンの隙間から、空を覗こうとしている。肥満体形のくせに体の柔らかい奴だ。見えなかったのか舌打ちをした。またモニターににやけ面が映る。

 台所に行って、勝手に冷蔵庫を開けた。仕切り板すら取り除かれた中には、正面の三段分すべてにドクターペッパーが山積みになっていた。


「飲んだら補充よろ」


 リビングの方から声が聞こえて、俺は「ん」と返事をした。飲みながら戻ると「観念動力でござるか」と言うので、俺は今わかっていることを話した――。


「浮遊力はもう少し練習が必要だ」


「思ったのだがミッチー、それって危なくないでござるか?」


「何が?」


「ミストマンでござるよ。向こうはミッチーが能力持ちだと知っているでござる。顔を見られたのでござろう?」


「うん」


「じゃあいずれ絶対に接触してくるでござるな。もし吾輩がミストマンなら、尾行してミッチーの家を特定するか、もしくはもう一度学校に侵入するでござる」

「……なんで?」


「殺すためでござる」


 ――九時前には、大将はパソコン部屋に籠もった。


       〇


 マンションを後にして、近所の古本屋に直行した。中古ゲームの買い取りや販売も行っている店で、ギャグ漫画を一時間くらい立ち読みした。値崩れしていた携帯ゲーム機用ソフト「The清水」を二一九〇円で買った。鳳凰のフードコートでプレイして、午前はそれで暇がつぶれた。

 一三時四〇分からの授業に間に合うよう建物を出た。その頃にはもう辺りに濃霧はなく、視界は晴れていた。

 つまり、これは、ミストマンが目的を完了したことを意味するのか……。


 今日は快晴だった。

 大将の言葉を思い出して、自転車を走らせている間、ずっと後ろが気になって仕方がなかった。向こうは俺の顔を知っているが、俺は知らない。覚えているのは声とサバイバルナイフと、あとはあのフルフェイスマスクくらいか。なんの手掛かりにもならない。夜道で背後を取られでもしたら終わりだ。人の行動を停止できるのだから、雑踏に逃げ込もうが意味はない。奴は目撃者〇人の殺人を容易に成功させられる術を持っている。俺自体には効果がない可能性があるが、いくらでも殺す方法はある。

 殺されないために、今の俺にできることはなんだろうか。警察に駆けこんでも無駄だろう。となると、能力を鍛えるくらいしかないか……。


「――霜月くん、読んでもらえるかしら?」


 顔を上げると、立葉が教壇からこちらを見ていた。四〇歳過ぎの女教員だ。

 立葉は陰気な奴だ。いつも悲壮感を纏っていて、しみったれた面をしている。最後部中央の席にいる俺をわざわざ名指しするような奴だから、性格が悪いことは言うまでもない。


「はい?」


「題名から、読んでもらえる?」


「……はい」


 国語の教科書を開きながら、起立し、黒板の右端に見えた題名を手掛かりにページをめくった。


「棒になった男――」


       〇


 十月末に文化祭が三日間あった。一年生は各教室で出し物、三年生は体育館で演劇、二年生はオープンカットに作られた特設ステージでダンスを踊るのが、立山東第二高校の習わしだ。

 俺は踊らなかった。ステージ横のテント内で、当日に、誠のおたふく彼女から音響担当を任された。内容としては、タイミングに合わせてスイッチをオン、オフと二回の動作をしただけだ。暇そうな俺を見つけて、何も参加しないよりはいいだろうと気を利かせてくれたらしい。その豊かな頬は飾りじゃない、それだけは認めてやろうと思う。


 そして十一月、ミストマンはあれから一度も現れていない。濃霧がない訳ではないから、近くにいるということなんだろう。

 一つ思うことがある、なぜあいつはこの高校を狙ったのか。この辺りには中学もある、大学だってある。高校も複数ある。電車でも使えば選びたい放題だろう。

 性癖の問題か、手っ取り早く選んだだけか……。

 もしくはこの学内に潜んでいるじゃないかと思った。それで、たとえばあの教員がミストマンだった場合、いつ俺を狙ってくるかということを考察したりしている。

 立葉は違うだろう、ミストマンは男だ。ただ何があったのか、授業中、ときどき地獄でも見てきたかのような薄暗い目をして、「夢なんか見ても仕方ないですよ」と語り始めることがある。あいつがミストマンならそれはそれで納得する。では数学教員の沖はどうだ。つるつるの頭に独裁者みたいな鼻髭を生やした奴で、歳は五〇過ぎくらいだろうか。童顔で背の低い女子を露骨に贔屓するロリコン野郎だ。裏で生徒に「ペド」というあだ名で呼ばれている。では生物化学教員の三春はどうだ。侍が刀を肌身離さず持ち歩くように、一メートル物差しを指示棒代わりにいつも持ち歩いている。両目が逆さ三日月で、終始顔に貼り付けたような作り物の笑みを浮かべている。ただ教室内の私語が酷くなってくると、顔を真っ赤にして、一メートル物差しを教卓にバシバシ叩きつけながら「うるさーい!」とドラミングを始める。これが単純な癇癪持ちという訳ではなさそうで、そう思わせるのは、いつも急にピタッとドラミングを止めて、すると両目をいつもの逆さ三日月にして「私はあとは引きませんからねえ」と穏やかなオネエ口調で、やんごとなき笑みを浮かべるのだ。あいつはサイコパス野郎だ。

 可能性があるとすれば三春か。ただミストマンは一メートル物差しではなく、サバイバルナイフを使っていた。

 最大の難問は、ミストマンが教員でなく生徒であった場合だ。もうこれは探しようがない。特に俺は人付き合いのしないタイプだし、学校ではこれまで誠を含め数人としか関わってこなかった。

 とはいえ、これらは学内にミストマンが潜んでいるという仮説を前提とした話だが。

 最近、気が緩んできた。それすら奴の策略の一つのように思えてくる。かと思えば、もう諦めたんじゃないかとも思えてくる。そもそもあいつは俺に顔を見られていないんだから、なにも殺す必要なんかないんだ。大将はああ言っていたけど、俺がミストマンなら無視する。大将が正しいなら、ここ数カ月は何なんだという話だ。悩んで、決めつけて、また悩んで……。あれからずっと、俺は妄想し続けている。


「ミチカ、次体育だろ、行かないのか?」


 知らない間に、教室は俺と誠の二人だけになっていた。


「――伊田島、遅れるぞ!」


 廊下を駆けていく生徒の姿が見えた。


 立山第二高校は地元の公立校だから、中学からの同級生が他のクラスに何人もいる。

 伊田島もその一人だ。あいつとは小学生からの同級生で、家が近かったから昔は遊んだこともあった。今の住まいは知らない、いつだったか引っ越したって話を聞いた気がする。

 中学の時は学外でサッカーチームに所属していると言っていた。あの様子では今はやっていないだろう。高校から空手部に入部したようで、今では肩幅は広く、ブレザーの上からでも分かるくらいに屈強な肉体をしている。この二年弱に一体どんな運動をしたのか、中学とは別人だ。

 空手自体は小学生のころに俺もやっていて、伊田島とは同じ道場だった。まさか高校でまたやるとは。それも本校の空手部は極真空手だ、あのころ遊びの延長でやっていた、ぬるいものとは違う。勝手なイメージを言えば、一に組手、二に組手で、型が中心だった俺の知る空手とはまったく違い、比較的実戦的で、乱暴な言い方をすれば殴り合いだ。首から上は無しだと聞いた気もする。

 そんなものが何故に体育の授業に盛り込まれているのか。死人でも出たらどうするのか。ただし授業で行われるのは完全な極真系ではなく、グローブ空手だ。互いにすねや肘にプロテクターを付け、手にグローブ、そして頭にフルフェイスヘルメットを装着し、顔の正面と顎を守った状態で行う。ルールは簡単だ。二分という試合時間の中で、腰より高い蹴りを八本以上出すこと。顔面への打撃も認められている、そのためのヘルメットだ。

 一礼し、組手を始めた二組の姿を前に、マットに座り込む俺や他の生徒たちは憂鬱でならない。素行の悪い連中はお気楽だ。奴らは人を殴りたくて仕方がないから、絶好の機会とばかりに出番を待っている。二組のうち片方に、気の弱い日陰の生徒がいて、彼が殴られるたびに腹を抱えてけたけた笑った。極真空手部の連中とでもぶつかって、ぼこぼこに打ちのめされればいいのに。なんなら伊田島とでも組まされろ。


「――止め!」


 ただの体育教員が、武術家を真似たような声で号令をかけた。

 またランダムで二人一組が選ばれる。地下の格技室は狭いから、一度に行うのは二組までだ。


「伊田島と霜月、前に出ろ」


「は……」


 最悪だ。

 誠が同情的な眼差しで「しゃあない」と言った。


「霜月、どうした、前に出ろ。伊田島と試合だ」


 分かっとるわ、ボケ……。

 伊田島はすっかり染みついてしまった体育会系の真っすぐな目をしていた。襟を正し、使い古されてところどころ糸の解けた帯を締めなおしている。ハンデとして部屋の壁に立てかけられている木刀を使わせてほしいところだ。柱の傍に横たわっている竹刀でもいい。


「始め!」


 慌てて腕だけ構えた。目の前にいるのは小学生の頃の伊田島とは違う。

 早速、右の拳が飛んでくる。腋を締めて顎を守ろうとしたところ、左手に伊田島の拳がかすった。思ったより痛い。

 ――激痛が走った。

 右の脇腹だ。蹴りに、まったく反応できなかった。脇腹を押さえながらすり足で距離を取ると、すかさず伊田島は距離を詰めた。ヘルメットにアッパーのような一撃がはいった。痛みはない、頭が少し揺れた。そして次に、左の脇腹に蹴りをくらった。立っていられなくなって、その場にしゃがみ込む。


「霜月、どうした、ギブアップか」体育教員の声が聞こえる。


 今に至るまでの伊田島の動きが、何一つ反応できない。見えた気がした瞬間には痛みが走るか、体が揺れる。

 立ち上がろうとしたとき、横目に、外野連中のにやついた顔が見えた。あんな奴らに限って、なかなか損をしてくれない。教員の贔屓下にあるからだ。

 視線を戻すと伊田島の真っすぐな目つきがあった。無言で、睨むでもなく見ている。

 そこでふと思った、なんで体育ごときに、ここまで頑張らなければいけないんだ。ギブアップかと聞かれたんだ、無理ですと、素直にそう言えば良かった。タイミングを逃した。教員は大丈夫だと思ったらしく、レフェリーの猿真似みたいな蟹股で構えている。何もしていないくせに真剣な面なのがむかつく……。


「あと一分!」


 ……そうだ、念動力を使えばいいんだ。

 ミストマンは濃霧で視界を侵し、ナイフで俺を刺し殺そうとしてる。それを思えば、倒そうとしてくる伊田島の空手キックなんて、ぬるいぬるい。

 丁度いい。実戦で慣らすんだ。

 使えるのは引力的なもの、反発力、そして若干の浮遊力だ。ただ浮遊力は、以前よりは浮かせられるようになったものの、十分な集中力が必要となる。

 反発力にしよう。

 伊田島の右の蹴りが見えた。

 レベル3の反発力を使った。直前で小さく、蹴りは跳ね返った。自分の右足に伊田島は目を丸くして、動きを止めた。すかさず俺は最初の右拳を軽く脇腹の横に引き、レベル4――拳を伊田島の構える腕に向かって、一発打ち込んだ。

 伊田島は突き飛ばされるように、後ろへ大きくのけぞった。流石なのは倒れなかったことだ。踏ん張っている。足腰がしっかりしている証拠だ。


「――止め!」教員の号令が鳴った。


 名前を呼ばれた次のペアが、順に、気だるげにマットに上がる。


「なんだよ、今の……」


 伊田島が、俺の顔をじっと見ていた。

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