第2話 不遜なる王太子の影

 竜は貴族の証であり、その強さはそのまま権威となる。

 竜継の儀――それは成人した貴族が、契約した竜の名をミドルネームとして刻む神聖な儀式だ。


 本来なら、身内と私くらいしか参加しないはずの、つつましい儀式になる予定だった。

 けれど今日、ホールは下級貴族から高位貴族まで、多くの参列者で埋め尽くされている。


 理由は、昨日の決闘だ。

 アグレスト家は代々決闘に参加することはなかった。故に無名であるアグレストの竜が、格上の相手に圧勝してしまったからだ。


「ヴァレット家の後ろ盾を持つ彼が、実力まで示したとなれば……」

「うむ。最強の夫婦が誕生する前に、顔を繋いでおかねばなるまい」


 そう。彼らの目的は純粋な祝福ではない。

 勢いに乗るアルトと、歴史ある『竜の名家』である私が結ばれれば、貴族社会で誰も逆らえない最強の権力が誕生してしまう。

 その前に媚を売っておこうという、打算まみれの集合なのだ。


 私が眉間にしわを寄せていた元凶は、この異常な注目度だった。

 竜の歴史が力となるこの国で、王族よりも強い権力を貴族が持つことを、あの王家が許すはずがない。

 これほど注目されれば、王家が黙っているはずがない。

 ……嫌な予感がする。私の背筋を冷たい汗が伝った。


 静まり返ったホールにアルトの声が響く。

 それは竜に名を刻み、運命を共にするための誓約。本来なら、参列者全員が息を呑んで見守るべき、一世一代の厳粛な瞬間。


 壇上のカグツチは、いつになく真剣な面持ちで、その言葉を受け止めていた。

 ……けれど。


「わぁ、カグツチくんがまともなこと言ってるよ。面白いねぇ」


 私の隣で、スピカがさも愉快そうに耳打ちしてきた。

 感動的な誓いの言葉を、「面白い」の一言で片付ける。

 周囲の貴族たちが、驚愕と不敬を隠せずにこちらを振り返るのがわかった。


「……スピカ、儀式中ですよ。静かにしてください」


「だって、あのカグツチくんが『この命、すべて貴方に捧げます。どこまでも、お傍に』なんて。昨日は僕の尻尾を追いかけて遊んでたのにねぇ。背伸びしちゃって、可愛いなぁ」


 スピカがアルトとカグツチを見守るその瞳は――私に父の目をするそれと同じ色をしていた。

 拍手の渦が巻き起こる中、私とスピカだけが、その熱狂から切り離されていた。


「……さあ、アルトはこれから貴族たちに囲まれる。ここで貴族たちと会話一つ交わせないようじゃあ、ルシアは嫁がせられない。君はテラスで外の空気に触れておいで」


 本来ならば貴族の竜が主から離れて自由行動など前代未聞だ。

 けれどスピカに限っては、どんな貴族も文句は言わない。

 過去にヴァレットに救われた家も多いし、スピカ自身に世話になった貴族も数知れない。

 二千年という歴史は、ただの年月ではなく、積み重ねられた恩と信頼の証なのだ。


「私はアルトのことを信じています。アルトならきっと出来る、と……ところで、スピカはどちらに?」


「緊急事態だ」


 スピカのいつも穏やかな表情に、珍しく陰りがちらついた。


「スピカ……いったい、なにが」


「エネルギー切れだ……今すぐそこのテーブルに置いてあるチョコフォンデュで糖分を補給しないと倒れてしまう」


「……そうでしたわね、竜種に糖分切れは深刻な問題です」


 それでも――スピカがあえて自由に振る舞うのは、これほど奔放な二千年の竜さえも御してみせる、ヴァレット家の器を周囲に見せつけるためなのかもしれない。

 ……最近は、そう思うようにしている。


 話を聞き終えるより先にスピカは「フォンデュフォーク、フォンデュフォーク」と口ずさみながら会場の喧騒に飲まれていってしまった。

 私は貴族たちの間を縫って窓辺へ向かうと、テラスへのガラス貼りの扉をゆっくりと押した。

 一歩窮屈な喧騒から踏み出せば、そこは深々と星の光の降り注ぐたった一人の舞台のようだった。


 一歩、また一歩と進むたびにヒールの音がテラスに響いた。

 あぁ――スピカが私をテラスに行くよう言った理由がわかった気がした。

 今夜は、こんなにも星がきれいだ。


 ふと――後ろからテラスと会場を繋ぐ扉の開く音がした。

 振り返るとそこには――アルトの竜、赤い礼装に赤銀の髪を揺らしたカグツチが立っていた。

 人の姿でありながら、その身長は二メートルを超える。

 竜種とは、こうも圧倒的な存在なのだ。


「カグツチ……アルトのそばにいなくて良いのですか?」


「アルトがルシアを見てて、ってさ。スピカも忙しいみた――え、待ってなんであいつチョコフォンデュ食ってんの?」


 カグツチの視線を追って振り返れば、ガラス扉の向こう――煌びやかな会場の中。

 スピカがひとり優雅に、けれど猛烈な勢いでチョコフォンデュを口に運んでいるのが見えた。


「スピカは自由なので……」


「オレがやったら処されるやつだよね、絶対」


「えぇ。ヴァレットの二千年と言うのは歴史だけではないのです」


 けれどカグツチは、どこか上の空だった。

 あぁ、そうか――彼が気にしているのは、スピカのことではない。


「……昨日の決闘のこと、気にしているのですか?」


「アルト、あんまり喜んでなかったからさ。オレ、やりすぎちゃったかな」


「カグツチ、あなたは強かった。それは間違いありません」


 私はカグツチの目を見据えた。


「でも――この貴族社会では、勝ってはいけない時があるのです」


「勝っちゃ、ダメ?」


 カグツチが不思議そうに首を傾げる。


「三百年のアグレストが、千八百年の家に圧勝してしまった。それがどういうことか、分かりますか?」


「……目立っちゃった?」


「えぇ。相手の家格を読んで、花を持たせる――それがこの世界のルールです。スピカは決闘においては何も出来ません。ただ長く生きている、それだけが強さ。そしてその強さの前では、誰も逆らえない」


 言葉を切って、私は会場の方へ視線を向けた。


「注目されすぎるのも、考えものなのですよ」


 不意に――音もなく、会場の生ぬるい風と食事の香りがテラスに広がった。


 カツ、と。

 石畳を叩く硬い音が、夜の静寂を鋭く切り裂いた。


 ――瞬間、隣にいたカグツチの空気が変わった。


「……下がって、ルシア」


 その声はいつもと変わらず穏やかに。

 しかし低く、地這うような声。カグツチは私の前に一歩踏み出すと、扉の方を鋭く睨みつけた。

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