第7話

 和康は、やはり先を見据えていた。


「俺とお前は大丈夫だ。だがあの2人は分からない。か弱い女性2人に対して、男が2人。それに浅木だったか? あいつなんて、ただのDQNだろ? どうせいい加減な理由で、あの2人をかかえたに違いない。さっきだって、まず自分の身の安全を優先しただろ? 結局は、そういうことなんだよ」


「でも、あの状況なら仕方がないだろ? 目の前にはドラゴンがいたし、一歩間違えれば、俺たちだって食われてたかもしれないんだ」


「ホントにそう思ってるのか? 裕は片平さんを見捨てようとしたか?」


「俺は……」


「しなかっただろ? あんな危険な状況でも裕は逃げずに、片平さんを守ろうとした。だがあいつは逃げた。何もしなかったにせよ、逃げられたのに、しばらく彼女から離れようとしなかったじゃないか? じゃあもう答えは出てるだろ?」


「じゃあ、俺は……どうすればいい?」


「あの2人を連れて逃げるか、浅木を殺せ」


「は?……今なんて?」


 突然、和康がよく分からないことを言った。


「聞こえただろ? 浅木を殺すんだ」


「ちょっと待てよ?! どうしてそうなるんだ?! お前は、分かって言ってるのか?! 人を殺すんだぞ?!」


「大丈夫だ。これを持て」


 すると和康は、先ほどまで研いでいた包丁を俺に渡した。


「それで寝こみを襲えばいい」


「俺は……」


 包丁を手にした瞬間、手が振るえた。


「簡単だ。なら俺がやろうか? その代わり、片平さんは俺がもらうぞ?」


「はぁ? なんでそうなるんだ?」


「褒美だよ。人を殺すんだ。宿題をしたら? テストで百点を取ったら? 褒美を貰うのは当然のことだろ?」


 俺は和康の言葉が、微妙に頭に入ってこなかった。

 ただ震えている手を、必死に抑えようとした。


「殺せ!」


 和康はもう一度、俺にそう言った。


「嫌だ……」


「殺すんだ!」


「嫌だ……したくない」


 その時だった――


「きゃぁああああ!」


 和康と揉めていた時だ。

 トイレの方から悲鳴が聞こえた。


「ほら? 始まった」


 和康は“思った通りだ”と言わんばかりに、そう言った。


 俺は和康の方へ振り向きもせず、包丁を握り締め、トイレへと向かった。

 廊下を猛スピードで走り抜け、トイレの角を曲がる。


「どうしたんですか?!」


「へ?……」


 すると俺の方を見た途端、小平さんが間抜けな声を出した。


「ん?……どうしたんだ? 顔が真っ青だぞ?」


 すると小平さんは、俺を見て、驚いた表情をしながらそう言った。


「いや、その……悲鳴が聞こえたので」


「ああ、なんでもないよ。ただ田所さんの足元にゴキブリが出たんだ。こう見えて、彼女も女の子なんだなぁ~」


「ちょっとそれ、セクハラですよ? ボーイッシュですいませんねぇ~」


 すると、そう言って2人は何故か笑っていた。


 どうやら悲鳴は、俺の勘違いだったらしい。

 小平さんと浅木さんが何かを隠しているようには見えない。

 何より、田所さんも片平さんも笑っているし。


「それはなんだい?」


 すると浅木さんが俺に尋ねた。


「それ?……」


「ああ、手に持ってるそれのことだ」


「ああ……これは、包丁ですよ」


「包丁?……なんでそんな物もってるんだ? 危ないだろ?」


「何でって言われても……これは……和康が……」


 すると突然、2人の笑い声が止んだ。


「瀬川くん? 危ないから、それを俺に渡してくれないか?」


「え?……これをですか? 何でですか?」


 浅木さんは、俺が手に持っている包丁を渡すように、手を出した。

 だが何故だ?

 別に必要ないだろ?

 それにこれは一本しかないんだ。

 まだ探せばどこかにあるかもしれないが、今はこれしかないんだ。

 それにこれは和康が必死に研いだもの。

 渡すわけにはいかない。


「ダメですよ。これは化け物を退治するのに必要なんですから」


「瀬川くん! それを浅木に渡すんだ!」


 すると小平さんまでもが、俺にそう言う。

 それは説得というより、命令のように聞こえた。


「は? ちょっと……意味が分からないんですけど? これを手に入れて、何をするって言うんですか? もしかして!……俺を……俺を殺す気ですか?!」


 するとその瞬間、包丁を持っていた方の手に、痛みを感じた。

 と思った時、包丁が床に落ちて、カランカランと金属音がトイレに響いた。

 田所さんが俺の右手を殴ったのだ。


「何をするんだ!」


「落ち着くんだ!」


 気付くと俺に向かって、小平さんがタックルを仕掛けていた。


「止めろぉお! 和康! 助けてくれぇ! 和康!」


 浅木さんに胴体を取り押さえられ、腕を押さえ付けられた。

 そして俺は小平さんに馬乗りにされ、身動きがとれなくなった。


「やめろぉおおお! 助けてくれ和康! このままじゃ殺される!」


「瀬川くん! 落ち着くんだ! 和康なんて人間はいない!」


 その瞬間、俺は自然と動きを止めた。


「……は? 何を言って……」


「君は一体、誰と喋ってるんだ?!」


 小平さんは何を言ってるんだろうか?


「誰って……俺は和康と喋って……」


「だから言ってるだろ?! 和康なんていう人間は、初めからいないって!」


 俺は顔を見上げ、辺りを見渡し、トイレの入り口前を見た。

 そこには確かに和康の姿がある。

 そして俺に微笑みかけている。


「何を訳の分からないことを言ってるんですか? 和康ならそこにいるじゃないですか?」


「目を覚ませ! そこには誰もいないだろ!」


「いますって! なら俺たちを中にいれてくれたあの時、小平さんは誰と喋ってたって言うんですか? 最初に“中に入れてくれ”と言ったのは、和康ですよ?」


「あの時! 俺たちの目の前にいたのは! 君一人だけだ!」


「は?……そんなはずなぃ……」


「だからさっきから言ってるだろ?! 君はずっと一人で喋ってるんだって! 教務課にいた時もそうだ。君はブツブツと一人で、誰かと話していた。さっきだってそうだ。君はドラゴンが飛び立った後、勝手に地下の方へ走っていった!」


「それは和康が誘導して……」


「誰も誘導なんかしてない! 君は突然、一人で走っていったんだ! 訳の分からないことを言ってな! だから浅木を先に向かわせたんだ。現にこの物資の数を見てみろ! 君が言った数の半分しかないじゃないか?!」


「それは……誰かがここに入って……」


「まだ分からないのか?」


 その時、和康が俺にそう言った。


 俺はそっと“枕元”へ目をやった。


「かず……やす?」


「そいつの言う通りだ。俺はお前にしか、見えてない」


「何を言ってるんだ?……現にお前はここに」


「忘れたのか?」


「なっ、何がだよ?」


「――俺を殺したのは、お前だろ?」


「……」


 ――。


 俺は、その時……思い出した。


 そうだった。


 和康は、俺が殺したんだったな……。



 あれは小学生の時の話だ。

 俺はいつものように、和康に虐められていた。

 最初は仲良く遊んでくれていたのに、和康は急に俺を仲間外れにしたんだ。

 そしてその次の日も、また俺は仲間外れにされた。

 俺は前みたいに遊んでほしいと和康にそう言った。

 何か悪い事をしてしまったのなら謝るからと……。

 でも和康は、ただ俺に“鬱陶うっとうしい”とだけ、告げた。

 そして次の日も、また次の日も、状況が変わることはなかった。



 そしてあれは調理実習の時だった。

 家庭科の授業で、皆、自分たちで作ったエプロンを持ち寄って、それを身に着け、簡単な味噌汁と野菜炒めを作ったんだ。


 俺は和康と同じ班だった。

 俺は何もさせてもらえなかったが、先生が通りかかった時、和康が「バレる」だとか言って、俺にニンジンを切らせた。

 そして、しばらくして料理は完成した。


 そしてそれは、それぞれ料理を配り終えた時のことだった。

 俺の前にだけお皿がなかったのだ。

 俺以外の3人の前には、ちゃんとお皿があって、味噌汁も野菜炒めもあるのに、俺の前にだけ、何もなかった。

 そして鍋とフライパンの中には、もう何も残っていなかった。


 俺は最初、戸惑った。

 そして先生を呼ぼうとした。

 でも次に和康の笑った顔が見えた時だ。

 それが戸惑いから、急に怒りに変わった。

 そしてそれが段々と、何か燃え盛るような激しいものに変わっていくのが分かった。


 気付くと俺の右手には、包丁があった。

 そして次に気づくと、テーブルの上にあった味噌汁が変な色になっていた。

 そしてそのとなりにある野菜炒めが、白も緑もオレンジもなくなって、全部、赤一色になっていたんだ。


 ――そして気づいた。


 そうか……この味噌汁の色は赤なんだと。

 器の底の色が透けて見えるせいで、赤がはっきりせず、分からなかったんだと。


 そして次に疑問が生まれた。

 じゃあ何故、味噌汁と野菜炒めは、赤く染まったのだろうか? と。


 ――でも答えは簡単だった。


 それは俺の右手にある包丁の行き先を見れば、直ぐ分かることだったんだ。


 包丁の半分以上が和康の腹に埋まり、見えなくなっていた。

 それは今でもよく覚えている。

 そしてそこから和康の白いTシャツに、赤い絵の具が滲み出していたんだ。

 和康は口から当時、流行っていた、スティックタイプの赤い液体のりを、血に見立てて、垂らしていた。

 俺はその時、思った。


“なんだ、和康の悪ふざけか”……と。


 また前みたいに俺を喜ばせるために、揶揄からかっていただけか……と、そう思った。

 だが俺が微笑みかけても和康の表情は変わらなかった。

 すると和康は、ゆっくりと後ろに遠ざかり、そして背中から床に倒れた。

 その瞬間、和康の代弁をするように、周りのみんなが悲鳴を上げたんだ。

 俺はその瞬間を今でも、はっきりと覚えている。


 モノクロのテーブルにモノクロの味噌汁と野菜。

 そしてモノクロの教室に、横たわるモノクロの和康。

 だが一つだけ、はっきりしていた色があった。


 ――それは赤だ。


 和康の腹部に、はっきりと見える赤。


 モノクロの世界に、それだけがはっきりと浮かび上がっていた。

 そして和康は、小刻みに揺れ、しばらくすると、とても穏やかになっていた。




 ▽




 どうやら俺は記憶の中を旅していたらしい。

 意識が戻ると、“枕元”にいた和康の姿は消えていた。


「しっかりするんだ! 瀬川くん! 君は一人だ!」


 俺はその声に答えながら、ゆっくりと意識を現在に戻した。


「……そうでした。つい……忘れていました。すいません」


 俺はすべて思い出した。

 全部、俺の意志だったことに。


 まるで和康が俺に指示や提案をして、俺はそれに従っているような感覚だった。

 だがそれは違う。

 すべて俺の意志による行動だったのだ。

 なぜならそこにいたのは――


「俺……一人……だったんですね?……」


「ああ……そうだ。やっと目が覚めたか?」


「はい、もう大丈夫です」


 すると小平さんは、俺を開放した。

 少し躊躇っていたようだが、俺の目をみたあと、解放してくれた。


「すいませんでした。取り乱してしまって……」


 そもそも和康がここにいるわけがなかった。

 和康はあの後、死んだのだから。


「君のことは知っていたよ。よく学食で、独り言を言っている姿を見かけていたからな」


「そうだったんですか……恥ずかしい話ですね」


 俺は顔をそむけた


 気付くと、田所さんが片平さんの腕に顔を埋めていた。

 よほど、俺が怖かったんだろうか?


「田所さん……それから片平さんも、ごめんね。どうやら俺は長い事、幻覚を見ていたみたいなんだ」


 すると田所さんはゆっくりと、こちらに振り返った


「大丈夫……気にしてないから」


 すると田所さんは苦し紛れにそう言った。

 まあ……気にしてるってことだろう。


「この包丁は預かっておくよ?」


「はい、構いません」


 どうりで誰も話しかけてこないわけだ。

 ずっと一人でブツブツ言っているんだ。

 遠くから見ている分には、丁度いいが。

 話しかけるとなると、不気味でしかないだろう。


「何か飲むかい?」


「水を貰えますか?」


「ああ、と言ってもこれは元々、君の物だけどな」


「いえ、今はみんなの物ですから……」


 俺は水を受け取り、喉を潤した。


「一つ聞いてもいいかい?」


 すると小平さんは俺に尋ねた。


「はっきりしておきたいんだ。皆の不安を取り除くためにもね」


「はい」


「一体、君に何があったんだい? その……和康とは、誰のことなんだ?」


「和康は小学生の時に死んだ、俺の……俺を虐めていたクラスメートです」


「なっ、なるほど……それで、なんで彼が見えていたんだ?」


「分かりません。いつから見えていたのかも……俺には分かりません。でも、多分……罪悪感だと思います」


「罪悪感?」


「はい。あれは過失でした。けど、俺は耐えられなかった。自分が犯した罪に」


「罪?……すまないが、もう少し分かり易く、話してくれないか?」


 俺は思う。

 だから和康はさっき、包丁を研いでいたのだと。


「俺は、包丁で和康を刺したんです。そして殺しました。でもそれは、偶々だったんです。俺にそんなつもりはなかった。だけど、殺した事実は変えられません。だから、生きていることにしたんだと思います。“俺は和康を殺していない。だって今も和康は、こうして傍にいるから”……そう思うことで、自分を守ろうとしたんだと、そう思います」


 話しながら、俺は気づいた。


 そうか……


 俺には初めから……友達なんていなかったんだな。


 ――和康を殺した、あの日から。

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