第3話
坂道の途中に建てられたようなこの体育館は、外から地下の壁が丸見えだった。
体育館の地下に入った俺たち2人は、中の様子を窺っていた。
そこには一本の細長い廊下があった。
天井が少し陥没している。
「なあ? これ、大丈夫か? これこそ2次被害が起きかねないだろ?」
「じゃあ止めるか? ちなみに俺はここ以外に安全な場所は知らない」
……分かっている、和康の言いたいことは。
もうここしかないんだ。
それにずっとここにいるわけじゃない。
救助が来るまでの間、潜んでいるだけだ。
そう……救助が来るまでの間だけ。
「行こう……」
俺はそう言った。
中に入るとまず右手に開けっ放しの扉が見えた。
その部屋は物置のようになっていた。
ちらっと覗いたが、目ぼしいものはなさそうだ。
次に、給湯室があった。
ここにも用はないと思ったが、和康が入っていった。
「どうしたんだ?」
すると和康は台所の取っ手を開き、中から一本包丁を出した。
「おい?……それ、どうする気だ?」
「分からない……分からないが、必要になってくるような……そんな気がするんだ」
「必要になってくる?……」
俺には分かっていた。
和康の言う、その言葉の意味が何を表しているのかを……。
だが俺も分からなかった。
「ちゃんと確かめれば良かったな?」
俺は静かに言った。
「いや……その必要はない。もしそうなら時期に分かることだ」
「でも! 今知っておいた方がいいだろ?! もしもだ! もしも――」
「――それ以上は言うな!」
閉鎖空間に声が響いた。
お互いに考えていることは同じだ。
そして、その先を話すのが怖い。
だがいつかはその先に目を向けないといけない。
「分かった。今はとりあえず、しのぐことを考えよう」
「悪い……」
俺は和康から、包丁を受け取った。
そして互いに一本ずつ刃物を持ち、先へ進んだ。
するとそこに、先ほど和康が言っていた自販機が見えてきた。
「これか?」
「ああ、そうだ」
だが電気が通っていないのか、灯りは消えていた。
ボタンを押しても反応がない。
「これはまた考えよう、とりあえずトイレの中を確認するのが先だ」
そう言った和康の後ろをついて行く。
途中、1階へと続く階段を見つけたが、途中で崩れていた。
登ればどうにか行けそうだが、1階の状況は大体察しがつくし、そんなことをしても無駄だろう。
俺たちはそのままトイレへと向かった。
トイレの中にも被害は及んでいた。
だが水浸しになっているというわけではなく、だた扉が倒れていたり、便器が割れて地面からもり上がっているという程度だった。
そして目的のバリアフリーが施されたトイレだが、中は清潔そのものだった。
使われていないだけあって、汚れも殆どなかった。
だが一つ残念なのは、ボタンを押しても水が流れなかったことだ。
一週間はしのげるかもしれないが、それ以上はきつそうだ。
俺たちは顔を見合わせ、ため息を吐いた。
「まあ、仕方ないさ」
「そうだな。だが他よりはマシだろう」
俺はそう答えた。
「ここで1週間、どう生きるかだな?」
「ああ、とりあえず持ってきたものを確認しよう」
俺は和康の提案に従い、カバンを下しチャックを開けた。
そして俺はコンビニに置いてあったブルーシートを取出し地面に敷いた。
その上に物資を広げる。
「とりあえず今日食べる物を決めよう。それから計画をたてよう。1週間とは言ったが、もしかするともっとかかる可能性もある。だから、できるだけ無駄な消費は避けたい」
「分かった。とりあえずお前に従うよ」
「いいのか? 勝手に決めるぞ?」
「ああ、それでいい。ここまで順調に来れたのはお前のおかげだ。異論はないよ」
すると和康は笑みを浮かべた。
「とりあえず分けよう」
俺は飲料と食品の仕分けに取り掛かった。
しばらくの間、そこに会話はなかった。
正直、この数十分の間に起こったことを整理するので手一杯だった。
それに加えて食糧計算だ。
自然と言葉はなくなった。
だが落ち着いてきたところで、俺は聞いてみた。
「異世界症候群って言ったよな?」
すると一瞬、和康の手が止まった。
「……ああ」
そしてまた動き出す。
「どういう意味だ? 言いたくないことか?」
俺は昨日見たニュースの内容を思い出していた。
ここ最近増え続けている自殺者の原因が、その異世界症候だとコメンテーターが話していたのだ。
「急に、想像が膨らむんだ。もし今この瞬間、学内にゾンビが現れたら? とか。もし異世界に転移したら? とか。そんなことを……随分前から考えるようになった」
和康はそう答えた。
俺はそこでもう一度質問しようか迷ったが、このまま和康が話し出すのを待つことにした。
「……意味なんかないんだ」
「え?」
和康は唐突にそう言った。
「意味なんかない。それは分かってる。ただ意味もなく、非常口の鍵が開いてるか確認する。そこから何かが起こるかもしれないと、そんな気がしたから……」
「そんな気って?……」
「……そうだな。分からないよな? でも……」
和康はその先を言わなかった。
だが俺には分かっていた。
和康が何を言おうとしていたのかが。
そして、薄らと浮かべたその笑みの意味も。
「もし俺が昨日、飲みに行ってたら……こんなことにはならなかったのかもしれないな?……」
「……そうかもしれないな」
和康は否定しなかった。
当然だ。
昨日、飲みに行っていたら今日、こんなことに巻き込まれずにすんだんだ。
なにしろ和康は今日、大学を休むつもりだったから……。
「……俺を責めないのか?」
「責める? なんでだ?」
「なんでって……」
俺は分からなかった。
何故、和康が俺を責めないのかが。
そのくせ和康は俺の言葉を遮るのだ。
まるで興味を示しながら、それを恐れているかのように。
それからしばらくの間、また会話はなかった。
「もしかしたら、正気じゃなかったのかもな?」
すると和康は、弱音を吐くようにそう切り出した。
「どうしてそう思うんだ?」
「あの時は、俺も混乱してたんだ。目に映るものと周りの悲鳴に影響されて、今にも取り乱しそうになってた。でも、そんな時だからこそ、冷静でいなくちゃいけないと、そう思ったんだ。それができないで何が異世界症候群だと、そう思ったんだ」
「和康は信じてたんだな? そういうものがどこかにあるって?」
「……そうだ。俺はファンタジーを信じてた。突如、自分の身に起こる受け入れきれないほどの何かを、俺は信じてた。そして同時に願ってたんだ。だって退屈だろ? この世界は?」
和康は俺が思っていたことと、まったく同じことを言った。
だが不思議と驚きはなかった。
何となく分かっていたから。
「まあ、そうだな? 俺もそう思ってたよ。何か、刺激的なことが起こらないかって……ずっと考えてた。だから分かるよ。お前が何故、カギを開けておいたのか……別に俺は、それが無意味だとは思わない。お前にとっては必要なことだったんだ」
俺は同意を示した。
すると和康は照れくさそうに笑った。
「ふ……なんだよ、お前も俺と同じじゃないか」
「生きることを紛らわすために、俺は毎日、酒を飲むんだ。それが一番つらい事だから」
「ああ、分かるよ。俺もそうだ。死ぬために酒を飲むんだ」
表現は違うが、見ているものは同じだった。
だがそれは最初から分かっていたことだ。
俺たちは似ていると……。
「なら、なんで逃げるんだ? もう分かってるだろ?」
「……」
和康は答えない。
「俺には見えたよ……お前にも見えただろ?」
「それは……」
「なんで誤魔化すんだ? やっぱり昨日、飲みに行けば良かったと、そう思ってるのか?」
「違う……そうじゃない。そうじゃないんだ。ただ……」
「ただ何だ? 今、何を考えてるんだ? この包丁は何のためにある?」
「今はやめてくれ――」
だがそれが、現状の和康の答えだった。
俺は怒っている訳じゃない。
分からないんだ。
何故ここまで来て、こいつは怖じ気づくような真似をするのかということが。
「だけどな、1週間後だぞ?」
「……ああ。それ分かってる」
「どちらにしろ、もしそうだったなら1週間後。いや、それよりももっと早い段階で、ここから出る必要がある。分かるよな?」
「ああ、分かってる。だけど今は心の準備が必要なんだ。すべてを受け入れる準備が……」
「分かったよ。なら、俺はここで待つ」
俺は和康が勇気を得るまで、待つことにする。
こいつを見捨てるなんてことは、考えられないから。
「片平さん……無事かな?」
だが俺にも弱さはあった。
「考えるなって言っただろ? 今は自分たちのことだけ考えていればいい。それでも足りないくらいなんだ」
「ああ……」
直ぐに立場は逆転する。
だがどちらが上とか、そういう話ではない。
ただお互いに補い合える欠点が見えているんだ。
だから指摘し合える。
「なあ? 一つ聞いていいか?」
「……ん? なんだ?」
俺は和康に尋ねた。
「殺人って、才能だと思うか?」
俺がいつも思うこと。
これを和康はどう思うのか?
俺には分からなかった。
だが否定されたとして、それがどうという訳でもない。
ただ俺に似たこいつは、どう思うのか?
それが純粋に知りたいだけだった。
「裕はそう思うのか?」
「ああ、偶に考えるんだ。およそ人が生れてから死ぬまで経験しないことを、やってのけた人間は、その先に何を見るのかってな?」
「俺は……」
和康は悩んでいるようだった。
「俺には分からない」
「……そうか」
「でも否定はしない。俺とお前は、心に秘めている本質が同じであるような気がするから」
「……まあ、それはそうかもしれないな」
本質は同じだ。
俺はただ夢を見たいだけだ。
そして、それは和康も同じだ。
俺はペットボトルのふたを開け、渇いていた喉を潤した。
混乱と緊張で気づかなかったが、そうとう渇いていたようだ。
だが物資は無駄にできない。
俺は今から始まるトイレでの生活に、無感情だった。
余計なことは考えず、ただしのぐこと。
それだけを考えればいいと、そう思っていたからだ。
そして俺たちはリュックを枕にし、横になりながら目をつむった。
▽
あれから2日が経とうとしていた。
その中で、俺たちは一つ気づいたことがあった。
それは携帯の電波が入らないことだ。
そして電池切れで使い物にならなくなったため、もう確認もできない。
それでも時間が分かったのは、給湯室にあった目覚まし時計のおかげだ。
これであれから2日経過したことが分かった。
そして何故、俺たちがトイレを抜け出し給湯室の前に来ているのか?
――それは“音”が聞こえたからだ。
地下であるにも関わらず、その音ははっきりと聞こえた。
そして俺たちは、物資を詰めたリュックを背負い、外へと続く扉の前に来ていた。
「いいか? 少し様子をみるだけだ」
「ああ、分かってる」
「万が一ってこともある。例えば隣の部室棟で火災が起きて、それがこっちに引火したとか、そういうこともありえるんだ。だから少し確認して、それから直ぐにまた戻ってくる。いいな?」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
俺たちはお互いに、軽い計画の確認をした。
そして和康はそっと扉を開いた。
「いくぞ!」
そして直ぐに俺も続き、外へでる。
扉の前でうろうろしてる所を仮に見られでもしたら面倒だからだ。
そして俺たちは外に出ると、直ぐにそこを離れ、小走りで体育館の正面玄関の方へ向かった。
だが少し走ってすぐ、大学の広場が見えてきた時、俺たちの足はゆっくりと止まった。
そしてその理解できるはずもない光景に口を開けたまま、ただ茫然と立ち止まった。
「なんだよ?……これ?」
俺はそれ以外の言葉が出てこなかった。
至る所で生き残った生徒や教師らが何かから逃げ回っている。
そしてここからでも分かるほど壁面や地面に赤い液体が飛び散っているのだ。
そして俺たちはさらに目を凝らす。
そして、その正体を見た。
「化け物だ……」
そうだ。
白骨化した人間の骨? が長い刃物で無差別に人を刺しまくっている。
その向こうでは巨大なトカゲのような生き物が、人の足のような物を口加えて、咀嚼(そしゃく)しながら走りまわっている。
空には鳥の羽を生やした全裸の女が飛び回っている。
そして鳥のような足には泣き喚く人間の姿が見えるのだ。
「どうなってんだよこれ?!」
「裕……分かってただろ?」
和康はそう言った。
「……ああ、分かってたさ。俺には見えてたから……でも、お前もだろ? あの時、バス停で……」
「ああ、見えてたさ」
そうだ。
俺たちには見えていた。
あの時、バス停に訪れた時だ。
俺たちは遠くを見つめていた。
その時、視界に入ってきたのだ。
途中で切断されたかのような山と民家。
そして田んぼや畑。
そして何より、切断された断面の向こうに見える広大な沼地だ。
そこには葉が一枚もない白い気が何本も見えていた。
そして何かは分からなかったが、蠢く影も見えた。
気にしたことはなかったが、記憶にはあった。
普段ならそこに見えていたコンビニやガソリンスタンド。
そしてぽつんと立つレストランや公民館。
それらがすべてなくなり、霧の深い沼地と化していたのだ。
そして今、俺たちの目の前には無数の化け物。
いや……モンスターの姿があった。
「裕……分かるだろ?」
「……ああ」
俺たちはその光景から、この状況を理解した。
いや理解とは程遠いものだ。
ただその言葉が浮かんだに過ぎない。
俺たちは今。
「――異世界にいる」
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