第2話
――。
音が聞こえた。
「……!」
そして次第に、それが誰かの声であることに気づいた。
「裕!」
――それは和康(かずやす)の声だった。
「……和康?」
すると目の前に険しい表情の和康(かずやす)がいた。
「しっかりしろ! ここは危ない、いつまた崩れるかも分からないからな。とりあえず、バス停に行くぞ」
「おっ、おう」
少し気が動転していた。
俺はつたない返事をし、和康の後ろについて行った。
「それにしてもこんなことになるとは……」
和康の表情からは、複雑な心境が窺えた。
混乱をしている自分を押し殺しているような、そんな表情だ。
だが当然だ。
こんなことになるなんて、誰も予想していなかったんだから。
俺たちは今日このあと飲みに行く予定だった。
そのことしか頭になかった。
「食堂の中って……どうなったのかな?」
俺はふと、その言葉が出た。
頭の中でスーパーボールが乱反射するように、バウンドの度に疑問が浮かび上がってくる。
「……考えるな」
和康はそう返答した。
俺の言っている言葉の意味が分かっているのだろう
だから、そう返したんだ。
俺が少しでも冷静でいられるように。
「仮にそうだとしても、今は自分たちのことだけ考えろ」
そう言った和康の表情は、険しいものだった。
そして和康はそれ以上は何も言わなかった。7
こいつは俺と似ている。
俺と同じように、今にも叫びだしたいはずだ。
満足いくまで叫んで、とりあえず茫然としていたいはずだ。
だがそうしないのは、それが何の解決にもならないと分かっているからだろう。
はち切れそうな緊迫感の中、自分たちだけでも生き残ってやると、そう強く思っているからだ。
だが、それは俺も同じだ。
死を身近に感じ、それから漠然と生きたいと思った。
また揺れが起きるのではないか?
次は自分が死ぬのではないか?
不安を生きたいという欲望で隠し、どうにか気を保っている。
そんな状態だ。
「裕……忘れろ」
「え?」
不意に和康はそう言った。
「忘れて、次に進むんだ」
「……ああ」
この緊迫した状況での言葉だ。
ただの気を紛らわすためのものに過ぎないことは分かっている。
会話をすることで、少しでも別のことに気を向けていないと、不安で気が狂いそうになるからだ。
学食の出入り口はいくつかある。
俺たちが逃げた反対の方向にも出口はあるし、それ以外にももう一つある。
確認はしていないから分からないが、決めつけるのはまだ早い。
そうこうしている内に、バス停が見えてきた。
だがそれは飽くまでも“バス停のある場所”だ。
俺たちの目の前に見えているのは、遠くまで続く生徒たちの行列だった。
そして中には、教員の姿も見える。
「ここはダメだな……」
「どうする? しばらく待つか?」
俺は和康に尋ねた。
ダメと行っても他に行く場所はない。
俺たちにはバスを待つ以外に、方法がないんだ。
「いつ来るかも分からないバスを待つのか?」
和康はそう言った。
確かにそうだ。
この大地震の後に、平常運行するバスがあるとは思えない。
「それにバスに乗れたところで、電車が動いているかどうかも分からない。俺が思うに、駅で寝るか、大学で寝るかのどっちかだろう」
俺は少し驚いた。
和康はこのパニックの中、先のことまで考えていたのだ。
俺は今どうするかということしか考えられないのに。
いや……殆どの者がそうだろう。
俺だけではないはずだ。
だからこそ和康は凄い……そう思った。
俺はその時、“違和感”を覚えた。
それはバスが来ないかと、遠くの方を眺めていた時のことだ。
だが気が動転していたし、見間違いだと思った。
俺は答えを求めるように、視線を和康に移す。
だが和康も俺と同じ方向を見ていた。
そして険しかった表情には疑問符が浮かんでいた。
自分を疑うような疑問符だ。
「とりあえず……コンビニに行こう」
だが和康は次に、そう言った。
「え? コンビニ?」
急にそう言いだした和康の言葉に、俺は戸惑った。
何故、この状況でコンビニに行くのか?
単純にそう思ったのだ。
他にやることがあるだろうと、そう思ったのだ。
「裕、周りを見てみろ」
「周り?」
俺は言われた通りにした。
それだけ和康のことを信用していたのだ。
無意味なことは言わない奴だと……。
「分かるか? これだけの規模の災害が起きたんだ」
バス停の屋根も崩れ落ち、高い建物は全壊。
それ以外の殆どの建物も全壊していた。
完全にその姿のまま残っているものは、ここからだと一つも見えなかった。
「俺が思うに、直ぐに救助はこない。多少の時間がかかるはずだ」
俺はそこで和康の言葉の意味に気づいた。
「だから食べ物と飲み物だけでも確保しておくってことか?」
「そういうことだ。多少の空腹は仕方ないとして、せめて1週間はしのげるだけの食糧を確保しておきたい」
「分かった」
俺は和康の言葉の意味を理解し、直ぐに2人でコンビニへ向かった。
▽
コンビニは倒壊をまぬがれていた。
だが中は真っ暗だった。
電気が通っていないのだろう。
だが見えないとうほどでもない。
地面に散らばった商品が目で確認できるほどだ。
そしてガラ空きというほどでもなかったが、人の数は少なかった。
何人かの生徒がその暗いコンビニの中で、しゃがみこんでいる。
「とりあえず保存の利く物を選ぶぞ、味なんてどうでもいい」
俺は和康の指示通りに、保存の利くビスケットタイプの食品を2列分ごっそりとカゴに入れた。
「それじゃあ足りない。もう2列だ」
「……分かった」
俺たちは余計な口数を減らし、ただ先のことを考え行動した。
何人かの生徒が俺たちのことを見ていたが、無視して作業を続けた。
水は2Lの物を10本ほど。
中にはスポーツ飲料もある。
幸いにも俺と和康(かずやす)の背負っているリュックは、少し大きめの物だった。
リュックに4本入れ。
3本ずつ両手に持てば、どうにか運べるだろうと、そう考えたのだ。
「他には何かあるか?」
俺は和康に尋ねた。
任せっきりだが、今は仕方ない。
俺よりも和康の方が冷静だし、何よりこの手のことには詳しそうだからだ。
「後は……」
その時、考える素振りをみせながら、和康がレジの方をちらっと見た。
すると陳列してあった多目的用のカバンを手に取り、その場で包装を破きだしたのだ。
「おい! なにやってんだ?!」
俺は小声でそう言った。
「店員はいない。今なら大丈夫だ」
和康はそう言いながらカバンを開き、その中に詰められるだけ飲料と食品を詰めていった。
「裕、躊躇(ためら)っている余裕はないぞ? 俺が気づいてるくらいだ。他の奴らが同じことを考えていてもおかしくはない。どうせバスも来ないだろうし、あと少ししたらここは人で溢れて商品も殆どなくなるだろう。その前に欲しい物はすべて、カバンの中に入れちまえ」
「でも犯罪だぞ? 見つかったらどうするんだ?」
「どうせ防犯カメラなんか機能してないさ。それに誰がクソまじめに、会計なんかすると思う?」
するとそこへ、何人かの生徒が現れた。
その中の一人と目が合う。
そしてそいつは何かを言おうとしたようだったが、俺たちの手元を見ると、開きかけた口を閉じ、俺たちと同じように商品をカバンに詰め始めた。
和康は“言った通りだろ?”と、俺の目を見た。
だが中には躊躇(ためら)っている者もいた。
緊急事態だとしても、俺たちがやっていることは犯罪なのだ。
そして避難生活が長引けば、ここにある食糧は貴重な物資となる。
つまり、食糧を残された生存者で分配し、救助が来るまでその限られた食糧で持ち堪(こた)えなければいけない。
和康は分かっているのだろうか?
これは生存者の命を左右する行動だということを。
だが和康は手を止めなかった。
「裕? 言っただろ? 余計なことは考えるなって」
「……ああ」
「じゃあ今は、とりあえず詰めろ。バス停の奴らがここに来るぞ」
俺は再び手を動かし、和康と同じように、多目的用のカバンに物資を詰めていった。
そしてしばらくすると、ガラス窓の向こうから大勢の生徒たちの走ってくる姿が見えた。
「和康! 人が来る!」
俺は和康に知らせた。
「ああ、分かってる! もう行くぞ!」
だが和康もそれには気づいていたらしい。
俺たちは裏口を使い、コンビニを出た。
「それで? どこに行くんだ?」
「体育館だ」
「は? あそこに行くのか?」
体育館はここから少し離れた場所にある。
だがそれは遠目ではあるが、ここからでも見える場所だ。
そして見えているのは、もはや”体育館“と呼ぶには、相応しくない物だった。
「あんな潰れた建物のどこに逃げるっていうんだ?!」
「トイレだ」
「……トイレ?」
和康は最初から考えていたかのように、迷うことなくそう言った。
「ああ。あそこには地下に障害者用のトイレがある。そこならある程度のスペースもあるし、しばらくはそこで凌(しの)げるだろう」
「でも、それなら“ここ”にもあるだろう? なんで体育館なんだ?」
俺が言っているのは、目の前の学部棟(とう)のことだ。
この学部棟には、心理学科などを受け持つ教授の研究室などがある。
そして、ただ一つ崩れることなく残ったままの状態だった。
「ここはダメだ。近すぎる」
「近すぎる? どういうことだ?」
「とりあえず行こう。話は移動しながらだ」
「……ああ、分かった」
俺たちはコンビニから離れた。
後ろを振り返ると、和康の言った通りコンビニの周りが人で埋め尽くされていた。
俺たちはその光景を余所に、重いリュックを背負いながら、重いカバンを両手に体育館を目指して走った。
「それで? なんで体育館なんだ?」
俺は尋ねた。
「裕? お前はこの状況の中、あの離れた瓦礫(がれき)の山に向かおうなんて思うか?」
もちろん思わない。
がれきの山など危険以外の何ものでもないからだ。
「まあ……思わないなぁ」
「だろ? だからだよ」
「だから?」
俺は呼吸を整えながら、小走りで走った。
「2次被害に巻き込まれないためにも、おそらく建物の中に入るやつなんていない。だが食糧と飲み水は必要だ。飲み水は水道水があるが、食べ物はコンビニか学食。それと各棟に備え付けられてる自販機でしか手に入らない」
周りには多少の民家もあるが……。
「……つまりどういうことだ?」
「お前は体育館の地下に食糧があると思うか?」
「ああ!……そういうことか」
「確かに自販機はあるが、それだけだ。地下には何もない」
つまり和康は、体育館に近づきたがる者などいないと言っているわけだ。
俺たちはキャンパスの中心にある小さな広場の横を通り過ぎた。
地面には大きなひびが入っている。
「おそらく避難場はここになるだあろうな。それか向こうのグラウンドか」
「なんでそう言いきれるんだ?」
「周りに建物がないからだ」
「ああ……」
納得だ。
それにしても和康は何故、ここまで考えられるのだろうか?
これは普通のことなのだろうか?
それとも俺が馬鹿なだけか?
それとも俺が冷静でないだけか……。
「でも地下なら、体育館以外にもあるだろ?」
「まあそこは単純に俺が把握していないだけだ。体育館なら外からでも地下に行ける。だが他の棟はそうもいかないだろう? それにさっきも言ったように、ここなら人が来る心配がない。それに窓口や何かは全部1階にある上に、普段は人どころか電気もついてないしな」
「そうなのか?」
「ああ、健康診断の時くらいしか、窓口に人がいたのは見たことない。それ以外は真っ暗だ。地下は廊下の電気すらついてないしな」
「詳しすぎだろ?」
「運動系の授業をとっていれば分かることだぞ?」
そういうものだろうか?
だとすれば、和康以外にもそれを知っている者がいるのでは?
「とりあえず、あそこには人がいない。誰かが来る心配もない。だから物資を取られる心配が少ないわけだ」
「まあ言っている意味は分かったが、でも大丈夫か?」
「何がだ?」
「地下への入口があるって言ってたけど、カギがかかってるんじゃないのか?」
「大丈夫だ。非常口は俺が開けといた」
「は? 開けといた?」
それは流石に意味が分からない。
開けておいたとはどういうことだ?
何故、開けておく必要がある?
「どういうことだ?」
「……」
だが和康は唇を噛んだ。
「流石に開けておいたって言われてもなぁ……」
「――日課だからだよ」
「は?」
だが和康は直ぐに答えた。
「毎週金曜日は、体育館でバドミントンの授業がある」
「まあ、それは知ってるけど……」
「その時、俺は地下に行って必ずその扉の鍵が開いてるかどうかを、確認するようにしてるんだ」
「……は? 言っている意味が分からないんだけど、どういうことだ? 何のためにそんなことを?」
だが和康はまた言葉を渋った。
体育館の瓦礫の前に来た俺たちは、そこを素通りする。
そして地下へと続く非常口の前へと辿りついた。
すると和康は扉に手をかけ、何の躊躇いもなく開いた。
つまり和康の言った通り、カギは開いていたのだ。
「なんのためか聞いたよな?」
すると突然、和康は俺にそう尋ねた。
「……ああ、言った。何のためにカギを開けておいたのかって」
「単純なことだ」
「単純?……」
だが俺にはその“単純”という言葉すら複雑だった。
「俺が、異世界症候群だからだよ……」
和康は薄ら笑みを浮かべ、そう答えた。
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