一章 真夏の出会い
夏と咲
頭上に燦然と輝く太陽が恨めしい。
熱を浴びたアスファルトに目を向けると、陽炎が起こり景色を歪ませている。あげくに、周囲ではセミたちの喧騒が鳴り響いていた。
その年の夏はいつにもまして暑かった。
季節は夏。皆が待ちに待った夏が今、皮肉なまでに満ち満ちていた。
だが、その時の俺にとってはただ暑さだけが忌々しい季節でしかない。
夏なんて、夏休みという長期休暇を謳歌することだけが楽しみな季節だ。
普通なら家の中でエアコンを最大限に活用して、ただひたすらに惰眠を貪る。そう生活するのが利口だ。
もちろん、小学五年生である当時の俺も夏休みを謳歌するべく、本来なら人工的な涼しさに身を任せているべきだと思っていた。
だが、炎天下の中で太陽に晒され続けたベンチに腰を下ろし、暑さに身を任せていた。
唯一の救いは、わずかばかりのお小遣いを消費し手に入れた、みかん味のアイス。
「暑い」
腰かけているベンチによりいっそうもたれ掛かりながら、手にしているアイスを口に運ぶ。
途端に柑橘特有の甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、暑さという地獄に満たされている俺を冷たさが癒す。
この瞬間はたまらなく気持ちいい。
「あ、こんなとこにいた! 夏ってば、また練習さぼってるんでしょ」
そんな俺の安住をぶち壊すかのように、騒がしいまでに明るい声が響き渡る。
ちなみに、夏――青野夏――とは俺のことだ。夏なんて暑くて嫌なのにもかかわらず、皮肉なことに俺自身の名前が夏なのだ。
俺は嫌々ながらも、その声の方に目を向ける。
「なんだ咲か、さぼってて悪いかよ」
「はぁ、わるいに決まってるじゃん。来週試合なんだし練習しなきゃ。ほら、みんなのところにもどるよ!」
そう言いながら小さな手で腕を掴み、優しく引っ張ってくる。
春野咲――天然なところが玉に瑕だが、文武平等で才色兼備、真面目を絵にかいたような少女。長く伸ばした黒髪が大人びた顔立ちに似合っていて、クラスで一番、いや学年で一番かわいくてモテている。いつも面倒くさがりで、どちらかと言えば不真面目な俺とは正反対だ。
普通だったら接点なんてないような俺たちが、なぜこんなに親しいかというと、親同士の仲もよく、幼稚園からの幼馴染というのが理由だ。そうでなければ、きっと俺と咲に接点なんて生まれなかっただろう。
「いいんだよ、練習なんてしなくても。どうせ勝つんだし」
俺はあえて不貞腐れた笑みを浮かべてやる。
「もう、またそんなこと言って。ちょっと最近夏はうぬぼれすぎだよ。夏よりすごい子なんて、そのうちすぐにでてくるんだから」
こういう時、決まって咲は困った表情を浮かべながらも、決して投げ出したりせずに俺の相手をしてくれる。俺はそんな咲とのなんでもないやり取りを意外と気に入っていた。
「はぁ、そんなのいるなら見せてほしいね」
「ほんとなんだから! 来週うちと市大会の初戦であたる宮内ファルコンズにすごい投手がいるんだって! 夏なんてきっと泣きながら三振しちゃうよ」
「へー、咲は俺にそうなってほしいのか。ひどいやつだなー」
ちょっとだけ意地悪をしてやると、ジト目で睨まれてしまう。
「…………夏ってば、ほんといじわるだね」
咲が俺を応援しないはずがない。そんなことは分かっている。小さいころからの付き合いである俺達には当たり前のこと。
「わるかったって。まぁ、たしかにそろそろ練習にもどるか。咲のジト目もみれたことだし」
「もう、さいてー。少しはその性格直した方がいいよ」
そう言い合いながら二人で歩く。
ふと見上げると、空は青く太陽がまぶしいほどに燦燦と輝いていた。
いつもの景色。いつも変わらないはずの日々がそこには広がっていた。
それから、河川敷で夕暮れまで練習をした後、解散となった。
暑い中、この時間まで練習をすると疲れるし、汗が肌にまとわりついてユニフォームの着心地も最悪である。
あー、早く帰ってシャワーを浴びたい。
「練習終わったんだったら、家まで送ってよ」
練習をずっと見ていた咲がいつものように声をかけてくる。
俺は自転車だが、咲はなぜかいつも歩きで観に来るので、後ろに乗せろと言ってくるのだ。
ちなみに、俺と咲の家は近いが、河川敷まではどちらの家も結構距離がある。
何度か自転車で来ればいいじゃん、と言ったこともあるのだが、それでもなぜか咲はいつも歩きで来る。
歩くのが好きだとか言っているが、正直理解できない。
「ひゅー、ひゅー、お熱いねぇお二人さーん」
そんな俺と咲を見て、おどけた声でお調子者のりゅう――速水流星――が馬鹿にしてくる。
チームでは守備の要とも言える遊撃手を守っていて、とにかく足が速い。俺も足には自信はある方だが、きっとりゅうが本気を出せば俺より全然速いはずだ。
だがこの性格から言って、こいつは何事も本気でやらない。俺以上に不真面目なやつだ。
だから俺はたいていこういう時、ひたすら無視することにしている。
「行こうぜ、咲。後ろ乗るだろ?」
バカの相手をしても疲れるだけだし、逆に反応したりすると喜んで余計に面倒くさくなるのが目に見えているからだ。
「お、おい無視するなよー」
そんな声を無視して、咲が後ろに乗ったことを確認すると、俺は自転車を漕ぎ始める。
「ふん、もういいもんね。のぶたー、一緒に帰ろうぜ」
「お……おう」
りゅうはすぐに切り替えて、隣にいたのぶたに絡み始める。それに対して、のぶたは若干の戸惑いを見せつつも承諾してしまう。
のぶたよ、いつもすまない。
こういう時、のぶたは優しいから無視とかできないのだ。
「あはは、りゅうくんもあいかわらずだなぁ」
「いつもどおりうるさいやつだよな」
自転車の後ろに咲を乗せて、俺は河川敷沿いを走る。
茜色に染まる夏の夕暮れに、セミの鳴き声と川の流れる音が微かに響く。
頬に当たる風が気持ちいい。
なんだかんだいって、咲とこうして帰るこの時間が俺は好きだ。
ふと、後ろに座る咲から声が聞こえる。
「なんか言ったか?」
「うんうん、なんでもないよ」
笑みを浮かべながら、そう誤魔化す。
でも、俺にはたしかに聞こえていた――夏の暖かい風に吹かれて、咲のつぶやいた言葉が。
――この時間がずっと続けばいいのにね。
だけどその時の俺は、なんだかその言葉が照れ臭くて、聞こえないふりをした。
静かにペダルを踏む力を強める。
夏はまだ始まったばかりだ。その時の俺は、そう思っていた。
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