第5話

 恒一はある夜、寝室の暗がりで、胸の奥の蠢きがいつもより鮮明に感じられた。

 呼吸のリズムが、自分の意思ではなく微かに変化している。手先の微細な動作が、意図とは違う方向へ滑り、指先に冷たい感触が走る。意識の端で「そこに何かがいる」という確信が芽生えたが、姿は見えない。光も影も、音も形もない。

 ただ、胸の奥で滑る存在の存在感だけが、肌の下で震えていた。



 翌日、鏡の前で立ち止まると、わずかな歪みが目に入った。瞳の奥に、ほんの一瞬、別の視線が宿ったように感じたのだ。

 呼吸を整え、目を細めても消えない。胸の奥の存在が、自分の意識と身体を支配していることを、視覚を通じて初めて「知覚」した瞬間だった。

 日常の微細な違和感、記憶の歪み、手足の遅れ――すべてはこの存在の兆候だったのだ。



 街を歩いても、存在は形を帯びることはないが、感覚として迫る。

 通り過ぎる人々の気配に、微かに滑る影を感じる。

 声の抑揚、歩くリズム、握る手の力……自分以外の身体の中にも、同じような蠢きがあるのではないかという、底知れぬ不安が恒一を覆った。日常の全てが、知らぬ間に妖怪の目や手に触れられているように思える。

 異変は目に見えずとも、身体のあらゆる隙間を滑り、日常を侵食していた。



 夜、布団に潜り込むと、存在はさらに鮮明に動く。胸の奥の感覚が、意識を押し広げるように蠢き、手足の微細な動作を操る。

 夢の中でも逃げることはできず、恒一の動作、思考、感覚すべてが微かに書き換えられる。

 胸の奥に潜む妖怪は、身体の隅々に学習するように滑り込み、恒一の「自分である感覚」を蝕んでいく。


 恒一は、悟った。

 これは単なる錯覚ではない。

 身体の異常や疲労ではない。


 目に見えない妖怪のような存在が、微細な隙間を縫い、日常、記憶、意識、身体すべてを侵食している。

 その兆候が、今、胸の奥で確実に示されていたのだ。

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