第5話:帳簿外の地獄
下層区の最深部。廃棄局長ガロウ・モートラックが管理する第7廃棄処理施設――通称「肉の銀行」。
分厚い鉄扉をアリシアの銀糸で切断し、内部へ侵入したシルスたちを出迎えたのは、鼻を突く防腐剤の臭気と、不気味な緑色の燐光だった。
「……う、ぅぅ……」
アリシアが口元を押さえ、ガタガタと震え出す。
無理もない。広大な地下空間には、天井まで届く巨大なガラスシリンダーが林立していた。
その一本一本の中に、緑色の溶液に浸された「人間」が浮いているのだ。
老人、罪人、そして身寄りのない子供たち。彼らは管で繋がれ、ピクリとも動かない。
「気分が悪ければ外で待っていろ。……ここから先は、『在庫確認』の時間だ」
シルスは表情一つ変えず、懐から愛用している「黒曜石の
一見するとただの黒い板だが、彼が魔力を通すと、その表面に青白い幾何学模様と文字列がホログラムのように浮かび上がる。
「……ひどい数値だ。ここでは『人権』が定義されていない」
シルスは石版を、培養槽の中で眠る痩せ細った少女の方へと掲げた。
石版の表面が、少女の魂の状態を「スキャン」し、波形として表示する。
ピピ、と小さな電子音が鳴り、画面に表示されたのは「寿命残量:あと3週間」という無慈悲な推計値だった。
「供給効率、低下中。……廃棄予定リスト、更新」
シルスは感情を殺し、石版の表面に指を滑らせた。
ペンで紙に書くのではない。彼は指先で直接データを打ち込み、目の前の地獄を「不正な会計ログ」として冷徹に記録していく。
そこにあるのは魔法使いの神秘性ではない。システムのバグを特定し、修正案を練るエンジニアの冷たい手つきだった。
「ガロウめ。……帳簿上では『聖水生成のコスト』として処理しているが、実態はただの『生命力の横領』だ。上層区の貴族が使う魔法の副作用(負債)を、ここの人間に肩代わりさせている」
シルスは次々と水槽を回っては、石版に証拠を吸い上げていく。
「魔力譲渡ログ、取得」「因果律の改竄痕跡、保存」。
それは、この施設を法的に、そして魔術的に解体するための弾薬集めだった。
「シルス……この子たち、助かるの?」
アリシアが縋るように尋ねる。
シルスは手を止めず、淡々と答えた。
「助ける? 勘違いするな。僕は慈善事業家じゃない。……ただ、この施設の運営方式が、世界の
冷たい言葉。だが、シルスは石版の隅に小さく「被害者救済プログラム:要検討」というタグを付け加えていた。
「それに、この規模の汚染だ。施設の
その時、施設の奥から重苦しい足音が響いた。
培養液の泡立つ音に混じり、ドスン、ドスンと地面を揺らす振動。
「……ほう。ネズミが迷い込んだかと思えば、随分と態度の大きい客だ」
暗闇の奥から現れたのは、肉の巨塊だった。
高級なスーツがはち切れんばかりに膨れ上がった筋肉。首には悪趣味な金のネックレス。
廃棄局長、ガロウ・モートラック。
彼は葉巻を噛み砕きながら、シルスとアリシアを値踏みするように見下ろした。
「おいおい、そこの嬢ちゃん。見覚えがあると思えば……先週『入荷』予定だった欠陥品じゃないか。返品されたゴミが、何の用だ?」
アリシアが悲鳴を上げてシルスの背中に隠れる。
シルスは石版を懐にしまい、ゆっくりとガロウに向き直った。
その左目が、静かに青く輝き始める。
「ガロウ・モートラック。……貴様に、特別監査の通達だ」
「あぁ? 監査だと?」
「帳簿を見せてもらったよ。粉飾決算、横領、そして違法な生命取引。……これだけの負債、貴様の命ひとつで支払えると思うなよ?」
シルスが指を鳴らすと、アリシアの銀糸が殺気を帯びて展開された。
調査は終了した。ここからは、強制執行の時間だ。
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