第2話 知らない始まり

12時45分。


学食はいつも人が多い。

人の行き交う足音、飛び交う会話。

まるでリア充の巣窟だ。


そんな中、一人、隅の座席で憂鬱にポテト味のビスケットとスポーツ飲料を流し込む。


僕はすでに、『ぼっち』の域に達している。

ほとんどの生徒が友人とテーブルを囲み会話を楽しむ中、僕は何の恥じらいも動揺もせず、『ぼっち飯』を楽しむ。

これが日々の俺だ。


「田辺君、おはよう? 隣座ってもいい?」


聞き覚えのある声がした。

橋本さんと、その隣に黒髪短髪・身長体系は共に平均的、だが細い目つきが少し怖い。

同じゼミの林さんがいた。


1回生の間に学内で友人を築けなかった人間は、およそ、そこから卒業まで学内において「ぼっち」である。そしてリア充とは「ぼっち」を嫌うものだ。僕が「ぼっち」であることに「空気」で気づいたゼミの生徒たちは、次第に話しかけなくなっていった。林まどかもその一人と言える。言うまでもなく僕にとって苦手なタイプだ。

そんな中、いまだに話しかけてくる不思議な女性、それが橋本さんである。


「おはよう――橋本さん・・・もしかしてゼミのことで何か言われた?」


何度も言うが僕は「ぼっち」の域である。しかし「ぼっち」になってしまうような奴は、不意に女性に話しかけられると大抵動揺する。僕も例外ではない。


「そうじゃないの、今日フィールドワークのグループについて話したんだけど、田辺くんだけまだ決まってないんだ・・」


やっぱり――と思ったのと同時に橋本さんが隣の椅子に座った。


「ごめん――やっぱり先生に何か言われたよね?」


「そうじゃなくて――もし他のグループに入る予定とかなかったら、私のグループに入らない?田辺くんさえ良ければ、」


できればフィールドワークは休んで、家でゲームでもしていたかった。あとで出席しなかった言い訳ならいくらでもできる――それにしても断りにくい。相手が橋本さんだと余計断りにくい。


「えっと――じゃあ、お願いしよっかな・・」


林が不気味にクスッと笑う。馬鹿にしやがって。この女は僕が橋本さんに対して断れないのを分かった上で楽しんでやがる。底意地の悪いクソ女だ。


「良かった。じゃあ先生にそう伝えておくから、後――来週のゼミには来てね。フィールドワークのことで、色々あるから」


やってしまった。実にめんどくさい。だから人と関わるのは嫌なんだ。余計な用事が増えるばかりで、そのほとんどが実にくだらない。橋本さんには申し訳ないがフィールドワークなんて僕にとっては何の価値もない。なんで、僕に話しかけたのか――そして何故僕を誘うのか?ほっといてくれればいいのに。

しかし、橋本さんは悪い人ではない。それはいくら僕でもわかる。人見知りな僕がこれだけ話せるのも彼女くらいだ。林は別だが・・


「じゃあ――お願いします。」


「うん――気にしなくて大丈夫だから」


照れくさそうに笑いながら髪をかき上げる橋本さん。授業の件は別として、彼女は魅力的だ。それ見れば分かる。橋本さんの隙を狙っている男子が何人いるだろうか?言い過ぎかもしれないが、それほどに彼女はきれいだ。

それにしても林がいなければどれほど良かったか――フィールドワークの誘いまで受けたんだ。こいつにはこの場から退場していただきたい。しかし、金魚のフンのようにこいつは離れないだろう。諦めるしかない。


その後ほとんど話を聞いてばかりだったが、考えることは皆同じらしい。講義の時間以外、大学では帰宅するまでずっと音楽を聴いているため気づかなかったが、皆あの事件の話をしているらしい。ゾンビオタクにとって人が食べられる事件というのは興味深い。

2012年フロリダ州マイアミで、ホームレスの男性が顔の80%を食いちぎられたという事件が起きた。これを世間ではマイアミゾンビ事件という。この事件はドラッグによる幻覚が原因だと言われているが、一部ネット上では製薬会社や政府が絡んでいるという、都市伝説のような話もある。

基本的に一部のまとめサイトしかみていなかったため、全く知らなかったが 世間では噛み撮りという友達や恋人同士で噛み付き合い、写真を撮ることが流行っているらしい。SNS上には様々な「噛み撮り」がアップされているということだった。


「まあ変わった事件だったからね――東京で起きた方は人身事故だと思ってたんだけど、噛まれたっていうのは本当だったんだ?」


「どうなんだろう、面白がって言ってるだけのような気もするけど――流行りじゃないかな?」


ブームというのはすぐに飽きられるものだ。しかし今回の事件はゾンビファンの間で永遠に、語り継がれることになるだろう――少なくとも僕は忘れない。


「あっ!そうだ先生の研究室に行くんだった。ごめん田辺くん――じゃあ私先に行くね。まどか先に授業行ってて」


「私はもう帰るから――また明日」


林の話し方は不愛想に聞こえるが僕も人のことは言えない。それに。もしかしたらこういう話し方なのかもしれない。


「あっそうだった。じゃあまた明日」


「じゃあ橋本さん――来週のゼミには顔を出すから」


橋本さんが行ってすぐ、そろそろ自分も次の授業に行こうと立ち上がったところで、隣の椅子に携帯をみつけた――おそらく橋本さんが忘れていった物だろう


――(授業まで15分あるし、持っていくだけなら間に合うか)


学食は人が多過ぎるため普段は利用しない。基本的に人のあまりいない静かな講義室の方が落ち着くし、何より周りを気にしなくていい。しかし、たまには学食も良いものだと、そんなことを思いながら、飲み切ったペットボトルをゴミ箱に捨て、僕は研究室のある建物へと向かった。



(確か先生の研究室は3階だったよなぁ・・)


入ってすぐの所にある建物の見取り図で、先生の研究室がある階を確認していると、3階に「井上教授」という文字を見つけた。ここには階段もエレベーターもあるが僕は基本、階段を使う。理由は特にない。

階段を登り切り、3階についた。

いつも思うが、この階は何というか――静かだ。2階には各講義室があるのだが、授業開始10分前ということもあり、人が行き交い、ザワザワしている。その足音や声が、反響してここまで聞こえてくるのだ。それが微かに響きわたり、どこか物悲しい静かな空間を作り出している。


先生の研究室は奥から2番目だったはず・・

携帯で時間を確認すると授業まであと10分。何とか間に合うだろう。今思えば林にわたすという方法もあった。そっちの方が楽だったかもしれない。あいつなら変に緊張するともない――しかし、ここまで来てしまっては仕方がない。

僕は通路の角を曲がった。

次の瞬間――時間が止まったかのような感覚に襲われた。

目の前の光景が理解できない。


――橋本さんと井上先生が抱き合っている


何か言うべきなのか・・・考えようとするが何も思いつかない。声も出ない。

あれ、おかしいなぁ――自分がひどく動揺しているのが分かる。だが何に動揺しているのかがわからない。


その時、橋本さんと目が合った。


「あっ、田辺・・くん・・・」


彼女は驚いた様子で、僕の名前を呼んだ。


――(分からない――何て言えばいい?)


自分に問いかける・・が・・何も出てこない。何も考えられない。

ただ動揺していることを悟られたくなかった――でも、それが何故かも分からない。

僕は耐えきれず逃げ出した。頭の中は真っ白だったが、それでもただ走った。その場から走り去ることしかできなかった。

逃げる時、先生と橋本さんの声が聞こえたような気がした。


――(何に動揺してるんだ?橋本さんは何でもないじゃないか?ただの友達だ)


建物の外に出ても、足が止まることはなかった。



バス停に着いた時、僕はもう授業のことなんてどうでもよくなっていた。

少し落ち着いてきた気がして、軽く深呼吸をし、辺りを見渡した――『入居者募集』

その看板からさらに目を右にやると、隣にいた林と目が合った。


「もう帰るの?」


まったく気づかなかった。

それにしても、こういう時に限って話しかけてくるこいつは何なんだ。


「う・・うん。なんか体調悪くて」


僕は意味もなく――笑って誤魔化した。


「――そう」


普段話しかけても来ないくせに、こういう時だけ話しかけてくるこいつは一体何なんだろうか。

落ち着きつつもまだ少し動揺していたが、林を見て橋本さんに携帯を渡しそびれたことを思い出した。


「あっそうだ。さっき橋本さんが携帯忘れていったみたいなんだけど、僕より林さんの方がよく会うだろうから、これ――渡しといてくれない?」


僕はカバンから橋本さんの携帯を取り出し、林に渡した。


「そういうこと。・・分かったわ」


林は一瞬、僕の目をじーっと見つめた後、不気味な笑みを浮かべた。

その後、彼女は到着したバスに乗り帰って行った。

林の「不気味な笑み」の理由も気になるが、今は何も考えられない。

いや――興味がないだけかもしれない。


バスに揺られながら、研究室前で見た動揺の原因について考える。今時、大学教授と生徒の恋愛なんて珍しいことじゃない。みんな、知らないところで好き勝手やりたいことをやってる。僕が知らなかっただけだ。

一瞬でも、世の中に希望を見出そうとした自分のミスなのだ。


人生において、希望や夢を求める事はやめた方が良い。また、人付き合いは必要最低限に止(とど)めるべきだ。

ストレスのほとんどは、人と関わることにより生じる。ストレスとは、精神のパラメーターが下がる過程で生じるものだ。そして上がったものは、必ず下がる。つまり、精神の幸福度を上げず、一定の状態をキープすることが望ましい。そう考えれば自(おの)ずと、さきほど言った答えが導き出される。


希望や夢を捨て、人付き合いを回避する。


これが最も望ましい生き方なのだ。


――みんな死ねばいいのに・・・


僕はそう、心の中でつぶやいた。



*****************************



気が付くと、僕は繁華街に来ていた。先ほどのことがまだ頭から離れない。

ここはギターの弦やピックを買いによく来ていた。こんな僕も以前は夢見る純粋な青年だった。揚げを食べ、締めにマンゴージュースを飲んで帰る。これがお決まりの日常だった。

そんな以前のことを思い出しながら、洋服店やアクセサリー、飲食店が立ち並ぶ、大通りに面した人の行き交う道を歩いていると、商店街の入り口の前で可笑しな演説をしている人を見つけた。


「いいですか皆さん! 世界の滅亡はすぐ傍(そば)まで来ております。もはやこの日本は安全な国などではありません。人が人を喰らい、襲われる――こうした事件が今年に入ってから今日までに、日本国内で12件も起きております」


元気な婆(ばば)あだ。実は新小岩駅で人喰い事件が起こる1ヶ月ほど前にも、これと似た事件が起きていた。その時は特に何とも思わなかった。しかし、12件とは知らなかった。


「滅亡はすぐそこまで来てるんです。報道に圧力をかけ、政府はこれを公表しようとしません。いいですか皆さん!この真実から目を背けず、向き合ってください!ことが起きてからでは遅いんです!今気づいている者だけが、生き残れる!」


こういうアホくさい演説も普段なら気にもかけないが、元々興味のあった事件だけに少し聞き入ってしまった。その場にいた女子高生の何人かが、冷やかしに「頑張ってください」などと言って記念撮影をしている。あとで知ったのだが、BBA(ばばあ)とJKの2ショット写真と「皆さん。日本が滅びるらしいです。噛まれないように気をつけましょうw」というコメントがSNSにアップされていたらしい。


――終末はまだ先だなぁ・・


何となくそう思った。




20××年6月17日(土)

あれから学校には行っていない。橋本さんに会った時、どう接すればいいのか分からない。来週のフィールドワークも行かないだろう。橋本さんとのあの一件を、失恋というのならば、それは初めてではない。高校生の頃にも一度あった。その時の状況も今回と似ている。その時も僕は運悪く、当時好きだった女性と別の男子生徒が、付き合うだの何だのと話している場面に出くわしてしまった。

後悔の念をため息で振り払い、リモコンに手を伸ばした。

なんとなくつけた画面に映し出される。魅力的な文字と活気。


――『大学病院内で暴動! 死者多数』


これが始まりだった。

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