第3話 君こそが、ファンタジーだ!
――「急におじいさんが起き上がって、噛みついてきたんです!」
――「叫び声が聞こえて――人が襲われて!」
――「食べられてたんです!――人が食べられてたんです!」
昨日、大阪の大学病院で暴動が起きた。それから、どのチャンネルもその話題で持ちきりだ。詳細は不明とのことだが、建物内から逃げてきた人がテレビで取材に答えている。
――人が食べられた
またしてもこの事件だ。
――(事件は12件起きており、ことが起きてからでは遅い)
あの可笑しなおばさんの演説を思い出した。
非日常的なニュースというのは刺激的で、相変わらず面白い。説明しようのない興奮がある。大げさかもしれないが、非日常とは、この世で味わえる、唯一のファンタジーなのかもしれない。
中継は一度打ち切られ、スタジオに戻された。コメンテーターは、「心配ですね」とお決まりの一言――この中で、いったい何人の人間が本気で心配しているのだろうか?
同情よりも好奇心で、このニュースの真相を知りたいというのが本音だろう。
自分の考えが、それほどずれているとは思わない。何故なら、彼らにとっても非日常は、魅力的なものに違いないからだ。
その日、病院は安全性への配慮から一時封鎖されたということだが、それ以上の進展はなかった。
*****************************
靄(もや)がかかったように、前が見えない
すると、人影が朧気(おぼろげ)に見えた。
目を凝らすと、それは初恋の女性だった。
「――・・・――・・・――・・・・」
何かを言っているようだが、聞こえない。
「な・・んて――行ってるの?」
声が出ない。彼女に近づこうとするが、うまく走れない。
「なんて言ってるの?」
一瞬、声がちゃんと出た。
『――食べていい?』
低く感情のない声が耳元で聞こえた瞬間、視界は暗闇に包まれた。
はあっ・・はあっ・・はあっ・・・
目が覚めると体中、汗びっしょりで軽く息をきらしていた。
にしても不気味な夢だ。最近「食べられる」というワードを聞き過ぎたせいだろうか・・
時計を見ると、昼の1時を過ぎていた。ひどい夢だったが、何より初恋の女性に会えたことで気分は良かった。それに汗をかいたことでさっぱりしていた。
着替えた後、昼食を食べながら昨日起きた病院でのニュースに、何か進展はないかとチャンネルを変える。が、どのチャンネルもやっていない。ただ、まとめサイトには暴動関連の記事がいくつかあった。
“ニュースに出てたBBAの腕見てみろ、噛まれてるぞ”
“これが人類滅亡の始まりかぁ・・・怖いんご”
“死んだじじいが起き上がったらしいw”
あれから何度か報道はあったらしいが、とくに進展はないようだ。コメント欄を見ていると、みんな事件の真相を知りたがっているようだった。中には “封鎖は政府の隠ぺい工作だ”というコメントもあった。
この事件の全容は分からない。今分かっているのは、病院内で人が大勢襲われ、死者も多数出ているということだけだ。それもそのはず、どうやら事件から一日たった今になっても、まだ、病院は封鎖されたまま、中の様子は分からないらしい。
テレビを消した後リビングで一人ぼ―っとしていた時、不意に思い出してしまった。
明日の授業はどうしようか?橋本さんと井上先生の姿が頭に浮かんだ。出てほしいと言われていたゼミだが、もう行きたくない。フィールドワークなんてもう無理だ。うっかり橋本さんに会うのも嫌だ。今週の授業は休もう。他の授業の出席日数は足りているし1回や2回どうってことない。
20××6月29日(木)23時50分
目が覚め、重い体を起こしながら机の上のタバコとライターを取った。
外に出て、起きてから最初の一服をしようとタバコを漁るが、切らしていたことに気づいた。
財布と携帯を取りに戻った後、コンビニへ行くことにした。
コンビニの外で「最初の一服」をしながら、コーヒーを一口すする。タバコを吸い始めて1週間ほど経つ。これが馴染むとなかなか美味い。
あれから大学へは行っていない。フィールドワークにも行かなかった。明日は行けたら、行こうかと思っている。大学病院での出来事に関して、あれから報道はされておらず、ネット上では、なんらかの圧力だというコメントが目立っていたが、次第にそれもなくなった。今日までに、似たような記事をいくつか見たが、テレビでは報道されておらず、真相は分からない。
タバコを一本吸い終わったところで、携帯の時計を確認すると、夜中の12時半を過ぎていた。またタバコを一本加え、僕は自宅の方へと歩き始めた。
住宅街を通り抜ける風の音と、小さな無人の交差点。暗闇の中、不気味に点滅する信号と、オレンジ色の電灯。あそこにある電灯だけ何故オレンジ色をしているのかと、興味のない疑問を抱きながら、タバコの煙を漂わせ闇を歩く。角を曲がり、住宅街の中を、丁度一つ目の電灯まで進んだ時・・・
――ムシャッ!
何か、微かに音が聞こえた。
――ムシャッ ムシャッ!
その音は道を進むにつれ、少しずつ大きくなっていく。
――ムシャッ・・ガランッカラン・・
何か気味の悪い音。あと何か、金属が地面に当たるような音がする。
次の曲がり角に差し掛かった時、音がその先から聞こえてくるのが分かった。
――ムシャッムシャ!
息を潜め、ゆっくりと角を曲がった。
――ムシャッムシャッムシャッムシャ・・ムシャムシャムシャムシャ!
その瞬間、僕は体が凍り付き息をすることも忘れ、指に挟んでいたタバコを落としてしまった。バチバチッと音をたて、点滅する電灯がその「何か」を照らす。
――誰かがうずくまりながら、「それ」を食べている。
それが人の腕であることは、うなだれた手のひらを見て、すぐに分かった。その横には、片腕のない男性が地面に横たわり、ブルブルと痙攣しているように見える。腕には金属バットを持っており、その金属バットが地面に当たり、音をたてている。
カランカラン・・・ガランガラン・・
男性の手からバットが零れ落ち、地面と擦れる音を住宅街に小さく響かせながら、僕の足元まで転がってきた。
――体が動かない
奇怪な音をたてながら、人の腕を食べている「それ」は、まだ僕に気づいていない。
目の前の「それ」に震えながら、足元のバットを静かに拾った。そして、小さく一歩ずつ近づく。
自分が何をしようとしているのか、それは分かっている。しかし、自分が何故そんなことをしようとしているのかが、分からない。
僕はバットを構えながら、一歩一歩、「それ」に近づいた。
キュッ――!
近づこうとした時、履いていた靴と地面の擦れる音が、微かに響いた。それと同時に、聞こえていたムシャムシャという音が、ピタッと止んだ。前を見ると、「それ」がゆっくりと、こちらに振り向こうとしている。
体が熱くなり、呼吸が速まる。
――目が合った
白濁したような瞳が、電灯の灯りに反射して、こちらを見ている。僕は固まり声も出せず、バットを握り占めるのがやっとだ。すると「それ」は起き上がり、こちらに向かってくる。
――アアァァァ・・・アァァ・・ウゥ
低い唸り声を出しながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
僕は頭が真っ白になりながらもバットを握りしめ、近づいてくる「それ」の頭上にバットを振り下ろした。
ぐにゅ!バキ!グシャ!ぐにゅ!
振り下ろしたバットが頭皮ごと頭蓋骨を砕き、中身をえぐる感触が伝わる。その瞬間手と腕に痛みを感じた。
(違う・・望んでない・・・そうじゃないんだ)
僕が夢見てきた映画の世界。それとはまったく違った光景が目の前にあった。簡単だと思った。ただバットを握りしめ、相手の頭上めがけて振り下ろせばいい。ただそれだけのことだと思っていた。
アアァァァ・・・アァァ・・ウゥ
――しとめきれてない
ゾンビが起き上がろうとしている。僕は恐怖からとっさに逃げ出した。
ハァハァハァ――
僕はがむしゃらに走り続けた。振り向くこともなく、ただ逃げる事しかできなかった。
映画やゲームのようにはいかない。これじゃあダメだ。
僕はただ走り続けた。
震えが止まらない。僕は家に入り、玄関の前で立ち尽くしていた。
ふと我に返り、バットを持ってきてしまっていたことに気づいた。手のひらを見ると、親指の付け根が少し裂けて、そこから血が出ている。
手に痛みは感じるが、まだ頭が真っ白だ。震えを抑えながら、僕は無意識に近い状態で、外に出てタバコを吸い始めた。左手にある血と肉片のついたバットを眺めながら、タバコをふかす。その時、あることに気づいた。
――僕は、笑っている。
自分の顔に感じる違和感を手で確かめると、自分は確かに笑っているようだった。
僕は自分が壊れていくような気がした。
しかし、直ぐに壊れてなどいないことに気づいた。
僕は幼いころ、よくいじめられた。高校生になる頃には、それも少なくなっていたが、まったくないというわけでもなかった。おそらく「癖(くせ)」がついていたのだと思う。今でもそれは変わらない。何も変えられない自分に失望し、日常に退屈していた。思い描いていた理想も理想のまま終わり、思いを寄せた相手にも振り向いてもらえない。
そんな、夢や希望が、ただの妄想へと変わっていくこの世界に絶望し、気づけば絶望すらしなくなった。そして、画面の中の主人公が、ゾンビをバットや刃物で殴り潰す姿に憧れた。だけどそんなものが存在しないことは、もちろん分かっていた。ファンタジーもゾンビも存在しない。でも悲観もしなかった。何も感じなかったから・・・
気づくと、僕は心の中で一つの言葉を呟くようになっていた。
――みんな、死ねばいいのに
何度も何度も繰り返し、毎日呟く。
――僕は抜け殻になっていた。
でも・・・
僕はさっきの光景を思い出していた。人を食べる何か。潰れる頭。手に残るあの感触。すべてが鮮明に思い出された。
そして僕は気づいた。壊れてなどいないことに。これは僕が夢に見てきたこと、そのものなのだから。
――ファンタジーはある
僕は今度こそ笑った。自分の意志で。心の底から。
そして、タバコをふかしながら、元来た道を戻った。
少し歩くと、小さな空き地のある道の真ん中に、「それ」はいた。いや――違う。これはゾンビだ。ゾンビは、地面を這いずりながら、こちらに来ようとしている。そこには、僕とゾンビと闇だけがあった。
「生まれてきてくれて、ありがとう。そして・・教えてくれて、ありがとう」
僕はこの状況に感謝しながら、そう言った。自然と頬に涙が流れる。感動の涙が。這いつくばるゾンビを、目の前にした瞬間から、僕は気づいていた。僕は辛かったのだということに。ただ、あまりにも辛すぎるから、自分から目を背け、絶望も悲観も、何も感じないフリをしていただけだったのだ。それを「彼女」は教えてくれた。何故なら、今僕はこれまで経験したことのない、感動と喜びを感じているから。
――アアアッ・・アッアッウウ
「君こそが、ファンタジーだ!そして、それはここから始まる」
――ありがとう
グシャッ!
・・・
僕は力一杯、バットを彼女の頭上へと振り下ろした。
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