新生の咆哮、サイドチェストの福音

 一年後。再び、あの因縁の「節分」の日が巡ってきた。


 場所は、あの都心の公園。冬の澄んだ空気の中に、どこか浮ついた、そして残酷な高揚感が漂っている。昨年の「鬼フルボッコ動画」で味を占めたインフルエンサーたちは、さらなる「バズ」を狙い、去年を遥かに凌ぐ規模の「超バズ豆まきオフ会」を企画していた。


「おい、例の動画、今も再生数伸びてるぜ。今年もあのクソ弱ぇ鬼、来るかな?」


「来るわけないじゃん。あんな泥水すすらされて、今頃どっかの山で野垂れ死んでるよ」


 インフルエンサーたちは、最新鋭の回転式豆射出機ガトリングガンのメンテナンスに余念がない。マガジンには、全国から取り寄せたという、硬く乾燥した特選大豆が数千発装填されている。彼らにとって、これは伝統行事などではなく、ただの一方的な娯楽に過ぎなかった。




ズズン…ズズン…




 そこへ、地響きが轟いた。


 公園を囲むビル群に反響するような、重く、腹に響く足音。

 群衆のざわめきが、一瞬で凍りつく。


 霧もない都心の広場に、あたかも吉野の霊峰をそのまま背負ってきたかのような、巨大な影が姿を現した。


 現れたのは、漆黒の修行服を身に纏った巨漢。しかし、その服はもはや「衣服」としての体をなしていなかった。内側から爆発せんばかりの筋肉によって、縫い目は弾け飛び、布地は皮膚の隆起に耐えかねて無惨に裂けている。


 かつて泥水をすすった赤鬼――赤城あかぎである。


 だが、その姿に、一年前の「魔」としての卑屈さは微塵みじんもない。

 肌は磨き上げられた紅蓮の鋼のように輝き、血管は吉野の渓流のごとく太く、力強く全身を駆け巡っている。一歩踏み出すたびにアスファルトが悲鳴を上げ、周囲の気温が、赤城の放つ圧倒的な熱量によって数度上昇した。


「おい、あれ、去年の赤鬼か? いや、デカすぎんだろ…!!」


「なんだよあの体…。CGじゃないのかよ!?」


 恐怖と困惑に駆られたインフルエンサーが、反射的に叫んだ。


「ターゲット確認! 全門解放! 撃てーーー!!」


 再び、ガトリングの掃射が始まった。


 一秒間に数百発。物理的な暴力と化した「福」が、赤城の全身を襲う。


 しかし、赤城は一歩も引かなかった。彼はあえてその場に立ち止まり、深く、深く、法螺貝の行で鍛え上げた肺に空気を吸い込んだ。


「無駄だ」


 赤城が全身の筋肉に一気に力を込めた。


 刹那、驚愕の光景が広がる。


 飛来する数千発の豆が、赤城の鋼鉄の大胸筋、そして岩石のような腹筋に触れた瞬間、パァン! パァン! と、まるで乾いた銃声のような音を立てて木っ端微塵に砕け散ったのだ。

 それは「攻撃」ではない。赤城にとっては、心地よい刺激。剛念と共に耐え抜いたみたらい渓谷の激流に比べれば、そよ風にも等しい。


「お前たちが撒いているのは『福』ではない。ただの弱さの裏返しだ」


 赤城の声は、地鳴りのように群衆の心臓を震わせた。

 彼はゆっくりと、最もドローンが美しく自分を捉えられるポジションへ進み出た。そして、剛念の教えを胸に、己の魂を「形」にするための究極のポージングへと移行する。


「見よ! これが吉野の霊峰で掴んだ、真の……内なる福だッ!!」


 赤城が渾身の力を込めて叫んだ。


「サイドチェストォォォォ!!」



 ドォォォン!!



 周囲の空気が物理的な衝撃波となって拡散し、立て看板がなぎ倒される。


 斜めに構えた分厚い胸板、そしてはち切れんばかりの上腕二頭筋。そのバルクは、もはや「鬼」という概念を通り越し、人々に畏怖いふと、それ以上の感動を呼び起こした。


 あまりの美しさに、インフルエンサーたちは指を止め、スマートフォンを落とした。

 そして、誰からともなく、拍手が始まった。それは嘲笑でも、恐怖でもなかった。純粋な強さへの、そして徹底的に鍛え上げられた肉体という誠実さへの、心の底からの称賛だった。


「ナイスバルク! 鬼、ナイスバルク!」


「仕上がってるよ! 鬼の肩、メロンよりデカいぞ!」


「美しい……! これが、本物の『鬼は内』か!」


 広場は、一瞬にして筋肉を讃える熱狂の渦へと変わった。


 赤城は、かつて自分を笑った者たちに背を向けることなく、堂々とそのポージングを維持し続けた。豆を投げつける暴力は、いつの間にか「筋肉コール」という名の祝福へと浄化されていた。


 これこそが、剛念の言った「改心」の正体だった。


 奪う力ではなく、魅せる力。畏怖させる存在から、勇気を与える存在へ。赤城は自らの筋肉をもって、剛念の教えを具現化したのである。




 騒乱の終わり、赤城が静かにその場を去ろうとした、その時。一人の少年が駆け寄ってきて、そっと一粒の豆を差し出した。


「鬼さん、来年も…来てくれる?」


 赤城は、丸太のような指でその豆を優しく受け取り、一年前には想像もできなかったような、穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ。来年は、もっとデカくなって戻ってくる」




* * * * *




 一方、吉野の宿坊では。


 剛念が、液晶画面に映る赤城の勇姿を、プロテインシェイカーを振りながら見つめていた。


「…まだまだだな。右の大腿四頭筋だいたいよんとうきんのカットが甘い」


 剛念の隣には、かつて更生した青鬼が、自重トレーニング用の巨大な丸太を軽々と担ぎながら頷いている。


「剛念様、次はあいつ、どの山に連れて行きますか?」


「そうだな。次は世界遺産・熊野古道を鉄下駄で往復だ。赤城には、まだ『広背筋の厚みが足りない』と伝えておけ」


 剛念の修行に終わりはない。


 この宿坊には、明日もまた、現代社会で居場所を失った「はぐれ鬼」たちが、救いとバルクを求めて門を叩くだろう。



福は内、鬼も内。

筋肉も内。



 奈良・吉野の冬空に、プロテインをシェイクする力強い音と、法螺貝の音が重なって響き渡る。


 それは、弱さを切り捨て、強さを分け合う、新しい時代の節分の音であった。



(完)


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