美容師だから小説が書けた。

ねここ

美容師の私。

 私が小説を書き始めた理由、それは私の本職、美容師の師匠の話を書きたかったからだ。


 生まれて初めて書いた小説は師匠の物語。

 参考書のような文章に愕然とし、全く違うジャンルで学ぼうと書いたのが漫画で読んだ異世界恋愛系。


 私の人生はずっと美容業に捧げてきた。



 小説の知識ゼロ。経験ゼロ。ラノベという言葉さえ知らなかった。



 何一つ知識のない中で、書いていた三作目の作品がコンクールに入賞し、突然書籍化が決まった。


 ど素人の、それも何も知らない私がなぜ過大な評価を受けたのかと、冷静に自己分析すると、私が小説を書けた理由は美容師だから、そして師匠がいたからだと気がついた。

 


 師匠から学んでいる人の心理や行動、お客様の視線の動きや所作、服装や持ち物、そして使う言葉から、その性格や考え方を推測し、対応する。


 主観的にお客様を見るのではなく、いかに客観性を持ち見極めてゆくか、そしてお客様の心が動く瞬間、それを常に追いかけている。


 それらを師匠から学び経験しその全てが三作目の小説に投入されている。

 

 師匠無くして、小説を書く私は存在しない。師匠がいなかったら小説は書かなかった。

 



 私に多大な影響を与えた師匠との出会いは中国だった。素晴らしい美容師がいると現地の美容師に聞き、会うことにした。

 

 生意気な言い方かもしれないが、私は、同業者を、美容師を見る目だけは持っている。

 

 今日まで沢山の美容師の技術を見てきた。その数、千人以上。海外を合わせたらもっとだ。


 日本を離れる前は都内で美容師をしながら、美容系の上場企業(その頃は上場していなかった)で美容師の技術力を判定する仕事をしていた。


 その前はヘアカラー剤などを作る美容メーカーに勤めていた。普通の美容師以上に美容師の技術をみる機会が多かった。

 

 もちろん私自身も普通の美容師であり、身の程は弁えている。


 けれど、美容師を見る目は絶対にある。これだけは言える。



 そんな私が、出会ってその日に弟子入りを決めた美容師は今の師匠だけだ。断られたが、勝手に付き纏い弟子の座を得た。



 師匠は日本の美容技術、マーケットにジレンマを感じ、ビジネスの本場、アメリカに渡った。


 そこで全く英語が話せない中、ヴィダルサッスーン(建築からカット技術理論を確立した美容の神様的存在)の最高位クラスに入れてくれと直談判し、追い返され、それでも何度もしつこくチャレンジし、最終的にOKをもらい、トップで卒業したアグレッシブな人だ。


 その実績を買われ、中国の美容業界からオファーがあり中国に行った。


 アメリカで学んだ顧客中心の考え方、それに対する技術、全ては自分の問題だと言い切る姿勢。



 一見その筋の人に見える風貌とオーラ、美容師じゃなければ怖くて話しかけられない迫力ある師匠はやっぱり負けん気が強い。


 現地の言葉で美容師と喧嘩がしたい(?)と全く話せなかった中国語を独学で覚え、字幕なしに中国語のドラマを見られるようになった。


 そんな情熱と根性を持ち合わせた美容師だ。



 ヴィダルサッスーンといえば、私も学生の頃そのカットコンテストで準優勝をした経験があった。当たり前だが、超一流美容師がいる憧れの場所。兎に角、正確なカットを技術を求められる。


 師匠との縁はまさしく美容の神様が与えてくれた縁である。

 

 師匠の技術は当たり前に素晴らしいが、ここでは割愛する。話が終わらなくなる。

 


 師匠はいつも平常心、どんなお客様が来ても同じ意識で仕事をする。ヘアーショーなどのステージに立っても美容室と同じ仕事をする。


 驚くほどのお金持ちのお客様でも、数年に一度しか来店されないお客様でも常に平等。

 それが有名人だろうが全て同じお客様だからだ。


 急いでいる姿や、焦っている姿など見たことがない。

 

 そんな姿を師匠の前で曝け出した日には鍛錬が足りないという視線で見られる。

 これこそ悔しさに奥歯を噛むってやつだ。


 

 師匠の顧客様はレベルの高い方がとても多い。

 レベルが高いと言えばお金持ちを連想しそうだが、レベルが高い=お金持ちではない。

 


 師匠の言うレベル高いお客様は自立心あるお客様を指す。



 これは私の全ての小説のテーマだ。



 自立心あるお客様は常に成長している。

 

 本物だと認めたらプロに任せる度量もある。

 餅は餅屋という言葉を実践できる人格と、プロを、自分を成長させてくれるパートーナーのような存在だとリスペクトしてくれるお客様だ。

 

 共同作業でヘアスタイルを作る意識を持ち、カット中にスマホなど見ない。

 姿勢正しく前を向く。

 

 ちなみに、カットの最中お客様の首が1°傾けば、当たり前に髪の長さは変わる。

 左右の長さが違うなど、美容師の問題とともに、お客様の問題でもある。


 左右同じ長さに切ってもらいたければ、正しい姿勢で腰掛ける。


 お客様の協力も必要なのだ。



 師匠のお客様の見極めに背筋が凍りつく時もある。何気ない一言でお客様の性質を見抜き、ヘアスタイルにそれをカバーする要素を加えたりする。


 これは他人が見た時に『なんとなく印象が良いなぁ』と、感じるニュアンス。

 これこそが美容師の仕事。


 そして、それは小説の言葉を紡ぐときととても似ている。

 


 師匠はカット中ベラベラと話をしない。

 カット中に技術者が世間話をするなど師匠が最も許せない行為だ。

 その理由は集中力の分散、そして時間生産性だ(カットに数時間もかかったら店が潰れる)

 

 確かに、小説を書きながら、ベラベラと人と会話などできない。気が散って無理だ。

 美容師だって全く同じだ。

 

 真剣になるべき場所は意識を分散してはいけない。


 特に、カットのし始めはアウトラインをいう重要な場所を決める。

 話している場合ではない。


 意識の分散は仕上がりに直結する。だからカット中、話はしない方がいい。


 私たち美容師はその時間、目の前のお客様のことだけを考えたい。


 それが仕事だからだ。


 

 このような考えを持っている私の師匠。

 そのブレない意志を目の当たりにし、私はそのマインドを小説に向ける。


 これが私の本職に対する情熱と向き合い方であり、ど素人でも小説を書けた理由だ。

(誤字脱字が多いのでその辺のポカも美容と似ている)



 少し話は逸れるが、昨今美容師の免許を取っても簡単に辞める人間の方が多い。

 確かに、美容師は大変な仕事、勉強もし続けなければならないし、個人店では社会保障などもない。手も荒れる(人による)楽しさはあっても楽はできない。


 安易に手に職を、と考え美容を目指す若者がいたら言いたい。


 その努力ができるのか?と。


 お客様に、次の来店まで手を煩わせることなく楽にヘアスタイルを楽しんでいただくためには、その苦労を我々がしなければならない。


 美容師の苦労なくしてお客様の楽はない。そしてお客様はそこにお金を払う。

 

 これは世の中の仕組みと同じ。便利の裏には不便がある。

 不便を担ってくれる人がいるからこそ、便利なのだ。


 努力をし続けられる人間が、お客様から選ばれている。

 華やかさの裏側には恐ろしいほどの努力がある。


 しかし、人の努力はそうそう見えない。

 

 だから人は安易に天才という言葉を使う。

 これは真剣に努力をし続ける人間に対し、無神経な言葉だ。

 

 決して褒め言葉ではない。


 努力している人間はそうそう人を天才と言わないのだ。



 楽して人気美容師になった人は一人もいない。

 それは人気ある小説家の先生方も全く同じだと思う。


 だからこそ、小説家を目指し正しい努力をし続けている方々は必ず光を浴び、そして残り続ける。もちろん、私のような中途半端な人間が残れる甘い世界ではないと自覚している。


 それでも、これからも、目的の小説が書けるまで書き続けるけれど、私は目の前のお客様に嬉しいと言われる師匠のような美容師になることが真の目的だ。



 なぜなら私は美容師で、美容師でいるからこそ、小説が書ける人間だからだ。


 

 

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