鈴と嘘
――……シャーン……シャーン……――
清らかな鈴の音が響く。神主の手には、布がついた棒が握られている。その音が、ある記憶を呼び起こした。
『……これが気になるのですか、弟君。これは
はらはらと布が舞う。
からからと鈴が鳴る。
「……だめ、鎌鼬! 下がっ――」
普段大人しい兄が、かん高い声で叫んだ。しかし、最後まで言い切らずに別の声が響く。
「
「いきなり何です」
「喧嘩なら買うわよ!」
兄は一瞬、ポカンとした表情を見せた。多分予想外だったのだろう。そのまま少し間が空いたが、彼は再び音を発した。
「鎌鼬、ごめん、我が一歩遅かった。とにかく一旦待って。鈴彦様も止めて下さい!」
それに呼応したのは、妖しのやや固い声。
「お、いたいた」
「しかし申し訳ないですが、止めることはできません」
「だってこいつが止まらないもの」
彼らの間にはビリビリとした剣呑な空気が立ちこめていた。実際、どんなに兄が声をかけても神主が止まる気配がない。以前は、吾の話がどんなに拙くとも、どんなにくだらなくとも聞いてくれたのに。
なぜ止まらないのか。
今言葉をかけているのが兄だから?
そんなはずはない。人を選ぶような人じゃない。
では、兄の声が聞こえていないのか。
それこそあり得ない。先ほどまでいつも通り会話できていた。
今、兄は、より大きい声で言葉を投げている。
では、なぜ、止まらない?
吾が様々な変化の中に取り残されている中、兄は何を思ったか静かに動いた。神主の背後に周り込んだと思った瞬間、神主の膝裏に蹴りを入れて神主を倒した。
次に兄は急いで直垂を脱ぐと、後ろに転けた神主を襲おうとした鎌鼬姉妹に引っ掛けた。良い具合に頭に被さった所でそのまま手前に引き回り込むと、前のめりになった彼女らの足にとどめを刺した。そして布越しに二人を抑えつけながら、特に何もしていない長男を睨むと、彼は苦笑いをして二三歩引いた。
「ふう……。もう、皆話聞いてよ……」
兄が愚痴をこぼすと、彼の手元や正面から文句が溢れた。
「話は聞いてたぞ。先に手出してきたのはあっちだ」
「そりゃやられたらやり返しますよ。自然の理です」
「大人しく黙ってるわけないじゃない。それと星さん、離して」
もぞもぞと布が動いている。いくら兄が全力で押さえていても、妖しを二体もとどめることは出来ないはず。であれば、鎌鼬が兄に対して加減しているということ。気は短いけれど、理性はあるということか。
「もう暴れない?」
静かに兄は尋ねた。
「考える」
「あのね、鎌鼬。妖しと人とでは力に大きな差があるんだよ」
「存じてます」
「人を無闇に攻撃しちゃ駄目だからね」
「次からは気をつけるわ」
やりとりが酷く単調に聞こえる。これが、彼らの間合いなのだろうか。それとも、ただ適当にあしらっているだけなのか。
「………………」
「なあ、星、もういいだろ」
「そろそろ離してやって下さい」
「そもそも、わたし達がやられたらやり返す質だって知ってたでしょ。今更よ」
兄は俯いたまま一言も発さなかった。その心を探ろうにも、位置が悪い。長い髪に隠れて、表情が全く見えない。
「おい、星?」
「どうしました」
「聞こえてる?」
鎌鼬が若干苛ついてきている。一旦、兄を引かせた方が良いだろうか。しかしやはり、吾が動くよりも先に兄が動いた。彼は手を緩め、鎌鼬姉妹を解放するも、俯いたままその場で座り込んでいる。その弱々しい様子に、鎌鼬も違和を感じたようだ。
「星?」
「……我、鎌鼬に」
「ん?」
「命、かけたんだよ」
か細く震える声に、鎌鼬は押し黙った。自分達の知らない所で、人が自分達に命をかけたのだ。そりゃ、何も言えなくなるよな。
吾には兄の背中しか見えないのに、煌めく雫が落ちた気がした。
「お、おい、泣くな。悪かった、悪かったって」
「……そう、だよね。責任とか、嫌いだもんね」
「いや、えっと……ほら、言葉は取り返せませんし、こうなった以上は、僕らもそれ相応に動きますよ」
「ううん。気にしなくていいよ。我が、勝手にしたことだから」
「でも、それじゃあ不公平だわ。あくまでも対等、って約束したじゃない」
「……それにね」
兄は頭を上げた。
「皆が約束を守ってくれるのは嬉しい。けれど我は、皆の最大の良さは、自由気ままで、一つの物事に囚われない所だと思ってるの。だから……うん。やっぱり気にしなくて良いよ。自分の不始末は、自分で片づけるから」
今、どんな顔をしているのだろう。鎌鼬の反応からして、不自然な面をしているのは間違いない。鎌鼬は困ったように互いに目を合わせ、再び兄に向き直った。
「分かった、約束するよ。無意味な戦いはしないから」
「そんな顔しないでください」
「星さんに泣かれるのは、何だか困っちゃうわ」
旋が兄を抱き寄せ、朔が兄の涙を拭い、舞が言葉をかけ続けている。
妖しが、人を気遣い、慰めている。
そんなことって、あり得るんだな。
この光景を見た神主も同じように思ったらしく、態度を改め、久しぶりに口をきいた。
「そこな妖し。貴方達が鎌鼬ですか」
「……おう、だったら何だよ」
「今忙しいんですけど」
「後にしてくれる」
依然、鎌鼬の神主に対する当たりはきつかったが、神主は構わず続けた。
「貴方達のことは、先程星様から聞きました」
「話に聞いたなら何で襲ってきたんだよ」
「未だ顔を合わせていなかったので、そこにいるのが妖しであるということしか判別できませんでした」
「音に聞いた鎌鼬の可能性があるとは思わなかったのですか」
「至りませんでした」
「つまり、あんたにとって妖しは全部敵ってこと」
「はい」
「はっきり言いやがった」
「正直と言うか愚直と言うか……」
「ここまで来ると潔いわね」
「ただ――」
神主は一息ついて、空を見上げた。今日の空はからっぽだ。彼にはどう見えているのだろう。
「――私が間違っていたようです。星様の言う通りでした。謝罪します。それから、人を、しかも幼子を対等な他者として扱う貴方方を、脅威ではないものとして認めます」
吹っ切れたような声色だった。以前に、妖との因縁でもあったのだろうか。
「そうかい」
「分かったなら良いです」
「謝罪とか要らないわ」
「それから、星様」
神主は未だ旋の腕のなかにいる兄のそばに寄った。近づいてくる音に気づいた兄は、怯えるように、ちらりと光を覗いた。
「……はい」
「本当に、申し訳ありませんでした」
「……いえ、鈴彦様。無理を聞いてもらったのは我の方ですから。ご理解頂き、感謝します」
困ったように微笑みながら、兄はひょっこりと顔を出すと、神主に片手を差し出した。仲直りの証らしい。口には軽い牽制が乗ったが。
「でも、次は足では済みませんから」
「はは、それはご勘弁を」
そう言う二人の間には、ゆるやかな時間が流れていた。二十以上も歳が離れているのに、まるで大昔からの友人のように微笑み合っている。一年の隔たりなど関係ないようだ。
「……そうだ、鎌鼬よ。これから双子様を神社に案内する予定なのですが、貴方方もいらしませんか。これからも関わりを持つのであれば、立ち入ってはならない所など、説明しておかなければなりません。御祭神には、私の方で断りを入れておきます」
「ああ、それは有難いね」
「触らぬ神に祟りなしと言いますし」
「余計な恨みは買いたくないもの」
大事は免れた。鎌鼬が兄に手を貸して立たせ、背中を押して歩み始めた。そこに神主も加わり、何事もなかったように会話を始める。神主も鎌鼬も、過去への執着がないらしい。
(そうだ、兄は……?)
右手を旋に預け歩いている兄は、何やら左手を気にしているようだ。その隣に行ってよく見てみると、手のひらが赤くなっている。
「兄、それ、どうしたの」
「さっき地面に手をついた時に怪我しちゃったみたい」
へへへと柔らかく笑っている。そこには先程までの悲嘆や憂いはなかった。命まで懸けて、ついさっきまで泣いてたのに、いくら何でもあっさりし過ぎだろう。吾が戸惑いを隠せないでいると、それに気づいたらしい兄は、耳元で囁いた。
(嘘泣き、だよ。皆には内緒ね)
言い終えると兄は小さく舌を出した。成る程。こんな顔して、嘘つきなんだな。
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