鈴と嘘

  ――……シャーン……シャーン……――


 清らかな鈴の音が響く。神主の手には、布がついた棒が握られている。その音が、ある記憶を呼び起こした。

『……これが気になるのですか、弟君。これは幣帛へいはくといって、神に捧げるものです。祓具としても用います。我らの神社では、神に捧げる幣帛と祓具としての幣帛を完全に区別しており、祓具としての幣帛には鈴を付けています。幣帛と鈴の音の合わせ技ですから、大抵の邪は祓えますよ』

 はらはらと布が舞う。

 からからと鈴が鳴る。

「……だめ、鎌鼬! 下がっ――」

 普段大人しい兄が、かん高い声で叫んだ。しかし、最後まで言い切らずに別の声が響く。

っだあ!? 何すんだ人間!」

「いきなり何です」

「喧嘩なら買うわよ!」

 兄は一瞬、ポカンとした表情を見せた。多分予想外だったのだろう。そのまま少し間が空いたが、彼は再び音を発した。

「鎌鼬、ごめん、我が一歩遅かった。とにかく一旦待って。鈴彦様も止めて下さい!」

 それに呼応したのは、妖しのやや固い声。

「お、いたいた」

「しかし申し訳ないですが、止めることはできません」

「だってこいつが止まらないもの」

 彼らの間にはビリビリとした剣呑な空気が立ちこめていた。実際、どんなに兄が声をかけても神主が止まる気配がない。以前は、吾の話がどんなに拙くとも、どんなにくだらなくとも聞いてくれたのに。

  なぜ止まらないのか。

   今言葉をかけているのが兄だから?

   そんなはずはない。人を選ぶような人じゃない。

  では、兄の声が聞こえていないのか。

   それこそあり得ない。先ほどまでいつも通り会話できていた。

   今、兄は、より大きい声で言葉を投げている。

  では、なぜ、止まらない?

 吾が様々な変化の中に取り残されている中、兄は何を思ったか静かに動いた。神主の背後に周り込んだと思った瞬間、神主の膝裏に蹴りを入れて神主を倒した。

 次に兄は急いで直垂を脱ぐと、後ろに転けた神主を襲おうとした鎌鼬姉妹に引っ掛けた。良い具合に頭に被さった所でそのまま手前に引き回り込むと、前のめりになった彼女らの足にとどめを刺した。そして布越しに二人を抑えつけながら、特に何もしていない長男を睨むと、彼は苦笑いをして二三歩引いた。

「ふう……。もう、皆話聞いてよ……」

 兄が愚痴をこぼすと、彼の手元や正面から文句が溢れた。

「話は聞いてたぞ。先に手出してきたのはあっちだ」

「そりゃやられたらやり返しますよ。自然の理です」

「大人しく黙ってるわけないじゃない。それと星さん、離して」

 もぞもぞと布が動いている。いくら兄が全力で押さえていても、妖しを二体もとどめることは出来ないはず。であれば、鎌鼬が兄に対して加減しているということ。気は短いけれど、理性はあるということか。

「もう暴れない?」

 静かに兄は尋ねた。

「考える」

「あのね、鎌鼬。妖しと人とでは力に大きな差があるんだよ」

「存じてます」

「人を無闇に攻撃しちゃ駄目だからね」

「次からは気をつけるわ」

 やりとりが酷く単調に聞こえる。これが、彼らの間合いなのだろうか。それとも、ただ適当にあしらっているだけなのか。

「………………」

「なあ、星、もういいだろ」

「そろそろ離してやって下さい」

「そもそも、わたし達がやられたらやり返す質だって知ってたでしょ。今更よ」

 兄は俯いたまま一言も発さなかった。その心を探ろうにも、位置が悪い。長い髪に隠れて、表情が全く見えない。

「おい、星?」

「どうしました」

「聞こえてる?」

 鎌鼬が若干苛ついてきている。一旦、兄を引かせた方が良いだろうか。しかしやはり、吾が動くよりも先に兄が動いた。彼は手を緩め、鎌鼬姉妹を解放するも、俯いたままその場で座り込んでいる。その弱々しい様子に、鎌鼬も違和を感じたようだ。

「星?」

「……我、鎌鼬に」

「ん?」

「命、かけたんだよ」

 か細く震える声に、鎌鼬は押し黙った。自分達の知らない所で、人が自分達に命をかけたのだ。そりゃ、何も言えなくなるよな。

 吾には兄の背中しか見えないのに、煌めく雫が落ちた気がした。

「お、おい、泣くな。悪かった、悪かったって」

「……そう、だよね。責任とか、嫌いだもんね」

「いや、えっと……ほら、言葉は取り返せませんし、こうなった以上は、僕らもそれ相応に動きますよ」

「ううん。気にしなくていいよ。我が、勝手にしたことだから」

「でも、それじゃあ不公平だわ。あくまでも対等、って約束したじゃない」

「……それにね」

 兄は頭を上げた。

「皆が約束を守ってくれるのは嬉しい。けれど我は、皆の最大の良さは、自由気ままで、一つの物事に囚われない所だと思ってるの。だから……うん。やっぱり気にしなくて良いよ。自分の不始末は、自分で片づけるから」

 今、どんな顔をしているのだろう。鎌鼬の反応からして、不自然な面をしているのは間違いない。鎌鼬は困ったように互いに目を合わせ、再び兄に向き直った。

「分かった、約束するよ。無意味な戦いはしないから」

「そんな顔しないでください」

「星さんに泣かれるのは、何だか困っちゃうわ」

 旋が兄を抱き寄せ、朔が兄の涙を拭い、舞が言葉をかけ続けている。

 妖しが、人を気遣い、慰めている。

 そんなことって、あり得るんだな。

 この光景を見た神主も同じように思ったらしく、態度を改め、久しぶりに口をきいた。

「そこな妖し。貴方達が鎌鼬ですか」

「……おう、だったら何だよ」

「今忙しいんですけど」

「後にしてくれる」

 依然、鎌鼬の神主に対する当たりはきつかったが、神主は構わず続けた。

「貴方達のことは、先程星様から聞きました」

「話に聞いたなら何で襲ってきたんだよ」

「未だ顔を合わせていなかったので、そこにいるのが妖しであるということしか判別できませんでした」

「音に聞いた鎌鼬の可能性があるとは思わなかったのですか」

「至りませんでした」

「つまり、あんたにとって妖しは全部敵ってこと」

「はい」

「はっきり言いやがった」

「正直と言うか愚直と言うか……」

「ここまで来ると潔いわね」

「ただ――」

 神主は一息ついて、空を見上げた。今日の空はからっぽだ。彼にはどう見えているのだろう。

「――私が間違っていたようです。星様の言う通りでした。謝罪します。それから、人を、しかも幼子を対等な他者として扱う貴方方を、脅威ではないものとして認めます」

 吹っ切れたような声色だった。以前に、妖との因縁でもあったのだろうか。

「そうかい」

「分かったなら良いです」

「謝罪とか要らないわ」

「それから、星様」

 神主は未だ旋の腕のなかにいる兄のそばに寄った。近づいてくる音に気づいた兄は、怯えるように、ちらりと光を覗いた。

「……はい」

「本当に、申し訳ありませんでした」

「……いえ、鈴彦様。無理を聞いてもらったのは我の方ですから。ご理解頂き、感謝します」

 困ったように微笑みながら、兄はひょっこりと顔を出すと、神主に片手を差し出した。仲直りの証らしい。口には軽い牽制が乗ったが。

「でも、次は足では済みませんから」

「はは、それはご勘弁を」

 そう言う二人の間には、ゆるやかな時間が流れていた。二十以上も歳が離れているのに、まるで大昔からの友人のように微笑み合っている。一年の隔たりなど関係ないようだ。

「……そうだ、鎌鼬よ。これから双子様を神社に案内する予定なのですが、貴方方もいらしませんか。これからも関わりを持つのであれば、立ち入ってはならない所など、説明しておかなければなりません。御祭神には、私の方で断りを入れておきます」

「ああ、それは有難いね」

「触らぬ神に祟りなしと言いますし」

「余計な恨みは買いたくないもの」

 大事は免れた。鎌鼬が兄に手を貸して立たせ、背中を押して歩み始めた。そこに神主も加わり、何事もなかったように会話を始める。神主も鎌鼬も、過去への執着がないらしい。

(そうだ、兄は……?)

 右手を旋に預け歩いている兄は、何やら左手を気にしているようだ。その隣に行ってよく見てみると、手のひらが赤くなっている。

「兄、それ、どうしたの」

「さっき地面に手をついた時に怪我しちゃったみたい」

 へへへと柔らかく笑っている。そこには先程までの悲嘆や憂いはなかった。命まで懸けて、ついさっきまで泣いてたのに、いくら何でもあっさりし過ぎだろう。吾が戸惑いを隠せないでいると、それに気づいたらしい兄は、耳元で囁いた。

(嘘泣き、だよ。皆には内緒ね)

 言い終えると兄は小さく舌を出した。成る程。こんな顔して、嘘つきなんだな。

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