距離
(ど、どうしよう……)
鬼術師の家に住み始めて三日経った。ここ最近に比べたら穏やかな朝を迎えたはずだった。それなのに今、我はこれまで以上に困っている。ご飯を食べ終えると、見事に人が散ったのだ。
父と祖父は、将来のためにも、新たに同居人となる鎌鼬と我らの部屋を増築し、ついでに我らの部屋に新たな結界を張ると言って早速作業にとりかかった。元々計画していた物の算段が、今日ついたとのこと。大掛かりな事だから、我らは邪魔になるだろうと庭に出ることにした。
そこまでは良かった。
その先を考えてなかっただけ。
庭に出て少しも経たないうちに、何もすることが無いと気づいた。鬼術師の努力の結果声も出せるようになったことだし、鎌鼬と談笑しようかと思って探してみるも、何処にもいない。彼らの気配が近くにない。残されたのは我と弟だけらしい。
しかし、数日経ったとはいえ、我らは再会したばかり。互いの間合いも、性格も、よく知らない。おかげで煙たいほどに気まずい空気が居座っている。何より。
「……暇、だね」
「……うん」
会話もままならないのが、我にとって一番の痛手だった。
(こういう時って、どんな話すれば良いんだろう。何すれば、どうすれば。駄目だ、知識も経験も足りない!)
何もしないという時間が怖い。落ち着かない。
そうして一人そわそわと動き続けていると、肩に重みが加わった。思わずあっと声を出すと、その手は引っ込んだ。
「あ、ごめんなさい、兄上。驚かすつもりはなくて……」
「うん、大丈夫」
「その……、神社にでも行かない」
「神社?」
「うん。多分、兄上も神社を歩き回った事ないでしょう? 吾もあんまり神社の構造知らなくて。前は一人で外に出ちゃ駄目って父上に言われてたけど、今は二人いるし、散歩には調度いいかなと思いまして」
確かに。山に捨てられる前は、我は母や神主と一緒にいた。けれど神主は日々の仕事があるし、母は寝たきりだったため、社家から外に出たことがなかった。
数少ない外出は降誕祭の日だけ。それも社家から参道、拝殿から本殿を往復するだけのもの。どれだけ広いのか、何があるのかまでは把握していなかった。
鬼術師の家から神社までは生い茂った森の中を通らなければならないが、邪が溜まるような日ではないし、子ども二人でも大丈夫だろう。条件は悪くない。これは良い機会だ。
彼の提案に乗り、神社まで歩くことにした。今日はよく晴れているし、空気も澄んでいる。時々、ふうわりとしめった風が過ぎていくと、木々は喜ぶように光をこぼした。こんなにも綺麗な青が広がっているが、雨が近いのだろうか。
一人であれば、この静けさは心地良かった。しかし、隣には彼がいる。そして相変わらず会話がない。ここは一旦、さっきから辿々しい喋り方をしている彼を解放しよう。
「ねえ」
「はい」
「我のことは敬わなくていいからね。同じ歳なんだし」
「え?」
「言葉、普通で良いよ。そっちのほうが話しやすいでしょ」
「……良いの?」
彼は嬉しそうな明るい色を見せた。我と同様、言葉の距離が遠いと感じていたのだろうか。言葉の壁が取り払われると早速、次々と問が飛んできた。なんだ、案外喋れるじゃないか。杞憂だったな。
「あの、いくつか聞きたいことがあって。嫌だったら応えなくて良いんだけど」
「何?」
「うん。山ではさ、どうやって過ごしてたの」
「どうって?」
「ご飯とか、寝床とか。全部自分で準備しなきゃいけなかったでしょ。吾には、ちょっと、想像できなくて」
「そう、だね。寝床に関しては、夜は木の上で休んだり、昼に明るい所で寝たりしてたよ。ご飯は……、んー……。でも、食べられるものって、案外沢山あって――」
うん、沢山ある。けれど、人に聞かせられるほどの、まともな食事はしてない。基本、食べられるものを見つけたらその場で食べていたから、調理なんかしてないし。どうしたものか。
何か話題として程よいものはないかと記憶を漁る。同時に目を四方に向けると、ふと、綺麗な赤が目に入った。
「――あ、ほら、これ」
そう言いつつ手近に成っていた実をもぎ取り、小さな一粒の実を手渡す。しかし彼は訝しむような顔をした。
「え、これ、食べられるの。色は野苺みたいだけど」
「うん、山桃って言うらしいよ。軽く水で洗ってから、そのまま食べるの。甘酸っぱくて美味しいよ。他にも、あれ」
調度真向いにある流れを指差す。ザアザアと音を立てるそれに、彼は再び難しい色を示した。
「……川?」
「そう。川には魚がいるでしょ? それを上手く捕まえて、火を焚いて焼くの。身がふわふわになるんだ」
火を焚いたのは一回だけだけれど。凄く大変だったし。
「危なくないの」
「まあ、確かに何回も流されたよ。でも、我が居た所の近くの川は、もう少し流れが穏やかだったから、何とか」
「そっか……。でも、ちょっと怖いかな」
「水との慣れ方が分かったら、そんなにだよ。今度教えてあげようか」
「良いの?」
「うん。慣れるまでは一寸難しいけれど」
「
どういう理屈だろうか。この短時間で絶対的なまでの信頼を得てしまった気がする。簡単に心を開いてしまうなんて、この子、結構危ないな。心の持ち方も教えてあげるべきだろうか。それとも、子どもはこういうものなのだろうか。
「あとさ」
「ん?」
「兄の周りをひらひら舞ってるそれ、なに?」
「……あ、これ?」
手を前にかざす。すると、彼の言うひらひらが一匹手に留まった。空の色を映しているのか、透き通るような青を身に纏っている。
「これね、我にも分からないの。
「それさ、生きてはないよね」
鋭いな、この子。
「やっぱりそう思う?」
「うん。そんな羽を持つ蝶見たことない。それに、いつも兄の周りにいて、花の蜜も吸ってないし。神様が怒ったときは何故か吾の所に来たけど、直ぐ兄の所に戻ったし……何かに憑かれてるんじゃない」
「んー……。でも、悪いものじゃないと思うんだよね。何かの術とか、加護に近い気がする」
「でも吾にはないから、多分、父上やうちの神様ではないよね」
鋭い。この考察は、観察力から無せる技か。外に向く分には構わないが、内に向いたら厄介だな。気をつけよう。
「確かに。……でも、そうなると誰だろう」
暫く二人で首をひねった。勿論、二人とも知識不足で見当もつかない。最終的には父に聞こうということになり、そのまま神社まで着いてしまった。
*
今日は困りごとが多いな。
神社に着いても直ぐには中に入らず、我らは鳥居の前で色々と考えた。結果、一応神職の皆に挨拶してから神社を散策しようということになった。そこで社務所に寄って神職に声をかけたまでは良かったものの。
「おや、風様。どうされまし……――」
神主や巫女たちが絶句してしまったのだ。
「――風様。も、もしや、そのお隣りにいるのは、貴方の兄君の……?」
「そうだよ。星
「なんと……」
神主は息をのみ、巫女たちは依然ぼうっと立ち尽くしている。我が来たの、そんなに不味かったのかな。
「皆、どうしたの。兄はここに来ちゃ駄目だった?」
同じように思ったらしい弟が尋ねてやっと、神主は声を出した。
「いえ、そうではなく……星様、お目覚めになったのですね!」
ん……あ、そうか。
我は確か、十日以上意識が戻らなかったんだっけ。我が目覚めたのは一昨日だから、情報を伝えるには十分な時間があったはずだけれど……神職の方まで話が回っていないと見た。父上も爺様も、家の改築する前に伝達してよ。
「……あ、えっと、その節はご心配おかけしたようで、誠にすみません」
「いえいえとんでもない! ご無事で何よりです」
神主は泣きそうな声をしながらも明るく笑ってみせた。そういえば、母と暮らしていたとき良く見かけたこの人の笑顔、温かくて好きだったな。心優しい人、寄り添ってくれる人。懐かしい香りだ。名前で呼びたいけれど……確か母は、すずひこと呼んでたな。
「ご無沙汰しております、神主さん。あの、お名前、すずひこで合ってますか」
「おお、まさか覚えていてくださったのですか」
「はい。母共々、いつもお世話になっておりましたので」
「とんでもない。星様が居なくなってからというもの、捜索を続けましたが結局私は何のお役にも立てず……。ましてや、貴方が神を諌めた時の傷で命の危機に瀕していた時にも、何も出来なかったというのに」
これは……神主はかなり気を揉んでたらしい。改めてよく見ると、以前に比べて痩せたように見える。顔色もぱっとしなかった。これ以上心痛を与えないようにしよう。
「いえ、お気になさらずとも大丈夫です。何事も経験だと思っていますので。刺し傷もこの通り治りました。それより、我としても皆さんが無事で良かったです」
「おお、星様。ずっと辛かったでしょうに……なんと心の優しいことか。色々お話ししたい所ですが、わざわざ此方までいらっしゃったのです、何か御用があるのでしょう」
「はい。実は……」
神主に事情を説明する。父や祖父と和解したこと、住む部屋をもらったこと。今部屋を新しくしてもらっているから、その間神社を散策したいこと。
その際、
「なんと、妖しと手を組んでしまわれたのですか。ええと、そう、ですね。実際、我々もそれに救われたのは事実ですが……如何せん神職という身なので、容易く受け入れられないと言いますか」
「それは重々承知です。その上で、容認のお願いをしたく」
「しかし……」
反応が鈍い。それはそうだろうと解ってはいるが、鎌鼬との信頼関係、協力関係は今後必ず必要になる。それを知っているからこそ、ここで引くわけにはいかない。何としてでも、理解を得なければ。
「すずひこ様、それから、同じく神に仕える巫女様方。神職として、皆様が妖しに猜疑の目を向けることは、間違っていません。人が妖しによって苦しめられる事態も、これまでに沢山ありました。今後もそれは続くでしょう。しかし、鎌鼬は悪性の妖しではないと断言いたします」
返事がない。誰も彼も困ったような難しい色を示している。まだ、足りないか。
「どうしても難しいと言われても、我とて引けないのです。だから、この身この命を賭けましょう。鎌鼬に関しては、我が一切の責を負います」
「お、おやめください。命はそう簡単に捨てるものではありません」
「我は捨てるなんて言ってませんよ。それだけ鎌鼬を信じておりますので」
自信たっぷりに、にこっと微笑んでみせる。すると神主はため息をついた。無理を聞いてもらって申し訳ない。今度何か礼をしよう。
「そこまでおっしゃられると、こちらももう何とも言えませぬ。分かりました、容認しましょう。……では、皆――」
神主は後ろに控えていた巫女たちの方を振り返った。
「――星様が命を懸けてまで推薦した物の怪、鎌鼬。その容認に、私、鈴彦が同じように命を懸ける。故に、お前たちは気に病まず、人と同じように鎌鼬と接すること。警戒する必要はない」
巫女たちは頷いた。今度、鎌鼬を連れてきて顔合わせでもした方が良いだろう。その性格をみれば、時間はかかっても打ち解けられるはず。早く帰ってこないかな。
暫く間をあけてから、神主は口を開いた。
「双子様、神社の散策にいらっしゃったのでしたね。折角ですし、私が案内致しましょう」
先程の困り顔は何処へやら、朗らかな笑みを見せる神主は春の日の太陽のようだ。
歩みだした神主の後に続こうとした時、くいくいと裾を引っ張られた。
「ねえ、二人とも、待って」
「どうしました、風様」
「外に物の怪がいる」
神経を張ってみると確かに、鳥居向かって右後方にそれらしき気がある。我も神主も気づかなかった妖気。弟は人一倍察知能力が高いらしい。我が顔をしかめた一方、神主は直ぐに動いた。
「なんと、すぐに祓わなければ」
何故だろう、違和感が叫んでいる。
もうかなり日が高いのだけれど。しかも境内の近く? 神社には神域の結界があるし、外であっても少なからず効果はあるはず。であれば、日を恐れぬ妖しで、結界の影響を受けない者? そんなの、神か、神に仕える者以外にあり得ない。では、日の属性の者で、結界の影響を緩和する何らかの
そこまで思い至った刹那、息をのんだ。全身から血の気が引いていった。
(緩和する……そうだ、その妖しの能力でなくても、神域の結界は弱められる!)
「待って下さい鈴彦様! それは――」
――……シャーン……シャーン……――
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