休戦

 あくる朝、父が四十路後半の男を連れて我のところに来た。弟と鎌鼬はお使いを頼まれ、近くの村里まで足を伸ばしている。弟には聞かせたくない話なのだろう。まあ、大概予想はつくが。

 そう思っていると、我の機嫌を伺うような面をして父が口を開いた。

「星の、この人のこと、覚えてるかい」

 頷く。

「それはそうだよな……。彼は私の父、君の祖父だ。その、君を山に捨てた本人」

 まだ声を出せないので、筆を手に取る。

『しつてる』

「あ、うん、そう……」

 父は実の子と実の親との間で板挟みになっており、何時になく狼狽している。

「その件は本当に申し訳ない」

 あっさりと祖父が口を開いた。その言葉に他意はなく、心から反省していることが分かる。声質からはやや老いを感じたが、その言葉の節々は若い男に負けないくらい、しっかりしている。我にあの一件がなければ、心から信じられたはずの人。

 だからこそ、なんと言えばよいのだろうか。

 気にしてない、か。いや、どう頑張ってもそんなことは言えない。我は、実のところかなり根に持っている。此奴のせいで、我は一年もの月日を、山で、一人で、過ごさざるを得なかった。何度恐ろしい目に遭ったことか、何度生を諦めたことか。

 正直我は、もう男の顔も、声さえも認めたくなかった。いっそ、我に怒りや恨みを向けていてくれたら、いくらでも、なんとでも言えたのに。

「…………」

「儂は、お前に祖父と認められないのだろうな。無論それは覚悟している。そんな贅沢を言える身ではない。本当に、一歩間違えれば、いや、間違えなくとも、取り返しのつかないことをしてしまったと思っている」

「…………」

「儂のことは許さなくて良い。本来なら、死をもって償うべきところを、お前はそうさせなかった。それだけで十分だ」

 この言葉には若干、苛立ちを感じた。何が死をもって償う、だ。そんなの、逃げの一手じゃないか。そもそも、命をそんなことに使うな。生きている間に、精一杯罪を償え。

「ああ。そのつもりだ」

 顔を上げ、目を合わせる。この人、今、我の心をよんだのか。

「詫びの一つとして、お前にはこれをやろう」

 物で償うな。我はそこらの純な子どもではない。騙されるとでも思うなよ。

「一旦、儂の話を聞いてくれ。これは照魔鏡だが、それを少し加工したものだ」

 差し出されたのは、一つの鏡。大人しく受け取ると意外に重く、存在感がある。大人の手には収まりそうだが、我の手では両手でも持ちきれない。

 取り敢えず観察しようと両手で支え自分に向ける。そこに映ったのは、固い顔をした自分。その時初めて、自分の額に朱色の紋様があることに気づいた。そう言えば、弟の額にも模様があったな。我のは目のような模様、弟のは渦を巻いた何かの模様だ。祖父は我の反応を気にせず続けた。

「そも、照魔鏡は、人ならぬものを映すとその本性がわかるという代物だ。知識があればの話だが、相手の名が分かると大方手の内もよめる。よって対策も立てられる。今お前に渡したのは、日の光や月明かりを反射して物の怪に当てると、それを退治できるよう一種の呪いをかけたものだ。勿論、相対する者と反射する光との相性、敵そのものの強さによって、撃退できる者には限界がある。だか、護身には十分だろう」

「あ、それ、私も欲しいなー父上」

 不意に、猫撫で声で父が口を挟んだ。心の優しい父のことだ、この張り詰めた空気を中和したいのだろう。しかし祖父は「自分で作れ」と跳ね返し、父の努力は虚しく散った。それでも父は負けじと話をそらしてくる。

「はい……。あ、そうだ、星の。もしかして自分の顔を見るの初めてじゃないかい。綺麗な顔だろう」

 そう言う父はどこか嬉しそうだ。やはり我は母似なのか。ここは一つ、話を合わせよう。一つ、気になることもある。

『このもんよう、なに』

 そう書いた紙を見せつつ、自分の白い前髪を上げる。

「うん。恐らくそれは、神が力を分け与えた印だろう。風は生まれたときからくっきりとあったのだけれど、君のは薄くて気づかなかったみたいだ。前より濃くなっているね」

「話を戻すぞ」

「あ、はい、すみません」

 結局祖父が談笑に加わることもなく、大して空気は変わらなかった。とうとう諦めた父は、大人しく部屋の隅で縮こまった。祖父は、良く言えば芯のぶれない、悪く言えば頑固な人。

「それを渡したのは、儂らが今後お前たちの守をするにしても、常に傍にいられるわけではないからだ。これから、お前たちは忙しくなるだろうしな。なにより」

 彼はやや言葉を吃らせた。

「お前は風とは違い、ろくに動……戦えぬ身となるだろう。何かあった時に、護身の物があれば、と考えたのだが――」

 ……は。今、なんと。

「――要らないなら言ってくれ。その時はまた別のことをしよう」

 あまりの事実に呆然とする。我は、災厄を防ぐためにと儀を行われて、神の力まで授かったのに、戦えない?

 しかし、彼の予言に間違いはないと思われる。彼は優れた鬼術師だと、以前母や神主から聞いたから。そして、彼の出で立ちや雰囲気からも、力の強さが伝わってくる。ということは、我は本当に、役に立たないのか。彼が我を捨てたことにも、一理あるということか。そんなの、理不尽じゃないか。悔しい。納得いかない。

「あ、あ、泣かないでおくれ」

 泣いてない、泣くつもりなんてない。身体の処理能力が狂ってるだけだ。

 それでも父は傍に来て慰めてくる。また、突っぱねようか。けれど父は悪くない、そう思いたい。それに、相手が誰であれ、情けない姿を見せたくない。

「だ、じょ、ぶ……」

 無意識に声を出してしまった。喉が痛い。血の味がする。ああ、もう最悪だ。

 そんな中祖父が少し離れたところから声をかけてきた。

「本当に申し訳ない。お前の、家の者との関わりを断ってしまったこと。人生の土台ともなるべき時間を奪ってしまったこと。だが、その取り戻しは必ずする。この口で言えることではないが、どうか、顔を上げよ、前を向け。お前にしかできないこともある」

 どんっ、と床を殴る。

 五月蝿い。お前は、我の心をよめているのだろうが。であれば我が何に傷ついたかも、わかっているはず。お前は、どこまで我を馬鹿にすれば気が済むんだ。そんな言葉信じられるか。

 とはいえ此処で引くのは気に入らない。我にもそれなりの矜持がある。深呼吸しろ。静寂の中の湖畔になれ。

 燻る心を抑え、やみくもに筆をとり、殴り書く。

『よるのほし、あさのかぜ。ことなるひかりにてらさるる。それもすべてはさだめなり』

「……そうか」

 嫌味が効いたかどうかは分からなかった。しかし彼が手を差し伸べてきたので、めつけながらもその手を握る。相手もしっかりと目を合わせてきた。

 互いの覚悟を確認してから、手を離す。腹ただしいことこの上ないが、この人とは外見上でも仲良くしておこう。彼が持つ知識や能力は、今後どうしても必要になる。それから、これまでの記憶は、消さずに残しておこう。何かに役立つかもしれない。

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