意《こころ》
疾風が駆け巡る参道を一人、吸い込まれるように走る。何度か転び、転がされながらも只管走る。そこに思考などなく、どこか導かれているようだった。鳥居をくぐり、拝殿を抜け、なんとか本殿に辿り着く。呼吸が上手くできなかった。
本殿の階段を登り、縁に着く。眼前には荘厳な扉とその両脇に置かれた狛犬。容易く立ち入ってはならないと、これ以上近づくなと、身体中が警告を発している。
(それでも)
礼儀も作法も知らなかった。ただ正座し、手をついて頭を下げる。暫くしてから、そっと御扉に手をかけた。
(重たい……! こんな身体じゃあ、とても開けられない)
この扉は外開き。しかし外から荒れ狂う風が吹き付けている。恐らくこの状態では、大の男が四人かかっても開けられないだろう。ましてや、我は五つの子ども。
(誰か、誰でも良いから、この扉を開けて)
無理だと解っていながら、なお扉を開けようと格闘した。しかし、寸分も保たずに力尽きる。
(すぐそこなのに、たかが一枚の板が、こんなにも重いなんて……)
そう気が滅入り始めた時、扉が開けられた。しかしすぐに閉じようとする。
(何……? いや、これを逃したら、次はない!)
身体の軽さを利用して内へと吹き込む風に乗り、身舎に飛び込んだ。内陣と外陣を隔てる壁にぶつかって止まり、痛みを感じつつ身を起こす。外へ目を向けると、重くゆっくりと扉が閉まっていった。自分では開けられなかった扉。もう、出られない。
(ここが、神様の住まうところ……)
全体を見回すと、先程までの颶風が夢かと思えるほど、部屋は静かだった。
はっと思い出し、自分の身だしなみを整える。散々風に殴られ転がされたことで、服も髪もぐちゃぐちゃだった。
既に十分な無礼を働いているが、これ以上神を怒らせないよう、落ち着いて内陣に向かい正座する。深呼吸をしてから、神様にもう一度頭を下げた。
「どうか、私の声をお聞きください。そしてお答えください。私達は御柱に何をしてしまったのか」
背中に重く空気がのしかかってくるようだった。それに負けじと、上半身に力を込める。
「どうか、お示しください……!」
〝答えなければ分からぬのか〟
心の臓が止まるかと思うほど、ずっしりと重い音だった。声も出せずにいると、声の主はさらに続けた。
〝何故人間はいつ何時もそうあるのだ。我らが恵みを与えていることを忘れ、勝手に振る舞い、挙句恩を仇で返す〟
神様はお怒りだ。それは勿論、我に向けて。しかし、
「……申し訳ありません」
神様は深く嘆息なさった。
〝我が怒りの源を知りたければ、お前で勝手に考えろ。我が答えることはない〟
「し、承知しました」
〝で、お前は何だ。我が部屋に儀式もなく立ち入るとは〟
「はい、私は、御柱がその御力を分け与えた双子の片割れにございます。ここへ容易く立ち入ってはならないことは承知しておりましたが、今は儀式を行うような時間、ましてや知識もなく、このようなことになりました。どうかこの無礼をお許しください」
神様が聞き取れるかと心配になるほど、声が震えている。けれど神様は、意外にもしっかりと我の声を聞いていた。
〝何を望む〟
「御柱の荒ぶる心の鎮まらんことを」
〝ほう。ではお前は、我に何をするか。何ができるのか〟
嘲笑し、軽蔑するような声だった。
これに応えるのはとても恐ろしかった。しかし、別のことは考えられない。
人の意地を、神に示さねば。
「今の私にできることは、一つしかございません」
深く息を吸い、腹に力を込め、神様に向き直る。
「……我が魂を、御柱に捧げます」
ぴたりと風が止んだ。
いつの間にか、内陣の扉が開いている。その空気の中に、はっきりとしない何かが見えた。恐らくこの神社の神様だ。何を思ったか、顕現なさっていたらしい。
頑として口をつぐみ、目で神を捉える。神もまたこちらを見据えている。体中が震えていた。こうなった以上、逃げることも、泣くことも許されない。そのまま暫く互いに互いを探っていたが、とうとう神様の方から沈黙を破った。
〝お前の魂を寄こされたところで、何になる〟
「私は未だ、魂が何たるかを知りません。しかし、もし私の魂が御柱の住まう世へ行くことが可能なら、御柱に仕えます」
〝要らぬ〟
「来世も望みません」
〝しつこいぞ。要らぬ。すでに足りておる〟
「それでも」
〝これ以上食い下がるな〟
でも、だって。
「……こうでもしなければ、私が生まれた意味も、母や祖父が
〝我の知るところではない〟
一蹴されてしまい、再び沈黙が訪れた。先の空気から変化し、さらに冷たく、突き刺すような痛みを感じる。身体の感覚がなくなりつつあった。それでもさらに食らいつく。
「御柱への祖父の奉仕、いや、それ以上の献身を誓います。それでも否とおっしゃるのであれば――」
〝何と言おうと
言葉が、強かった。曇天のような声だった。その振動で吹き飛ばされそうなほど。それでも堪えて、神様を見つめ直す。もう、これ以上は無駄らしいと分かり、袂から棒を取り出した。山に捨てられてから、削って磨いて、水に流されながら魚を捕り、自分の生命をつないだ木片。こちらが先攻すれば、神様とて放っておけないはずだ。たとえそれが、独りよがりな願望だとしても、もう他に打つ手がない。覚悟はとうの昔にできている。
一方神は、我の異変に目敏く気づいたようだった。
〝……む。お前、何をする気か。そんなものでは、我は殺せぬぞ――〟
「――いえ、断つのは我らが業なれば。御目汚し、失礼致します」
力のかぎり自分の喉元めがけて手を動かした。
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