静けさと
また、朝がきた。空は閉ざされ、時々差し込む光も淡く消えてしまう。大きく伸びをして、自分の寝具を片付ける。その沈黙の中で、半年分の想いも目を覚ました。
(社務所には、吾が着たことがない着物があった。吾が履かない靴もあった。調度、吾が使うのと同じ大きさ。それなのに、吾の物ではなくて……何のために、誰のためにあるもの?)
断片的に記憶が起きる。渦を巻くように、思考が崩れる。
去年、四つの降誕祭を迎えた。
母は悲しそうな顔をしていた。
どうしたのと聞いても、微かに首を振って、微笑んで。
その目は黒いはずなのに、空の青が宿っていた。
『ねえ、神の子、私の子。覚えていてね。おまえは、きっと、一人にはならないということを』
そう言って優しく頭を撫でてくれた。その不確かな温もりで。
朧ながらに覚えている。
……でも、母の言葉は何を意味していたのだろう。
一人にはならない?
此処は神社だから、神様が見守っていてくれるということか。それとも、父や、母が、ずっと側にいてくれるということ?
分からない。
分からないけれど、それを聞こうにも、母は去年、常世国に向かったから答えてくれない。父はあれからずっと悲しそうで、ひねもす山の向こうを眺めている。なにより神様の言葉なんか、聞いたこともない。
――あれ……、吾って、今……――
いつからだろうか。
いつまでだろうか。
この手で 原因も分からない
ただ悲しい思いを握りしめているのは
良い天気でも これほど
寒いと感じてしまうのは
嫌になって外に出る。靴は履かず、襦袢のまま。
人はいるのに、誰も居ない。誰か居ても、誰も来ない。
ざわめく心を隅に押しのけて、ぼうっと空を眺めていると、白雲が近づいて来た。なんだ、未だ夢を見ているのか。
何も抵抗せずにいると、輝くそれらはひらひらと舞い込んできて、一つは吾の鼻先に留まった。
「ふふ、何も見えないよ」
手を前に差し出すと、それは指先へと移った。良く観察すると、朧な輪郭の羽には、うっすらと、晴れた日の空のような色がある。これはなんだろう、どこからきたのだろう。
「ねえ、どこから来たの。迷子?」
語り掛けても返事はない。それなのに、何故か嬉しくなってふと目を外に向ける。その瞬間。
背中に強い衝撃を感じた。体が更に外に投げ出される。固い地面にぶつかり、引き回され、転がされ、やっと止まったころには全身に赤が滲んでいた。これが、血と云うものか。
痛い、全身がヒリヒリする。境内中で、人が叫ぶ声がする。この風が吹いてくる方向は、本殿? そう思った途端に体中が震えだす。母が教えてくれた、父が注意してくれた、神様のことを思い出す。
――神様は人に恵みをもたらしてくださる、しかし怒らせてはいけない――
これが、天罰? 吾らは何か、神様の怒りに触れるようなことをしてしまった?
わからない。
最近、わからないわからないと、何度思ったことか。しかし、ここで倒れているわけにはいかない。此処は夢ではない。であれば、父や祖父を、ここにいる人達を助けなければ。それでも、身体は動かない。動いてくれない。
一人這いつくばっていたところを、後ろからぐいと引っ張られた。ひょいと抱えられて、そのまま荒れ狂う風が届かないところに来ると、その先には男の子が立っていた。
「あとは我に任せて、君はここにいて」
それからその人は、吾を連れてきた三人組にお礼を言った。三人は頷きはしたけれど、訝るような顔をして、神社の方を見やっている。あまりにも唐突で、何が起こっているのかわからなかった吾は、身体にどうにか力を入れて、声を出した。
「誰……?」
ふと目が合う。その薄い橙の瞳には、どこか青い、静かな光が宿っていた。
「大丈夫、みんなのこと、ちゃあんと助けるから」
ぼやけていく視界の中に見えたのは、優しい声の持ち主の、雨上がりのような微笑みだった。
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