第三章 崩壊寸前の配送ギルド

王都を出て三時間が経っていた。


誠司は森の中を歩いていた。木々の間から差し込む光が地面にまだら模様を作り、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。日本の森とは違う、原生林のような深い緑。空気は湿っていて、苔の匂いが鼻をつく。


地図を確認する。


ミレーヌ村までの道のりは、大きく分けて三つに分かれていた。まず王都から森を抜けるまでが約二時間。次に、谷間を通って山の麓に到達するまでが約三時間。最後に、山道を登って村に着くまでが約一時間。合計六時間の行程だ。


現在位置は、森の中間地点。予定通りに進んでいる。


「このペースなら、日没前には着けるな」


誠司は独り言を呟きながら、歩みを進めた。


と、その時だった。


「——ッ!」


足元に、何かが絡みついた。


見ると、黒い触手のようなものが、誠司の足首を掴んでいる。それは地面から伸びていて、ゆっくりと上へ這い上がろうとしていた。


滞留魔——。


誠司は反射的に足を振り払った。触手は簡単に千切れて、地面に落ちた。だが、すぐに新しい触手が伸びてくる。一本、二本、三本。次々と地面から湧き出してくる。


「くそっ——!」


誠司は走り出した。


触手を避けながら、森の中を駆け抜ける。背後で、何かが追ってくる気配がする。振り返ると、黒い霧が木々の間を滑るように移動しているのが見えた。


滞留魔だ。王都の広場で見たものより、遥かに大きい。


「逃げろ、と言われたが——」


足がもつれる。木の根に躓いて、誠司は転倒した。


背中に衝撃。地面に叩きつけられる。鞄の中で、木箱がカタカタと音を立てる。


起き上がろうとした瞬間、触手が腕を掴んだ。引っ張られる。身体が持っていかれそうになる。


「離せ——!」


誠司は渾身の力で腕を振った。だが、触手はびくともしない。それどころか、新たな触手が胴体に絡みついてきた。


締め付けられる。呼吸ができない。視界が暗くなっていく。


このまま、死ぬのか——。


その時、頭の中に声が響いた。


『時間厳守』。


女神に授けられたスキルの名前だ。時間の流れを感じ取り、正確に届ける力。


誠司は目を閉じた。


意識を集中する。時間を、感じろ。


すると——世界が変わった。


時間が、遅くなっていた。


いや、正確には違う。自分の時間感覚が、極限まで研ぎ澄まされていた。触手の動きが、スローモーションのように見える。どこに力が入っていて、どこが弱いか、手に取るように分かる。


誠司は動いた。


触手の緩んだ一瞬を逃さず、腕を引き抜く。次の瞬間、胴体の触手を振りほどき、転がるように滞留魔から距離を取る。


立ち上がる。


走る。


今度は転ばない。木の根も、地面の起伏も、すべてが見える。時間厳守のスキルが、周囲の状況を完全に把握させてくれる。


森の出口が見えた。


誠司は全力で走り抜けた。


森を抜けると、谷間が広がっていた。


誠司は岩の上に腰を下ろし、息を整えた。心臓が激しく鳴っている。全身が汗で濡れていた。


「助かった、のか……」


鞄を開けて、木箱を確認する。無傷だった。『荷崩れ防止』のスキルのおかげだろう。


「よし……」


誠司は木箱を鞄に戻し、立ち上がった。


時間を確認する。森で足止めを食ったが、それでも予定より三十分遅れた程度だ。このペースなら、日没前に到着できる。


谷間を歩きながら、誠司は考えた。


滞留魔。あれが、届かなかった届け物の成れの果て。あの黒い霧の中には、誰かの想いが閉じ込められている。届けられなかった手紙、届けられなかった贈り物、届けられなかった気持ち。それらが腐敗して、怨念のようなものに変わっている。


「届けられなかったら、次に届ければいい——」


誠司は自分の言葉を思い出した。リナという少女に言った言葉。まだ会ってもいない、これから出会う仲間に言う言葉。


だが、この世界では「次」がないこともある。届けられなかった届け物は、滞留魔となって世界を蝕む。一度機会を逃せば、取り返しがつかない。


「だから、今届けるんだ」


誠司は歩みを速めた。


山の麓に着いたのは、午後三時頃だった。


ここから山道を登れば、ミレーヌ村に到着する。ガルドの説明によると、この山道は比較的安全らしい。魔物はあまり出ないし、滞留魔も少ない。


誠司は山道を登り始めた。


傾斜はそれほどきつくない。だが、道幅が狭く、片側は崖になっている。足を踏み外せば、数十メートル下の谷底に落ちる。慎重に、一歩一歩進んでいく。


登りながら、誠司は周囲を観察した。


山肌には苔が生え、ところどころに野花が咲いている。岩の間から湧き水が流れ出していて、澄んだ音を立てている。空気は澄んでいて、深呼吸すると肺が洗われるような気がする。


平和な風景だ。


だが、ところどころに異変があった。


枯れた木。黒ずんだ岩。地面に刻まれた、不自然な溝。それらは、滞留魔が通った痕跡だろう。この山も、完全に安全というわけではない。


「あと少し……」


山頂が見えてきた。


その向こうに、村があるはずだ。


ミレーヌ村は、小さな集落だった。


山の斜面に張り付くように、二十軒ほどの家が建っている。石造りの家屋、藁葺きの屋根。村の中央には井戸があり、その周囲に広場が作られている。畑は山の下の方に広がっていて、作物が実っているのが見えた。


だが、人の気配がなかった。


「誰かいるか——」


誠司は声を上げた。


返事はない。


村の中を歩く。家々の窓は閉められていて、扉には鍵がかかっている。広場には誰もいない。井戸の水は澱んでいて、使われた形跡がない。


「まさか、もぬけの殻……?」


そう思った時だった。


「動くな」


背後から、声がした。


振り返ると、少女が立っていた。


年は十代半ばだろうか。茶色の髪に、緑の目。手には古びた杖を持っていて、それを誠司に向けている。杖の先が、淡い光を放っている。


「何者だ。この村に何の用だ」


「俺は配達員だ。届け物を届けに来た」


「届け物?」


少女の目が細くなった。


「嘘をつくな。配送ギルドは壊滅した。配達員なんてもういない」


「いる。俺がそうだ」


誠司は鞄から木箱を取り出した。


「これが届け物だ。宛名は——エリーゼ。この村にいるはずだ」


少女の顔色が変わった。


「エリーゼ……それは、私の名前だ」


「なら、これはお前宛だ。受け取ってくれ」


誠司は木箱を差し出した。


少女——エリーゼは、しばらく誠司を見つめていた。杖を下ろし、おずおずと木箱を受け取る。蓋を開けると、中から小さな人形が出てきた。


布製の人形。手縫いで作られていて、あちこちに綻びがある。だが、丁寧に修繕された跡があり、大切に扱われていたことが分かる。


「これは……」


エリーゼの目が潤んだ。


「おばあちゃんの人形……」


「送り主は、王都に住むハンナという人だ。伝票にそう書いてあった」


「ハンナおばあちゃん……」


涙が溢れた。エリーゼは人形を抱きしめて、声を上げて泣き始めた。


「ずっと……ずっと待ってた……おばあちゃんが亡くなった時に、形見分けで送ってくれるって……でも届かなくて……届かなくて……」


誠司は黙って、その姿を見つめていた。


これが、届け物を届けるということ。


これが、想いを届けるということ。


「配達完了だ」


誠司は言った。


「届け物は、届いた」


その瞬間——空気が変わった。


誠司の身体を、温かい光が包んだ。それは村全体に広がり、家々の窓を照らし、井戸の水を清め、枯れかけていた草花を蘇らせていく。


配完の祝福——。


「これが……」


誠司は自分の手を見つめた。光の粒子が、指先から舞い上がっている。身体の奥から、力が湧いてくるような感覚。


「届け物が届くと、こうなるのか……」


「すごい……」


エリーゼが涙を拭いながら、周囲を見回した。


「村が、明るくなった……滞留魔に蝕まれていた場所が、浄化されている……」


「滞留魔?」


「この村は、三年前から滞留魔に悩まされていたの。届け物が届かなくなってから、どんどん滞留魔が増えて……村人の多くは、安全な場所を求めて逃げていった。残っているのは、私と数人の老人だけ」


エリーゼは人形を胸に抱いた。


「でも、この届け物が届いたことで、少し浄化された。配完の祝福が、滞留魔を追い払った」


誠司は村を見渡した。


確かに、さっきまで感じていた重苦しい空気が、少し和らいでいる。黒ずんでいた岩が元の色を取り戻し、枯れていた草花が緑を取り戻している。


「一つの届け物で、これだけ変わるのか」


「変わるわ。届け物には力がある。想いの力が」


エリーゼは誠司を見つめた。


「あなた、本当に配達員なの? ギルドは壊滅したって……」


「ギルドはまだある。俺が立て直す」


言葉が、自然に口から出た。


「配送ギルドを立て直して、この大陸に届け物を届ける。滞留魔を浄化して、世界を元に戻す」


「できるの? そんなこと……」


「やるしかない。俺は——配達勇者だから」


配達勇者。


その言葉を口にするたびに、不思議と力が湧いてくる。女神に与えられた称号ではなく、自分で選んだ生き方。届け物を届けることで、誰かの想いを届けること。それが、自分にできる唯一のことだ。


「ギルドに戻ったら、もっと届け物を届けに来る。この村にも、他の場所にも。だから——待っていてくれ」


エリーゼは、しばらく誠司を見つめていた。


それから、小さく微笑んだ。


「分かった。待ってる。配達勇者さん」


王都に戻ったのは、深夜だった。


誠司は疲れた身体を引きずるようにして、ギルドの扉を開けた。


「戻ったか」


ガルドが待っていた。


「配達は、完了した」


「そうか……」


ガルドの目に、何かが宿った。驚き、そして——ほんの少しの希望。


「報告を聞こう。何があった」


誠司は、道中の出来事を話した。森での滞留魔との遭遇、『時間厳守』のスキルの発動、村での配達、そして配完の祝福。


ガルドは黙って聞いていた。


話が終わると、彼は深い溜息をついた。


「……信じられん」


「何が」


「すべてだ。滞留魔から逃げ切ったこと。時間通りに届けたこと。そして——配完の祝福が発生したこと」


ガルドは立ち上がり、窓の外を見た。


「配完の祝福が発生したのは、三年ぶりだ。届け物が届かなくなってから、祝福は途絶えていた。だが、お前が届けた。たった一つの届け物で、村を救った」


「救ったわけじゃない。届けただけだ」


「それが救いなんだ」


ガルドは振り返った。


「神崎誠司。お前を、正式に配達員として認める」


「ありがとう」


「明日から、本格的に働いてもらう。届けるべき荷物は山のようにある。覚悟はいいか」


誠司は頷いた。


「望むところだ」


その瞬間——ギルドの外から、声が聞こえた。


「ガルドさーん! 大変です!」


扉が勢いよく開き、若い男が飛び込んできた。息を切らしていて、顔は真っ青だ。


「どうした、マルコ」


「魔王軍が……魔王軍が、王都に向かってきています! 配送ルートを完全に封鎖する気だと……!」


ガルドの顔色が変わった。


「何だと……」


「東の街道に、大軍が集結しているそうです。このままでは、王都への物流が完全に止まる……」


魔王軍。


女神が言っていた、配送ルートを寸断し、届け物を奪い、世界を滅ぼそうとしている敵。


誠司は窓の外を見た。


夜の闇の中に、遠く東の空が——赤く染まっているのが見えた。

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宅配ドライバー×異世界転生_逆順配送の勇者 ~異世界で俺の積み込み術が最強でした~ もしもノベリスト @moshimo_novelist

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