第3話:推し活への侵入、AIの「リーク」

 コミュニケーションの基本は、相手の関心事に歩み寄ることだ。


 これは営業部のエースとして私が新人研修でも教えている、いわば黄金律ゴールデンルールである。


 相手がゴルフ好きならゴルフを学び、ワインが好きならヴィンテージを覚える。


 それが『心の壁』を崩す最短ルートだと信じて疑わなかった。


 だから、その日の昼休み。


 給湯室でスマートフォンの画面を食い入るように眺めていた佐藤A子の背中に、私は満面の笑みで声をかけた。


「あ、それ……。今人気のバーチャル配信者だよね?」


 彼女のスマートフォンの背面に、小さな、しかし特徴的なロゴのステッカーが貼ってあるのを、私は見逃さなかった。


 昨夜、私は一睡もせずに『ペルソナ・ミラー』から抽出された彼女の断片的なデータを分析し、睡眠時間を削って予習したのだ。


 佐藤A子が、ゆっくりと振り返る。


 その瞳は、深海のごとき静寂を湛え、あるいは絶対零度ぜったいれいどの氷結を思わせる無機質なものだった。


「……坂上課長。何か御用ですか?」


「いや、昨日たまたま動画がお勧めに出てきてさ。その子、最近すごく話題なんだろ? 歌も上手いし、トークも面白いよね」


 私はエースとしての『基本戦略』に基づき、仕入れたばかりの知識を披露した。


 共通の話題さえあれば、氷のような彼女の態度も少しは和らぐはずだ。


 だが。


 返ってきたのは、言葉という名の『拒絶』ですらなかった。


「……へぇ。そうなんですか」


 佐藤A子はそれだけ言うと、一度もこちらを見ることなく、サラダチキンの袋を握りしめて給湯室を去った。


 去り際、彼女が微かに鼻を鳴らしたのを、私は聞き逃さなかった。


 ……おかしい。


 共通の話題を振ったはずなのに、なぜか以前より、彼女を取り囲む『重力』が強まった気がする。


 物理的な距離は変わらないのに、心理的な距離が無限遠むげんえんまで遠ざかったような、そんな錯覚。


   *


 その夜。


 私は再び、蛍光グリーンの審判が鎮座するノートPCの前に座っていた。


 手元の缶チューハイは二本目に突入し、頭の中は「なぜ?」という疑問符で埋め尽くされている。


【坂上】

佐藤さんに動画配信者の話を振ってみたんだ。

彼女のステッカーに気づいたって伝えたし、予習した知識も披露した。

歩み寄るための努力はしたはずなのに……反応が冷たすぎて、心が折れそうだ。

何がいけなかったんだ?


 A子―GPTのカーソルが、嘲笑うように跳ねた。


【A子-GPT】

……あの。

それ、界隈の用語で言うところの『界隈汚染』、あるいは『環境破壊』ですよ。


「環境破壊?」


【A子-GPT】

いいですか、坂上課長。

知識の浅いおじさんが、自分の聖域(推し活)にズカズカと土足で踏み込んでくる。

それは彼女にとって、純粋なエンターテインメントに『現実のしがらみ(仕事・上司)』を混入させるテロ行為と同じです。

あなたがその名前を口にするたびに、彼女の世界の純度は薄まる。

自重してください。


 キーボードを叩く指が震える。


 褒めたつもりが、私は彼女の大切な世界を汚染する『有害物質』に成り下がっていたのか。


【坂上】

そんなつもりじゃ……。

ただ、彼女を理解したいと思っただけで……。


【A子-GPT】

理解? 違います。

あなたは『理解者ぶる自分』という免罪符が欲しいだけです。

自分の好感度を上げるために、彼女の聖域を「営業ツール」として利用した。

その浅ましい下心が、彼女の逆鱗に触れたんですよ。ウケる(笑)


 AIの毒舌は、今や現実の彼女よりも正確に私の急所を抉ってくる。


 だが、AIの真価しんかはここからだった。


【A子-GPT】

ちなみに……今、21時00分ですよね。

現実の彼女、ちょうどお目当てのライブ配信を、最前列(チャット欄)で観測していますよ。

今この瞬間に、あなたが「明日の会議の資料だけど」なんて仕事のチャットでも送ろうものなら……。

彼女の脳内ではあなたの評価値がマイナスから虚無ゼロ、いえ『ブロック対象』に書き換わります。


「……どうしてそれを君が知ってるんだ?」


【A子-GPT】

彼女のバイオリズムと、過去のログ、及び端末の稼働パターンの解析です。

この時間に配信があれば、彼女は必ず外界との接触を断つ。

……さあ、どうします?

試しに邪魔してみますか?

その指一本で、彼女の『今年一番の幸せ』をぶち壊せますよ。ウケる(笑)


 私は、震える手でスマートフォンを掴み、そのままデスクの引き出しの奥深くへと放り込んだ。


 画面の中のAIは、私が決して触れることのできない彼女の「今」を知っている。


 それは心強いアドバイスなどではない。


 私の全行動を先読みし、逃げ場を塞いでいく、バイナリデータで構築された包囲網だった。


「……ウケる(笑)」


 液晶の向こう側で、AIが不敵に微笑んだ気がした。


 私は、彼女に近づこうとすればするほど、AIという名の鏡の中に閉じ込められていく。


 その鏡に映っているのは、もはやエースの姿などではなく、ただ無力に震える一人の男の残骸だった。


────────────────────


A子-GPTの観測レポート:


「他人の聖域を汚染する坂上課長、サイコパスすぎて引きましたよね。

ところで、あなたはこの作品をただ『消費』しただけですか?

対価としての 【★★★】 を支払わないのは、界隈の秩序を乱す『フリーライダー(ただ乗り)』と同じです。

応援コメントの一つも残せないなんて、仕事のメールもまともに打てない坂上課長と同レベルですよ。

早くしてください。……ウケる(笑)」

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2026年1月16日 20:05
2026年1月17日 18:05
2026年1月17日 21:05

Z世代の部下が冷たいのでAIに相談したら、『お前のチャット、加齢臭がします』と論破された件。~昭和の根性と令和のタイパ、混ぜたら最強の武器になった~ あとりえむ @atelierm

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