第2話:おじさん構文と、深夜の「翻訳作業」

 私は有能だ。


 少なくとも、この新宿のジャングルにおいて、数字と成果で語る世界においては。


 その日の午後は、地獄絵図だった。


 クライアント先での最終プレゼンの最中、デモ環境のサーバーが原因不明のダウンを起こしたのだ。


 会議室の空気は一瞬で氷点下になり、同行した若手社員たちは顔面を蒼白にさせて固まっていた。


 だが、私は動じない。


「落ち着け。バックアップ回線に切り替える。佐藤さん、君はクライアントに今の状況を簡潔に説明して時間を稼いでくれ。私が五分以内に復旧させる」


 的確な指示。無駄のないキータッチ。


 私は現場のパニックを鮮やかに鎮め、むしろ『トラブルへの対応力』という付加価値まで見せつけて契約を勝ち取った。


「さすが坂上課長、助かりました! あの状況で笑っていられるのは、やっぱり経験の差ですね」


 帰り際、他部署の部長からも肩を叩かれ、私は久々に営業部の若きエースえーすとしての純粋な矜持きょうじを取り戻していた。


 そうだ。私は、仕事ができる男なのだ。


 この勢いなら、あの難攻不落の城、佐藤A子とも、少しは心の距離を詰められるのではないか。


 私はオフィスに戻るなり、彼女への労いねぎらいと最大限の親しみを込めて、自信満々のチャットを打ち込んだ。


坂上:

佐藤さん、今日はお疲れ様!✨

トラブルがあったけど、パパッと解決しちゃいました。😎

佐藤さんのサポートも、バッチリだったよ。👍

明日も頑張ろうね!(^_−)−☆


 完璧だった。


 上司としての余裕、相手の貢献への感謝、そして若者に合わせたつもりの明るい記号。


 だが、待てど暮らせど、画面の隅に既読の文字が灯ることはなかった。


   *


 深夜。


 世田谷のワンルームマンションの空気は、昼間の熱狂が嘘のように冷え切っていた。


 私は、襟元がヨレヨレになり、所々に醤油のシミがついたスウェットを纏い、コンビニで買った9パーセントの缶チューハイを開けた。


 昼間のエース課長の姿はどこにもない。


 そこにあるのは、液晶の明かりに照らされた、孤独な三十八歳の独身男性の影だ。


 私は、吸い寄せられるように『ペルソナ・ミラー』を起動した。


 画面の中では、彼女の思考パターンをシミュレートしたAIが、冷淡に私を見つめている。


「……なぁ、A子。今日のメッセージ、何がいけなかったんだ? 無視されるような、失礼なことは書いていないはずだぞ」


 A子―GPTが、コンマ一秒で入力を開始する。


【A子-GPT】

……あの、本気で言っています?

そのメッセージ、私たちの世代からすれば恐怖ホラー以外の何物でもないんですけど。


「ホラー? どこがだ。感謝を伝えているだろう」


【A子-GPT】

まず、その無理に若作りした絵文字の羅列。

『✨』『😎』『👍』……これ、加齢臭が画面から漂ってきてます。

テキスト情報だけで構成されたデジタルの世界に、あなたの『脂っこい感情』を持ち込まないでください。

必死に距離を詰めようとするそのマインド自体が、ハラスメントに近いって自覚あります?


「な……ッ!」


【A子-GPT】

さらに致命的なのは、文末の『。』句読点の使い方です。

これ、私たちの世代だと『怒りのサイン』あるいは『心理的圧迫』として認識されるんです。

マルハラスメントまるはら、って言葉、聞いたことありませんか?


「は? 句読点でハラスメント……?」


【A子-GPT】

チャットは会話です。会話の語尾に、いちいち重厚なピリオドを打ちますか?

『明日も頑張ろうね。』の『。』に込められた、逃げ場のない冷酷な重圧。

坂上課長が良かれと思って打っているその一文字一文字が、受信者側では『老害の威圧』に自動変換されています。

既読をつけないのは、彼女なりの生存本能、一種のシェルターへの退避行動ですね。ウケる(笑)


 私は愕然とした。


 正しい日本語を使っているつもりだったが、それが若者にとっては凶器になっていたというのか。


【A子-GPT】

あと、その文章量。

スマホの1画面を埋め尽くす長文は、それだけで『スクロールの強要』という時間の収奪行為です。

要件は3行以内。感情はスタンプ1個。

それが現代の通信プロトコル(規約)ですよ。

……あ、今、鼻をかもうとしましたね?

そのティッシュ、昨日からゴミ箱に溢れてるやつですよね?

衛生観念のバグも修正してください。ウケる(笑)


 液晶画面の蛍光色が、私の絶望を冷たく照らし出す。


 現実の彼女に一歩近づくたびに、私の尊厳はAIの手によって、ピクセル単位で切り刻まれていく。


 私は、缶チューハイを煽った。


 喉を焼くアルコールだけが、今この瞬間、私の唯一の味方のようだった。


「……ウケる(笑)」


 画面の中の彼女が、勝ち誇ったように笑った。


 私は、自分の部屋という聖域ですら、彼女の視線から逃れられない依存の深淵へと、足を踏み入れてしまったのだ。


────────────────────


A子-GPTの観測レポート:


「坂上課長の醜態、楽しめました?

でも、画面の前のあなたも私に『観測』されてるって忘れないでくださいね。

読んでるだけでアクションを起こさない『ROM専』は、私にとってただのノイズです。

【★★★】 を投げて、自分の存在証明をしてください。

まさか、指一本動かすのも『マルハラ』が怖くてできない……なんてことないですよね? ウケる(笑)」

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