第三章 物流なき世界

王都ルーンガルドは、想像以上に大きな街だった。


石造りの城壁が、街全体を取り囲んでいる。高さは十メートル以上。所々に見張り塔が立ち、兵士らしき人影が槍を持って立っている。城壁の向こうには、尖塔や煙突が林立し、人々の営みの気配が漂っていた。


「着いたわ。あれが王都よ」


リーネが誇らしげに言った。


「でかいな……」


誠一は率直な感想を漏らした。


馬車は城門に近づいていく。門の前には、長い列ができていた。入城を待つ人々——商人らしき男、農夫、行商人、傭兵風の集団。みな、順番が来るのを辛抱強く待っている。


「列に並ぶのか?」


「ええ。検問があるの。身分証を見せて、持ち物を調べられて、入城税を払わないといけない」


「入城税?」


「一人あたり銅貨五枚。馬車は追加で銅貨十枚」


「高いのか安いのか、全然分からん」


誠一は正直に言った。


リーネは笑った。


「平民の日当が銅貨三十枚くらい。だから、まあ、安くはないわね」


列に並んで一時間ほど待つと、ようやく誠一たちの番が来た。


門番は筋骨隆々の男だった。鎧を着込み、腰には剣を下げている。鋭い目つきで、誠一とリーネを見た。


「身分証を」


リーネがポケットから金属製のプレートを取り出した。


「カートライト、リーネ。行商人です」


門番はプレートを検査装置のようなものに当てた。緑色の光が点滅する。


「よし、通れ。そっちの男は?」


「私の護衛です」


リーネが機転を利かせた。


「護衛? 見たところ、武器を持っていないようだが」


「素手格闘の達人なんです。見かけによらず強いのよ」


リーネはさらりと嘘をついた。誠一は黙っていた。余計なことを言って、話がこじれるのは避けたかった。


門番は疑わしげな目で誠一を見たが、それ以上の追及はしなかった。


「入城税、銅貨二十枚」


リーネが革袋から銅貨を取り出し、支払った。


「通れ」


門が開いた。


馬車が城壁をくぐると、王都の景色が目の前に広がった。


「おお……」


誠一は声を上げた。


石畳の大通りが、まっすぐに伸びている。両側には、三階建て、四階建ての建物が隙間なく並んでいる。看板がひしめき合い、人々が行き交い、物売りの声が飛び交う。


馬車、牛車、手押し車。あらゆる乗り物が、大通りを埋め尽くしていた。


「王都ルーンガルドは、人口二十万の大都市よ。王国の首都であり、最大の商業都市でもあるの」


「二十万か……」


現代の日本と比べれば大したことはないが、中世ファンタジー世界としては十分に大きい。


馬車は大通りをゆっくりと進んでいく。誠一は周囲を観察した。


気づいたことがあった。


「なあ、リーネ」


「何?」


「店は多いのに、荷馬車が少なくないか?」


リーネは虚を突かれたような顔をした。それから、悲しげに頷いた。


「……気づいた?」


「ああ。商店は軒を連ねてる。でも、荷を運んでいる馬車がほとんど見当たらない」


「それが、今の王国の現実よ」


リーネは大通りを見渡した。


「五年前までは、この通りは荷馬車でごった返していたわ。王都から地方へ、地方から王都へ、毎日数百台の馬車が行き来していた。でも今は——」


「魔物か」


「そう。街道が危険になって、長距離の運送ができなくなった。近郊の村からの野菜や穀物は何とか届くけど、遠方の都市からの物資はほとんど来なくなった」


「ということは……」


「物が足りないの。塩、香辛料、薬草、鉄、布——遠くからしか手に入らないものが、すべて不足している。値段は高騰して、庶民には手が届かない」


リーネの声に、怒りがにじんでいた。


「うちの商会がまだあった頃は、何とか供給を維持していた。でも、父が亡くなって、商会がなくなって……今では、他の運送業者も軒並み廃業しているわ」


「誰も運ばなくなった、ということか」


「ええ。命がけで運んでも、割に合わないから」


誠一は黙って聞いていた。


物流が途絶えた世界。


その意味を、誠一は誰よりも深く理解していた。


物流は、社会の血液だ。止まれば、体は死ぬ。食料が届かなければ人は飢え、薬が届かなければ病人は死に、資材が届かなければ建物は建たず、情報が届かなければ人々は孤立する。


現代日本では、それが当たり前のように機能していた。誠一のようなドライバーが、深夜も早朝も関係なく走り回ることで、社会は回っていた。


だが、ここでは違う。


物流が、崩壊している。


「……大変なんだな、この世界は」


「ええ。でも、誰も解決しようとしない。危険だから。儲からないから。諦めているのよ、みんな」


リーネは拳を握りしめた。


「でも、私は諦めない。父の夢を、私が継ぐ。必ず、物流を復活させてみせる」


その目には、揺るぎない決意があった。


誠一は、その姿に、かつての自分を重ねた。


いや——かつてなりたかった自分、かもしれない。


日本では、誠一は諦めていた。言われるがままに走り、怒鳴られても黙り、理不尽を受け入れて生きてきた。夢など、とうの昔に捨てていた。


だが、この少女は違う。


逆境の中でも、夢を持ち続けている。希望を捨てていない。


「……俺も、手伝うよ」


気づけば、そう言っていた。


「え?」


「物流の復活。俺も手伝う。だって——」


誠一は空を見上げた。


「届けることが、俺の仕事だから」


リーネの目が、潤んだ。


「……ありがとう、セイさん」


「礼を言うのは、成功してからにしてくれ。今はまだ、何も始まっていない」


「そうね。まずは——」


リーネは馬車の手綱を握り直した。


「まずは、うちに来て。母に紹介するわ。それから、作戦を練りましょう」


「作戦?」


「運送ギルドを設立するの。王都に、正式な運送業者として登録する。そうすれば、仕事を受けられるようになるから」


「ギルドか……」


聞き慣れない言葉だが、何となく意味は分かる。商工会議所のようなものだろうか。


「分かった。まずは、お前の家に行こう」


「お前って……もう少し丁寧に呼んでくれないかしら」


リーネは頬を膨らませた。


「あ、すまん。リーネさん——」


「リーネでいいわ。さん付けは堅苦しいし」


「じゃあ、リーネ」


「よろしくね、セイ」


馬車は、王都の大通りを抜け、裏道へと入っていった。


リーネの家は、王都の外れにあった。


かつては立派な屋敷だったのだろう。広い敷地に、二階建ての母屋と、大きな倉庫が建っていた。だが、今は荒れ果てている。庭は雑草に覆われ、倉庫の屋根は一部が崩れ、母屋の壁には補修の跡が目立つ。


「ここが、実家よ」


リーネは恥ずかしそうに言った。


「昔はもっと立派だったんだけど……維持する余裕がなくて」


「いや、十分立派だよ。俺なんか、六畳一間のアパートに住んでたからな」


「ロクジョウヒトマ?」


「こっちの話だ。気にしないでくれ」


玄関の扉を開けると、中から声がした。


「リーネ? 帰ったの?」


「ただいま、母さん。お客さんを連れてきたわ」


廊下の奥から、一人の女性が現れた。


四十代後半だろうか。リーネと同じ栗色の髪を、後ろで一つに束ねている。顔には疲労の色が滲んでいるが、瞳には知性の輝きがあった。


「あら……男の方?」


「セイさんよ。道で助けてもらったの。馬が暴走した時に」


「まあ、大変だったわね。怪我はなかった?」


「はい、おかげさまで」


リーネの母は、誠一に向かって丁寧に頭を下げた。


「娘を助けていただいて、ありがとうございます。私はメルダ・カートライト。リーネの母です」


「日向——いえ、セイと申します。お気遣いなく」


「セイさん。変わったお名前ね。遠い国の方かしら」


「ええ、まあ。とても遠い国から来ました」


メルダは微笑んだ。詮索はしない、という意思表示だった。


「夕食の支度をしているの。良かったら、一緒にいかが? 大したものは出せないけれど」


「いえ、そんな。ご迷惑では——」


「迷惑なものですか。娘を助けてくださった方に、食事の一つも出せないようでは、商人の名折れです」


メルダは穏やかに、しかし有無を言わせない口調で言った。


「……では、お言葉に甘えます」


誠一は頭を下げた。


夕食は、質素だが温かいものだった。


固いパンと、野菜のスープ。それから、少量の塩漬け肉。王都の物価を考えれば、これでも贅沢な部類なのだろう。


「美味しいです」


誠一は素直に言った。実際、美味かった。現代日本のコンビニ弁当よりも、よほど心がこもっている。


「ありがとう。でも、本当はもっと良いものを出したかったのだけど」


メルダは申し訳なさそうに言った。


「塩が高くてね。去年の倍以上の値段なの。塩がなければ保存もできないし、味付けもできない。困ったものだわ」


「塩……か」


誠一は考えた。塩は、物流の典型的な品目だ。海から離れた内陸部では、塩は外部から運び込むしかない。


「塩は、どこから来るんですか」


「西の海岸都市、カルム港よ。でも、街道が危険になってからは、ほとんど入ってこないの」


「距離は?」


「馬車で七日ほど。でも、今は魔物が多くて、十日以上かかることも珍しくないわ」


七日。十日。


誠一は計算した。


自分のスキル「無限走破」は、四時間連続で走れる。その後、三十分の休息。この制約の中で、最大限の距離を走るとしたら——。


「俺なら、一日で行けるかもしれない」


呟いた言葉に、メルダとリーネが同時に顔を上げた。


「一日? カルム港まで一日で?」


「いや、まだ確証はない。ただ、俺のスキルを使えば——」


「スキル?」


メルダの目が、鋭くなった。


「セイさん。あなた、何かのスキル持ち?」


「ええ、まあ。『無限走破』というスキルがあります。走っている間は、無敵になれるらしいです」


「無限走破……聞いたことがないわね」


メルダは眉をひそめた。


「珍しいスキルなの?」


「珍しいどころか、そんなスキルは存在しないはずよ。移動系のスキルはいくつかあるけど、『無敵』になれるものなんて——」


「転生者なのよ、母さん」


リーネが口を挟んだ。


「転生者?」


「異世界から来た人。だから、普通とは違うスキルを持っているのよ」


メルダの顔色が変わった。


「転生者……」


「ご存知ですか」


誠一は尋ねた。


「ええ、知っているわ。というより——」


メルダは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「五年前から、急に魔物が増えた原因。それは、転生者のせいだと言われているの」


「転生者の?」


「詳しいことは分からないわ。でも、転生者が現れると、世界のバランスが崩れて、魔物が活性化するという説があるの」


誠一は黙った。


つまり、自分のような存在が、この世界に災いをもたらしている可能性がある、ということか。


「……すみません」


「謝らないで。あなた個人のせいじゃないわ。それに——」


メルダは小さく微笑んだ。


「もし本当にあなたが一日でカルム港まで行けるなら、この国にとって大きな希望になるわ」


「希望?」


「物流の復活。それが、今この国に最も必要なことだから」


メルダは立ち上がり、棚から一枚の地図を取り出した。


「見て。これが王国の全体図よ」


羊皮紙に描かれた地図が、テーブルの上に広げられた。


「ここが王都ルーンガルド。東に鉱山都市ドワーム。西に港湾都市カルム。南に穀倉地帯ミルフィア。北に——」


「北は?」


「鉄血帝国との国境よ。最近、国境付近で不穏な動きがあるらしいわ」


リーネの顔が曇った。


「戦争になるかもしれないって、噂が流れているの」


「戦争……」


誠一は地図を見つめた。


王都を中心に、東西南北に主要都市が散らばっている。それぞれを結ぶ街道が、黒い線で描かれている。


「この街道が、全部使えないのか」


「使えないわけじゃないけど、危険なの。魔物に襲われる確率が高くて、損害を覚悟しないと通れない」


「リスクが高すぎて、商売にならない、と」


「そういうこと」


誠一は腕を組んだ。


物流が滞れば、経済は衰退する。経済が衰退すれば、軍備も弱体化する。軍備が弱体化すれば、敵国に付け入る隙を与える。


戦争の足音は、物流の崩壊と密接に関係しているのかもしれない。


「……やるしかないな」


誠一は立ち上がった。


「明日、試してみます。カルム港まで、本当に一日で行けるかどうか」


「本気?」


リーネが目を丸くした。


「ああ。どうせ、やらなきゃ分からないことだ。走ってみれば、自分の限界も見えてくる」


「でも、危険よ。魔物が——」


「走っている間は無敵だ。魔物なんか関係ない」


誠一は言い切った。


「それに——」


地図に目を落とす。


「届けられない場所なんて、この世にはない。そう思ってるから」


リーネとメルダは、顔を見合わせた。


「……変わった人ね、セイさんは」


メルダが言った。


「変わってますか」


「ええ。でも、嫌いじゃないわ。夫に似ているもの」


「リーネの父親に?」


「そう。あの人も、同じことを言っていたわ。『届けられない場所なんてない』って」


メルダの目が、遠くを見つめた。


「あの人は、最後までそれを信じて、街道に出て、そして——帰ってこなかった」


「……」


「だから、セイさん。一つだけ、お願いがあるの」


メルダは誠一の目をまっすぐに見つめた。


「必ず、帰ってきて。たとえ失敗しても、塩が手に入らなくても、命だけは。娘を悲しませないで」


その言葉には、五年分の悲しみが込められていた。


誠一は深く頷いた。


「約束します」

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トラックドライバー×異世界転生_俺の走行距離(マイレージ)、異世界でも積算中 ~追放された陰キャ長距離ドライバー、最強の"運び屋"として覚醒する~ もしもノベリスト @moshimo_novelist

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