晴らし屋、念いの行方

ちゃしげ

ケース1/まっかっかさん①




 は、決まって雨の降る、彼は誰刻の頃に現れる。ゆらゆらと覚束ない足取りで、それでも確かに、意思を持って。誰もいない路地裏の奥まった敷地へと向かう誰かへと、は、着実に距離を縮めていく。

 ちりん、と、が歩く度に鳴る鈴の音が、前を走る彼の耳に木霊する。距離は遠いはずなのに、まるで耳の中に直接響いているかのような音色。雨音よりも鮮明に聞こえるそれが、益々彼の精神を削って正常な思考を手放させる。


『なんだよこれ⁉︎』『意味が分からない‼︎』『誰かっ、誰か助けて‼︎』


 決まって口に出される言葉の羅列。それはまるで意味をなさずに、粛々と鈴の音に掻き消される。の前では言葉は無意味なもの。それが、彼には分からない。


 夜闇の中、鮮烈なまでの赤い血飛沫が上がる。距離が縮めば、幾度も、幾度も、その肌には切り傷が刻まれていく。


 視界はぼやけ、足の感覚もなくなっていく。頭に酸素が回らない。……もう、何も考えられない。


 降り頻る雨が、地面に赤を広げていく。そうして、ああ死ぬのかと、そう彼が冷静に認識する頃……何かが真正面に現れた。


 視界に映るのは、真っ赤なレインコートと、真っ赤な長靴を身に纏った、幼い少女の姿。その手には、これまた一際鮮烈な、けれど古びた朱色の番傘が。


 レインコートを着ているというのに、傘を差しているというのも可笑しな話だ。それに、なにより、現在時刻はもうすぐ日を跨ぐ頃。幼い子供が一人で出歩く時間ではない。……そもそもこの少女は、今この惨状を見ても、叫ぶことはおろか眉の一つも動かさない。


 だから、彼はすぐに、この少女が異常な存在である事を悟った。


 何もせず、何も言わず。ただ静かに佇み自分を見下ろすその姿に、彼は訝しみはしたものの、もう真面な思考も、指一本でさえ動かすことも出来ない為、もういいかとすぐに思考を放棄した。


 もういいのだ。何もかもが。


 しとしとと雨音が聞こえる。不思議と、もう痛みは感じない。寒くもない。柔らかい何かに包まれているような、そんな不思議な感覚を覚えながら、彼は静かに息を引き取った。


 その死を確認するや、少女も静かにその場から消える。あとに残るのは、一人の人間の無惨な死体のみ。さあさあと降り続ける雨が、その場に散った赤を洗い流していく。


 そうして今宵もまた、の念いが晴れることのないまま、夜が明ける。












『昨夜未明、兵庫県神戸市C区にて、三十代男性の遺体が発見されました。遺体には無数の切り傷があり、死因は失血死と診断されています。肝心の凶器はまだ発見されておらず、目下捜索中とのことでず。また、遺体発見現場が人目の付かない路地裏であり、ここ連日起きている事件の手口と同様であることから、警察は同一犯の犯行とみて捜査を――――』


 昼間の賑わう食堂の片隅、その喧騒の間を縫うようにして耳に届いたキャスターの声に、僕は箸を止めた。そのままゆっくりと視線を上げれば、手前の席に座る男二人の背中が目に映る。どうやら声の発信源は、彼らが持つスマホからのようだった。


「うーわ。これ、あの高架下のとこ辺りじゃん。俺よくここ通ってるわ」

「ん? あー、連続殺人やっけ? 今朝からこのニュースばっかやんなぁ」


 このご時世にようやるわ、なんて関西弁の男は淡々と言い放っていたが、その隣に座るもう一人、スマホを食い入るように見ている男はどことなく大袈裟に『怖ぇー!』と身震いしていた。そのひどくわざとらしい反応に、隣の男は苦笑を漏らす。


「はは……まぁでも確かに、もう三人も死んでんのに、まだ犯人の目星も付いてへんもんな。確かにヤバいわ」


 警察早く捕まえてくれへんかな、そう男は零しながら、皿に残っていた唐揚げを一つ頬張った。


 それは特になんの変哲もない、よくあるやり取りだ。連日放送される事件への、ほんの少しの恐怖と、ひどく薄っぺらい客観的な感想。それが近所で起きたものだからといって、言ってしまえば他人事の、まぁ自分には関係ないけれどと締め括られる、そんなやり取り。


 きっと大抵の人は、彼らと同様の感想を胸に抱くのだろう。テレビで流れるニュースなんて、結局の所自分とはあまり関わりがない現実味のないものだと。実際、僕自身もよくそう思っているから、その気持ちはよく分かる。


 ――――けれど。


 今回ばかりは、僕はそんな二人の会話を軽く聞き流せなかった。その理由は単純だ。


 その事件が、自分に一切の関係がない案件ではないから。


 その時、スマホを食い入るように見ていた男が、少し声の調子を落として隣の男を見やった。


「それだけどさ。……俺、聞いたんだよ」


 そのどこかもったいぶるような言い方に、男は口の中の物を飲み込み、端的に『何を』と尋ねる。


 そんな彼らのやり取りに、ハッとする。ああ、これ以上は聞くべきではない。今ならまだ引き返せる……そう思うのに、どうしてか勝手に耳がその会話を拾ってしまう。


 すると少し言葉を溜めた後、スマホを握る男は答えた。


「この事件……がやったんじゃないか、って」

「……まっかっかさん?」


 そうして飛んできた予想通りのその言葉に、僕は思わずぴくりと肩を揺らす。冷や汗が背中を伝い、急激に僕の心内を冷やしていく。


 いやだ、その話は聞きたくない。


 そんな僕の思いも虚しく、その間も二人の会話は続いていて、知らねぇ?そう問いかける男に、もう一人は首を傾げた後首を横に振っていた。


「俺も文学部の下山から聞いたんだけどさ。昨日の事件も、この間のも、その前も雨の日だったろ? そういう日には……出るんだってよ」

「出る、って……ああなんだ、そういう系?」


 そこまで言ったスマホの男の言葉に、彼の言いたい事に気付いたらしい男は、少し呆れを滲ませた顔で『お前好きなー、そういうの』と息を吐いた。その言葉に、スマホの男は『いや、今回のはマジかも知んないんだって!』と声を上げる。


 そう声を上げた男に対し、隣の男ははいはいと笑いながらコップの水をあおった。


「じゃあなんや? まっかっかさんってのは猟奇殺人鬼の幽霊なん?」


 あからさまにスマホの男の話を馬鹿にしたその口ぶりに、けれど当の本人はそれを特に気に留めた様子もなく、話を続けていく。


「いや、それがさ、その正体は子供らしいんだよ」

「子どもぉ?」


 いやだ、やめてくれ。そう思っても、目と鼻の先にいる二人の声は、真っ直ぐ僕の耳に届いてくる。


「赤い傘を差しながら、赤いレインコートを着て、これまた赤い長靴を履いた子供が雨の日に現れるんだけど、その姿を見たら最後、無惨な姿で……っていう」

「あー……やから『まっかっかさん』な」


 そうそうと頷く男は、どこか誇らしげに語る。


 二人の会話はなおも続いているが、その間も、僕の心臓はばくばくと速い鼓動を立てる。もう、箸を動かすこともできない。


「まっかっかさんの赤は、相手の返り血で染まった姿って話でさ。だから、初めから赤を身につけてる奴には寄って来ないんだ」

「あー、それが回避方法? ポマードみたいな」

「そーそー! 口裂け女みたいなな。こういう系のやつには絶対あるよなー」


 最後に、スマホの男はそう言って、またスマホへと視線を落とした。


 その口振りからすると、噂を口にした男も、然程その話を信じてはいないのだろう。ケラケラと笑う男に対し、隣の男は一つため息を吐いていた。


「今のご時世、幽霊が殺人とか信じるやつおらんやろ、どこ情報やねんそれ」

「それなー」


 面白いから、聞く分にはいいんだけどなー。そう言いながら、二人は笑って食器を手に席を立った。


『そうそう、そういえば化学研究室の武田が言ってたんだけどよ。この大学の研究室に、どんな悩み事も解決してくれる霊が――――、』


 なんて、もう話は次に切り替わり、隣の男はまたかよとげんなりした表情を浮かべる。噂好きなのか、もう片方の男は始終楽しそうで、そんな彼は隣の友人の様子には気付いていないようだった。


 そんな二人の会話を聞きながら、僕はというと。すっかり冷めてしまった豚の生姜焼きを前に、一切動くことが出来ずにいた。


「……そうだよな、このご時世、そんな話信じる奴なんていないよな」


 そう、思わず声を落とす。明らかに調子の落ちた声に、我ながら笑ってしまった。


 僕だって、冗談のようにそう言って笑いたかった。だって、それが普通だ。幽霊とか、都市伝説とか、そんなものはただのフィクション。――――そう、思いたかった。


 そのまま、僕はそっと食堂の端、券売機付近のカウンターを盗み見る。視線の先には、時間帯のせいかちらほらとしかいない院生たち。それと……その合間から覗く、明らかにその場に似つかわしくない姿――血塗れで軍服を着た男がいた。ここからは大分距離があるというのに、その軍服の男の姿は、周囲の人たちと比べると嫌にはっきりと目に映る。


『教官……まだ……』


 項垂れるようにしてそうぼやくその男のは、ひどく悲壮的で微かな音。けれど、僕の耳には確かにはっきりと聞こえてしまう。


 この食堂に入ってきた時から変わっていないその景色に、僕はすぐさま、けれど不自然にならないようそこからすぅっと視線を背け、深く深く息を吐いた。


「……いいなぁ、が見えない日常」


 そんな羨望の言葉を漏らしながら、僕はがくりと肩を落とした。




 昔からそうだった。僕の目は、どうやら他の人には見えていないものまで映しているらしく、ふと声のする方へ目を向けたら、普通であればそんなところにいないだろう人の影を見ることがよくあった。


 電柱のすぐ傍や事故があった交差点、トンネルの中……それはいたる所に存在していて、基本的には何をするでもなく彷徨ってる。それはきっと、俗に言う幽霊と呼ばれる存在なのだろう。


 僕のとってのそれらは、普通に人と見間違えるレベルにはっきりしていて。おかげで、この力に何度困らされてきたことか。何せ、普通に声が聞こえてくるものだから、めちゃくちゃ普通に反応してしまうのだ。


 本当、なんでそんな力与えてくれたんだろうか、神様は。


 僕はただ、平凡に日々を過ごしていたい。ただそれだけなのに。そんな些細な願いすら、叶えるのに苦労する。




 それから、どうにかご飯を食べ切った僕は、そそくさと食堂を後にした。次の講義が始まるまでまだ時間はある。けれど、あんなのがいる場所で心が休まるはずもないし、それなら閉鎖的な空間じゃない広い場所へ行きたかった。だから、気持ちを落ち着けるためにも、静かに過ごそうという一心で、中庭を目指した。


「――――あ、いたいた」


 けれどその道中、不意にそんな声が飛んできて、思わず足を止める。そのまま咄嗟に顔を上げた僕は、瞬間、眩いほどの鮮烈な赤を見つけて目を丸くした。


「……え?」


 その声の発声主は、ニコニコと笑みを浮かべながら明らかに僕を真っ直ぐに見据え、近寄ってきた。目が眩むほどの真っ赤な髪と、どこか古風な丸い形のサングラスを掛けた男性。目元は隠れて見えないが、スラッとした長身かつ堂々とした立ち居振る舞いから、格好良さが滲み出ている。そんな人物が、どういうわけか自分へと歩み寄ってくるものだから困惑する。


 もしや、僕の後ろに誰かいるのだろうか。そう思い後ろを振り返るも、やはりというか、僕の後ろには誰もいなかった。


 そうこうしていると、その赤髪の人物は僕の前で立ち止まり、徐にサングラスを外して、緩く柔和な笑みを浮かべた。


「やぁ。君が……高木ハルくん、かな?」


 初めまして。そう口にした彼の言葉にまた驚く。


「……どうして」


 なんで、僕の名前を。素直な疑問と、微かな恐怖が僕を包む。だって、僕はこの人のことを何も知らない。そもそも、この大学で一度も見かけたことのない人だ。そんな人が、何故僕のことを知っているのか。


 そんな僕の胸中を察しているのだろう。彼は、殊更表情を柔くして、『いやぁ突然ごめんね』と眉尻を下げた。


「俺はアキ。ここには仕事で来てるんだけど、とあるツテで、君を探すことを勧められてね」

「仕事、ツテ……?」


 アキと名乗ったその人物は、こちらの警戒を緩めようとしているのだろう。柔らかい声音でそう言葉を紡ぐ。そのおかげか、確かに怖そうな雰囲気は感じないが……不信感は残る。なにせ、彼の服装はどこもかしこも派手で、耳についてるピアスなんていくつ付けているんだと思うくらいだ。一見するだけでは、ちょっと真面な仕事をしているようには見えない。


 一体何の仕事なのか。それを尋ねようとした僕は、次いで告げられた彼の言葉に、咄嗟に口を噤んだ。


「まっかっかさんについて、君は何を知っているのかな?」

「――――っ!」


 問い、というよりも確認に近いその口調に、僕はただ息を呑んだ。



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