第二十八話 肉の門と絶望の秤

温泉の温もりを背中に残し、集落を後にして半日が経過した。

 標高を上げるにつれ、空気は次第に乾燥し、喉の奥を焼くような鉄の匂いが混ざり始める。

 緩やかな坂を登り切った私たちの前に、ついに「それ」は現れた。

 景公の王都。

 その巨大な威容を誇る城郭の入り口を塞いでいるのは、石でも鉄でも、ましてや古の魔法によって構築された結界でもない。

 巨大な、絶え間なく脈動し続ける「肉」の塊。

 数多の生物の組織を強引に編み上げ、腐敗と再生を同時に繰り返す、高さ十メートルを超える異形の門であった。

「……おじさん、あの門……泣いてる。ずっと、ずっと、助けてって言ってるよ」

 少女が私の漆黒の調理服の裾を強く握り、震える声で呟いた。

 彼女の純粋な感性は、その門が単なる無機物ではないこと、そしてその中に閉じ込められた無数の魂の嘆きを、正確に感じ取っていた。

 門の表面からは、獣の呻きのような、あるいは風が肉の隙間を抜ける際の悲鳴のような音が、絶え間なく漏れ出し、周囲の静寂を不気味に侵食している。

 鼻腔を突くのは、濃厚な獣脂が酸化し、腐り落ちたような悪臭。

 そして、それをごまかすために過剰なまでに振り撒かれた、鼻を焼くような香辛料の、人工的な刺激。

 一歩近づくだけで、胃の腑を直接不潔な手で掴まれ、中身を無理やりかき回されるような激しい嫌悪感に陥る。

「……ひどいもんだな。これは料理ですらない。ただの『廃棄物の墓場』だ」

 佐藤が門の数メートル手前で立ち止まり、その細胞の波長を読み取ろうとして、顔を土色に染めた。

「あれは……ただの肉じゃないんだ。

 生きたまま塗り込められた獣、そしてこの国の冷徹な中央政府に逆らった者たちの『未練』と『細胞』が、強引に一つの壁へと固められている。

 見てくれ、細胞がまだ死にきれずに震えているだろう?

 支配という名の重力に縛り付けられ、ただ、終わりのない苦痛を咀嚼し続けているんだ」

 これが景公という国のやり方、その本質か。

 生命を尊ぶのではなく、生命を単なる「質量」や「エネルギー効率の良い素材」としてのみ扱い、恐怖と効率で塗り固める。

 四川の火を継ぐ料理人として、これほど不快な、そして生命への侮辱に満ちた「壁」は、生涯見たことがなかった。

 門の頂から、一人の男が重力を無視したような動きで軽やかに飛び降りてきた。

 赤茶けた大地に土煙が舞い、その中から現れたのは、あの時、国境の天秤で私たちを嘲笑った、赤の調理服を纏った男だ。

「……案外、早かったな。四川の料理人と、その不味そうな一団よ」

 男は腰に差した二振りの包丁「双龍双刃」を抜き放ち、その鋭利な刃を私の喉元へと、冷徹な殺意と共に向けた。

「だが、ここから先は『選ばれた極上の素材』しか通さぬ掟。

 お前たちのような、泥臭い情けや安っぽい人情を振り撒く連中に、王の神聖にして完璧な食卓を汚させるわけにはいかないのだよ。

 ここはお前たちの墓場になる」

 男の言葉に応じるように、背後の肉の門が大きく波打ち、巨大な、粘液に塗れた口のように開き始めた。

「この『迷宮門』を通りたければ、貴様らの命の価値を、その腕で証明してみせろ。

 お前の右腕……。その不気味な、銀色の光を放つ腕を、まずは俺の至高の包丁で丁寧に捌き、王への供物として捧げてやろうか」

 私は何も答えず、ただ静かに、中華鍋の取っ手を右手で握りしめた。

 包帯を解いた「太陽の腕」が、景公の冷たく乾燥した大気に触れ、呼応するように銀色の光輝を増していく。

「……捌けるもんなら、やってみろ。

 ただし、俺の腕はな、お前みたいな志も魂も持たない二流の包丁じゃ、傷一つつけることはできねえぞ」

 男の瞳に、烈火のような怒りと、隠しきれないプライドの高さが宿った。

「二流、だと……?

 貴様、この私が誰だと思っている!

 この双刃は景公の王より直々に賜った、全土に二つとない至高の器。

 一振りすれば牛の巨体を細胞単位で瞬時に解体し、二振りすれば神の肉すら紙より薄く、その組織を壊さずに削ぎ落とす!

 貴様のような、路地裏を這いずる流れの料理人に、その真の価値が分かってたまるか!」

 男が猛然と地を蹴った。

 赤い残像を引き連れ、旋風となって私へと襲いかかる。

 その刃の軌跡は、まるで肉を貪り尽くす飢えた龍の牙そのものであり、一寸の狂いもなく私の急所を狙い定めていた。

 だが、私の視界は、かつてないほどに澄み渡り、世界の時間が引き伸ばされたように感じられた。

 右腕を支配していたあの鈍い麻痺は完全に消失し、代わりに宿ったのは、少女の祈りが形となった「太陽の光」。

 それが、迫り来る包丁の「振れ」の一ミリ、一マイクロ単位までを、高精細な映像のように脳へと直接投影していた。

「……遅すぎて、欠伸が出るな」

 私は一歩も動かなかった。

 右腕に意識を集中させ、全神経を指先へと流し込む。

 銀色と桃色が混ざり合った、超高密度の衝撃波が腕の周囲で迸る。

 私は飛来する双刃を避けることすらせず、剥き出しの右手で、その白熱した白刃を真っ向から掴み取った。

「な……馬鹿な!? 素手で、私の双刃を……止めたというのか!?」

 男の絶叫が乾いた荒野に響き渡る。

 自慢の、王の権威の象徴でもある包丁が、私の掌の中でミシミシと悲鳴を上げ、その構造が内側から崩壊を始めていた。

 私の右腕は今、少女の光によって、物質の分子結合すら自在に組み換えるほどの超高温と超圧力を同調させている。

「……料理人を名乗るなら、まずは自分の道具の『声』を聴くんだな。

 お前の包丁は、もう悲鳴を上げているぞ。……砕けろ」

 私が指先にわずかに、、ほんの数グラムの力を込めると、カキィィンッ!という、空間を切り裂くような乾いた音と共に、龍を象った名刀が、ガラス細工のように木っ端微塵に砕け散った。

 砕けた刃の破片は、弾丸のような速度で男の頬をかすめ、肉の門の深部へと深々と突き刺さる。

「……ヒッ……、う、腕が……俺の、俺の誇りが、人生のすべてが……ッ!」

 男は膝を折り、無様に地面を這いずりながら、砕け散った鋼の破片を拾い集めようとしていた。

 だが、私の関心はすでに、この惨めな男にはなかった。

 砕かれた刃の破片が突き刺さった場所から、肉の門が異様な、そして致命的な変容を見せ始めたからだ。

 破片が帯びていた私の右腕の熱に導かれるように、門を構成する「肉」の細胞が、沸騰するようにドロリと腐り落ちる。

 そこから無数の、赤黒い触手が、死肉に群がる飢えた蛇のように這い出し、周囲の生きているものをすべて飲み込もうと暴れ出した。

「……店主、油断するな! こいつはただの門じゃない!」

 石道朗が咆哮し、私の前に重厚な盾となって立ちはだかった。

 彼は右拳を地面に叩きつけ、集落で手に入れた希少な「岩窟石」の結晶を、障壁として一瞬で隆起させた。

「この門、ただの壁じゃねえ。……巨大な『生きた胃袋』だ!

 近づく奴を、片っ端から消化し、己の肥大化した質量に取り込もうとしてやがる。

 ……王都を守るための門そのものが、一つの捕食生物になってやがるんだ!」

 石道朗の懸念を裏付けるように、岩窟石の強固な壁に肉の触手が激しく打ち付けられ、不快な粘着音と火花を立てる。

 蜘蛛女郎もまた、自らの指先から、月の光を浴びたように白く輝く糸を繰り出した。

 彼女は門から溢れ出す、毒性を帯びた腐敗の瘴気を、その繊細かつ強靭な糸で封じ込めるように舞った。

「……なんて、救いようのないほど悪趣味な門なのかしら。

 ……こんなに不味そうなもの、私の糸で丁寧に、そして残酷に縫い合わせて、二度と汚い口を開けないようにしてあげるわ」

 仲間たちが自らの命を懸けて戦う背中を見つめながら、私は右腕をゆっくりと、円を描くように回した。

 内側から溢れ出す熱は、もはや私の意志だけでは抑えきれないレベルまで高まっていた。

 右腕の皮膚の下で、新しい血管が、黄金色の溶岩を流すように脈動している。

 

 私は、使い込まれた黒い中華鍋を高く掲げた。

 少女が私の背中にそっと手を添える。その小さな掌から、全霊の、温かくも鋭い光が私の中へと注ぎ込まれてくる。

「……おじさん、いって。

 あの門の向こう側で、誰かがずっと、何年も、何十年も泣きながら、お腹を空かせている。

 その悲しい声を……おじさんの料理で、終わらせてあげて」

「……ああ。待たせたな。……特大のメインディッシュを、その内臓ごとぶち込んでやる」

 私は右腕を、灼熱の銀河そのものへと変貌させた。

 道中で佐藤が自らの命を削るようにして厳選した「久世鳥」の最高級の脂身。

 そして、景公の過酷な大地で自生し、猛烈な辛みと大地の香りを蓄えた野生のスパイスを、鍋の中に叩き込んだ。

 爆発的な音が空間を震わせ、周囲の腐敗した瘴気を一瞬にして白熱の光で焼き尽くす炎が上がった。

 その火柱は空を焼き、肉の門に宿る怨念を、一滴の残らず浄化せんばかりに燃え盛る。

「……食いやがれ、この『不味い塊』がぁ!」

 私は白熱し、もはや光の塊と化した中華鍋を、肉の門の最も深く、暗い「口」へと真正面から叩きつけた。

 放出された熱波は、門を構成する数千万、数億の細胞の一つひとつに、一瞬のうちに均一な「火」を通していく。

 ジュゥゥゥゥッ!!

 大地を、そして空そのものを揺るがすような加熱音が響き渡る。

 先ほどまで絶望と怨嗟の呻きを上げていた門が、一転して、驚くほど芳醇で、本能を揺さぶるような香りを放ち始めた。

 門そのものが、この世で最も巨大な、極上のステーキのように焼き上がっていく光景は、まさに神話の一場面のようであった。

 私は、真っ赤に焼けた肉の壁へと、恐れることなく右腕の指先を突き立てた。

 その奥深くに隠されていた、門の形を維持し、生贄たちの魂を縛り付けていた「核」……王が埋め込んだ、悍ましい呪詛を纏った龍の骨を掴み、太陽の腕の力だけで粉々に粉砕した。

 ドォォォォン……!

 凄まじい地響きと共に、巨大な肉の門が、その自重に耐えきれず、左右に大きく割れた。

 だが、その勝利の瞬間に、私の右腕から、パチパチという不吉な放電音が漏れ出した。

「……はぁ、はぁ……っ、くっ……!」

 太陽の腕が、その燦然たる輝きを失い、代わりにどす黒い、制御不能な熱を帯びて私の皮膚を内側から焼き、炭化させ始めた。

 門の全細胞を瞬時に調理し、呪詛を砕いた代償。

 無理な同調と、爆発的な出力の反動が、私の肉体を限界まで追い詰めていた。

「おじさん! だめ、これ以上は……光が、光が足りないよ!」

 少女が必死に私の腕を抱きかかえるが、彼女の小さな掌からも、白煙が上がっている。

 門から溢れ出した紫色の瘴気が、死の雨となって周囲に降り注ぎ、私たちの退路を断とうとしていた。

「……店主、一度引くぞ。このままじゃ、全員まとめてこの瘴気に呑み込まれる!」

 石道朗が、崩れゆく門の破片を弾き飛ばしながら叫んだ。

 私は、自分の右腕の惨状を見つめ、静かに頷いた。

 これは敗北ではない。より確実に、景公の王という「史上最大の難敵」を料理するための、戦略的な一時撤退、すなわち『仕込み』の時間が必要だった。

 私たちは、命からがら、あの温かな灯火が灯る集落へと戻った。

 村人たちは、ボロボロになり、血と煤に塗れて帰ってきた私たちを見て、悲鳴を上げ、混乱に陥った。

 だが、村長はすぐに毅然とした態度で指揮を執り、私たちを村の奥深くへと導いた。

 そこには、石道朗がこの三日間、不眠不休で設えていた、純粋な「岩窟石」の結晶で囲われた冷涼な特別な部屋があった。

「早く、冷たい水を! 岩窟石を氷点下まで冷やして持ってこい! 店主の腕が燃え尽きちまう!」

 石道朗の怒号に近い指示で、冷却された石が、私の真っ赤に腫れ上がった右腕に当てられた。

 ジュッという凄まじい蒸気が、部屋を真っ白に埋め尽くす。

 その激痛の果てに、私の意識は深い、暗い眠りへと落ちていった。

 私が生死の境を彷徨っている間も、仲間たちは決して休まなかった。

 石道朗は、肉の門から命懸けで持ち帰った「核の骨」の破片、その呪詛を自身の炎で焼き払い、希少な地金「岩窟金」と合成。

 世界に二つとない、私のための「熱制御用外部骨格」を作り上げていた。

「……いいか、店主。起きたらこいつを試せ。

 あんたの中華鍋の取っ手に、このパーツを組み込むんだ。

 あんたの爆発的な熱を『増幅』させ、同時に、あんたの身体に熱が逆流しないようにするための、魂の防波堤だ」

 少女の献身的な祈り、仲間たちの寝る間を惜しんだ手当て、そして集落の人々の温かな善意。

 三日間にわたる、地獄のような治療と休息を経て、私の右腕は以前よりもさらに重厚な、琥珀色の、底知れない輝きを帯びるようになっていた。

 出発の朝、村長は震える手で、一つの小さな、だが途方もない存在感を放つ壺を私に託した。

「四川の旅の方よ。……これは、景公という国が、かつて支配と恐怖に染まる前。

 人々が等しく食事を楽しみ、笑い合っていた時代から守り継がれてきた『伝説の香辛料』の種火です。

 今の王は、これを『弱者の味』だと捨て去りました。……どうか、この火を、あの冷え切った都へ届けてやってください」

 私はその重みを、両手でしっかりと受け取った。

 それは単なる香辛料ではない。この国の人々が失った「尊厳」と「幸福」の質量そのものだった。

 再び、肉の門があった場所へと辿り着いた。

 門は崩れ、道は開かれていた。だが、そこには以前とは比較にならないほどの、黄金の威光を放つ軍勢が待ち構えていた。

 数百名の、一分の隙もなく整列した「黄金の重装兵」。

 その中央。不気味なほどの静寂を纏い、白の甲冑に身を包んだ一人の騎士が、巨大な剣を地に突き立てて立っていた。

「……景公の騎士団、第一隊長、シロ。

 王の食卓を乱し、この門を汚した野良犬ども……。

 ここより先、お前たちの汚れた血の一滴も、この大地に通すわけにはいかない。王の絶対なる意思の名において、貴様らを排除する」

 シロが放つ殺気は、物理的な質量となって、私たちの呼吸を止めようと迫ってくる。

 黄金の重装兵たちが、一歩、また一歩と、地響きを立てて前進してくる。

 だが、その瞬間、私の腰に括り付けられた伝説の壺が、共鳴するように脈動を開始した。

「……おじさん、聞こえる? 壺の中から、あったかい歌が……昔の、お母さんの料理の音が聞こえるよ」

 少女が私の腰に手を当て、瞳に涙を浮かべて微笑んだ。

 私が壺の封印をわずかに解くと、そこから溢れ出したのは、香辛料の匂いではない。

 かつてこの景公の地で、人々が等しく食卓を囲み、幸せを分かち合っていた時代の「記憶の火の粉」であった。

 その火の粉が、磁石に引き寄せられるように私の右腕へと吸い込まれていく。

 石道朗が作った岩窟金のパーツを媒介にして、私の銀色の太陽は、深く、強く、そして慈愛に満ちた「琥珀色の炎」へと変質を遂げていった。

「……シロと言ったな。……お前たちが守っているものは、なんだ?

 冷え切った城の中で、誰も愛さず、誰からも愛されない、ただ一人の孤独な男の、空虚な胃袋か?

 ……そんなもんを守るために、お前たちはその輝かしい命を使い潰すというのか!」

「……黙れ、野良犬。支配こそがこの世の唯一の秩序であり、強者のための美味こそが絶対の正義だ。……突撃せよ!」

 シロが冷徹に告げ、巨大な剣を振り下ろした。

 数百の重装兵たちが、地鳴りのような咆哮を上げて突撃してくる。

 琥珀色の炎と、黄金の剣が、空間そのものを切り裂くような轟音と共に激突した。

 シロの剣は、私の炎を切り裂くどころか、その刀身に琥珀色の火を宿し、まるで意思を持ったかのように赤熱し、歪んでいく。

「な……なぜだ!? 王より賜った、全知全能の武器が……なぜ溶ける!?」

「お前の剣は、まだ『素材』のままだ。命を殺すことしか知らない、ただの冷たい鉄だ。

 ……俺の炎で、その歪んだ魂ごと、最高の『調理器具』に焼き直してやるよ」

 私はさらに、右腕の岩窟金のパーツを極限まで励起させ、シロの剣へと、伝説の香辛料の熱を叩き込んだ。

 シロの黄金の鎧がみるみるうちに赤く変色し、その隙間から、彼が押し殺してきた「一人の人間としての温もり」が、湯気となって溢れ出した。

 シロは、膝をついた。

 支配という名の呪縛、王から与えられた偽りの美食という名の麻薬から、彼の魂が今、私の四川によって強制的に「解毒」されようとしていた。

「……暖かい。……なぜだ……。貴様は私を、私たちを殺しに来たのではないのか。……敗者に、なぜこのような慈悲を……」

「殺す? 勘違いするな。俺は、いつだって美味しいものを食べさせたいだけの、しがない料理人だ。

 不味いものは焼き直し、傷んだものは手当し、最高の状態で食卓へ出す。

 ……シロ。お前という男は、まだ、死ぬには勿体ないほどに『良い素材』だ。……もう一度、自分の足で立ち、自分の舌で、本当の味を知るんだな」

 シロは、静かに号令を発した。

 黄金の槍や剣が、一本、また一本と、乾いた音を立てて大地に落とされていく。

 崩れ落ちた肉の壁の跡地には、佐藤が道中で放った「久世鳥」の羽根が雪のように舞い降り、そこから瑞々しい草原と、名もなき野花が芽吹いていった。

「……行け、四川の料理人よ。……王は、最上階の、一切の水分を拒絶する『渇きの玉座』で待っている」

 私はシロを一瞥し、不自然に静かな、黄金のヴェールに包まれた王都の目抜き通りへと、ゆっくりと足を踏み入れた。

 少女が私の手を、以前よりも強く、離さないように握りしめる。

「……お腹、すいちゃうね。……こんなに綺麗で、お金がいっぱいありそうな街なのに、……誰も、本当に笑ってないよ、おじさん」

 少女の言う通りだった。

 立ち並ぶ豪華絢爛な建物、行き交う人々が纏う高価な衣。

 だが、そのすべてに「生活の匂い」がなく、人々の目は死んだ魚のように虚空を見つめている。

 

 私は腰の香辛料の壺をポンと叩き、目前に聳え立つ、天を突くような白亜の王城を見上げた。

「……よし。……まずは、この死んだように静かな街をな。

 通りすがりの奴全員が、腹の虫を鳴らして、駆け寄ってくるような『活気』と『匂い』で満たしてやるか」

 私の右腕の太陽が、再び琥珀色の光を放ち、熾烈に、かつ優しく脈動を開始した。

 支配の王都、その深淵へ。

 奪われた「食の喜び」を取り戻すための、私たちの四川の戦いは、今この瞬間、本当の幕を開けた。

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翠嵐の食譜(すいらんのしょくふ) みなと劉 @minatoryu

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