第二十五話 共鳴する魂、あるいは覚醒の黎明

三日間の休息。それは、荒野の静寂の中で、私たちの魂が互いに反響し合うための時間だった。

 神殺しの業を背負い、常に誰かを、あるいは何かを解体し続けてきた私の人生。

 そんな私にとって、これほどまで「他者の温もり」に意識を向けざるを得ない時間は、初めてのことだったと言っていい。

 少女は、この休養を「必要不可欠な神事」であるかのように捉えていた。

 彼女は、可能な限り私と共に過ごし、私の右腕を介して自分の「欲求」を満たそうとしているようにも見えた。

 だが、それは決して利己的な独占欲ではない。

 私が、再びあの地獄のような戦いの中に一人で突き進んでしまわないよう、人間としての「楔(くさび)」を打ち込もうとする、彼女なりの切実な献身だった。

「……おじさん、見て。今日は少しだけ、光の色を変えてみたの」

 夕暮れ時、河原に並んで座りながら、彼女は私の右手を包み込む。

 昨日の薄紅色よりも、少しだけ深みを増した、桃色の柔らかな残光。

 それが、私の右腕の神経を、赤ん坊の産声をあげるかのように優しく震わせる。

「……あたたかいな」

 私は、思わず本音を漏らした。

 料理人として、他者の「情(なさけ)」をこれほど純粋に受け入れたことがあっただろうか。

 彼女の優しさは、刃物のように鋭い私の心を、一枚ずつ丁寧に真綿で包んでいく。

 そして、それを受け入れる私の態度に、彼女もまた「私という人間の不器用な優しさ」を感じ取っているようだった。

 言葉はなくとも、伝わる熱がある。

 私たちは、この河原で、互いの魂を「調味」し合っていたのかもしれない。

 そんな私たちの光景を、少し離れた場所から見守っていた佐藤が、顔を綻ばせていた。

「……ほっこりするねえ。……地獄のような由良府にいた頃が、遠い昔のことのようだ。

 店主、あんたが少女を救い、俺たちを拾い上げた。その結果が、今ここにあるんだよ」

 佐藤の隣では、蜘蛛女郎(くもじょろう)が、さらなる技術の極致へと至っていた。

 彼女の指先が操るのは、もはや野草の繊維だけではない。

「……良きかな、良きかな。……素材は、この荒野のあちこちに溢れているよ」

 彼女は、風に舞う鳥の羽、岩陰に潜む野良猫の抜け毛、そして遠吠えをあげる野犬の毛を、空気から掬い上げるようにして集めていた。

 それらを、自らの異能の糸と絡め合わせ、一本の「超極細」の糸へと紡ぎ出していく。

 その糸は、絹のような光沢を持ちながら、鋼のような強度を秘めていた。

 彼女は、それを編み、景公(けいこう)への道中でどんな過酷な環境にも耐えうる、魔法のような防寒具を次々と生み出していく。

 その光景を目の当たりにした他の「不味いやつら」も、己の中に眠る可能性に火を灯し始めていた。

 彼らはもはや、他人の絶望を待つだけの亡者ではない。

 自分たちが生きるために、自分たちの「異能」をどう「生産」に転換するか。その努力を、惜しむことなく始めたのだ。

 中でも、驚異的な覚醒を見せた者がいた。

 石道朗(いしどうろう)という、かつては岩のように無口で、ただ金を積み上げることしか知らなかった男だ。

 彼は河原の岩石を一つ一つ、愛でるようにして触れ始めた。

「……聞こえる。……この岩の中に、眠っている『心臓』の声が」

 彼が指を立てると、硬質な岩石が、まるでおが屑のように脆く崩れ去った。

 その中心部から、目も眩むような美しい銀色の結晶――希少な鉱石が姿を現す。

 彼は、石の中に隠された鉱石の脈を見つけ出す、「鉱脈の天才」としての力を開花させたのだ。

 これにより、私たちは荒野のただ中にありながら、武器の素材、調理器具の補強、そして交易に使えるほどの価値ある資源を手に入れることが可能となった。

 だが、真に驚くべき覚醒は、佐藤自身の身に起きていた。

「……店主。俺も、ようやく自分の『役割』を見つけたみたいだ」

 佐藤は、かつての肉屋としての経験と、由良府の神々に植え付けられた不気味な呪いの力を、独自の形へと統合させていた。

 彼は、仕留めた獲物や、道中で拾った骨の残骸から、目に見えぬほどの微細な「細胞」を抜き取っていた。

 それらを手のひらの上で、錬金術のように合成していく。

「……これは、……細胞異種(さいぼういしゅ)。

 複数の生命の情報を掛け合わせ、新しい『動物』の雛を作り出す力だ」

 佐藤の掌から、小さな、羽毛の生えた四足の生き物が産み落とされた。

 それは、既存のどの分類にも当てはまらないが、確かに脈打ち、生命を宿している。

「……これがあれば、不毛の地でも、自らの手で家畜を育てることができる。

 細胞を操り、繁殖させ、新たな命の糧を産み出す。……酪農、あるいは畜産の、極限の形だ」

 佐藤の瞳には、かつての強欲な商人の光ではなく、命を育む「農夫」としての覚悟が宿っていた。

 私は、それぞれの能力に目覚めていく彼らの姿を、深い感動と共に眺めていた。

 蜘蛛女郎による「被服」。

 石道朗による「資源」。

 そして佐藤による「畜産」。

 これらは、ただの生き残りのための手段ではない。

 景公という未知の国、あるいは崩壊した世界の先で、新しい文明を築くための「復興の礎」そのものだった。

「……おじさん、みんな、自分たちの光を見つけたんだね」

 少女が、私の肩に頭を預けて囁いた。

「……ああ。……不味いスープから始まったこの旅が、まさか、こんなに力強い連中を産むことになるとはな」

 私は、少しだけ動くようになった右手の指先で、少女の頭を不器用に撫でた。

 少女の優しさに触れ、私の心もまた、頑固な鉄の殻を脱ぎ捨てようとしているのがわかる。

 休養は、無駄な停滞ではなかった。

 それは、次の跳躍のために、私たちの根を深く、広く大地へと張るための、最も重要な工程だったのだ。

 (休むこともまた、戦いか。……いや、休むことは、新しい命を産むための『土壌作り』だったんだな)

 私は、自らの内側にある四川の炎を、再び静かに燃え上がらせた。

 食材を破壊する炎ではない。

 仲間たちが産み出した服、鉱石、そして新たな家畜。

 それらすべてを「最高の一皿」へと昇華させるための、創造の炎だ。

 三日目の夜が、明けようとしていた。

 東の空に差す一筋の光は、もはや恐怖の予兆ではない。

 私たちの新たな船出を祝う、再生のファンファーレだ。

「……行くぞ。……景公は、もう目と鼻の先だ。

 俺たちの新しい力、……あそこの奴らに、たっぷりと味わわせてやろうじゃねえか」

 一行は、かつてない結束と共に、一斉に立ち上がった。

 右腕に宿る桃色の光、蜘蛛女郎が織りなす糸の輝き、そして佐藤が抱える新しい生命。

 それらすべてを背負い、私は新天地への最初の一歩を踏み出した。

 

 河原を後にする直前、私は昨夜、佐藤が作り出した「細胞異種」の小さな雛を見つめていた。

 掌に乗るほどのか弱い命。

 だが、その中には、絶滅の危機に瀕した多くの生命の希望が凝縮されている。

 (命を産み出す、か。……佐藤、お前は俺よりも先に、神の領域に足を踏み入れたのかもしれないな)

 料理人は、食材となった命を「終わらせる」立場にある。

 だが、その命を再び「循環させる」ことができるのであれば、それは究極の食育であり、究極の供養だ。

 佐藤の能力は、これからの旅路において、食糧問題という最大の難問を解決する鍵となるだろう。

 一方、石道朗が発掘した鉱石は、私の左手に握られた中華鍋の底を、より頑強に、そしてより熱伝導率の高いものへと変えていた。

 彼は私のために、鍋の裏に特殊な鉱脈のコーティングを施してくれたのだ。

 「店主、この鍋なら、由良府の火さえも、一滴も漏らさずに食材に伝えられるはずだ」

 彼の無骨な言葉に、私は静かに頷いた。

 少女が、私の右手を新しい布で包み直しながら、小声で囁いた。

「……おじさん、腕の奥が、すごく熱くなってる。

 私の光が、おじさんの元の力と混ざり合って、何か新しい『スパイス』になろうとしてるみたい」

 その言葉通り、私の右腕の痺れは、今や「心地よい振動」へと変わっていた。

 指先を動かすたびに、空気中の味の粒子が、色彩を持って見えるような感覚。

 これが、少女の光によって進化した、私の新しい四川の目だ。

 不味いやつらも、今や誇り高き職人の顔をしていた。

 蜘蛛女郎が紡ぐ衣は、私たちの心を一つにするユニフォームとなり。

 他の面々も、自らの能力を磨き、荷運びや偵察において、驚くべき効率を見せ始めている。

 (由良府の瓦礫の中から、こんな「宝石」たちが生まれるとはな)

 私は、背後に広がる荒野を一度だけ振り返った。

 そこには、私たちが三日間を過ごした足跡と、命を繋いだ焚き火の跡が残っている。

 それらはやがて風に消えるだろうが、私たちの魂に刻まれた変化は、決して消えることはない。

 「……準備はいいか。……ここから先は、景公の領域だ」

 私は、左手で重くなった鍋を背負い直し、右手を少女に差し出した。

 彼女がその手をしっかりと握り、歩き出す。

 前方の山脈が、朝日に照らされて黄金色に輝いている。

 あそこには、どんな食材が待っているのか。

 どんな料理人が、俺の四川に牙を剥いてくるのか。

 (休養は終わった。……さあ、調理開始だ)

 私の心臓が高鳴る。

 それは、恐怖でも、義務感でもない。

 新しい素材に出会い、新しい味を産み出すことへの、料理人としての純粋な、野蛮なまでの悦びだった。

 私たちは、一塊の熱い意志となって、未知の国境を越えていった。

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