02:フィオナが視ているもの



「今日はここに泊まります」


日が沈み始めた頃、馬車は国境手前の宿場町で停車した。そこはロイフォード王国に隣接するセルベーニュ公国だった。

ハドリーが案内した宿泊施設は豪華なホテルとまでは言えないが、それなりに格式のある佇まいだった。


「部屋はもう使っていいそうです。僕は一階で飲んでるので、食事の時は声をかけてください」

「「はい」」


中へ入ると一階はレストランになっていて、貴族らしき客たちがグラスを傾けながら談笑している。

手続きを済ませたハドリーから鍵を一つずつ受け取り、二人は階段を上った。


「僕は六号室だから……一番奥だ」


絵画や花で装飾された廊下を進んでいき、ふいにフィオナは五号室の前で立ち止まる。


「……レナルド」

「ん?」


そして六号室のドアをじっと見つめたまま、レナルドの服の裾をそっとつまんだ。


「部屋、交換してもらえないかな」

「奥の部屋がいいの?」

「うん」


彼女のことをよく知らない者が聞けば、ただの貴族令嬢のワガママだと呆れたかもしれない。

しかしレナルドは、すぐにこの言動の意味を察した。


「まあまあ、ちょっと入ってみようよ」

「あ……」


レナルドは柔らかい口調でフィオナを五号室へと促した。


「……の?」


扉を閉めた後、レナルドは真剣なトーンで尋ねる。


「うん」


フィオナは静かに頷いた。


「六号室の扉の前に、男の霊がいる」


フィオナには、人ならざるものが視える。

部屋の交換を求めたのは、その霊の存在を察したからだった。


「なるほど……」


レナルドは顎に手を当て考える。

「霊がいる」と聞いてレナルドが驚いていないのは、フィオナの特異能力に理解があったからだ。そして、彼自身も微弱ながら似たような能力を持っていた。


「僕に視えないってことは、ヤバいヤツではないのかな」

「多分……」


ただ、レナルドにはフィオナの言う男の霊は視えなかったようだ。


「見た目はちょっと怖かったけど」

「どんな?」

「スキンヘッドで、頬に大きな傷があって、筋肉質で……」

「なんか霊っぽくないな……」

「膝を抱えて座ってた」


その口ぶりから、フィオナは霊の身体的特徴まではっきりと視えていることがわかる。


「よくリアクションせずにいられたね……」

「慣れてるから」

「……そっか」


レナルドは眉を下げて苦笑する。


「そういうことなら、部屋は変わらなくていいよ」

「でも……」

「大丈夫だよ」


心配そうに見上げてくるフィオナを安心させるように、レナルドは柔らかく微笑んだ。


「僕だって少しは耐性あるし……ほっとけば害はないんだろ?」

「うん……」

「なら僕が六号室を使うよ」

「……わかった」


フィオナは渋々頷いた。


「何かあったら、私の部屋に来ていいからね」

「えッ」


レナルドの肩がびくりと跳ね上がる。

一般的に、結婚前の男女ふたりが同じ部屋で過ごすのは「いかがわしい」と非難されることである。

お年頃のレナルドが意識してしまうのは当然だった。


「う、うん。ありがとう」


しかしフィオナの表情を見れば、そこに他意がないことは明らかだった。


「ご飯食べに行こうか。荷物置いてくる」

「うん」


レナルドはほんのりと赤く色づいた頬が見えないように、鞄二つを持って部屋を出ていった。


(霊は……)


続いてフィオナも廊下に出て六号室の前を覗く。


(いない……)


霊がいなくなっているのを確認して、フィオナはほっと息をついた。


「いなくなったよ」

「そっか、よかった」


レナルドが戻ってきた、その時――


ガシャン!


「「!」」


食器の割れる大きな音が鳴り響いた。


「一階からだ」


フィオナとレナルドは顔を見合わせて階段を駆け降りる。


「酔っ払いよ」

「見苦しいわ……」


レストランにはすでに人だかりができていて、彼らの視線は窓際のテーブルに集中している。


「ここに座って酒を注げと言っているんだ!」

「こ、困ります……」


赤い顔の貴族男性が、ウェイトレスの手首を乱暴に掴んでいる。


「あ……」


酔っ払いの挙動に注目が集まる中、フィオナは彼の隣を注視していた。


『ミアちゃんに近づくんじゃねぇ……!』


先ほど部屋の前に座り込んでいたスキンヘッドの霊が、ものすごい形相で男にガンを飛ばしている。


「どうしよう、警備の人は……」

「……大丈夫」

「え?」


狼狽えるレナルドに対して、フィオナは落ち着いた声で呟いた。


「さっさと……」

「や、やめてください……!」

「うぐっ!!」


抵抗して女性が腕を引いたその瞬間――……男の身体が椅子から転げ落ち、ドスンと鈍い音を立てる。


「え……え??」


女性はパチパチと瞬きをして、自分の腕を不思議そうに見つめる。

どう考えても成人男性より力があるようには見えない、華奢で細い腕である。


「なんだ、気絶してるぞ」

「自分で転んだんじゃないか?」

「警備隊呼ぶか」


周囲の人は彼を、酔っ払って椅子から落ちた滑稽な男だと嘲笑った。


(彼女を守ってるのね……)


フィオナはすっと目を細め、薄く笑みを浮かべる。

この空間でただ一人、フィオナにだけ、真実がていたのだ。


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