第三章 レベル50と呪詛浄化⑦
盃が打ち鳴らされ、品のない笑い声が夜気を汚した。
救われた都の祝いは、誰かの犠牲を肴にして加速していく。
「結局のところ――浄化に必要なのは巫女の命ひとつだ!」
「ははは! 駒ひとつで都が安泰なら、安いものよ!」
「次もまた身代わりを立てればよい。
巫女など幾らでも代わりが利くのだからな!」
杯を打ち鳴らし、嗤い合う公家たち。
その声はあまりにも無情で、耳を疑うほどだった。
「……っ」
席の端で、千夏の拳が震える。
(美都を……私も、ただの駒だなんて……!)
怒りに堪えかねて立ち上がる四神たち。
道真の指は卓を握り潰さんばかりに固く、リトは声を震わせて吼えた。
「人の命を……何だと思ってんだ!」
その瞬間――澄んだ鈴の音が、夜の空へ落ちた。
ちりん。
宴の喧噪が一拍、薄くなる。
月景が鋭く顔を上げ、蓮の背筋が凍りつく。
(……この音は――)
「――愚かだね。本当に、救いようがないほどに」
高台から響いた声。
闇に溶けるように現れた静流が、扇をひらりと舞わせる。
次の瞬間、池の水面が黒く泡立ち、瘴気が噴き上がった。
「な、何だ!?」
酔いは一瞬で醒め、宴席の顔が蒼白に染まる。
黒き渦が爆ぜた。
瘴気は刃のように空気を裂き、公家たちを一気に呑み込む。
悲鳴が夜風に掻き消され、次々と池へ沈んでいく。
血肉と魂を糧に呪詛は膨れ、祝いの宴は、たちまち破壊へと変わった。
「な……なぜ我らを狙う!?
巫女! お前の役目だろう! 早く何とかしろー!」
傲慢な怒号が飛ぶ。
その声は千夏たちの怒りをさらに燃え上がらせるだけだった。
「……見苦しい限りだね」
蓮が、冷ややかに吐き捨てる。
「だが、放ってはおけません。無関係の者まで巻き込まれる」
道真の言葉に、四神は歯を食いしばり結界を張る。
月景が短く指示を飛ばした。
「まずは守る! その間に人々を逃がすんだ!」
しかし呪詛は膨張を続け、黒い触手が――千夏めがけて伸びた。
「千夏殿っ!」
脳裏に、美都が呑まれた夜が重なる。
またしても、大切な巫女を失うのかという焦燥が、月景の胸を締めつけた。
触手が千夏を絡め取ろうと迫った、その時――
「――危ないっ!」
少女の声が闇を裂いた。
次の瞬間、千夏の身体は強く抱き寄せられ、辛うじて直撃を免れる。
「……美都……!?」
「美都殿……!」
四神の目が大きく揺れる。
ありえぬ再会――だが確かに、その腕は温もりを持って千夏を支えていた。
「えっ……私を、知ってるの?」
美都は戸惑いの瞳を千夏に向ける。
記憶の糸は途切れているのに、胸の奥がひどく疼いていた。
(……この子を、守らなきゃいけない気がする。どうして……?)
「でも……どうしてだろう。身体が勝手に……!」
美都は千夏を庇うように両手をかざす。
思い出せないはずの祝詞の調べが、震える唇から零れ落ちた。
その声に応じるように光が迸る――
だが、呪詛は深淵から伸びる闇で押し返し、逆にふたりを引きずり込もうとする。
「うわ……引き込まれるっ……!」
足元が、池の底へ落ちていく感覚。
千夏が美都の腕を掴み、必死に叫ぶ。
「美都っ、離れないで!」
美都は歯を食いしばり、喉の奥から声を絞り出した。
「静流さーーーん!!」
名を呼んだ刹那、夜空に低く響く声が重なった。
「黒龍――ここへ!」
静流の呼び声とともに、闇を裂いて現れる巨影。
黒龍は瘴気の奔流を踏み越えるように舞い降り、美都と千夏を覆い隠す。
その背が庇った一瞬の隙に、呪詛の触手が弾かれた。
静流は美都の腰を引き寄せ、黒龍の背へとさらい上げる。
「静流さん!」
「……やれやれ。君は無茶をするね。そんなに私を困らせたいのかい?」
静流は美都を守るように抱き寄せ、その視線を下の四神へ突きつけた。
「四神よ――泣いて悔やむだけでは、誰も救えはしない。
次もまた、大切な娘を見殺しにするつもりか?」
胸を抉るような言葉が突き刺さり、四神は言葉を失う。
黒龍は冷たい月を背に、その主と少女を抱きながら夜空へと消え去った。
「待って! 美都!」
千夏の叫びは天へ届かない。
神泉苑にはなお濃い瘴気が渦巻き続け、逃げ遅れた人々の悲鳴が交じる。
千夏は唇を噛み、震える膝を叱咤して立ち上がった。
(泣いてる場合じゃない。美都が生きてるなら――)
「……やるよ!」
両手を合わせ、息を整える。
声は震えていた。けれど、目は逸らさない。
「美都が生きているなら……必ずまた会える!
その時まで、私は絶対に強くなる!」
祝詞を紡ぐ。
胸の奥――押し潰されそうな喪失の痛みが、祈りの熱へ変わっていく。
その瞬間、天を裂くような光が降り注いだ。
白い鱗が夜空を覆い、白龍が舞い降りる。
「――白龍!」
咆哮とともに白龍の尾が呪詛を薙ぎ払い、闇は一瞬で霧散した。
水面は月光に凪ぎ返り、篝火の赤が静かに揺れるだけになる。
「――汝に、我が力を貸そう」
白龍の声が千夏の胸奥に響く。
彼女の瞳から、迷いが消えていた。
四神は静かに頷く。
悲しみの中にも、小さな希望の光が差し込む。
◆
「……美都殿……」
歓声も、咆哮も、遠い。
蓮の心は深い闇に沈んでいた。
彼女は生きていた。生きていてくれた。
――だが、その瞳に、もう自分は映っていない。
黒龍の背で静流に抱かれる美都。
肩に寄せた頬は安堵に満ち、静流の腕の中で小さく笑っている。
「……っ」
蓮の胸に焼けつくような痛みが走る。
敗北感と羨望、そして抑えがたい恋情が、一度に突きつけられる。
篝火が崩れ落ち、夜風が血と花の匂いを運ぶ。
静流の復讐は始まり、四神の絆は再び試される。
そして、美都という名の少女は――
再び、光と闇の狭間へと消えていった。
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