第三章 レベル50と呪詛浄化④

◆sideー千夏


儀式のあと。

京の人々は「都が救われた」と浮かれ、宴の準備に取りかかっていた。


その喧騒が、千夏にはただ空々しく響いた。


――新たに巫女に任じられた。

そう月景から告げられても、素直に受け入れることなどできない。


屋敷に戻り、自室へ足を踏み入れる。

そこには昨日まで隣にいた美都の姿がない。


机の上に置かれた本。

一緒に作った押し花の栞が挟まれていた。


千夏はそれをそっと手に取る。

美都の笑顔が脳裏に浮かび、堪えていたものが決壊した。


「……なんで……どうして……」


栞を胸に抱きしめる。

次々と涙が溢れ、畳を濡らしていく。


「私が知ってるシナリオじゃない……。

ゲームの中盤で、巫女が死ぬなんて……そんな展開、知らない……!」


本来なら、呪詛を浄化し、白龍が舞い降りる。

幻想的で美しいイベントのはずだった。

攻略本にも、記憶にもない世界。


――最も大切な人だけを奪った現実。


その重さが、胸を締めつける。


「……美都……美都ぉ……」


名前を呼んでも、返事はない。

掌に残るのは、薄い栞だけだった。


――カタン。


障子の向こうで、小さな音がした。

顔を上げると、月景が立っていた。


「泣いていると思ってな……」


静かな声。

その瞳には、彼自身の悔恨が滲んでいた。


「月景さん……」


月景はそっと千夏の肩を抱き寄せる。

けれど言葉を探すほど、脳裏に蘇るのは美都の姿だった。


(……いつも苦笑いを浮かべながらも、弱音を吐かなかった)


前に出ることを好まない。

それでも折れない芯があった。

痛々しいほどに――ひとりで抱え込む強さが。


(もし、もっと寄り添っていたなら)


あり得ない「もしも」が胸を焼く。

悔恨が刃のように突き刺さる。


腕の中で泣く千夏は、助けを求められる。

けれど美都は、最後まで声を上げずに消えていった。


「……俺は……」


喉の奥で言葉が潰れる。

守ると約束した言葉は嘘ではなかった。

だからこそ、無力さが骨にまで染みた。


――だが今は。

せめてこの腕の中の少女を守らねばならない。


「千夏……泣ける時は泣け。……だが、お前を一人にはしない」


強く抱きしめながら告げたその言葉は、

月景自身への戒めでもあった。



◆sideー蓮


夜の神泉苑。

篝火も消え、賑わいを失った池は、冷たい月明かりを映していた。


その水面を、蓮はじっと見つめていた。


(……ここに、呑み込まれたのだね……)


目を閉じれば、あの瞬間が蘇る。

美都が怯まず祝詞を紡ぎ、黒い瘴気に囚われていった瞬間。


「……さぞ、怖かったことだろうね……」


あの温もりも、熱を帯びた唇も――もう二度と届かない。


「……私は、君を守りたいと思っていたんだよ……」


吐き出す声は、あまりに脆く震えた。


彼女が「器」に選ばれたと知った時、正直、心は動かなかった。

淡々と、儀式に耐えられるようにレベルを上げさせる。

それだけを考えていた。


けれど共に過ごす時間の中で、惹かれる思いは日ごと強くなっていった。


焦っていた。

儀式までに、必ず守れる力を身につけさせねばと。


「辛い思いをさせて……すまなかったね」


月に向かって詫びるように、蓮は続ける。


「でも、あの夜に告げた言葉も、熱に浮かされた想いも……全部が本心だった。君を……愛していた」


……命まで奪われると知っていたなら。

君をあんな儀式になど立たせはしなかった。


(言えたはずなのに……離れるなと。違う道を探そうと……)


悔恨が胸を灼き、足元から池へ吸い込まれていくようだった。


蓮は橋の中央へ進み、夜気を大きく吸い込む。

水面に揺れる月は、ひどく寂しげに見えた。


「……せめて、寂しくはないように傍にいるよ。

君が安らかに眠れるように」


触れることも、声を届けることもできなくとも。

ただ――君は決して一人ではないと、そう信じてもらえるように。


苑を包む沈黙の中に、彼の吐息だけが白く散った。


その時。


――ちりん。


どこかで、鈴のような澄んだ音がした。


蓮は息を止める。

聞き間違いではない。

池の水面が、ほんのわずかに波紋を描いた。


「……今のは……?」


誰もいないはずの夜の神泉苑で。

水だけが、何かを隠すように静かに揺れていた。



夜空の下。

三つの想いが、それぞれの胸で燻り続けていた。


未来を失った少女の涙。

寄り添えなかった男の悔恨。

そして、届かぬ誓いを捧げる男の孤独。


――けれど、池の底では。

まだ“終わっていない何か”が、確かに息をしていた。

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