第10話

 月光を糸に紡ぎ、そのまま織り上げたかのような銀髪。それは重力を無視して氷の中に広がり、波紋を描いている。

 色素の抜け落ちた肌は陶器を思わせる質感を持っていた。

 透けるほどに薄い皮膚。

 瞼は閉じられ、長い睫毛が頬に影を落としている。その先端には霜が降り、ダイヤモンドダストの輝きを纏っていた。

 身につけているのは、寒空には不釣り合いな、薄手のシュミーズドレス一枚。

 古びたレースの縁取りと、所々が擦り切れたシルクの生地。

 その布地から覗く肩や鎖骨は、華奢という言葉さえ生温いほどな危うさを孕んでいる。

 唇は薄い藤色に沈んでいた。


 ……美しい死体に見えた。

 美術館の硝子ケースに収められた展示品、あるいは精巧な蝋人形でなければ説明がつかない。

 呼吸をしている様子はなく、胸部の動きも見られない。ただ氷の中で停止させている。

 この極寒の中で、皮膚を透かすほどの薄着で、どれほどの時間を過ごしたというのか。

 おそらくは不要品として捨てられたのだろう。

 自分と同じ末路。

 やがて自分もオブジェとなって朽ちる。

 相違点があるとすれば、彼女は美しく、自分は薄汚いスーツ姿で終わるという事実くらいだ。

 ふらりと、足が前に出た。

 意思はない。駆け寄ったところで身体が温まるわけでもない。

 ただ、彼女が唯一、人の形をしていた。

 岩や氷ではない。

 自分と同じ、腕と脚を持つ存在。

 ……その事実に縋らなければ霧散してしまいそうだった。

 革靴が石畳を叩く音が響く。

 近づくにつれ、冷気が密度を増した気がした。

 足を止める。

 人工的な光に照らされた彼女の顔は、安らかな眠りについている。

 晴人はカイロを一つ右手に取る。

 それを握りしめたまま、晴人は自嘲気味に口元を歪めた。

 これを懐に入れれば、あと数十分は延命できるかもしれない。

 だが、その先に何がある。

 出口のない掃き溜めで、少しばかり長く震えることに価値など見出せない。

 虚しさが重く落ちる。

 供物にしよう。

 晴人は唐突にそう決めた。

 どうせ死ぬのなら、この先客に、最期の温もりを譲ってやるのも悪くない。

 それは慈悲などという高尚なものではなく、諦念とほんの少しの感傷だった。

 せめて微かな熱を添えてやりたい。

 自分が与えられなかった救いを押し付けることで、自身を慰めたかったのかもしれない。

 彼は震える指先で、透明な棺の表面をなぞる。

 氷の厚み越しに、彼女の頬の輪郭を確かめる。

 触れれば指が張り付きそうな極低温。

 彼は懺悔するような手つきで、その小さな熱を、彼女の頬のあたりの氷へと押し当てた。

 カイロ越しに、熱が、吸われていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る