第4話

 宣告。

 それが呼び水となり、静寂だった広間にさざ波が走った。

「存在しない、だと?」「存在しうるのか? そのような人間が」「赤子でさえ微かな光を宿すというのに……」

 貴族たちが顔を見合わせ、信じられないものを見る目で晴人を凝視する。

 ありえない。不気味だ。

 ざわめきはやがて一つへと収束していく。

 貴族たちが、扇で口元を隠し侮蔑を浮かべ始めた。

 覗く目は鋭さを孕んでいる。騎士と魔導師は何も言わない。だが、その瞳は共通していた。

 失望。

 不良品を見下ろす眼差し。

 王が、欠伸を噛み殺した。

 肘掛けに頬杖をつき、視線を宙に遊ばせる。徒労感が見て取れる。

「奈落に落とせ。廃棄だ」

 その単語が鼓膜を震わせ、脳で意味を結ぶまでに数秒のラグが生じた。

 廃棄。

 それは人間に対するものではない。期限切れの弁当や、壊れたコピー機に向けられる冷徹な記号だ。

 その二文字が意味するのは、尊厳ある処刑ですらない。

 脳裏に、プレス機に潰される鉄屑や、焼却炉で灰になる可燃ゴミの映像がフラッシュバックする。

 鉄の味が口の中に広がる。

 それは恐怖による幻臭か、あるいは噛み締めた唇から流れた血の味か。

 死の予感が思考を刺し貫いた。

 背筋を冷たい感覚が襲う。

「は、廃棄……? 待ってください」

 喉から漏れたのは、湿り気を失った風切音だった。

 自分の声ではないような響きが虚しく吸われていく。

 晴人は痙攣する唇を無理やり動かし、愛想笑いを浮かべようとした。だが、筋肉は恐怖で硬直し、ただ引きつった醜い形を作ることにしかならない。

 理性が警鐘を鳴らしていた。

 拉致。そして即座の処分。

 そんなことがまかり通っていいはずがない。

 彼は一歩、石の床を前に出た。

「俺は……気づいたらここにいて」

 抗議は震え、情けなく裏返る。

 だが止めるわけにはいかない。黙れば処分される。その確信が、凍りついた喉を無理やり開かせた。

「そっちの都合でしょう。勝手に連れてきて、要らないから捨てるなんて……とにかく状況を説明してください」

 必死に紡いだ論理。しかし、それは文明社会でしか通用しない盾だった。

 玉座から見下ろす王の瞳には、晴人の言葉など届いていない。処理すべき案件への眼差し。王と晴人は対等な立場にすらなかった。

 その隔絶が、晴人の膝を震わせた。

 直後、二の腕に激痛が走る。

 騎士の分厚い手甲が、スーツの生地ごと肉を締め上げていた。金属の感触が脳髄へ響いてくる。

 原始的な恐怖が論理性を粉々に破壊した。

 晴人は必死に靴底を床に擦り付け、抵抗を試みる。摩擦音を立てるが、相手は微動だにしない。鍛え上げられた筋肉と鋼鉄の前では、デスクワークで鈍ったサラリーマンの筋力など、枯れ枝だった。

「送り返すことはできないんですか! 無理なら、せめて当面の生活費を……交通費くらいは支給されるべきでしょう!」

 口をついて出るのは滑稽な権利主張だ。

 異世界で日本円が通用するのか、言葉が通じているのが奇跡ではないか。そんな根本的な疑問は、生存本能の悲鳴にかき消される。

 脳裏を、ふと自宅の光景がよぎった。流し台に置きっぱなしの、洗っていないコーヒーカップ。底に残った液体が乾いてこびりついているはずだ。自分が帰らなければ永遠にあそこでカビを生やすことになる。

 そんな無意味なイメージが涙腺を刺激した。

「口を慎め」

 騎士の一人、晴人より一回り背が低い男が言った。

 何かを呟いた後、指を鳴らす。

 ……音が消失した。

 晴人は喉を限界まで震わせた。

 だが振動が伝わらない。

 声帯は激しく痙攣しているはずなのに、音が出ない。自分の荒い息遣いさえも届かない。真空に閉じ込められた窒息感が、パニックを加速させる。

 口を開け閉めする無様な姿を人々が見下ろしている。

 嘲笑ですらない。

 水槽の魚を眺める、無関心。

 彼らはすでに晴人への興味を失い、談笑を始めていた。

 一人の貴婦人が、ふと床に視線を落とし、顔をしかめた。

 彼女の視線の先には、晴人が抵抗した際に靴底から落ちた、わずかな泥があった。

 美しい大理石の床を汚したこと。

 彼らが晴人に対して抱いた感情は、おそらくその程度の不快感に過ぎない。

 眼前を赤黒い膜が覆う。

 それは晴人の全身を包み、吐き気を催す浮遊感が再び内臓を揺さぶった。

 視界が歪む。

 煌びやかな光景が、ノイズとなって乱れ、色彩を失っていく。

 晴人の網膜に焼き付いたのは、貴族たちの背中だった。

 誰一人として、消えゆく異邦人を見送ろうとはしない。

 その拒絶こそが、この世界が彼に与えた、最初で最後の贈り物となった。

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