第三保管庫防衛戦・地下

 何一つ音がしない静まり返った壁床天井がある空間に一つ、また一つと、小さい足音が微かに響く。外ならば聞こえなかったかもしれないが、ここは金属とコンクリートで包まれた空間。微かな音だろうが外よりも響き、聴力の良い人間ならば聞き取れる。

 そんな空間をゆっくりと進む、ハンドガンを構えた三人の黒ずくめの集団。暗い黒と照らされた白の境界まで進み、その一歩前で三人とも止まる。目の前には入ってきたはずの地上にあった建物と同一の建物が静かに建っていた。

 先頭に立っている人間が後ろにいる人間にハンドサインを送ると、一人はすぐ近くにある直方体型の建物へ入って行き、もう一人は少し遠いもう一つの直方体型の建物へ入って行った。

 一人になった黒ずくめの人間はハンドガンを正面に構えながら、周囲を警戒する動きを取り始める。黒から白へと変わる境界を超えることはなく、脚を踏み出そうとする気配すらない。それから十秒ほどが経過したとき、中央にある建物から人の気配を感じ取り、そこに構えているハンドガンの銃口を向ける。

「――想定より少し遅かったな。迷路もどきがそんなに苦戦したのか?」

 どこからともなく男性と思われる声が聞こえ、三人の警戒度が跳ね上がる。周囲を警戒していた侵入者が見える限りの範囲を視認で索敵するが、この空間が音が反響するという特性もあってか、その声の主がどこにいるのか把握できない。

 白の領域に踏み入れば見つかるかもしれないが、それをすれば警報が鳴る可能性がある以上、迂闊に踏み入ることはできない。少なくとも、直方体型の建物の中を調べ終わるまでは。そんなもどかしさもある思考を周囲を警戒している侵入者がしていると、再び同じ声が響いた。

「装甲車で来ればいいものを、わざわざ徒歩で来るとはね。……――ああ、『月』の席に壊されたのか」

 先程の煽っているような口調はそのままに、まるで何かも知っているかのようなことを言ってくる。その声が言っていたことが事実だったと認めるかのように、白と黒の境界の前に立っている侵入者の顔が苦虫を嚙み潰したような図星を突かれた顔になった。

 そのことをどこで知ったのか、何故知っているのかといった疑問が頭に浮かび、思考を張り巡らせた。それでも周囲を警戒するリソースは残っているようで、目の焦点は合っている。しかし、そんな気丈に振舞っている様子は次に聞こえてきた言葉でいとも簡単に崩れてしまった。

「アレの手のひらの上で踊らされているという点においては同情する、六時間振りの案内人。それとも……二週間振りの窃盗犯、と言った方がいいか?」

 冷静を装っていた顔が崩れ、驚愕に染まる。周囲への警戒が完全になくなり、ハンドガンを握る両手の力が少し抜け、銃口が僅かに下を向く。頭の中を疑問と憶測が駆け巡り、軽いパニック状態になりかけている。

 何を言っている?

 何のことを言っている?

 何故、そのことを知っている?

 何故、今の自分の正体を知っている?

 疑問が疑問を、憶測が憶測を呼び、何が事実なのかが混濁し始めたとき、視界に映る中央の建物の前に一つの人影が現れた。ついさっきまでその場所になかった人影に驚きを隠せなかったが、冷静な判断ができる分の理性がまだ残っていたようで、慌ててハンドサインをその人影に向かって構えた。

 悠々とした様子でその人影――戒斗は左脇のホルスターからハンドガンを抜き、右手だけで構える。その銃口は無論ながら、目の前に慌てた様子で立っている侵入者に向けられている。

「そんなに驚くことか?そもそも、あの腹黒が何も知らないとでも思っていたのか?」

 戒斗が構えたハンドガンの先には、戒斗たち五人が幻廊府に着いたときに案内役をしていた女性の顔があった。恰好はスーツ姿から防弾の戦闘服へと変わっているが、見間違えている訳ではない。戒斗が注意すべきだと判断した人物を間違えたことなど、一度たりともない。

「……何時から知っていた?」

「腹黒、もとい『月』の席はお前たちがあの企業を襲う前から知っていたはずだ。俺は――案内人として会ったときから、だな」

 見るからに動揺している顔から発せられた震えた声を聞き、戒斗は近くでしか分からないほどのニヤリとした笑みを浮かべてからそう答えた。その笑みは答えを言いたかったからではなく、ようやく声を発して答える気になったのかという思いからくるものだった。一方的な問いかけは面白みがない。

 実習訓練を受けると決まった段階で戒斗と明日香に今回の戦闘で使うバッチを送ったということは、その時点ですでにこうなることが予測できていたということになる。つまり何が起こるのか知っていた上で、自分からは最低限の干渉のみして傍観していたということ。まったく、『月』の席――氷上鎖那という人間は本当に末恐ろしい。

「…………」

「信じるか信じないかは勝手にすればいい。俺からすれば、どちらでも構わないからな」

 この会話に関して、戒斗からしてみれば得るものなど何もない。しかし、目の前で動揺した顔をしている侵入者はそうではない。今自分が思っている、あるいは考えていることの答え合わせになっているから。

「……何故、お前は気付いた、氷上戒斗?」

 時間を空けて少し落ち着いた侵入者は、『月』の席が知っていた理由を聞くことはしなかった。目の前にいるのが『月』の席本人ではないからか、『月』の席の頭の中を理解できないと判断したからなのか。はたまた、自分の行動をどこまで読まれていたのかを知ることが怖いと感じたからか。

 話の焦点が自分に向いたことに意外さを感じ、戒斗は片方の眉毛をピクリと動かした。そして、構えているハンドガンの銃口を逸らすことなくその質問に答え始めた。

「背格好、体格、歩き方……。色々あるが、決定的だったのは……周囲への警戒の仕方」

「……?」

 戒斗の言っていることの意味がすぐに理解できず、侵入者は怪訝そうな目で戒斗を見つめる。戦闘とは無関係のことを多く話しているにも関わらず、戒斗の構えには一切の隙を感じさせない。まだ成人していない身でありながら、過酷な戦闘訓練を積んできた証。

「本当に『月』の席の部下ならば、あの状況で俺たちがいる背後への警戒はしないはず。俺たちは『月』の席に呼ばれた客人だからな。……警察二人には気付かれていなかったようだが、少なくとも明日香は感づいていたはずだ」

 侵入者――富士は戒斗の言葉を聞き、それが事実だったことを思い出し、過去の己を悔いたような顔をする。過去に起きたこと、やってしまったことをなかったことにはできないが、その考え方をしても後悔を止めることはできない。

 戒斗は幻廊府で会ったときに気付いたと言った。つまり、そのときに気付かれるようなことをしていなければ、今現在の情報的に追い詰められている状況に陥いることはなかったということになる。あくまで可能性の話だが、それでもその考えが脳裏によぎり、侵入者の精神をすり減らしていく。しかしその過程で一つの疑問が浮かぶ。

「何故……、そのとき捕まえなかった?」

「単純な話だ。俺たちへの依頼はこの第三保管庫の防衛、それ以上のことは伝えられていない。第一、あそこは幻廊府の建物の中だ。あの建物の中は戦闘行為や公務の執行は禁止のはずだろ?…………それでどうだった?……全てを知られた上で、泳がされた気分は?」

 質問とそれに対する答えを予め準備していたかのようなテンポで、戒斗はペラペラと答えていく。馬鹿にしていると捉えられてもおかしくはないような言い回しをしており、侵入者の顔が少しずつ歪んでいく。そして、普段は滅多にやらない大きな抑揚をつけた声とニヤリと笑った顔から出た煽りを添えて。

 台詞の最後の煽りでプツリときたのか、ハンドガンを戒斗に向かって構えていた富士が感情に任せて引き金を引こうとした瞬間、どこからともなくブザー音が地下空間に響き渡った。四隅に建っている建物の上に付いている光っていなかったランプが二つ赤く点灯し、白と黒しかなかった空間に危険な色が混ざった。

「っ!」

「……」

 状況が見るからに変化したことで感情を露わにしていた富士はその感情を鎮め、周囲の警戒へ切り替える。戒斗に色々言われ感情的になっていたが、これでも実戦を何度も経験してきた戦闘員。変化した状況への対応と切り替えの早さには目を見張るものがある。

 そこへ赤いランプが灯った建物から戻って来た二人が合流し、小言で状況の確認と整理を行う。視線は戒斗の方へ向いているが、意識全てが向いている訳ではない。そんな隙のある状況でも戒斗は構えているハンドガンの引き金を引こうともしない。まるで何かを待っているかのように。

 侵入者三人の小言の会話が終わり、これから攻撃を仕掛けるぞというタイミングになっても尚、戒斗は攻撃を仕掛けようとする素振りを見せない。三人の中で先頭に立っている富士がそのことに気付き怪訝さを示したとき、三人が入って来た入口から気配を感じた。

 それは戒斗も同じであり、視線のみをその場所に送る。するとそこには目の前にいる三人と同じ恰好の武装した二人が立っていた。一人がアサルトライフルを持っており、もう一人がバスタードソードを抜き身で持っている。その二人は辺りを軽く見まわしてから三人組の方へ駆け寄った。

「状況は?」

「敵一人、解除はあと二つ。そっちは?」

「……スナイパーを追っていたらここまで来た」

「……」

 戒斗にも若干聞こえる声で会話をする五人。自分たちの敵であることは間違いないが、自分たちにとっては障害にならないと思っているかのような考えを感じさせる様子。戒斗自身も、彼らが自分のことを油断はしていないが、見下していると何となく感じている。

(加里奈が最初に二人やっていたはずだから、……明日香が倒したのは五人か……。成果としては十分だな。……残り五人なら、俺と加里奈で何とかなる)

 戒斗が視線を侵入者五人からその右上辺りに移すと、黒いマントで見え難いが加里奈がスナイパーライフルを構えた状態で片膝立ちしていた。加里奈がいる場所はすでに防犯用アラートの核を解除された建物の屋上。赤と白のランプが灯っているが高さに差があるため、人工の光が加里奈の身を照らすことはない。

 加里奈がこの場にいることを確認した戒斗は、すぐに視線を戻し五人組が次に取る行動を警戒し出す。彼らの装備は近接が三つ、超近接が一つ、中距離が一つ。初動で加里奈が中距離を、戒斗が超近接を仕留めたとしても、残りの近接三人を同時に相手するのは戒斗であっても難しい。その三人全員がバスタードソードを持っていうことを差し引いても絶えるのが精一杯。ハンドガンとナイフだけでは、数を減らすことは不可能に近い。

「加里奈、中距離は任せた」

 最低限の口の動きで、周囲に聞こえない吐息レベルの小さな声で加里奈にそう伝えた。侵入者五人は戒斗のその口の動きに気付いた様子はなく、小さく布陣してすぐにでも戒斗のことを攻撃できるようにしている。核の解除は後回しで、先に戒斗を倒そうという判断らしい。布陣している場所は白と黒の境界のギリギリ手前で、その線を超えていない。

 敵の残りの戦力がこの場にいて、強力なスナイパーの援護もある。時間稼ぎの無駄話はここまで。待っていた状況は整った。

「――起動ブート

 今度は侵入者五人にも聞こえる音量で戒斗は声を発する。言葉としては何の変哲もないもの。しかし、この敵同士が相対している状況においては警戒せざるを得ない言葉。

 侵入した側からすれば主語がないため何を起動したのか分からないが、それが自分たちへ何かするためのものだということだけはすぐに理解できる。そのため、侵入者五人は最大限の警戒を以って死角がなくなるように展開し、何時でも迎撃できるようにした。

 そんな彼らと相対している戒斗は最初からこの場所で待ち伏せていた。それはつまり、罠や設置型の攻撃を仕掛ける時間が十分にあったということ。その規模や数が不明である以上、下手に動くことはできず、対応が能動的ではなく受動的になってしまい、全方位を警戒せざるを得ない。当然、戒斗自身が攻撃を仕掛けてくる可能性もあるため、戒斗への警戒も忘れていない。

 しかし、この場において最もマークしておくべきはずのスナイパーである加里奈のことは途中で見失ったせいか、あるいは戒斗や戒斗が置いたであろう罠への警戒度が急激に上がったせいか、侵入者五人の意識から外れている。

 最大限の警戒が生み出した緊迫した空気がこの地下空間を満たしたが、一向に何かが起こる気配がしない。それどころか、戒斗が侵入者五人に対して構えているハンドガンの引き金を引くことすらしない。

 侵入者五人の内一人が、戒斗が取った行動がはったりかと考え、警戒を少し緩めた瞬間、その耳に微かな音を感じた。遠く離れた場所で何かが落ちた、そんな音。

「?何か聞こえたような……」

「どうした?」

「いや、何か聞こえたような気がし――」

 隣にいる味方の様子が変わったのを見た侵入者の一人の問いかけに、その当人が答えている最中、確実に聞こえる音が遠くから聞こえてきた。遠くから確かに近づいてくる低く、そして重い音。地震が起きたのかと思うほど空間が揺れ、聞こえてくる音が近づくに連れその揺れは大きくなっていき、脚に力を入れていないと立ち続けることができないほどの揺れになっていく。

「何だ……⁉」

 それほどの揺れにも関わらず壁や天井は崩れることなく、亀裂すら入っていない。地震対策もかなりしているためか、地下空間に建っている五つの建物は倒れる様子すら見せない。

 そんな床だけではなく空間そのものが揺れている天変地異のような現象を前に、戒斗の中には恐怖や不安といったネガティブな感情はなく、むしろその口元には小さい笑みが浮かんでいる。戒斗に言われっぱなしだった富士は戒斗のその様子に気付き、戒斗がほんの少し前に呟いた言葉を思い出した。

 “起動ブート”。

(――!この揺れと音は、目の前のこの高校生が引き起こしたものか――‼だとしたら、マズイ……!)

 そう気付くや否や、先手必勝。敵である戒斗が起こした、用意していた攻撃がこの空間に届く前に、その戒斗を倒せば何も問題はない。富士はそう判断し、手に持っているハンドガンを銃口が戒斗へと向くように再度構え直し、その引き金を引こうとする。しかし――それは叶わなかった。

 空間の壁に、対になるように付けられていた巨大な円形の金属製の板、その片方が爆音とともに弾け飛び、その落下地点のコンクリートでできた床にクレータができた。それでも僅かにひびが入った程度で床が崩れる要因にすらならない。

 そして、巨大な円形の金属製の板が嵌まっていた部分から大量の水が滝の如く流れてくる。その圧倒的な質量の水が床に広がっていき、突っ立ていた五人組を飲み込もうとする。いつの間にか開いていた入口は閉じられており、水は外へ放流されることなくこの地下空間を徐々に満たしていく。

 すでに水深が数センチある浸水と、未だに流れ続けている水の勢いのせいで走ることができず、侵入者五人は重い足取りで何とか近くの直方体型の建物へと逃れようとする。戒斗の手によって、事前に仕掛けていた罠の類がこの水攻めだけとは限らない。そのため一目散に退避するのではなく、この機に乗じて戒斗が攻撃を仕掛けてくる可能性も考慮し、周囲を警戒しながら進んで行く。

 その最中、富士の視界には戒斗がいた場所に、誰も映っていなかった。戒斗が先程まで立っていた場所は今侵入者五人がいる場所よりも高い位置にあり、地下空間に入って来た水が未だ届いていない比較的安全な位置。だがその場所にいないということはその場所、あるいはその高さは安全ではないということ。

「早く上へっ!」

 己の直感を信じ、味方に指示を出す富士。その緊迫した指示を聞き、今取っている回避行動をさらに速めようととした瞬間、一つの銃声が鳴り響いた。アサルトライフルでもスナイパーライフルでもない、サプレッサーが付いていないハンドガンから出るような重い銃声。

 その銃声を聞き真っ先にどこに銃弾が撃ち込まれたのかを確認するために、侵入者五人全員は周囲を見渡す。しかし誰一人負傷した者はおらず、それどころか見える限りの地下空間の壁や床、建物には銃撃による損傷も見られない。一体に何を撃ったのだろうか考えていると、服や靴越しではあるが脚が触れている水が冷たくなっていくのを感じた。

 そしてふと自分の足元を見るとそこは――凍り付いていた。

「――っ⁉」

 銃声を聞く前は確かに水だった。だが、今それは氷になっている。それは侵入者五人がいる辺りの水だけでなく、この地下空間に流れてきていた浸水全てが凍り付いていた。流れ込んでくるために滝のようになっていた水も凍っており、源泉まで凍っているのか追加で水が流れてくる気配はない。

 いつの間にか吐いた息が白くなって鼻の先が赤くなっている。空気中には季節外れの白い雪が一つ、また一つと舞っている。場所と状況さえ違っていれば幻想的になるかかもしれない、それほどの光景。

 侵入者五人は必死に動こうとするが靴やズボンごと凍り付いているため、自身の脚が氷から抜け出すことができない。今出せるあらん限りの力を込めて脚を動かそうとしても、その周りの氷にひび一つ入ることはなかった。手にしている近接武器で氷を何度も攻撃しても傷が付く様子はなく、先に自分の得物が使い物にならなくなるのではと思いたくなるほど。

「――どうだい、氷漬けになった気分は?」

 声がした方向――第三保管庫の屋上に目を向けると、ハンドガンを左手で持っている戒斗の姿があった。持っているハンドガンは変わっており、マガジンが付いているものではなく、リボルバーになっていた。そのリボルバーは当然、戒斗が幻廊府の武器庫から借りたトランス鉱石を使った銃弾が装填されている六発式のリボルバー。

 戒斗のその台詞だけを聞けば煽っているだけにしか聞こえないが、その声には抑揚がなく、声の高さがさっきまでより一段と低くなっている。そのせいか、下にいる五人を見る目は殺気がこもった鋭いものになっていた。

 その殺気は肌を突き刺し、心臓をギュッと掴まれたような実戦を何度も積んだ戦闘員が命の危険を感じるほどのものだった。侵入者五人は生存本能に駆られるがままに持っている武器を構え、戦闘態勢を取ろうとする。アサルトライフルを持っている者はその銃口を戒斗へ向け、遅れて近接武器を持っていた者たちはそれをその場に捨てホルスターに入っていたハンドガンを抜いて同じように構えた。

 五人の内、唯一アサルトライフルを持っている侵入者が構えたと同時に引き金を引こうとするが、銃口から銃弾が出るよりも先にその側頭部に風穴が開いた。衝撃的な光景。見開かれる両目。生き残った四人は何の音もなく放たれた銃撃に戦慄し、忘れていたことを思い出した。

(無音の銃撃……いや、狙撃……!これは、地上にいたスナイパー――‼)

 視界に映ったままの戒斗はリボルバーの引き金を引いていない。そして、撃たれた方向から見ても戒斗以外の存在から撃たれたはず。つまりその人物は、地上で交戦が始まる前に侵入者を二人もって逝ったスナイパー。

 今生き残っている四人の侵入者がいる場所はスナイパーから射線が通っており、再び狙撃されてもおかしくない。それに気付き、焦燥に駆られるままに逃げようとするが、足元は凍り付いたままで下半身を動かすことができず、身動きが取れない。

 構えていたハンドガンを再度構え直し引き金を引こうとするが悲しいかな、低温によって自由が利かなくなった両腕ではそれすらままならない。引き金を引けた者もいたがカチッと音がするだけで銃口から銃弾が発射されない。何故と思いそのハンドガンを見ると、ハンドガン自体も凍っており、火薬に火が付かない状態になっていた。

 近接武器もハンドガンも使えないと分かり、富士は身体を動かさなくても使える〈幻想〉を使おうとしたが、何故か上手く発動しない。身体の周りに光る粒子が残り火のように出はするが、出てくる〈幻想〉は冷風を吹かせるそよ風だけ。どれだけ力を込めても、〈エレジー〉を消費してもそれ以上の威力を出すことができない。

 脚の感覚がなくなっていき、力が入らなくなっていく。氷に直接触れていないが冷気に触れ続けたせいか手の動きがどんどん鈍くなり、血が凍っているかのように武器を握ることさえままならなくなる。その状態になってようやく悟る。――詰みだと。

 身体を動かすことが叶わず、二つの銃口を向けられている。攻撃に使える武器すらもうない。絶体絶命。ここから逆転する手は――――ない。

 そしてそこまで考えた末、ある結論に至った。自分たちがこの地下空間に入って来た段階で詰み《チェックメイト》だったのだと。

 戒斗が侵入者の富士と会話をしていたのは情報収集や戦況を少しでも変えるためではなく、残りの二人が地下に来るまでの時間稼ぎだった。加里奈スナイパーはその作戦のために、自分を追ってきている敵二人を自力で仕留めず、地下空間まで連れて来たということ。

 つまり、第三保管庫を襲おうとしていた十二人は、最初から目の前にいる冷徹な目をした戒斗高校生の手のひらの上だったということ。『月』の席の次は一高校生の戒斗。二人の手のひらの上で踊らされたという事実はあまりにも屈辱的。しかし、それを挽回することはもう叶わない。

「安心しろ、まだ死ぬことはない」

 戒斗のその言葉を最後に、最後まで冷気に抗っていた富士の瞼は重い石のようにゆっくりと閉じ、意識が暗い海へと落ちていった。

 そうして地下空間に残ったのは極寒と呼べるほど気温が下がった空気と氷像のようになった四人の人間と一つの凍った亡骸、銃を構えた制服を着た二人の男女だけだった。


 戒斗と加里奈が撤退し、誰もいなくなった第三保管庫がある地下空間。加里奈の狙撃で亡骸となった者、戒斗が生み出した冷気で意識を失った者たちは足元の氷ごと切り取って外へ運ばれ、空間に人間はいなくなっていた。

 そんな人気が全くなくなった空間に一人の女性が立っていた。未だ氷は残っており気温が低いことに変わりはないが、その女性の恰好は寒さを感じさせないもの。立ち振る舞いも寒さを感じていないほど堂々としている。

「流石、私の子。〈幻想〉一つでここまでの氷河を作るなんてね。……これなら最初の介入は必要なかったかな」

 心の底から笑っているような笑みを口元に浮かべ、鎖那は上機嫌に氷の上を優雅に歩いていた。その歩みは金属やコンクリートの上を歩いているときとほとんど変わらず、スケートのように滑ることも転びかけることもない。

 侵入者を運び出すときに崩れたであろう氷の欠片を拾い、それを白いランプの方へ翳す。翳した氷の欠片はプリズムを通したときように美しい虹色が入った輝き方をしている。

「……自分がやった下準備、必要ありましたか?」

 不意に横から声を掛けられ、鎖那は脚を止めその場に止まった。ついさっきまでそこには誰一人いなかったはずで、まるで虚空から現れたような登場の仕方をしていた。顔は建物の影でよく見えないが、戒斗や明日香が通学している榴ヶ岡学園の制服を着ている。そして、その声は戒斗が聞いていたのなら、どこか聞き覚えがあったであろう声だった。

 鎖那はその声の主の登場に驚く様子を見せず、そこに人がいないと思わせる雰囲気を纏い、視線は前を向いたままであった。意識も向いているのか怪しく、右手で持った氷の欠片を左右に回転させてゆっくりと鑑賞している。

「あったわよ。あれだけ目立ってくれたおかげで、影を動かし易かったからね。……その後の桐葉を使った忠告は意味なかったみたいだけど」

 話はしっかり聞いていたようで、鎖那はタイムラグなしで不意にかけられた質問に答えた。返答している最中も氷の欠片の鑑賞は続けており、それを見た陰に隠れている人物は小さくため息をついていた。鎖那の耳にはそのため息は届いていたが、鎖那が何かしらの言動に移すことはなかった。

「残りの処理は任せたわよ、夜」

「――仰せのままに」

 鎖那の指示にそう答えた後、夜と呼ばれた人物は影に溶けるかのように暗闇へと消えていった。その出来事は一瞬で、そこには人がいたような痕跡は何一つなかった。

 再び一人になった鎖那は氷の欠片を動かすのは止め、それを見つめたまま何かを考え始めた。その姿は目を奪われる絵画のように美しく、白黒がはっきりとした空間と氷河も相まって幻想的と言っても過言ではないほど。

「普段なら気にしないのだけれど、今好き勝手されると困るのよね――」

 再び一人になった凍てつく氷河の空間に響き渡る透き通るような、されど鋭さのある凛とした声。もうこの場に鎖那以外誰もいない以上、独り言なのは間違いないが、その台詞は何処かへの指向性を持っていた。

 それからしばらくした後、充分鑑賞したからなのか、あるいは次の予定があるからなのか、鎖那は持っている氷の欠片を上へ投げた。そして、その氷の欠片が空中にある間に、鎖那は光が届かない暗闇に消えるようにその場を後にした。

 氷の欠片は放物線を描き頂点に達した後、自由落下していき床の上に作られた氷の上に落ちる直前、霧散した。砕け散ったのではく、文字通りに粒子サイズの結晶へと霧散し、欠片は虚空へと消えていった。


『月』の席からの指名依頼で、幻廊府が管理している第三保管庫を侵入者から防衛した日から四日が経過していた。戒斗と明日香、加里奈の三人は実習訓練後の特別休暇を終え、榴ヶ岡学園に来ていた。今回は異例に異例が重なった結果、通常一日だけの特別休暇が三日になっていた。明日香に関しては負傷はないものの、身体を酷使していたため、病院での検査に半日を使われていたが。

 天気は雲一つない快晴で、その暖かさを感じるために、三人は講堂の西側にあるコーヒーが美味しいカフェテリアのテラス席に仲良く座っている。戒斗と加里奈はカフェオレを、明日香は紅茶をゆっくりと味わいながら飲んでいた。

「そういえば……お兄ちゃんが捕まえた人たちは結局、生きてたの?」

 テーブルの上に置かれた皿に盛られている茶菓子を食べながら明日香が唐突に思い出したかのように疑問を口にした。ティータイムに話すような話題ではでないのだが、戒斗と加里奈はそれを気にするような素振りを見せない。むしろ、お行儀が悪いことをしたことに対する指摘を、加里奈が指を指すだけでしていた。

 すでに昼過ぎで、午後の講義が始まっている時間であり、テラス席から見える限りでは他の生徒は見当たらない。そんな光景だけを見れば、のほほんとした様子を目にすることができた人はいなかった。

「多少、後遺症が残ったらしいけど、生きてはいるみたいだよ」

「誰から聞いたの?」

「今回の実習訓練で一緒にいた、警察の二木警部補」

 前置きがなく唐突に聞かれたことだったが、戒斗は間を置くことなく即答した。カフェオレを飲む様子も自然そのもので、一切気が動転していないのが見て分かる。

 その横で明日香が小さい声で「可哀そうに」という言葉を言っていたが、二人には聞こえていなかった。その言葉は彼らが戦場で生き残てしまったことへのものなのか、それともこれから先、苦痛が待ち受けているであろう彼らへのものなのか。その真意は明日香本人しか知り得ないこと。

「ふーん……。……ねぇ、あの水ってどこから流れてきたものなの?」

 聞いてきたのは加里奈なのだが、帰ってきた答えが余程つまらないものだったようで、どうでもいいことを聞いたかのような反応をした。そして少し間を空けてから数日間、疑問に思っていたことを再び戒斗に尋ねた。

 戒斗も戒斗で加里奈の反応に対して特に気にする素振りを見せず、ただのんびりとカフェオレを味わっていた。そんな態度を取っていた戒斗だが、加里奈の二度目の質問への回答はすぐに言うことはせず、手を止め少しばかり意識が現実から離れた。

 あの地下空間に水源から水を放出する装置を起動させたものは、ルナを介して鎖那から渡されたバッチ。どこからという質問に対しての答えは、そこまで言わなくては加里奈が納得しないし、聞けることろまで聞いてくるはず。そのことを説明するためには鎖那と戒斗、明日香の関係、そして鎖那が『月』の席であることを言わなくてはならなくなる。仮にそんなことをすれば、鎖那に怒られるどころの話では済まなくなる。

 仕方なくそれらを隠した上で辻褄が合うように嘘をついて説明することにした。勿論、加里奈が納得するような内容で。

「……加里奈が先に出て行った後に貰ったバッチを使って、近くの貯水池から引っ張てきたんだよ」

 「…………」

 如何にもという間があったせいか、加里奈は戒斗の説明を半信半疑で聞きながら、その顔をじーっと見つめた。加里奈の視線が戒斗の目に突き刺さり、戒斗はそれを受け流すことなく同じように加里奈の目を見つめ返す。静かで鋭い祖先同士がぶつかり合い、しばらくの間その状態が続いた。

 そよ風が吹き、加里奈のシルバーブラックの髪がなびく。声を話すことなく見つめ合っている二人を前に、明日香は特に慌てる様子もなく何事もないかのようにティータイムを過ごしている。そして、いくら見つめても戒斗の表情が変わらないことにしびれを切らした加里奈は、視線を戒斗から外し小さくため息をついた。

「はぁ~、……そういうことにしておくわね」

 加里奈の視点では戒斗の説明には幾つか足りないところがあった。加里奈が第三保管庫の周辺の説明を聞いた部屋を出る前、戒斗と明日香のブレザーにバッチは付いていなかったが、戦闘状況が終了した後のブレザーにはバッチが付いていた。そのため、バッチが貯水池の栓を抜くスイッチのような役割を持っていたということにはある程度納得がいく。しかし、何故そのようなものを『月』の席が仮の戦力である戒斗に渡したのか、何故『月』の席が戒斗の幻想の詳細を最初から知っていたのかという疑問が残る。

 加里奈はそういったことを聞き出したかったが、それらが口外禁止の内容である可能性が高いと判断して追及することはなかった。詳しいことは何も知らない可能性もあったがその場合、戒斗はそれを言うはずの人間だからという理由で、戒斗に聞く前からその可能性を外していた。

「それで、あの後どうなったの?私は何も聞いてないのだけれど……」

 第三保管庫の防衛の戦闘を終えた後、戒斗と明日香、加里奈の三人は幻廊府へ帰還し、そこで待機していた二木と春の二人と合流した。その後、幻廊府の武器庫から借りていた装備を返却し、警察本部へ寄らずに生徒三人は車で家へ帰された。行きは警察本部で合流してから出発したのに帰りはそうしなかったのは、着ていた特別製の制服が血や火薬で汚れていたせい。

 その道中、今回の事件の後片付けや実習訓練の評価、幻廊府からの報酬などについて警察の二人は話すことはなかった。戒斗たちから話題にしなかったというのもあるが、二木がそういった話題に触れたくなさそうな雰囲気を出していたというのが主な理由。

 しかし、戒斗たち三人は事件に深く関与しているため、必要最低限の情報共有は必要。学園長の智恵を介してだが、リーダーということになっている戒斗は今回の件での後処理の内容を大まかに聞いていた。

「生き残った四人の身柄は警察に渡って、今は警察病院で治療中。警察側で知った情報は全て幻廊府に伝える、っていう話に落ち着いたらしい。……まぁ、一番無難な着地点だな」

 戒斗は少し黄昏ながら記憶を頼りに、智恵から聞いたことを話した。そんなに話を聞いていたときが大変だったのかと思わせるような表情をしていた。たかが聞いた話を伝えるだけでそんなことが起こるのかと思うが、前科がある智恵ならもしかしたら……と思えてしまう。

「……それで、私たちの評価はどうだった?」

 加里奈は戒斗の話しているときの様子の変化に気付いていたが、触れたところで何か起こる訳でもなく、むしろこちらが気疲れし兼ねないと思い、何も触れなかった。

「異例に異例を重ねられていたけど、警察が求めてた最善の結果だったということで、十点だとさ、全員」

「えぇっ!十点って、マックスじゃん!」

 一方で明日香は加里奈の問いに対しての戒斗の答えに驚き、この場で一番大きい声を出しながら身を乗り出した。幸いにも、テーブルの上に乗っているカップから紅茶やカフェオレが零れることはなかったが、危なかったことには変わりないので、加里奈によって子犬を躾けるように窘められた。

 榴ヶ岡学園の実習訓練の評価は一から十の十段階。この評価は現場で監督をしていた者が付けた評価を基に訓練内容を割り振った教員が付けるものであり、戒斗たち三人の場碧は智恵が付けることになっている。学園長が生徒が行った訓練の評価を付けるのは異例だが、今回ばかりは幻廊府が関与している以上仕方がない。

 実習訓練の評価は大抵の場合は六か七で、最大の十点が付くことは稀。前例がないということはないが、同年度で数人出れば上々といったレベル。実戦を行うことがほとんどであり、実戦経験がある生徒がほほとんどいないためである。余談だが、最低点の一点を叩き出した生徒は過去に一人だけいたらしい。

「最善の結果って?」

「犯人側に何も盗られていないこと。そして、犯人の内何人かを生け捕りすることができたということ」

 戒斗は悠々とした態度でそう答えて、カフェオレが入ったカップをテーブルの上に置き、中央にある茶菓子を口の中に放り込んだ。戒斗の目はここではないどこか遠い場所に向いており、何かを考えているような様子だった。

 その戒斗の様子を見た加里奈は何を思ったのか、同席している戒斗と明日香に分からない程度の小さい微笑みを口元に浮かべた。まるで懐かしいものを見つけたときのような、そんな表情。

 (……これもあの腹黒鎖那の計算通りなんだろうな……。一体、俺たちに何をさせたいのかね…………)

 そんな戒斗の内心を余所に暖かいそよ風が再び吹き、身体に残っていた冷たさを忘れさせた。その後ろで、自分たちの評価に喜んでいる明日香とそれをどうにか落ち着かせたい加里奈が騒がしくしていた。

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幻想が現実の世界で 紗々宮 シノ @Shin0_Neme

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