想定外と不自然な決闘

 石畳で舗装された道。その道の両端に等間隔に植えられた無数の蕾が咲き誇っている桜の木々。少し肌寒い風が吹き、枝に咲く花から散った桜の花びらが空を舞う。空中を優雅に舞う花びらたちは僅かなときを経て地面や石畳、屋根、そして白く艶やかなテーブルへと落ちていった。

 今年度最初の訓練から数日後の昼下がり。

 榴ヶ岡学園の敷地内にあるカフェテリアのテラス席に戒斗と加里奈が向かい合って座っている。テーブルと椅子は同じ白色で、プラスチックと軽金属でできている。テーブルの中心にはガーデンパラソルが刺さっており、暖かい日差しが肌に当たることなく遮られている。

 二十一世紀初頭ではあまり見かけなかったが今の時代、教育機関の敷地内、あるいは建物の中に食堂やカフェテリアがあることは一般的になってきた。この榴ヶ岡学園にもその二つはあり、カフェテリアに至っては何故か東館と講堂の西側の敷地の二つの場所にある。

 今戒斗と加里奈がいるカフェテリアは講堂の西側に建っている方。生徒の間では西カフェやドリンクカフェと呼ばれている。こちらのカフェテリアの方が東館にあるカフェテリアと比べて飲み物、特にコーヒー飲料が美味しいと評判だからというのが理由らしい。

「訓練の結果、どうだったの?」

 加里奈はマグカップに入ったカフェオレを飲み一息ついてから、目の前で携帯端末をいじっている戒斗に話かける。

「どうって……前とさして変わってない、ってしか言えないな」

「前と同じってことは……射撃はA+ってことだよね。まぁ、あれだけやっておけばそうなるのも納得よね……」

 加里奈は呆れた目で戒斗の顔を見てくる。何か変なことでもしただろうか、という思いを馳せながら戒斗は携帯端末に向けていた顔を上げ、加里奈の方に向ける。

 「リーナ、何でお前がそんな顔をしてんだ?どうせ、A-なんだろ?」

 「どうせ、とか言わないでよ。まぁ、確かにそうなんだけど……」

 おもちゃを取り上げられた子どもみたく片頬を膨らませ、加里奈は不服そうな声で呟く。その言葉は戒斗の耳には届いていたが、珍しく戒斗はそこに触れることはしなかった。

 昨年度通して、加里奈の実技のみの成績は学年でトップテンに入るほど。武器を使った戦闘もそうだが、〈幻想〉も戦闘に向いた強力な能力のため、そんな成績を叩き出していた。

「……それで、その、〈幻想〉の方はどうだったの?」

 加里奈はふと表情を戻し、傷物に触れるような気を使った話し方へと急に変えてきた。まるで、戒斗にとって触れられたくない地雷を恐る恐る触ろうとしているかのように。

 戒斗はその話し方が逆に気に障ったようで、目の前に座っている加里奈が分からないほど少しだけ顔を歪ませた。

「別にそんなに気にしなくていいって」

「そ、そう?」

「あぁ。全く気にしてないって言ったら嘘になるけど、〈幻想〉が全てじゃないしな」

「でも今の御時世、〈幻想〉が使いものになるかならないかは、結構重大だと思うのだけど……」

 加里奈の言う通り、今のこの社会にとって〈幻想〉があるのとないのとでは天と地ぐらいの差がある。そして、その〈幻想〉が戦闘や研究、産業、工業にどれほど活かせるかによってその〈幻想師〉扱いの差が裏では生まれている。表向きでは、そういった考えはしないようにするのがマナーであり、全ての〈幻想師〉のトップである幻廊府もその事実を認めていない。

 だが、所詮それは、人間の表面的な考え。人と接するときは薄い厚いの差はあるだろうが、壁や皮を作ってしまう。それが意識してのことか無意識でのことだとしても。そして自分が安全であるため、あるいは自分の安全を確保するために、自分より強き者から目を逸らす。そうして行きついた先には自分より弱き者がいて、今まで逃げて来た事実が嘘だと自分自身を騙すために、あるいは自分が優位であり安心するために、自分より弱き者を見下す。それがこの、人間という生物が生み出した社会の在り方。これはどんな環境、どんな時代であろうと決して変わることがない不変の理。

 これを聞くとほとんどの人は認めはしないだろう。認めてしまうと今まで自分がしてきたこと、自分の弱さを認めてしまうことになるから。

「そんなの気にしてたらきりがないだろ?それに……戦闘は〈幻想〉だけが全てじゃないしな」

「それって確か、戒斗のお母さんの受け売りじゃなかった?」

「まぁな。……ま、そのおかげでとことん鍛えられたけどな。否が応でも」

「……どんな人よ。一度でもいいから会ってみたいわよ」

 戒斗は自分の携帯端末に移っていた視線を動かし、底が見えるようになったコーヒーカップに目を落とす。その目にはいつかの過去の目に焼き付いた苦い光景が映っていた。

 戒斗という人間を知らない人から見れば、ただ深く考え事をそているだけの人にしか見えないだろう。しかし知っている人から見ればそうは思えなく、どこか遠くを見ているように感じられる。そこに何があるのかは本人以外分からないが。

「ま、それはさておき。そろそろ……来たか」

 またしても戒斗に話を逸らされたが、加里奈はむくれたりしなかった。これ以上戒斗自身のことについて深く話すのはよくないな、と思ってのこと。むしろ、バツが悪そうな顔を一瞬だが浮かべていた。

 そんな加里奈の内心の配慮と後悔を知る由もない戒斗が目を向けた先には、赤いインナーカラーが入った髪の女子生徒――明日香が小走りにこちらに近づいて来ていた。

「お兄ちゃん、待った?」

「そうでもないよ」

「久しぶりね、明日香ちゃん」

「うん、久しぶり。修了式振りだったっけ?」

「そういえば、それくらいだったな」

 明日香は戒斗より一つ下なので、当然ながら加里奈とも一つ下。それなのに何故こうも砕けた口調で加里奈と話しているかというと、平たく言えば、加里奈が敬語を使われることを嫌ったことが原因。

 出会ったのは加里奈が中等部一年の夏だった。加里奈は課題の手伝いを戒斗にしてもらうため、戒斗の家に訪れていて、そこで出会った。そのときの課題は武器の扱いについてをレポートにして提出するもので、十二、三歳の子供からすれば中々酷なものだった。何でそんな課題が出されたのかはこの際ツッコまないでおこう。

 戒斗の家でやることになった訳は、加里奈の家は色々あって使えない状態で、戒斗の家は広く親による制約がないといった理由。このとき、二人の間に反対の意見はなかった。今にして思えば、年頃の男女がどちらかの家に行くのはどうか思うが、起こってしまったものはどうこう言っても仕方ない。

 時期が夏休みというのものあって、明日香も家にいた。そんな状況で加里奈とばったり会わないのは無理がある。それがきっかけで何度か会っていくうちに今の関係に至る。

「それで、話って何なの?」

「ああ、それは……」

 明日香の問いに戒斗が答えようとしたとき、戒斗のポケットに入っている携帯端末が鳴った。絶妙なタイミングで、鳥肌が立つような嫌な予感しかしないのを堪えて戒斗はその電話に出る。

「……もしもし」

『やあ、久しぶりだね、戒斗君』

 電話越しについ最近聞いた声が聞こえてきて、戒斗は今すぐに切ってやろうかと思い、通話終了のボタンを押そうとしたが、ギリギリ理性が勝って思い止まった。

 今戒斗が電話に出ている携帯端末の番号はプライベートナンバーであり、学園に登録していない。この番号を知っているのは家族や友人といった限られた人だけ。つまり、学園長である智恵はこのプライベートナンバーを知っているはずがない。

 しかし、知っている理由は一つだけ思い当たる府がある。戒斗と明日香に実習訓練の話を持ってきた黒幕であろう、二人の母親である鎖那。その鎖那が智恵に連絡手段の一つとして戒斗のプライベートナンバーを教えたとすれば、合点がいく。そうと分かれば嫌な予感は増々膨れ上がる。

「……何の用ですか、学園長?」

『そんなに警戒しなくて構わないよ。君と私の間柄じゃないか』

 返事までに間があったのと声色から、戒斗が自分のことを何やら警戒していると智恵は考え、冗談じみたこと言ってくる。「君と私の間柄」というのは一体何のことだろうか。戒斗と智恵が初めて会話したのはつい最近の入学式の日であり、戒斗は智恵と仲良くなった覚えはない。

(何言ってるんだ、こいつは……?)

 戒斗は心の中で、心底呆れたような声で呟きながら会話を続ける。

「それで?」

 智恵のふざけている態度とそれに対する呆れさが増したせいか、取り繕っていた戒斗の敬語がトランプタワーのように簡単に崩れてしまった。そのことに本人は気付いておらず、無意識の内にそれが学園長との会話のデフォルトになっていた。

『相変わらず、つれないね……。そうだね、用としては大したものじゃないんだけど』

「なら、切ってもいいか?」

 智恵の返答を聞いた瞬間、思わず戒斗の指が再び通話終了のボタンに伸びる。しかし、後に続いた言葉を聞き、その指は動きを止め通話を切ることはなかった。

『そう焦らないくれ。話というのは実習訓練についてのことだよ』

「……だったら、そっちに行った方がいいか?」

『そうだね。そうしてくれた方がありがたい』

「分かった、すぐに行く」

 話が一段落し、戒斗は智恵との会話から意識を少し外して前を見ると、加里奈がハラハラした様子でこっちを見ていた。隣に立っている明日香はそれに反して平然としているため、相対的に強調された加里奈のその様子を目にした戒斗は一体どうしたのだろうと不思議に思う。

「どうした、リーナ?」

「……今電話してるのって、学園長なのよね……?」

「そうだが……それで?」

 そこまで言い終えて戒斗は気付いてしまった。加里奈が何に困惑しているのかを。

 自分たちが通っている学園の長と一生徒がプライベートナンバーが入っている電話で会話をし、あまつことさえ戒斗は途中からため口で話していた。事情や関係性を知らない加里奈から見たらどう思うのか。想像することは容易い。

「あー、その、なんだ。個人的に話したことがあって、その続きの誘い?みたいなものだ、これは……」

「お兄ちゃん。苦し紛れの言い訳だよ、それじゃ」

 戒斗は歯切れの悪い言葉を返すが、すぐに明日香にツッコまれてしまう。明日香の言う通り、今の戒斗の台詞は苦し紛れの言い訳としか聞こえない。誰かどう聞いてもそう思えるほどに。

 ため口の件はさて置き、戒斗としても実習訓練についての話は関係者以外に漏らしたくないのが本音。数日前の訓練では散々目立っていたが、今回ばかりは本当に目立ちたくないという意思が戒斗の中にはある。

「……取り敢えず、場所を変えるか」

 数少ない心から信用している友人である加里奈には、本当のことを話してもいいのだが、話すにしても話さないにしても、ここで話を進めるわけにはいかない。今戒斗たちがいる場所は榴ヶ岡学園の敷地内にあるカフェテリア。他の生徒たちの目や耳がある。場所を変えることをしても何かしらの噂になりかねないが、そちら方がまだマシであることには違いない。

「うん、分かった」

「……わ、分かったわ」

 明日香の方は戒斗の意図を瞬時に理解したらしく、即答で真っ先に動き出した。加里奈も戒斗の提案に頷いたが、どちらかというと話に流されたといった方が正しいだろう。

 戒斗と加里奈は空になったカップをカウンターに戻し、カフェテリアを後にした。

 三人が移動して着いた場所は、さっきまでいたカフェテリアの裏。人気が少なく秘密にしたい話を少しだけするのには最適な場所。本当は西館の裏まで行ってもよかったのだが、長く話すことはないだろうと判断しそうしなかった。また、智恵との通話がまだ切れていないのも理由の一つ。

「それで、さっきの話のことだけど……」

 移動したことにより少しは落ち着いたらしく、改まって加里奈の口から話が切り出された。その目は内容そのものに興味がある訳ではなく、どちらかというと戒斗のことを心配しているように感じ取れた。

 加里奈の改まった話の切り出しを受け、戒斗はどうしたらいいものか悩んでいると、右手に持っている携帯端末から戒斗のことを別の意味で心配した声が聞こえてきた。

『どうした?移動したようだが』

「あー……、今の話、少し聞こえていたらしいんだ」

『今の会話?実習訓練についてかい?』

「詳しい内容までは伝わってないみたいだが……」

 どうやら智恵は耳が良いらしく、通話越しでも戒斗が移動したことを感じ取ったよううだった。戒斗のことを心配しているせいなのか、さっきまでの馴れ馴れしい会話のときと打って違い、真剣さが増している。

『その生徒は誰だい?』

「同級生の岩刀加里奈だが……」

 智恵の唐突な質問に戒斗は少し戸惑いながらも加里奈のことを答えた。戒斗はそう答えてから加里奈の顔を見ると、ジト目になっていた。話の腰を折られたことに不満を抱いているのだろうか、それとも勝手に名前を出されたことに怒っているのか。どちらにせよ、今は加里奈に構っている暇はない。

 戒斗が智恵の唐突な質問に答えてから十数秒が経った頃、ようやく携帯端末の向こうから声が返ってきた。

『一緒に連れてきてくれ』

「は?本気か?」

 想定していなかった衝撃的な智恵の返答に、戒斗は思わず聞き返してしまった。飲み物を口に含んでいたら吹き出すか、噎せたりしていただろう。その答えに戒斗はそれほど動揺しており、同時に何故加里奈を学園長室に連れて行かなくてはならないのか理解できていない。

『本気だとも』

「……分かった。連れていく」

『頼んだよ』

 これは断ることができないことだと感じ、戒斗は文句を言うことすら諦め、智恵の要求を受け入れた。そして智恵が一度念押しした後、通話が完全に切れた。

 通話が切れたことを画面を見て確認し、戒斗は一旦落ち着くために息を吐き、加里奈と明日香に目を向ける。加里奈のジト目は直っていたが、複雑そうな顔をしていた。カフェテリアのテラス席にいたときと違い三人の物理的な距離が近いせいか、戒斗と智恵の今さっきの会話は全部聞こえていたらしい。明日香の理解できていない不思議そうな顔が、それを物語っている。

 智恵が言ってきたことをその場で否定していてもよかったのだが、戒斗自身の経験と知恵の口調から察するに、たとえ反対していたとも無意味になっていただろう。だからこそ、否定するようなことは敢えて言わなかった。

「それで……要約すると、私たちの話に参加させるためにリーナちゃんを連れていく、ってことでいいの?」

「まぁ、そうなるな。どうなるかは知らないけど」

 鎖那の教育の賜物か、それとも血筋か、明日香は前提の話を知っているからか、状況そのものはすぐに理解した様子。一方、加里奈は完全に話に置いてかれており、放心状態ではないが、頭が混乱しているようで目の焦点が合っていない。

「じゃ、行こっか、お兄ちゃん」

「――だな」

「あ、ちょっ……」

 明日香が加里奈を手を繋いで連れていく後ろ姿を見ながら戒斗は二人の後を追った。向かう先は当然、学園長室。年下が年上の手を繋いで連れていく光景は、何とも奇妙なものだった。


 一人しかいない寂し気な部屋に独特なリズム感の肉質的な音が僅かに響く。

 部屋の奥にある執務机の前に座っているこの部屋の主――智恵は手元に映し出されているホロウキーボードを使い何やら作業をしている。口を開くことは一切なく、視線は目の前のホロウウィンドウに固定されている。その姿には写真に収めれば美術館に飾ってあっても不自然さはないと思えるほど、ある種の美しさがあった。

 そんな集中している智恵の右横からポップアップのような音が聞こえてきた。その音に気付き、智恵は作業する手を止め、右横に顔だけを向ける。そこにはホログラムでできた丸いレンズが付いた球体が浮いていた。

『来訪者です。数は三名、全員生徒。……照合により特定。高等部一年、氷上戒斗、岩刀加里奈。中等部三年、氷上明日香。如何しますか?』

 ホログラムの球体から無機質な声が発せられ、まるでその球体に付いているレンズから映し出されたかのように小さいホロウウィンドウが映し出された。そこには部屋のドアの横に設置されている来訪者を見るためカメラの映像と、その映像に移っている生徒の顔の照合結果が表示されていた。

 そのホロウウィンドウを見てすぐに、智恵は迷うことなくホログラムの球体の問いに答える。

「入室させろ」

『了解しました。ドアを開けます』

 そう答えた後、ホログラムの球体は音もなく姿を消した。

 開けられた部屋のドアの先には制服を着た三人の生徒たちが立っており、ドアが開き切ったのと同時に先頭の男子生徒が部屋に入って来た。遅れてその後ろにいた二人の女子生徒も部屋に入って来た。先に入って男子生徒はその歩みを止めぬまま、智恵が肘を置いている執務机の前までやって来た。

「本来の話の前に、……何で岩刀も連れてこさせた?」

 智恵の目の前に立った男子生徒――戒斗が智恵が話すよりも先に話を切り出した。戒斗は目をやや鋭くし、自分の問いに対する智恵の答えを待つ。茶化した答えをした暁には、胸倉を掴まれそうな雰囲気を纏っている。戒斗の中では何となくは予想がついているが、それが合っているかどうか分からない。

「……予想ついているんだろう?それが答えだよ」

「……」

 智恵の返答に戒斗は眉一つ動かさなかったが、内心ではかなり驚いていた。思考や考えが読まれたのか、あるいは戒斗に関する何かしらの情報を予め得ていたのか。前者だとしたらここから先、腹の探り合いはできなくなる。後者の方の元凶は大方予想できてしまうため、現状ではさして問題にならない。

 この話の当事者である加里奈はまだ脳の処理が追い付いていないらしく、戒斗と智恵の会話に反応してない。中等部の頃からそうだが、加里奈はこういった戦闘ではない突発的なことに弱い。一方の明日香は戒斗と同じ答えに至っているらしく、ジト目になりかけている。

「岩刀も俺たちが受ける実習訓練に参加させる、ってことか?」

「正解だ」

 見事戒斗の予想が的中した。

 もしかしたら、智恵と戒斗の思考回路はよく似ているのかもしれない。戒斗からすればかなり嫌な仮説だが。

「はぁー……正気か?」

「勿論、正気だとも。何か心配事でも?」

「どう考えても心配事しかないだろ……!」

 戒斗は智恵が戒自分の目を見て驚くほど真面目に答えてきたことに呆れてしまい、大きなため息が出てしまった。智恵が今何を考えているのか全く分からない。

 戒斗と明日香を実習訓練に参加させるのは、二人に声をかける前から上と話がついていたのだから、異例ではあるが何ら問題がない。二人から見た心配事はこの際考えないとして。

 戒斗視点では、加里奈を参加させることはついさっき智恵が独断で決めたこと。そのため、戒斗と明日香のときのように関係者への説明などの根回しはまだできていないはず。その状況で「心配事はない」などとよく言えたものだ。

「問題ないよ。彼女はこの実習訓練に参加させる候補だったんだからね」

「え?」

「は?」

「……?」

 予想外の答えが智恵から返ってきて、戒斗は思わず腑抜けた声を出してしまい、思考が一瞬停止した。それは明日香と加里奈も同様で、戒斗より腑抜けた表情になっている。

 まるで時が止まったかのような誰も喋らない、誰も動かない静かな時間が流れた。その間、この状況を作り出した智恵は、ずっと涼し気な表情をしていた。一人だけ違うその表情を見て我に返った戒斗は不快ため息とともに静寂を破った。

「……おい。それ、一度も聞いてないぞ」

「まあ、言ってなかったからね」

「……はぁ、まぁいい。それで、準備はできているのか?」

 この話の裏側がどうなっているのかを考えるのを投げ捨てるように止め、戒斗は開き直ったかのような態度で智恵に大事なことの確認を取る。

「全部はできてないが、ある程度はもうできているよ」

「手が早すぎでしょ……」

 あまりにも手が早過ぎるこの返答には流石の明日香も心底呆れた声を出してしまった。ついさっき候補から昇格したことが決まったにも関わらずもう手を打っているとは、不自然にも程がある。

 こうなることを予期していたのか、あるいは偶然なのか。もし前者なのだとしたら、恐ろしく怖い。一体どこまで予測できているのだろうか。予想したのがAIである可能性は否定できないが、どちらにしろ怖いということは変わりない。

「それで日程なんだが……、明後日やることになった。準備しておいてよ」

「間に合うのか?」

「問題ないよ」

 日程としてはかなり早い方だが、今さっきの話を聞いた後ではさして驚きはしない。感覚が一般的なものからズレてきたのかもしれない。

「それと、一応聞いておきたいんだが……」

 話が一段落したことで、智恵は別の話題に切り替えようとする。さっきまでと違い、智恵の目は戒斗ではなく、戒斗の内側を除いているかのように訝し気なものになっている。その視線に気付き、戒斗は少し警戒したような姿勢を見せる。

「ん?」

「数日前、私宛てに身に覚えのないところから請求が来たんだが、心当たりあるか?」

「「っ⁉」」

 心当たりしかない。

 戒斗と明日香は実行した本人ではないが、実行に関わったという点においては、本人ということに変わりはない。何せ、止めようとはしなったのだから。というより、止める気なんてさらさらなかったのだが。

 戒斗と明日香は冷や汗が止まらない。「お返し」とは言ったものの、実際にこうして聞かれるとどう説明したらいのか、どう言い訳をしたらいいのか見当もつかない。

 一方のこの話には一切関係がない加里奈は頭の中を整理するために、執務机の端で何やらブツブツと小さい声で独り言を呟いている。

「ちなみに……どんなのが請求されていたんだ?」

「ん?別にいいが……ハンドガンのホルスターにマガジン、小型ナイフ……フックショットもあるな。何に使うんだ?」

 智恵は意図が読めない戒斗の質問を聞き、新たに出現させたホロウウィンドウを見ながらそう答えた。

 間違いない。戒斗たち――主にルナがリストアップして学園長である智恵に請求したものたち。ホルスターやマガジンなどは学園からすれば、ありふれた物だからそこから特定は無理だろうが、フックショットは違う。今時、フックショットを使う人なんてそういない。というより、使っている人など戒斗は見たことも聞いたこともない。

 そんな特徴的なものまでリストに載っているということは間違いない。ルナが戒斗と明日香の承認なしで智恵に請求したもの。

 しかし、身に覚えがないとはどういうことなのだろか。

(――っ!まさか、ルナの奴。わざと特定できないようにしたのか……!)

 まさかの事実に気付き、戒斗は心の中で舌打ちをした。請求をしたという話をしたとき、ルナは請求の理由も伝えたと言っていた。それなのに実際はそのことが書かれていなかったどころか、情報の発信源の隠蔽まで行っていた。つまり、ルナは戒斗と明日香に嘘をついていた、といことになる。

 今ここで自分たちが送った、とはっきりと答えてもいいのだが、その後どうなるか分からない。戒斗はどう答えたらいいものか、と悩んでいると突然、戒斗のポケットの中から声が聞こえた。そう、身に覚えがあるあの声が。

『一体、何に悩んでいるのよ?』

「ん?誰だい、この声は?」

「あー、その、何でもな――――」

『その声は学園長の柊智恵で合ってるわよね』

 この場にいない者の声が急に聞こえてきて、警戒しながらその声が聞こえてきた戒斗の方を鋭い視線で見つめてくる智恵。その視線の先が加里奈だったなら、パニックになっていただろう。それほど鋭く、肌に突き刺さるような感覚がする。

 これ以上の誤魔化しは意味がないと判断し、戒斗は潔く誤魔化すのを諦めた。ルナのことはできるだけ隠しておきたかったのだが、この状況では致し方ない。ため息をつきつつ、戒斗はポケットからレストランの中で使っていたように携帯端末を取り出し、執務机の上に置く。そこに映し出されているのは、やはりゴスロリ風の仮想アバターのルナ。

「これは……?」

 戒斗が執務机の上に置いた情報端末の方に智恵の視線が移り、必然的に戒斗に突き刺さっていた視線が消えた。そして、ルナの仮想アバターを見る智恵の目は疑問と好奇心に溢れていた。

「俺が持っているAIだ」

『正確に言えば、所有者は貴方ではないけれど』

「それは余計だ」

『あら、正しい情報を伝える方が信頼関係を作れる思うわよ』

「時と場合を考えろ」

 目の前で突如始まった口論もとい、じゃれ合いに目をぱちくりさせながら、状況を掴もうとする智恵。急に自分を置いて話が変な方向に進んでいき、面白く感じて少しの間それを眺めていたが、終わりが見えてこないことに気付き、無理矢理話を戻そうとする。

「……それで、何故そのAIが話に入ってきたんだい?」

『その言い方は失礼じゃないかしら?』

「それ、完全にブーメランだろ」

 戒斗のツッコミが空しくスルーされていく、そんな悲しい光景。再びじゃれ合いに発展しそうになり、智恵はその前に話題を確立させる。

「で、戒斗君。君が所有しているというこのAIが話に入ってきた訳は?」

 実際に動いている訳ではないが、智恵からさらに一歩強く前へ出てきたような圧を感じる。その圧に屈さないという意思の元、戒斗は少しだけ重くなった口を開く。

「……その請求なんだが……こいつが送った」

 戒斗は歯切れ悪く言いながら、ルナに右手の人差し指を向けた。指を指されたことを見たルナは不服そうな声を上げる。

『それだと、私だけのせいになりかねないわよ。戒斗も同意したじゃない』

「意見に同意しただけだ。それに、ほぼ全部お前がやっただろ」

『責任の擦り付けはよくないわよ』

「それはお前だろ。……で、何でこっちの情報を偽装したんだ?」

 いつも通りのじゃれ合いはさて置き、これが一番問題。何故情報の発信源を偽装、隠蔽したのか。嘘をつき伝えるはずだった請求理由を伝えなかった、というのも問題だがこちらの方が余程酷い。質が悪いどころの問題ではない。

『ちょっとしたドッキリだったのだけれど。どうだったかしら?』

「悪趣味だな。どんな思考してんだ」

「ほんとだよ。心臓に悪いよ」

『そう。今度からはもう少し趣向を変えるわね』

「またやるつもりなの?もういいよ……」

 ドッキリと言い張るルナに戒斗と明日香は遠い目でその仮想アバターを見つめる。ルナのプログラムをこの目で直接見てみたい。一体どんなプログラムを、学習をさせたらこんな変哲なAIができあがるのだろうか。

 聞いただけでも驚くほどの話をしているのだが、戒斗の横にいる加里奈は一切話に入ってこず、それどころかまだ頭の整理をしている。そんな様子を見てこのままでは埒が明かないと判断し、智恵は合掌するかのように手を叩いて大きな音を出し、この場を静かにさせる。すると、それまで話していた戒斗と明日香、ルナは黙り、一人で何やらしていた加里奈の意識も智恵の方へ向く。

「ということは、これを送り付けてきたのは君たちでいいんだね?」

 さらに圧を強くしながら智恵は、戒斗と明日香に請求されたリストが書かれたホロウウィンドウを見えるように向けた。そこにはしっかりと目を見張る請求額が書かれていた。一般的な自立している社会人ですら、購入ボタンを押すのを躊躇うほどの金額。これが差出人不明で送られてきたのだから、怪しまれても仕方がない。

『ええ、そうね』

「理由を聞いてもいいかい?」

『実習訓練の話を実質拒否権なしで持ってきてそれを二人が呑んだのだから、無理なことをお願いされても文句は言えないでしょう?』

「……」

 こじつけもいいほどだが、一応筋が通っているため言い返すこともできない。それを理解した智恵は苦虫を嚙み潰したような顔をし、無言を貫く。よほどの馬鹿でない限り、こういう反応になるだろう。

「ま、そんなわけだ。納得してくれるよな?」

「……確かに、こっちにも責任があるからな……。分かった、そういうことにしておこう。次からはなくしてくれよ」

「善処する。それと、追加で講義と訓練の免除も」

「ここぞとばかりに要求してくるねぇ……。君はもう少し遠慮という言葉を学んだ方がいいよ」

 智恵が折れてかなりの金額の交渉が成立したと思いきや、その隙を逃さずに追加で別のことを要求してきた戒斗。それなりの修羅場をくぐり抜けて来た智恵でも流石にここまで遠慮がない言動を取られることには慣れていないらしく、声と顔が若干引き攣っている。後ろで立っている佳林も同様の反応をしており、こちらの方はさらに冷や汗もかいている。

 この要求は戒斗からすればすでに決めていたことなので、智恵と佳林とは対照的でこんどは戒斗が涼しい顔をしている。まさに図々しさを体現しているような態度で戒斗はさらに辛辣な言葉を続ける。

「小言はいい。それで、返答は?」

「はぁー……。血は争えないとはまさにこのことなのかね。…………分かった。可能な限り免除はしておく。ただし……、ゼロにすることはできないから、そのつもりで」

 前半部分は声が小さくただ呟いただけで、近くにいた戒斗ですら聞き取れなかった。そのため、それに対して敏感なはずの戒斗は触れることすらしなかった。

 智恵は言い終わると同時に明日香の方をじろりと見てきて、明日香はその視線に身体をビクリと反応させた。「ゼロにすることはできない」という言葉は主に座学が全然な自分に対して言葉だったと明日香は察したらしく、冷や汗を垂らしながらそーっと両目を智恵から逸らした。

 これでようやく、戒斗とルナが事前に決めていた智恵に対しての要求の交渉という名の脅しが成功した。頼む側の身内に、頼まれる側の上の人間がいるのだから脅しと言わずして何と言うのか。それに加え、頼む側にいるAIが言い逃れや言い訳ができないほどのことを言ってくるのだから、間に挟まれた智恵は可哀想としか言いようがない。

「それで、やっと本題になるが……、明後日までに三人分の戦闘用の服は用意できるか?」

『それは無理ね。時間が足りないわね』

「お前に聞いてない」

『あら、そうかしら。残念ね』

 またしても発生してしまうこのじゃれ合いは全スルーし、智恵は自分に問いかけられた戒斗の質問に答える。

「こちらで用意は可能だ」

「どんなのだ?」

「最新技術を投入した防弾、防刃、耐熱の優れもの。因みに――、制服だよ」

「……なにその強そうな服」

 あまりにも高性能な服に明日香は絶句してしまう。

 防弾、防刃の服はこれまでに幾つも作られてきていたが、防護服やチョッキ、革ツナギがほとんど。スーツを着るにしても、中に着込む場合が多い。わざわざ学園の制服にそれほど無駄に高スペックな仕様を付けるのはどうかと思う。変装などなら役立つかもしれないが、三人とも警察に助っ人として行くのでその必要がない。

「一応聞くが……、何故、制服なんだ?」

「そんなもの、決まってるだろう。どこの所属か分かりやすく、街にいても目立ちにくいからだ」

 明らかに何か隠して、というより無理矢理嘘をついているような雰囲気でそう言ってくる智恵。これほど分かり易いものはない。変な予感がしつつも、念のため戒斗はそれについて聞こうとする。

 「……本音は?」

 「…………フッ、制服で戦闘って萌えないか――!!!」

 「……」

 ……これはダメだ。

 無駄に静かな間を空けた後、智恵は両腕を大きく広げ、清々しいまでの大声であまりにも馬鹿げたことを叫んだ。その声は部屋中に響き渡り、執務室のはずなのに反響しているかのように感じた。

 どうやら榴ヶ岡学園の学園長、柊智恵という人間は重度の変態らしい。末期のヲタクと言った方が正しいのかもしれないが、仕事にまで侵されているため、変態と言っても差し支えないだろう。

 こんな情報はどこからも入ってかなかったということは、情報統制がしっかりしていたのだろう。ルナですら掴めなかったのだから。こんなものを情報統制するのだったら、そのリソースをもっと別のものに使った方がまだ価値がある。

 戒斗は本っ当に心の底から呆れてしまい、右手の人差し指と中指を額に、親指を右頬骨に当て、大きなため息をついた。呆れすぎて智恵にかける言葉すら思い浮かばない。

 周りをチラリと見てみると、戒斗の反応とは違い、引いている。明日香なんて特にひどく、目どころか身体すら引いている。鎖那のおかげ(?)で変人には多少なりとは耐性がついているがこんな変人、変態は一度たりとも見たことがないし、会ったこともない。そもそも会っていたとしても、耐性がついていたかどうかは怪しいところだが。

 AIであるルナはというと仮想アバターは消してはいないが、うっすらとノイズが走り始めている。この部屋の通信環境はかなりいいため、ラグが原因ではないし、バグることなどルナに限ってあり得ない。つまり、ルナ自身がこのノイズを発生させている、ということになる。AIにすらこんな反応をされる人間がいたとは驚きものだ。

 加里奈は意識が完全に智恵の方に向いていたというものあり、目が見開かれている。さっきまで立ち止まって独り言を呟いていたのが嘘のように、立ち位置が一メートルくらい後ろに下がっている。見るからに頭がバグっており、思考が止まっているように見受けられる。明日香と違い身体が大きく後ろに下がっている分、オーバーリアクションに見える。

『……そろそろいいかしら?』

 ルナが声をかけるが無反応。

「……あのー、学園長?聞いてる?」

 ……明日香も問いかけるが無反応。

「……なぁ、マジで戻ってきてくれないか?」

 …………戒斗も頼み込むかのように声をかけるが無反応。

 何を言っても無駄のようで、智恵は完全に自分の世界に行ってしまっている。

 戒斗もこんな変態な人間には人生で一度も会ったことがない。そのため、どんな対応をしたらいいのかなど一切知らない。固まっている変態の智恵の後ろに立っている佳林に助けを求める視線を送ったが、結果は空しく首を横に振るだけ。

 ということで、今取るべき最善の手は――。

「よし、出るか」

 逃走である。

 この状況が続いても、ただただ時間の無駄。よって、智恵これを放置して逃げるのが得策。

『賛成ね』

「意義なーし」

「えっ⁉いいの……⁉」

 加里奈を除いて満場一致になったということで、戒斗は執務机の上に置いていたルナが映し出されている情報端末をポケットにしまい、そそくさと部屋を出て行った。明日香はその後ろを軽い足取りで追って行った。後味が悪いとか、そんなものはどうでもよく、智恵の言動に無関心でいる。ただそれだけで何も考えようとせず、退出する。

 加里奈はその場でアタフタしていたが、目の前の状況に流されるように、戒斗と明日香の後を追うように部屋を後にした。

 部屋に残されたのは馬鹿みたいに両腕を広げて固まっている変態と、呆れてものも言えなくなってしまった気苦労しかない補佐だけ。


 放課後。

 学園の西側にあるカフェテリアではなく、建物の中にあるとある休憩スペース。

 智恵変態化事件から数時間後が経過していた。

「ねえ、お兄ちゃん。学園長ってあんな変人だったの?」

 興味深々とは正反対と言っていいほどの枯れきった目つきで明日香は戒斗にそんなことを聞いてくる。

「そんなの分かる訳ないだろ。どこにも載ってないんだから……」

 戒斗は疲れ切ったようにそう答えた。

 あの後、勇気を振り絞ってルナが検索やら情報収集をした結果、「榴ヶ岡学園学園長柊智恵は変人――智恵の名誉のためにも変態とは言わないでおく――である」という類の情報はどこにもなかった。ルナですら情報を掴めなかったのだから、本当なのだろう。だが、実際には変人であったのだからそれが事実、ということになる。

「まさか、学園長があんな変な人だったなんて……」

「知らぬが仏っていうのはこういうことだったんだねー……」

「……気持ちは分かるが、目が死んでるぞ」

 智恵の変人化を目の当たりにしたときよりも悪化しており、明日香と加里奈は進化?退化?して死んだ魚のような眼をしている。精神までやられているようで、オーラも悪い意味ですごいことになっている。

 精神的ショックがひどすぎたせいで、どこかに寄りかかっていないと立っていられない状態に三人とも成り果てている。小さいときに鎖那から受けた影響からすればこんなものはかすり傷同然だが、久し振りというのもあり、戒斗と明日香にはかなりダメージがきている。身体的にも精神的にも。

 一方ルナは智恵に関する情報の真偽を確かめた後、仮想アバターと音声が消え、一切話しかけてこない。いつもならからかいに来るのだが、今日は何もしてこない。AIですらこのありさまなのだから、仕方ないと言い切るしかない。

「アレ、誰かに伝える?」

「何急に言い出してんだ?」

「私たち以外にもこの感じを理解してほしいから……」

 こういったことに耐性が一切ない加里奈が闇落ちしたような顔つきに変わっていた。誰かを道連れにしてでも楽になりたいといった考えがひしひしと伝わってくる。そんなことをしてもこの状況は改善されない可能性が高いのだが、今の加里奈にそれを言っても栓ないこと。

「ダメだ、お兄ちゃん。リーナちゃんが壊れちゃったよ……」

「……しばらく放置しておくか」

「だね」

 壊れたおもちゃのようになってしまった加里奈をどうにかする気力がない戒斗と明日香は智恵のときと同様、放置することに決めた。時間で直ることを祈るしかない。

 そんなことを兄妹で話していると、一人の生徒が三人がいるテーブルに近寄り、話しかけてきた。

「やぁ、君たち。氷上慎也君と、その妹の氷上明日香さんでいいかな?」

 声がした方向に目を向けると、そこには戒斗と同じくらいの身長の男子生徒が立っていた。身に着けているネクタイの色を見る限り、高等部の生徒であることは間違いない。今年高等部に上がったからなのか、戒斗はこの男子生徒を見かけたことすらない。

 初対面なのだから他人行儀なのは分かるが、戒斗は何か変な感じがした。具体的にどうとは言えないが、嫌な予感とは違う何かが変な感覚。これは戒斗の経験上の感覚に過ぎないが、警戒しておくことに越したことはない。

「……あぁ、そうだが。誰だ?人の名前を確認する前に、まず自分から名乗るももだろう?」

 疲れているように見える雰囲気を一瞬で変え、警戒したような態度で戒斗は席を立ち、目の前の男子生徒に名乗らせる。

「っと、これは失敬。僕は夏目将太、高等部三年生だよ」

 戒斗と同い年かと思いきや年上だった。同学年ならば話しかけてくる理由が容易に想像がつくが、上級生ならば話が変わってくる。

 そもそも何故、将太は戒斗と明日香のことを知っているのだろうか。同級生にしろ、上級生にしろ戒斗と明日香の名前を知る方法はないはず。この学園には部活やクラブ活動といったものはあるが、二人とも参加していない。そして、この学園は幻廊府の影響を受けているため、個人情報の管理は徹底している。

 訝し気な視線で将太のことを睨みつつ、戒斗は鎌をかけてみることにする。

「それで、何を知りたいんですか、先輩?わざわざ俺たちの名前を調べてから声をかけるなんて」

「――っ!大したことではないよ。確認しておきたかっただけだから」

 戒斗の返しが予想外だったからか、あるいは自分の行動を読まれたことに驚いたからか、将太は片方の眉をほんの僅かだけピクリと動かした。その後に発した言葉からは纏っているオーラの鋭さが目に見えない程度に増したようなものを感じさせた。

 その僅かな変化を感じ取り、戒斗の目がより一層鋭くなる。鎖那に鍛えられた戒斗の本能が「この人物は危険だ」と警鐘を鳴らしてきた。

 そんな戒斗の変化を確認した明日香は、将太に気づかれないレベルで将太のことを観察する。見た目は至って平凡だが、その奥深くにはどこか禍々しく思える何かをほんの一瞬感じ取り、すぐに観察眼を逸らした。その直感と判断は兄妹だからなのか、戒斗と全く同じだった。

「そんなに警戒しなくても、何も取りはしないよ」

「……それで、何を確認したいんだ?」

 戒斗の声が明日香と加里奈との会話のとき比べて一段、低くなった。殺気はないが、今にも攻撃しそうな、そんな雰囲気。

 そんな戒斗が向けてくる殺伐とした視線を、将太は飄々とした態度でいなし質問を続けていく。

「訓練で二丁のハンドガンを使って全弾命中させたのは、君で間違いないかな?」

「……名前まで調べてるのなら、それぐらいは聞かなくても確認は取れてるだろ?」

「うん……。確かに、もっともな答えだね」

 戒斗の挑発紛いの返答を聞いてやや考え込む将太。考えている姿はなかなか様になっているが、底に不気味な何かがそれを通り越して戒斗と明日香に伝わってくる。

 加里奈はこの緊迫感のおかげですでに正常な状態に直っており、一言も発さないまま、向かい合っている戒斗と将太をジッと見つめている。

「じゃあ、もう一つ。……実習訓練に参加するっていう話は本当かな?」

「……」

 この質問は戒斗にとって予想外のものだったが、それが表情や態度に出ることはなかった。しかしそれは抑えた結果であり、今にでも右手の指が動き出そうとしていた。今この場に銃があれば、戒斗はこの怪しげな将太に銃口を向けていただろう。戒斗にとって将太が、それぐらい危険度が高まった存在ということ。

 何と答えていいものか。正直に答えてもいいが、その後どうなるか分かったものではない。

「……その問いに答える前に、一つ確認しておきたいことがある」

「あぁ、構わないよ」

「じゃ、遠慮なく。……その情報、どこから聞いたんだ?」

 戒斗は本当に銃口を突き付けているかのように力強く、脅すときの声で情報の出所を聞き出そうとする。

「ついさっき、廊下で学園長がしていた会話を聞いてしまってね」

 戒斗の鬼気迫った質問に涼し気な表情で将太は答えた。嘘をついているようには見えないが、だからといって本当に嘘をついていないとは限らない。演技が上手いのかもしれないし、人を騙すのが上手いのかもしれない。

 それらを踏まえて戒斗は将太の全身をよく観察する。たとえどんなに小さい動作だろうが、必ず後々に役立つ手掛かりとなる。

「盗み聞きか……」

「人聞きが悪いことを言わないでくれよ。偶然聞いただけだよ」

 ……これは嘘だ。

 そう戒斗の本能が告げた。

 根拠と呼べるほどの根拠はない。強いて言うならば、将太の眉が少し動いただけ。口以外の動きがたったそれだけなのに、確実な根拠だと本能が認識している。

 それに、情報管理を徹底しているあの智恵が誰かが聞いているかもしれない場所でまだ公開していない重要な情報を口にするとは到底思えない。周囲を取り巻く情報、実際に会話した感触からしてこの推測には絶対の自信がある。

「おい、何を隠してる?」

「……何も隠してなんてないよ」

 戒斗の鋭く冷たい声に、将太からほんの僅かだが殺気を感じた。今話している戒斗だけでなく明日香に対しても。

「……回りくどいな。何が言いたい?」

 そっと明日香を庇うように戒斗は将太の真正面に立つ。そして、将太のより鋭い殺気を将太のみに向かって放つ。それを受け、将太も同様に戒斗に向かって改まって殺気を向けた。殺気と殺気がぶつかり合い、この休憩スペース内に息ができないほど緊迫した空気が張り詰め、今にでも決闘が始まるかのような一触即発の状態にになっている。

 流石にここまで場の空気が変わってしまうと、周囲にいる生徒たちが立ち止まってその状況を傍観し始めた。それを嗅ぎつけた野次馬がさらに集まってくる。人だかりが段々と大きくなり、それに比例し騒ぎも大きくなっていく。そこには教師もいたが、戒斗と将太の間に介入しようとする気配はなく、ただ静観するだけだった。

「……それで、答えの方はどかな?」

 周囲に人だかりができているにも関わらず、将太はそれを気にする様子を見せず飄々とした態度を維持している。戒斗の強気に出た質問を触れることなく無視し、将太は戒斗に返答を迫った。

「分かりきってんだろ?答えは……イエスだ」

「なら、学園長が認めたその力、試させてもらおうか」

 話し始めてから今まで変わることがなかった将太の口元にニヤリと笑みが浮かんだ。それを見た明日香はゾッとし、背中に冷たいものが走った。

「それは、決闘の申請として受け取っていいのか?」

「あぁ、それで構わないよ」

「……受諾する」

 その瞬間、周りにいた人たちの空気がまた一段と変わり、騒がしくなった。一番変わったのは教師ではなく生徒だった。時代がどうであれ、青春を謳歌している人間は多くいる。それが普段から戦闘に関することをしている者なら尚更。

「えっ⁉いいの、お兄ちゃん⁉」

「……!」

 いつもの戒斗なら、この手の挑発まがいのものには乗らない。それもあり、明日香は驚きを隠せず、心配そうに戒斗の方を見る。戒斗はその明日香の心境を感じ取ったようで、「大丈夫」と目で返事をした。

 加里奈は少し驚きはしたものの、神妙な顔持ちで無言を貫いていた。

「どこでやるんだ?」

「そこの訓練場を使えばいいだろう?」

 そう言って将太が指をさした先には、戒斗や加里奈が入学式の翌日に訓練に使った訓練場がある建物があった。


『……何喧嘩を買ってるのよ』

 戒斗と将太が決闘することになった屋内にある闘技訓練場の使用者用の休憩ブースにて、ルナの無機質な声が響き渡る。

 部屋の内装は大したものはなく、無機質なロッカーと椅子ぐらいしかなかった。

「それ以外の手はあったが、あの状況じゃこれが最善手だろ?」

『そう言われると確かにそうだけれど、……勝てるの?』

「さぁ……?」

 あの場で決闘を受ける以外の選択肢は幾つかあったが、そのどれを取っても戒斗にとって都合の悪い結果になっていた。ルナもそれと同じ結論に至ったらしく、特に言い返すことはしなかった。それどころか、ルナは決闘をする戒斗のことを心配していた。

「ねぇ、ルナちゃんなら相手のこと分かるんじゃないの?」

「確かに……!ねぇ、何か分かった?」

 壁にもたれかかって立っていた明日香は加里奈に言われた通り、手に持った端末に映し出されたルナの仮想アバターに問いかける。別に仮想アバターに直接問いかけなくてもルナには聞こえているのだが、明日香は基本的にはそういったことはしないし、好まない。明日香がルナを一人の身内として見ているという証拠。

 身内でもない加里奈がこの場にいることに特段理由はない。戒斗と将太が相対している場にいたから、というだけ。表に出していない本心としては、加里奈も戒斗のことを心配している。

『そうね……先に言っておくけれど、彼、強いわよ』

「どれくらい?」

 ルナの声にはいつもの茶化しているような感じは一切なく、本気で戒斗に対して警告していると伝わってくる。

『成績で言った方がいいわね。決闘の相手の夏目将太は高等部三年生の中でトップテンに匹敵するほどの実力者よ。勿論、訓練の方もね』

「うそー……」

「え……」

「……」

 ルナが話したことに明日香と加里奈は声が大きくならないほど驚き、戒斗は押し黙った。中等部と高等部は同じ敷地内の施設等を使っているが、直接的な関わりはなく、内部の詳細な情報についても行き来はない。そのため、今年度高等部に入ったばかりの戒斗と加里奈は、高等部内の実力者については全くと言っていいほど知らなかった。戒斗たちの反応はそういう理由が起因している。

 ルナが話した情報は戒斗にとってかなり悪い知らせだった。

 基本的に高等部三年生にはこの榴ヶ岡学園において、最高レベルの実力がある生徒が多い。今年度はまだ始まったなかりだが、それでも少なくとも三分の一は実習訓練を受け終わっているため、生徒の枠に限って実力は申し分ない。

 そして、その三年生のトップテンに匹敵する実力となると、今すぐにでも実戦で活躍する部隊などに参加できるレベル。そんな生徒と高等部に上がったばかりの生徒が決闘するなど、どだい無理な話。勝率はあったとしても、数パーセントあるかどうか。

「決闘だからといって、正面から戦う必要はないだろ?」

『それはそうだけれど……勝算はあるの?』

「さぁな。でも、ゼロじゃない」

 ルナの問いに戒斗はニヤリと笑い答える。その目には闘志のような輝きが宿っており、敗北を受け入れていない。勝率は限りなくゼロに近いけれど、ゼロではない。その事実が今の戒斗を支えている。

 ほぼ勝ち目がない現実に覇気が下がってきている二人を余所に、戒斗とルナは将太に勝つ方法を検討し始めている。

「アイツの〈幻想〉って分かるか?」

『電気よ。正確には電気を発生、操作するっていうものらしいけれど』

「電気、か……」

「何か問題でもあるの?」

 ルナの言葉の一部に反応する戒斗。そこに、ついさっきまで覇気がないような顔をしていた加里奈が会話に参加してきた。慣れてきたのか、それともこの手のことには元から慣れているからなのか、加里奈も明日香と同様に元の調子に戻っていた。

「問題っていうか懸念だな。電気の速度は光と同程度。見えてからじゃ反応できないんだよな」

「あー、なるほど」

「確かに、相性としては最悪ね」

 戒斗の説明に明日香と加里奈は納得する。人間はどんなに鍛えても電気より速く動くこと、早く反応することはできない。威力次第だが、もしかしたら一瞬で勝負がついてしまうかもしれない。

 戒斗のメイン武器はハンドガン。〈幻想〉は使わずに二丁のハンドガンを用いて戦うことが多く、それを加里奈は知っている。銃弾には金属が含まれている以上、電気に反応する。撃ち手がどれほど優れていたとしても、電気によって弾道が逸れて狙ったところに当たらない可能性が十分にある。加里奈が言っている「相性が悪い」とは、このことも含めてのこと。

「それ以外の情報は?」

『役立ちそうなのはないわね……ん?これは……?』

「?どうしたの?」

 ルナが珍しく本心から疑問を抱いているような声を出した。AIだからという理由かもしれないが、ルナは基本的には悩んだりすることはない。戒斗や明日香に悪戯するときは偶に悩むらしいが。だからこそ、ルナのこの様子に明日香は少しばかり驚いている。

『ちょっとね。どうやら夏目将太は相手が近づいたら倒す、っていう試合しかしてないみたいなのよ』

「情報が足りないな……」

 予想以上に情報が少なく、とても正確とは言えないものだった。なるほど、ルナが疑問を抱き、珍しい声を上げていたことに合点がいった。

 相手が自分に近づいたら攻撃するというのは至ってシンプルな戦術。しかし、そう容易い物もではなく、相応のリスクはある。全ての動きが受動的になり、基本的に攻撃のほとんどがカウンター狙いのものになってしまう。また、この戦術は防衛よりのものであるため、自分からの攻撃を基にした戦い方より難しく、経験がものを言う。つまり、自分のペースで戦うことが難しい玄人向けの戦術であり、何より他の生徒らが好むような華がない。

「的確に敵を倒すための戦術か、あるいはそれしかできないのか……」

「……?」

『夏目将太が〈幻想〉を使っての戦闘では接近戦しかできない、という可能性があるということよ』

「なるほど……」

 意識が思考に向いている戒斗の独り言の内容を疑問に思った明日香だったが、ルナの即座の簡単な説明に納得がいったらしい。座学が全然できないとは思えない程の理解の早さだった。

「でも、対策はどうするの?」

「分析するしかないだろ」

 戒斗の言葉に加里奈は思わず目が点になる。驚きを通り越し驚愕しており、見たことのないものを目の当たりにしたような顔をしている。対する明日香とルナは、逆に気にも留めていない様子だった。

「戦いながら……?」

「あぁ、それしかない」

「えぇ……?、本気なの……?」

「勿論」

 加里奈の震えながらの問いに、戒斗は口元に少し笑みを浮かべて答える。

 明らかに己より格上を相手に、その相手の能力や戦闘スタイルを分析しながら戦うなど無理がある。相手が手を抜いて戦うのなら可能性があるが、確実にそうなる保証はどこにもない。

「ま、やるだけやるさ」

 戒斗は持ってきていた鞄を開け中からハンドガンを取り出し、マガジンを入れスライドを引く。薬室に弾が一発入っていることを確認し、マガジンを抜き減った一発をマガジンに入れてから再度マガジンをハンドガンにセットする。同じ作業をもう一丁のハンドガンでも行い、腰にホルスターを装着した後、そこに準備ができた二丁のハンドガンをセットする。

 左右の手首に専用のホルスターを付け、そこに予備のマガジンを左右に三つずつセットする。右太ももに括り付けた鞘にナイフを入れ、近接戦の準備も一応しておく。将太は〈幻想〉で電気を使ってくるため、すぐに使えなくなってしまう可能性は高いが。

 そこまで準備を終えた戒斗を見て、明日香と加里奈は何も言わずに休憩スペースを後にした。残された戒斗は目を閉じ深呼吸を行い、集中力を高めていた。


 戒斗と将太の決闘開始までおよそ五分前。

 決闘の場所となる闘技訓練場は一対一、あるいは二対二を行えるほどの広さしかなく、客席もそこまで多くなく、せいぜい百人が座れるほど。その客席は八割ほど埋め尽くされており、そのほとんどが生徒だった。その中には教師の姿はあったが、数名しかいなかった。

 これほどの人数が集まったのは人間だからとしか言えない。将太が戒斗に決闘を申し込んだところを目撃したは人はそれなりにいたが、それ程の人数はいなかった。戒斗はこの決闘を宣伝していないし、将太の第一印象から見ても自ら宣伝することはしないだろう。つまり、決闘が行われることが決まった場にいた人たちがその情報を拡散し、観戦する人がこれほどまで多くなったということ。無論、それが人目が多くある場所で話しかけてきた将太の計算通りの可能性は否定できないが。

 そんな群衆の中に当然ながら明日香と加里奈の姿があり、二人は一番前の特等席に座っていた。

「ねぇ、ルナちゃん。本当に勝ち目はあるの?」

 明日香は心配そうに、手元にある戒斗から預かった情報端末に映るルナに話しかける。幸いなことに、明日香と加里奈の周りには誰も座っておらず、また客席が騒がしいため、周りを気にすることなくルナと会話することができている。

『そんなの、私に聞かないでよね。明日香はどう思うのかしら?』

「何で私に振るの?」

 自分が降った話をそっくりそのまま返される明日香。分からないから聞いたのに、聞き返されては困ってしまう。

「……お兄ちゃんが“やる”って言ったんだから、やれるんじゃないの?」

『お気楽ね』

「振ったのはルナちゃんでしょ⁉」

 加里奈はその二人の会話に口を挟もうとせず、その様子を笑顔で眺めている。とても今から身内がかなり分が悪い決闘を行うとは思えないほどの雰囲気を三人ともしている。

『後は戒斗次第ってところね……』


 闘技訓練場の中に相対するように立つ戒斗と将太。将太の右腰にはホルスターに入ったハンドガン、左腰にはバスタードソードが帯剣されてある。ルナの事前情報通り〈幻想〉をメインで戦うのかと思っていたが、どうやらバスタードソードを用いての近接戦もできるようにしている。

「すまない。こんな騒ぎになるとは思わなくてね」

「起きたことはどうでもいいだろ」

「……確かにそうだね」

 将太のこの台詞は少し疑わしい。本音なのか、あるいは今までのことが将太が書いたシナリオ通りなのか分からない。本音だとしても、これほどの人数が集まることを予め想定していたのかもしれない。

 だが今は、そんなことはどうでもいい。最優先で考えるべきことは、この夏目将太に

 そう、勝たなくていい。負けないことが大事。

 将太は戒斗の実力を確かめると言った。ならば、勝たなくとも将太に戒斗の実力を少しだけでも認めさせることができれば、それでいい。将太にとってこの決闘が見せしめの可能性はゼロではないが、それなりの人数に見られている以上、たとえ負けるとしても下手な負け方はできない。

 ――兄が妹の前で無様な姿を見せる訳にはいかない。

「始める前に一ついいか?」

「何かな?」

「AIを使ってもいいか?聞くところによるとあんたは強いらしいから、それくらいのハンデはいいだろ?」

 戒斗は、将太はこの程度のハンデを受け入れるだろうと考えている。実力を試す決闘だが、それを行うにしても〈幻想〉を含めた実力の差が大き過ぎる。ならば、少しくらいその差を縮めても何ら問題はない、というのが戒斗の考え。

「……別に構わないよ」

「そうか。それなら遠慮なく」

 少しの間があったものの、戒斗の予想通りの結果になった。正直言ってこのハンデがなければ、加里奈に言っていた分析しながらの戦闘はできないだろう。

 客席から向けられている好奇な視線を完全に無視し、戒斗はポケットにしまってあった片耳に付けるインカムを取り出す。それを左耳に付けてルナを呼び出す。それと同時に透明の眼鏡のようなホログラムが戒斗の目を覆う。

「ルナ、聞こえるな?」

『えぇ、大丈夫よ。それにしてもよくこんな手を思いついたわね』

「まぁな。思いつきだったけど、上手くいったみたいだな」

 ルナと問題なく会話できることを確認し、将太に向き直る。

 闘技訓練場には特殊な装置――損傷転送装置が用意されており、そこで戦う者はこの装置を使用する。

 損傷転送装置は指定した対象が物理的に受けたダメージを別の場所に用意してある身代わりに転送する。これは斬撃や刺突そのもの、銃撃も転送する。対象が物理的に斬撃や刺突を受けても、対象の身体にそれらの攻撃による傷はできなく、身代わりにそれら全ての攻撃がいく。銃撃も同じで対象に銃弾が当たったとしても対象の身体に銃創はできることなく、身代わりに銃創ができる。

 つまり、損傷転送装置は対象自身が受ける傷を代替わりしてくれるようなもの。受けるはずの攻撃を空間跳躍させ、身代わりに受けさせる、ということ。そのため、決闘では肉体的な負傷をすることはない。

 決闘の勝敗はどちらかが敗北を認めた、あるいは気絶などで決闘が続行不能となった場合。または、身代わりが蓄積分を含め、人にとっての致死ダメージを受けた場合。これらを判断する審判はAIであり、このAIは学園長である智恵によって管理されている。

 余談だが、損傷転送装置は〈アースガルド〉から来た兵器に使われていた物の一つで、今現在においても複製ができていない。そのため、非常に高価な代物であるが故に、榴ヶ岡学園には一つしかない。対象として指定できる数は最大十二であり、身代わりは耐久性の高い金属が使われることが多いが、実際のところは割と何でもいい。

「合図はどうなってんだ?」

「ブザーが鳴るようにしておいたから、そのタイミングで」

「……分かった」

 戒斗は自分の装備をもう一度確認した後、目を閉じて深呼吸をする。

 数秒後目を開き、相手となる将太の姿を目に捉える。

「ルナ、分析に集中してくれ。時間を稼ぐ」

『そんなことできるのかしら?』

「言っただろ。――やるだけやるって」

『そこまで言うのなら、分かったわ』

 明日香が持っている情報端末に出ていた仮想アバターが消え、ルナは今から始まる決闘での将太の分析に全リソースを向ける。

 それから十秒ほど経った後、闘技訓練場内にブザーが鳴り響いた。


『3,2,1――』

 ブ――――――。

 ブザーが鳴り、決闘開始と同時に戒斗は右腰のホルスターからハンドガンを抜き、構えた瞬間、将太の心臓に狙いを定めて引き金を引く。銃口から射出された銃弾は狙い通り将太の心臓に向かって真っすぐ飛んでいき――、将太が立っている少し前の何もない空間で弾かれた。

「っ!」

 決闘の開始とほぼ同時に撃った銃弾。不意打ちに近い攻撃に対応されてしまった。読んでいたのか、備えていたのか。

 だとしても、銃弾が将太の身体に届く前に弾かれてしまうとは。腰にあるバスタードソードを抜剣していないということは〈幻想〉による迎撃ということになる。これには流石に戒斗も想定外だった。

「学園長が推しただけはあるね。今の速度と精度は流石だね」

「……随分と上から目線だな」

 将太の口調はともかく、余裕があることは変わりない。少し腹立たしいが、戒斗の方は余裕などないため、無駄話に付き合っていられない。

「ルナ、今何が起きたか分かるか?」

『具体的には分からなかったわね。ただ、彼の周りに電気が走ったのは確認できたわ』

「電気?」

 戒斗はルナの言葉に反応しながらも、将太目掛けてひたすらハンドガンを撃ち続ける。

『えぇ。彼の周りにある分子が不自然な動きをしていたのよ。ついでに、静電気も観測できたわよ』

「つまり、〈幻想〉を使ったわけか……」

 〈幻想〉は使うとその周囲に存在している分子や原子に影響が出て、不自然な動きをすることがある。これは周囲の空間に作用するタイプの〈幻想〉特有の現象として知られている。

 その現象と、ルナが持ってきた事前情報では将太の〈幻想〉が電気であることから、将太の周りに走った電気は将太の〈幻想〉によるものだと考えられる。そして、自身に近づいたら攻撃するという情報は予想していたものとは方向性が違ったようだが、同じ〈幻想〉を使用した結果ということなのだろう。

 ――だが、今その推測はどうでもいい。

 重要なのは、目の前の事象から考えられる推測を確証に変える。そのためには多くの情報が必要。

 よって、取る行動はただ一つ。

「……分析を続けてくれ」

『了解よ』

 戒斗は左腰のホルスターにセットしてあったハンドガンを左手で取り出し、ハンドガンを両手に一丁ずつ構える。訓練のときとは構えを変えて、肘を軽く曲げて銃口をやや上に向ける。腰を少し落とし、古流の剣術のような構えをし、いつでも瞬時に動けるようにする。

「やる気満々だね」

「そりゃ、やるからには真剣にやらないとな……!」

 戒斗の構えや様子が変わったのを見て、将太は皮肉に聞こえる言葉を戒斗にかけた。しかし、戒斗はその言葉に軽く反応しただけで、会話を続けようとしなかった。今の戒斗にそんなことに割くリソースは一切ない。

 戒斗が両手にそれぞれ握った二丁のハンドガンの銃口から一発ずつ銃弾が放たれる。無駄撃ちをする気は一切なく、今までと同様に弾かれるとしても狙いは正確に、急所を目掛けて撃ち込む。

 戒斗は立ち位置を、狙いを逐一変えながらひたすらに撃ち続ける。

 右のハンドガンが弾切れになったのを確認した戒斗は、即座にマガジンリリースボタンを押し、空になったマガジンを床に落とす。右手首のホルスターにセットしてある新しいマガジンを左手の小指と母指球を起用に使いながら抜き、右手に握っているハンドガンに差し込み、左手首でカチッと鳴るまで押し込む。スライドストップを押し下げ、スライドが前進することにより薬室に新たな銃弾が装填される。ここまでにかかった時間は僅か一秒足らず。

 将太目掛けて飛んでいく全ての銃弾はやはりと言うべきか、一丁で撃っていたときと変わらず、将太の身体に当たる前に尽く弾かれている。翔太が〈幻想〉を使っていることは確かなのだろうが、電気そのものが速すぎて肉眼で捉えることができない。銃弾が弾かれる瞬間、白く光るのは視認できるがそれだけで、具体的に何が起きているのか戒斗には分からない。

 このままでは戒斗のハンドガンの弾が先に尽きて詰みになりかねない。その思考が伝わったのか、戒斗の左耳からお馴染みの声が聞こえてきた。

『戒斗、分かったわよ。彼のやってることが』

 待っていたルナの声を聞いた戒斗は、将太から距離を取るように大きく後退する。

「……ようやくか。それで?」

『超高電圧の電気が彼の身体から出て、戒斗が撃った銃弾全てを弾いていたわよ』

「銃弾は?」

『弾頭が蒸発していたわよ』

 ホロウの眼鏡の左端に戒斗が使っている銃弾の情報が表示される。そこには銃弾の弾頭が蒸発したということが図解を中心に分かり易く表示されていた。

「ライデンフロスト現象、か……。電気と言うよりプラズマだな……」

『そうなるわね。でもそうなると、銃は効かないわよ』

「あぁ、そうだなっ……!」

 戒斗は右に走り出し、左右のハンドガンに入っている銃弾の数を調整するために左のハンドガンのみで撃ち続ける。

「その電気の射程は?」

『七、八メートルくらいよ。何をする気なの?』

 左のハンドガンが弾切れになり、戒斗は足を止める。流れるように右のハンドガンをリロードしたときと同様に一秒足らずでリロードし終える。

 その後、戒斗はルナの質問に答えるかのように今までしていた構えを解き、将太を真っ直ぐ見つめる。

「どうしたんだい……?諦めたのかな?」

「そんな風に見えるか?」

「いいや、見えないね。むしろ、何か企んでいるように見えるよ」

 そうは言いながらも、将太はその場から動こうともせず、決闘開始前からやっている飄々とした態度を貫いている。見るからにまだまだ余裕がありそうにしている。

 決闘中とは思えないほどの落ち着いた会話に客席からは「早く戦えよ」などの戦闘の続きをしろ言わんばかりのブーイングが飛んでくる。そんな客席に座る者たちの態度に明日香は、不快な思いが前面に出て顔を歪ませていた。

 しかし、そのブーイングの先にいる戒斗は、それに意識を向けることなく涼しい顔で受け流し、会話を続ける。

「で、一つ聞くが……何で自分から攻撃してこないんだ?」

「何で、とは?」

「お前ほどの実力者なら、俺なんて簡単に倒せるだろ?」

「……」

 ここまでの戦闘から戒斗は、将太の〈幻想〉について三つの推測を立てていた。

 一つ目。身体を大きく動かすと〈幻想〉が使えない。あるいは〈幻想〉を使用するのに割く意識のリソースが多く、動きながらでは使い難い。

 二つ目。〈幻想〉の射程が短く、自身を中心とした半径七、八メートルより遠くには〈幻想〉を放つことができない。

 三つ目。〈幻想〉の細かい調整ができず、的が近すぎると自分自身に当たってしまう。

 無論、これ以外の可能性も考えられるが、戒斗はこの三つの中のどれかだという確信があった。

「……そこまで言うのなら、攻撃しようか?」

 逡巡があったものの、将太はそう言って左腰に帯剣しているバスタードソードを抜剣した。抜いたバスタードソードを両手で持ち、将太は正面に構えた。脚を前後に開き、腰を落とさない構えをしている。

 この時点で戒斗が立てた一つ目の可能性が消えた。自ら〈幻想〉を使えない状態に移るのはリスクが高すぎる。今の戦況は圧倒的に将太の方が有利。その有利を捨ててまで戦う理由が将太にはない。

 バスタードソードとハンドガンでは後者が有利。動きながら〈幻想〉が使えるのならばその限りではないが、使え難くなってしまってはどちらにせよ、有利を捨てることになる。

 そして、一つ目の可能性がなければ戦いようはある。

(さて、やろうか……)

 戒斗は再び二丁のハンドガンを構え、二つの銃口を将太に向ける。

 将太の重心が前に傾き、右脚が半歩前に出る。今にでも戒斗に迫って来そうな、そんな雰囲気をしている。

 決闘開始から今まで一歩も動いていなかった将太が近接武器での攻撃をしようとしているからか、将太がバスタードソードを抜いたことに観客は静かに騒めき出した。将太のことを少なからず知っている人もいるのか、疑問のような声も聞こえてくる。

 だが、そんな雑音はどうでもいい。

 ――ここから先は、本気で勝ちに行く。

 戒斗は目を鋭くし、二丁のハンドガンから銃弾を二発、ほぼタイムラグなしで撃つ。撃ち放たれた二発の銃弾は、将太がその場から動いたことにより空を切った。

 即座に修正し三発目を撃つが、将太の身体に当たる前に〈幻想〉によって弾かれる。

 続けて四発、五発目を撃つが、将太の〈幻想〉に弾かれる前に銃弾同士がぶつかり、軌道が大きく逸れる。将太はこれまで通り〈幻想〉で銃弾を弾こうとするが、射程――戒斗から見た仮の射程――に入る前に火花を散らして視界から消え、〈幻想〉は不発に終わる。

 その不発に終わった〈幻想〉をルナがリアルタイムで観測し、分析した結果を即座にホロウの眼鏡に映し出す。

(引き金を引くのを見てから〈幻想〉を使っている。……つまり、常時発動ではない)

 戒斗が撃った四、五発目に対応するために将太が一瞬立ち止まったのを好機に、戒斗は六発目を撃ち、将太との距離を詰める。六発目は将太にではなく、四発、五発目の射程のギリギリ外の床に向かって銃口から発射された。

 闘技訓練場の床は金属製でできており、その上から特殊なコーティングを施されている。そのため銃弾が当たっても、斬撃が当たっても大して傷つかない。使われている金属や比率は公開されていないため耐久度は分からないが、余程のことがない限り壊れはしない。

 そんな床に小さい角度で六発目の銃弾がぶつかり、将太の身体に向かって跳弾する。

「っ⁉」

 将太視点、銃弾は見るからに自身の身体に当たらずに床に着弾したように見えていたため、その銃弾は意識の外へといきかけていた。

 それ故、あまりにも予想外な攻撃に将太は、その銃弾への対応が遅れてしまう。

 銃弾への反応が遅れ立ち止まり、将太に大きな隙ができる。

(今だ……!ここしかない!)

 戒斗はさらに距離を詰め、七、八、九発目を間髪入れずに撃つ。狙いは腹部の中心、心臓、眉間。

 将太は下に視線を落とし、戒斗が撃った六発目を〈幻想〉で弾く。そして、即座に視線を戻して戒斗を視界に入れる。距離を詰められていることに若干の焦りを覚えながらも、目の前に飛んでくる七発目、八発目を再び〈幻想〉で弾こうとする。

 将太は懸命に冷静さを保ちながらバスタードソードの間合いに入ってこようとしている戒斗に対応しようと、バスタードソードを下段に構える。〈幻想〉を使いながらも目の前に突っ込んで来るだけの者を斬ることぐらいはできる。

 九発目を〈幻想〉で弾いた瞬間、将太は戒斗が持つ二丁のハンドガンを凝視する。このタイミング、この距離では格闘術での攻撃はない。あるとしたら今までと同様、ハンドガンでの銃撃のみ。そう考え、将太は〈幻想〉をいつでも使えるように準備する。

 しかし、将太の予想は大きく外れることとなる。

 戒斗は右手に握っていたハンドガンを撃つのではなく、その場に置く。何もない空中に。

 将太の意識はほんの一瞬だが、その空中に置かれたハンドガンに向けられる。その短い時間で戒斗は床を全力で蹴り、一気に距離を詰めバスタードソードの間合いに入り込む。

「――っ⁉」

 将太が意識を戒斗に戻したときにはもうすでに遅く、戒斗はすぐ目の前に迫っていた。慌てて下段に構えていたバスタードソードを振り上げ、戒斗を逆袈裟に斬ろうとした。慌てて振ったせいか剣筋は僅かにズレており、脇が甘い。

 戒斗は将太のバスタードソードを握る手の力が上がった瞬間身を低くし、その逆袈裟を軽々と回避した。そして、空いている右手で将太の右手首を掴み、握る力を強くする。そのまま将太の右手首を外側に捻ることにより、バスタードソードを握る力が抜け、バスタードソードが将太の手から落ちる。

 バスタードソードが将太の手から落ちた瞬間、戒斗は将太の脚を払おうとする。しかし流石と言うべきか、将太はこの状況から咄嗟に反応し、右腕を右に大きく振ることにより足払いを回避するどころか、組み合っている戒斗の態勢を無理矢崩そうとする。

 戒斗はその反撃に驚くことなく左手に握っているハンドガンで将太の右上腕を下から二発、ゼロ距離で撃ち込む。その反動で将太の右腕が上がり、戒斗の態勢を崩そうとする反撃が中断される。それと同時に戒斗は、左脚で再び将太の脚を払い、今度こそ成功する。

 そのまま流れるように、戒斗は腹部が下になるように力強く将太を組み伏す。左手のハンドガンをホルスターにしまい、戒斗は左手で将太の両腕を抑え込む。空いた右手で右太ももに帯剣してあったナイフを取り出し、将太の首筋に立てる。

「そっちの〈幻想〉とこっちのナイフ、どっちが速いか勝負するか?」

「……」

 戒斗の問いに将太は無言になる。

 戒斗が立てていた三つ目の可能性が当たっていようが、外れていようが、この距離ならば〈幻想〉よりナイフの方が速い。

 静まり返る客席。今までの声援が、罵声が嘘のように誰も喋らなくなった。

 闘技訓練場内も同じで無音の空間となり、相対していた二人が動かなくなる。

「……降参だ。僕の負けだよ」

 将太が降参を口にした直後、その言葉に応えるかのように決闘開始時に鳴ったブザーと同じ音が静寂となっていた空間に鳴り響いた。

 ブザーが鳴ったのを皮切りに、客席にいる生徒たちから大きな声が発せられ、闘技訓練場と客席を含めた空間が揺れる。戒斗のことを褒め称える声や勝敗ではなく戦闘そのものに対しての勝算などの声が多く響いている。中には将太のファンと思われる、「よくも将太の戦績に傷をつけてくれたな」的な声もあった。

 戒斗はブザーを聞き、左手で掴んでいた将太の両腕を離し、ナイフを首筋から離す。そして将太の身体の上から退き、将太を自由にする。戒斗はナイフを右太ももの鞘に納め、将太に背を向け歩き始める。戦闘の途中で空中に放り出し、床に落ちたハンドガンを拾い、ホルスターにしまう。

「勝ったから一つ聞いていいか?」

 戒斗は振り向きもせず、将太に質問を投げかける。

「……?応えられる範囲内ならね」

 押さえつけられていた両腕、両手首をほぐしていた将太は何の前振りもなく投げかけられた戒斗の質問に不思議そうな反応を示したが、すぐに答えを返した。

「何故、俺を試した?」

 戒斗は決闘が決まったときから疑問に思っていたことを将太にぶつける。戒斗の実力を知りたいのならば、実技の成績を見れば大体分かるはず。それぐらい誰かに聞くなりすれば分かるだろうに。それにも関わらず、強硬手段である決闘を行ってまで戒斗の実力をすぐにでも知ろうとした理由が分からない。

 そもそも下級生に対して、決闘までして実力を測ろうとするのはあまりにも手間。三年生の中での上位の実力者が、自らそんなことをするのは不自然に見える。

「……何故、ね。……実際に戦った方がよく分かる、という理由だけでは足りないかい?」

「…………そういうことにしておく」

 今さっき目の前の相手に決闘で負けたとは思えないほど、飄々とした態度で将太は答えてきた。確かに実技と実戦は同じではなく、実技だけでは実力を推し量ることができない。その考えもあり、戒斗はこの答えが嘘ではないと感じたが、それと同時にまだ何か隠しているようにも思えた。しかしそれを口にすることはなく、戒斗は闘技訓練場を後にした。

 闘技訓練場内には一人残された将太だけが優雅に立っていた。いつの間にか床に落ちていたバスタードソードは鞘に納めれており、将太は右手で自分の口元を格好よく覆っていた。その口は微かだが、笑みを浮かべていた。


 戒斗と将太の決闘の決着がついてからおよそ三十分後。

 戒斗と明日香、加里奈の三人は氷上兄妹が入学式の日に昼食を取ったレストランで休息を取っていた。夕食を取るにはまだ早い時間のため、三人とも飲み物だけ頼んで飲んでいる。

『それにしても、よく勝ったわね』

 頼んだ飲み物を飲んで一息ついたところでテーブルの上に置かれた情報端末からルナの声が聞こえてきた。決闘が終わってからルナは一言も話すことなく、このレストランまでやって来た。それにしても、決闘が終わってからの第一声がこれとは。もっと違う言葉があっただろうに、と戒斗は思ったが、誉め言葉として捉えることにした。

「……もう一回戦ったたら負けるだろうけどな」

「それでも、一回は勝ったんだからいーでしょ?」

「そうよそうよ。そこは気にしなくていいじゃない」

『そこを慰めてもどうしようもないでしょう?』

 肩を竦めてルナの言葉への返しを言っただけなのに、それに反応した三人が伝言ゲームのように話す人が変わるにつれて台詞が辛辣なものになっていく。加里奈の台詞に関しては、若干煽りに聞こえなくもなかった。

「それより、何でお兄ちゃんの銃弾が弾かれていたの?」

 話が変な方向に逸れて行かれてしまったが、ふと思い出し方のように明日香が新たな話題を提供してきた。

「ライデンフロスト現象のことか」

「ら、ライデン……?」

 聞いたこともない言葉が戒斗の口から飛び出し、明日香は覚えきれなかったらしく、頭の上に?が浮かんでいるような顔をした。一瞬だけアホの子みたいに見えてしまったが誰も触れることはなかった。

『ライデンフロスト現象。ライデンフロスト効果とも言うわね。今回は銃弾の弾頭が蒸発して起きたのよ』

「弾頭が蒸発……?あ、〈幻想〉の電撃ね」

 戒斗と同様、鎖那の血を引いている明日香の頭の回転は速く、この手の話ならすぐに点と点が結びつく。

「金属が蒸発って、そんなに威力が高かったの?」

『超高電圧のものだったわよ。人が触れたら最悪即死ね』

「……でも、それで弾かれるものなの?」

 ルナの即死という単語に加里奈は言葉にならない驚きを見せたが、疑問の方が勝ったようでルナに聞き返した。いくら言葉で高い電圧を持つ電気と説明されても、その威力や温度といったものはピンとこない。説明が足りないという訳ではなく、聞き手に詳しい知識がないからこそ起こるものなので致し方ない。

『銃弾の弾頭が蒸発して、そのとき発生した気体が電撃と銃弾の間にできるから弾かれたのよ』

「へー」

「なるほど……?」

「絶対分かってないだろ」

 戒斗は辛辣なツッコミをするが悲しいかな、空しくスルーされてしまう。もっとも、反応するべき二人の頭が聞いたことを理解できずにパンクしているためなのだが。

 そんな可哀そうな頭をしている明日香と加里奈を見かねたルナが大きなため息とともに、珍しく自分から解説し出した。

『はぁー。もう少し頭を鍛えた方がいいわよ?……簡単に言えば、熱したフライパンに水を垂らすと水滴が転がるのと同じ現象があの電撃と銃弾の間で起きたのよ』

「……なるほど」

「分かった気がする」

 AIであるルナにここまで説明されてようやく理解できたようで、明日香と加里奈はさっきとは打って違い、手をポンと叩くなりして根っこから理解したような様子を見せた。

 その様子を見てルナは心の底から呆れたように、またしても深いため息をついた。

「でも、〈幻想〉なしで勝つなんてすごいよ」

 このままでは自分たちが分が悪くなってしまうと悟ったのか、加里奈が自分から話題を切り替えた。そのわざとらしい言動にいかがなものか、という視線を加里奈に送りながら戒斗は、加里奈が降った話題に乗る。

「そりゃ、そういう風に訓練されたからな」

「あんたの家庭、どうなってるのよ?」

 さも当然かのように語る戒斗に、加里奈は呆れを通り越した目をしながら冷静なツッコミを入れる。並外れた技術の話になると大体このようなやり取りに発展するのだが、毎度よくも飽きずに加里奈は乗ってくる。不思議に思えて仕方がない。

「知らない方が身のためだよ、リーナちゃん」

「なにその悟った目は……⁉」

 急に厳しい修行に耐え抜いた僧侶のような悟った目になった明日香を見た加里奈は慌てふためく。加里奈が自ら流れを変えるために放った質問のせいで話が大きく逸れ、仕舞いにはついさっきまで同じ側にいた明日香が加里奈の元から去り、反対の方向を向いてしまった。何とも悲しき光景なのだろう。

 一方の戒斗は明日香とは少し違ったが過去のことを思い出し、どこか遠い目をしていた。

 しかしそんなハチャメチャな状況がルナがいる場で続くはずもなく、目の前に広がる散々な状況に飽き飽きしたルナが綺麗で新しい話を持ってきた。

『そんなことより、明後日のことについて話した方がいいと思うのだけれど?』

 ルナの台詞に遠のいていた意識が戻ってきたようで戒斗と明日香の目に光が戻り、焦点が近くなった。加里奈も冷静さを取り戻したらしく、コホンとわざとらしい小さい咳をし、座り直した。

「そうだな。そもそも、夏目将太と決闘した原因は実習訓練に参加するだったからな」

「あー、そういえばそんなこと言ってたね」

「え?そうだっけ?」

 当時の記憶が一部欠如している加里奈を若干置いてきぼりにしながらも、やっとのことで出てきた話がちゃんとした方向に進んでいた。

「学園長が言うには、このメンバーで実習訓練をやるんだよな?」

『えぇ、そうよ。一方的に決められたことだけど』

 文句ありげに言っているルナの仮想アバターの周りからは変なオーラのようなものが溢れ出てきており、端末の画面いっぱいを埋め尽くしている。エフェクトであることは百も承知なのだが、今の機嫌のルナが溢れ出していると考えると、何か別のものに見えてきてしまう。

 そんなルナの今の姿はいつもと変わらず、ゴスロリ風の服装をしている。この場のTPOにそぐわない恰好のせいか、とてもシュールに見えてくる。溢れ出てきているオーラも相まって若干の怖さがあることを否定できない。

「……この前頼んだアレってもう届いたの?」

 少し間があったものの、ルナの何とも言えない見た目になっていることを完全に無視して明日香がルナに話の方向性が少し違う別のことを聞いてきた。ルナはそのことを気にする様子を見せず、明日香の質問に答える。

『もう届いているはずよ』

「いつ届いたの?」

『今日の昼頃よ』

「へー。……早いって思ったけど、訓練が明後日だからそうでもないね」

 明日香の質問を聞いたことによって、ようやく通常運転に戻ったルナが明日香と日常に近い会話を繰り広げていたが、この中で唯一身内ではない加里奈が一人置いてきぼりにされていた。

「ねぇ、アレって何?おいてかないでよ?」

 明日香とルナが話していることの内容どころか全体像すら掴めていない加里奈が食い気味に聞いてきた。話に置いていかれることにトラウマでもあるのかと思えるほど迫真であった。

 明日香が話し出したことは身内で行っていた話であるために、そうではない加里奈は詳しい内容が分からず困ってしまっている。そもそも、アレという単語だけで話が進んでいるから理解できていなくても仕方がない。

「ルナがオンラインで頼んだ装備のこと。……というか、学園長室で話してただろ?」

「へー……えっ、そうだっけ?」

 戒斗の指摘に加里奈は身体をビクンとさせ驚き、疑問に満ちた表情をした。戒斗の言う通り、この話をしたときその場には加里奈もいたのだが、一人で頭の中を整理していたせいで、話が右から左へと聞き流れていっていたらしい。

「そのとき固まっていたもんねー、リーナちゃんは」

『そうね。先が思いやられるわ』

「そこまでっ⁉」

 戒斗の指摘に乗っかってきたはいいものの、さらに追い打ちをかける明日香とルナ。そのときのことを思い出していく過程で何か思うところがあったのか、台詞が全て棒読みで、何故か目が笑っていない。

 流石にこれ以上刺され続けると加里奈の精神がもたないだろうと思い、戒斗は救いの一手を差し出してみることにした。

「それはさておき、実習訓練について話すことってそんなにあるか?」

 救いというより、突き放しに近い一手だったが、何もしないよりマシだろう。

『大してないわね』

「じゃあ、なんで話を持ってきたの?」

『話がおかしな方向に進みかけていたからよ。感謝しなさい』

「なにその上から目線……」

 からかっているのは間違いないのだが、話していることは嘘だと戒斗の直感が言っている。ルナは気を遣うということとは程遠い存在なのだから。

「で、何を話すんだ?」

『……ノリが悪いわね』

「悪かったな。それで?」

 戒斗の直感は当たっており、ルナの今さっきの台詞はからかうためだけの嘘だった。人をからかったり、悪戯するのが好きなルナはそれに乗ってくれなかったことを良く思わなかったらしく、少しだけ不機嫌そうな声をしていた。

 そんなことに付き合いきれない戒斗はさっさと話を進めていく。

『……戒斗と明日香の装備は用意できているでしょう?加里奈はどうなのかしら?』

「どうって?」

『そのままよ。準備はもうできているのかしら?』

 ルナの問いはごもっともで、加里奈が実習訓練に参加することが決まったのは今日の昼過ぎ。普段からある程度、実戦などに必要な準備をしていたとしても、実習訓練に必要な準備はできていないはず。

「いや、今日言われたことなんだから、できてる訳ないだろ」

「一日あれば多分……」

「リーナちゃんってそんなに好戦的だったっけ?」

「何で今の話でそんな答えにたどり着くのよ⁉」

 話の内容が変わってもからかわれる加里奈であった。加里奈はそういう星の運命なのかもしれない。

 ちなみに明日香が言った結論への辿り着き方は脳筋に近いもので、戦闘するのに必要な準備がかなり早くできるということは、戦闘が好きなのだろう、つまり好戦的な性格ということである。

「なら問題ないな。それ以外は?」

『特にないわね』

「それなら……、解散でいいか?」

 一通り話が終わったところで、これ以上会話を続けると加里奈が色々な意味で精神的に死にかねないため、戒斗はこの場を切り上げようとする。明日香もその意見には同じのようで、コクリと頷く。

『そうね。ならそうしましょう』

 そんな訳で決闘後の話し合いは終わり、戒斗はルナが移っている情報端末をポケットにしまい、席を立った。明日香と加里奈も席を立ち、戒斗が飲み物の料金の支払いを済ませた後。レストランを後にした。


 闘技訓練場での戒斗と将太の決闘があった翌日。

 案の定と言うべきか、学園全体では噂になっていた。高等部の一年生と三年生が決闘して一年生の方が勝った、という程度ならよかったのだが、噂はそれ以上のものになっていた。〈幻想〉を一度も使わないで勝ったとか、実力が学園内でもトップクラスの生徒が格下に負けたとか、勝った方の生徒は特殊な〈幻想〉を使えるとか、何とか……。

 決闘を行っていたのが夏目将太と氷上戒斗ということはすでに多くの生徒や教師に知れ渡っており、戒斗はいい意味でも悪い意味でも目立っていた。これについて戒斗は決闘の申請を受諾してしまった代償として受け入れていたのだが、広まった決闘の内容については困り果てていた。

 〈幻想〉を使わずにハンドガンのみで戦い、勝った、というのは生徒にとって余程インパクトのある話のようで、戒斗は学園内の有名人になったみたいにそこら中の生徒から声を掛けられていた。それも登校してからずっとで、仕舞いには話しかけてくる内容も皆同じであるため、戒斗は精神的にかなり疲弊していた。

「随分疲れてるね?」

「ほんと、迷惑極まりないよな」

「しょうがないんじゃない?結構いい試合だったから」

 時刻は昼過ぎ。戒斗と明日香、加里奈の三人は東館の中にあるカフェテリアの端の席に座って休憩していた。この時間帯になってようやく戒斗の周りの騒ぎが落ち着いてきて、戒斗は家にいるかのようにゆったりとしていた。それでもまだ有名人であることは変わりないようで、遠くの席に座っている生徒や通りすがりの生徒からチラチラとこちらに向く視線は絶えていない。

「〈幻想〉なしで戦ってか?つまらないと思うが」

『それは偏見じゃないかしら?』

 ようやく少し質問攻めがなくなってきたと思ったら矢先、今度は色々と面倒になりかねないルナが勝手に登場してしまった。戒斗の周りにいる人たちは、戒斗を休ませる気はないのだろうかと思えて仕方ない。そんな気なんて起こさなくていいのだが。

「勝手に出てくるなら、せめて場所を選べ」

『それは受け付けかねるわね』

「減らない口だな」

『AIには口はないわよ』

「意味をくみ取れ」

 そんないつも通りでしょうもない話をしていると、二人の女子生徒が三人のいる席に近づいて来た。制服を見る限り、明日香と同じ中等部の生徒だろう。ただ、明日香はこの二人のことを知らないようで、戒斗が明日香に視線を送ると、明日香は小さく顔を横に振った。

 明日香が知らない中等部の生徒となると、彼女たちが用事ががあるのは恐らく――。

「あ、あの氷上戒斗先輩、で合ってますか?」

 やはり、中等部の女子生徒二人が用事があるのは戒斗だった。予想できていたことなので、戒斗は特に驚くことなくすぐに彼女たちの方を向いた。

 その二人は戒斗たち三人が座る席の前にピタリと立ち止まった。戒斗に声をかけてきたのは、戒斗から見て右手にいる黒のショートヘアの女子生徒だった。

「そうだが……」

「あ、あの、どうやったら氷上先輩みたいに強くなれますかっ?」

「は……?」

 決闘を直接見ていた生徒のほとんどが高等部の生徒であったため、彼女たちが話してくる内容は決闘を見た感想などではなく、質問のようなものだと想定していた。その質問も決闘の内容に関してのことだと予測していたが、実際はその予想の斜め上を行っていた。

 登校してから昼までに戒斗に詰め寄って来た生徒たちと同様、決闘の内容について聞きに来たのなら彼らと同じく適当にあしらうつもりだったのだが、その考えが尽くはずれてしまい、一時的に思考が停止してしまった。

 目の前で起きた光景に、明日香と加里奈、ルナも戒斗と同じくらい戸惑っており、何とも言い難い静かな間が数秒流れた。

「私、昨日の決闘をこの目で見てたんです……!二年も上の人に勝ってしまう先輩はすごいなぁ、と思いまして……。それで、その……」

「……」

 余程戒斗に直接自分の意見や思いを言うことが緊張するのか、内にある感情が強く表に漏れ出ており、聞いている身からしてみれば何を伝えたいのか分からない。気持ちの重さや強さは伝わってくるのだが、肝心の内容が一切と言っていいほど伝わってこず、気まずさが増すばかり。

 ましてや、さっき言った「どうやったら強くなれますか?」という発言に対して、戒斗は内心戸惑っているのだから、何も言えずに黙り込んでしまう。

 そんな何とも言えない微妙な空気に嫌気が差したのか、もじもじしている女子生徒の左に立っているもう一人の女子生徒がわざとらしい咳をして間に入ってきた。

「コホン、横から失礼します。要約すると……、先輩は自分の中で憧れの存在になったので、強さの源を知りたい、ということです」

 間に入ってきた女子生徒は焦げ茶色のロングヘアで、背丈は加里奈とさほど変わらない。隣の黒のショートヘアの女子生徒とはかなり違い、先輩が二人いる前でありながらはきはきと喋っており、何を言いたいのか簡単に頭の中に入ってきた。

「……君は?」

「新城美鈴です。こちらは矢作きりえです」

「……」

 つい名前を聞いてしまったが、名前を知ったところで、質問に答えられるかどうかという問題には何も変化は起きない。強いて言うならば、話が少しだけ前に進んだだけ。

 戒斗は憧れの存在だと言われたことは今までに一度もないため、どう答えればいいのか分からない。戒斗は誰かに憧れたことは一度たりともない。それもあって、その気持ちは微塵も理解できない。

 ついでに言うと、「力の源」などと言われても“母親である鎖那のせい”としか言いようがなく、それ以外に表現しようがない。

『憧れはともかく、強さの源は大したものではないわよ』

「えっ!」

「うわっ⁉」

 突然どこからともなく知らない女性の声が聞こえてきて、美鈴ときりえは無防備な声が出てしまった。対面している戒斗の隣に座っている明日香と加里奈の口が動いておらず、その声の主はこの二人ではないことは確か。それならば一体誰の声なのかと、美鈴ときりえはきょろきょろと辺りを見渡すがそれらしい人物は視界に映らなかった。

 そして美鈴ときりえの二人は不思議そうにしていると、再び同じ声が聞こえてきた。

『ここよ、ここ。画面に映っているでしょう』

 今度は不意打ちではなかったため、声が聞こえてきた方向を感じ取れたようで、美鈴ときりえはテーブルの上に置かれている情報端末に目を向けた。そこには相も変わらずのゴスロリ風の恰好をしているルナが映し出されていた。色やデザインは昨日と比べると少し変わっているが、ゴスロリ風であることは変わりない。

 勝手にとは言え会話に入ってきたため、戒斗は仕方なくルナが移っている情報端末を美鈴ときりえが立っている方に向けた。

「……え、これは……?」

「AIだ。俺の」

『正確には戒斗のものではないけれどね』

「一言多い」

「は、はぁ……」

 詳しいことは何も知らない状態で、目の前で茶番劇と思えてしまう戒斗とAIのくだらない言い合いが始まり、美鈴ときりえはどう反応したらいいのか分からなくなり、呆然としてしまう。

 一般的な知識として、AIは自分から会話に参加することはない。必要な報告をするためなど、合理的な理由がある場合はその限りではないが、今の状況のような雑談に近い会話に自主的に参加してくることはない。

 それもあって美鈴ときりえの二人は固まっていた。

「取り敢えず、源って呼べるものはないよ。お兄ちゃんには」

 目の前で起きている言い合いを完全にスルーして話を進める明日香。その台詞で我に返った美鈴ときりえは、その台詞を言った戒斗の妹であろう明日香に話しかけ、きりえ自身の中にある疑問を解こうとする。

「じゃ、じゃあ……何をしていたら、そんなに強くなれるんですか?」

「んー、特別なことはしていなかったと思うけど……」

 明日香の記憶では幼い頃、戒斗と共に母である鎖那から訓練を受けていたが、特別な訓練などをしていた、ということはない。これはあくまで明日香の感覚であり、その明日香の感覚や感性は鎖那のせいで一般的なものからズレている。つまり、明日香が言っている特別ではないこと=(イコール)特別なこと、ということになる。

「ち、ちなみに、いつから訓練していたんですか?」

「確か……五歳ぐらいで組み合いをしてたような……」

「「えっ⁉」」

 明日香の衝撃の発言に、美鈴ときりえは揃って思わず耳を疑ってしまう。

 今の社会において、一般的に戦闘に関する肉体的な訓練を始めるのは早くて十歳前後。この榴ヶ岡学園に通う生徒のほとんどがこれに当てはまる。榴ヶ岡学園の入試内容に実技が含まれているため、このようなことになっている。

 稀に英才教育と呼ばれるような、もっと幼いときから訓練を行う家庭もあるが、それは将来スポーツや実戦で活躍することを前提で行うもので、基本的に行うことはない。それに実戦に向けた訓練の場合、身体が訓練に耐え切れなくなることが多く、まだ精神が弱い時期にそういったことを行うと成長に悪影響を及ぼす可能性がある。

 しかし、戒斗と明日香はこれに当てはまり、少なくとも小学校に入る段階で訓練を行っていた。本人たちの意志に関係なく半ば強制的にそれを行っていたのは言うまでもない。

「ん?どうしたの?」

 さも当然のような態度で、驚きに満ちた様子に変化した美鈴ときりえの方を見る明日香。実際、明日香は自分が言ったことに対して、何も変だと思っていない。

 戒斗と明日香は、戦闘に関しての知識や戦い方などを鎖那からのみ教わっており、他の人から教えてもらったことは一度たりともない。鎖那の周りにいる人たちからは「他の人からも教えてもらった方がいいよ」などと言われたことは何度かあったがものの、戒斗と明日香は肌に合わず、すぐに止めてしまった。第一、「変な影響を受けてもらっては困る」などと言って、鎖那がそれを許さなかった。

「い、いえ、何でもないです……」

 これ以上聞くのは野暮だと思ったのだろうか、美鈴は同い年かもしれない明日香に対して敬語を使い、深く詮索することはしなかった。自分が言ったことが世間一般的にはどういう扱いになっているのか自覚していない明日香はそんな様子の美玲を前に不思議そうに首をかしげていた。

 そんなこんなしていると、ルナとの茶番劇が終わった戒斗が話に入ってきた。

「で、どうやったら強くなれるかについてだが……取り敢えず、素手やナイフを使った近接戦闘の訓練は毎日でもやった方がいい。そうすれば自分の身体の使い方が上手くなって他の戦闘手段にも応用が利く」

『それは銃メインで戦う場合でしょう?そうじゃなかったら、意味ないわよ』

 相変わらず、ルナは戒斗に対して辛辣である。

 戒斗が今言ったことは将太のような〈幻想〉をメインで戦う〈幻想師〉からすればあまり関係がないものであり、この学園にはそういった生徒が一定数在籍している。目の前にいる美鈴ときりえがこれに当てはまるかどうかは知らないが。

「だ、大丈夫です……!私、銃をメインで戦っていますから!」

 ルナの冷静な指摘に反応し、戒斗に対して、目がうるうるして慌てふためきながら必死にフォローしてくるきりえ。本当のことを言っているのか分からないが、あまりにも必死なため、気を遣って嘘を言っているのではないかと思えてくる。

「なら、組討ちを中心にやった方がいいな」

「え?ナイフの方がいいと思うけど……」

 これまでずっと口を閉ざしていた加里奈が入る隙間を見つけてか、戒斗のアドバイスに口出しするように会話に参加してきた。

「ナイフ戦の基礎は組討ち。間合いの取り方は少し違うけど、やっておいて損はない。それに、実戦ではナイフが必ずしもあるとは限らないからな」

「まぁ、そう言われればそうだけど……」

「なるほど……。今日からやってみます!」

 戒斗に諭されている加里奈を横目に、きりえはこの場で初めて大きく元気な声を出し、隣に立っている美鈴と目を合わせて大きく頷いた。自分が持ってきた疑問が納得のいく形で解決したらしく、顔に笑みが見受けられる。それを見た美玲も笑顔を浮かべ、微笑ましい様子で共に喜んでいた。

 そんな中の良さそうな雰囲気の女子生徒二人に水を差すかのように、気を遣わない声が横から刺さった。

『……そろそろ時間ね』

 AIであるルナがそう言うと、しっかりタイミングよくチャイムが鳴った。このチャイムは予鈴で、後五分経過したら本鈴が鳴る。予鈴が鳴ったことに気が付いた美鈴ときりえはすぐに自分たちの空間から抜け出し、戒斗たち三人に深々と頭を下げた後、足早にカフェテリアを後にした。

 その場に残された三人は席を立つことなく、まだ休憩を続けていた。翌日に実習訓練を控えているため、智恵の権力によって三人は今日の午後からの授業を免除されることになっていた。そのため、授業が始まるような時間でもこうしてのんびりとできているのだった。

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