異例と日常

 二二三〇年。

 桜が咲き、風が舞い、桜吹雪となり、雲一つないの空を吹き抜けていく。

 四月上旬。季節が冬から春へと移り変わりやや肌寒いが、だんだんと暖かくなってきた時期。日本全国では入学式や始業式、初出勤が行われていた。

 ここ、榴ヶ岡学園も全国にある学校などと同様、入学式と始業式が行われている。日付は四月九日。全国的に見ればやや遅い日取りだが、この学園では毎年同じような日取りとなっているため、地域の住人も気にしていない。

 榴ヶ岡学園は中等部と高等部から成っており、生徒数はおよそ千人。それに対して在籍している教職員はおよそ百人。二十一世紀初頭の教育機関と比較すると、教職員一人に対しての生徒数が少ない。しかしこの二十三世紀ではAI――人工知能――が一般家庭にまで普及しており、教育現場では生徒と教職員ともにAIが深くアシストしているため、この教職員の人数で教育移管として成立している。

 そんな学園の校門をくぐる生徒の中に、どこにでもいそうな二人の男女がいた。違う点があるとすれば、男子生徒は大きめのタブレットが三、四個入りそうなくらいの大きさの鞄を、女子生徒の方は横幅が五十センチほどの細長い鞄を持っている、という点だけ。二つの鞄は共に軽金属製で、角が銀色の金具で補強されている。

「ねぇ、お兄ちゃん。式、終わったらどうする?」

「んー、どうせ暇だし……どっかで昼飯食べてこうか?」

「うん、いいよ」

 お兄ちゃんと呼ばれた男子生徒は数秒逡巡した後、妹の女子生徒の問いに対しての答えを出した。答えとしては少し曖昧だが、女子生徒はそれを気にした様子を見せることなく、その答えに同意した。それは仲が良く付き合いが長い間柄でやるようなやり取りに見える。

「そういえば、明日香。今年から実技あるけど、大丈夫なのか?」

 隣を歩いている兄に明日香と呼ばれた女子生徒は、歩きながら兄の顔を下から覗き込む。右目を瞑り、愛らしいウィンクしながら少し鬱陶し気に、軽いツッコミを交えながら答える。

「過保護だなー、お兄ちゃんは。大丈夫だって!あと、実技じゃなくて実践ね」

「ん?そうだったか?」

「そうそう。……というか過保護っていうのはツッコまないの?」

 ウィンクを止め姿勢を戻した明日香は、流れるようにお兄ちゃんと呼んでいる男子生徒の発言を突いてくる。言い淀む様子はなく、気を抜いた状態で話していることが伺える。

「薄情よりマシだろ」

「まぁ、そうだね」

 話している内容はさておいて、たわいもない会話をしながら二人は、学園内で一番目立つ建物――講堂の前にたどり着いた。目立つといってもその大きさだけで、外から見た建物の造り自体は他の教育機関などにあるものとほとんど変わらない。変わっているのはデザインで、黒を基調とし、青や緑の栓や模様が入った建物で、凝ったデザインはあまりない。

 中はかなり広い空間になっており、学園に所属している全生徒およそ千人が一斉に入ったとしても席が残るほどのキャパシティがある。座席は講堂にあるような舞台から離れるほど高くなっていく造りになっており、どの席からも壇上は見やすくなっている。講堂内の壁はさすがに黒ではなく白だが、それ以外の部分は大体ダークカラーに近く、ミニマリストが好みそうな色合いをしている。

 そんな講堂に二人の兄妹は他の生徒達と同様、中に入っていく。

 座る席は自由席になっているせいか、空席があるエリアが点々としている。そして座っている生徒の大半は、近くの席に座った生徒と雑談や談笑をしている。榴ヶ岡学園の入学式は別日だが、始業式は中等部、高等部と同時に行われる。そのため、講堂内には中等部の制服を着た男女と高等部の制服を着た男女が入り混じっていた。

 ちなみに、榴ヶ岡学園は中高一貫校のため、中等部から高等部に上がるときの入学式はなく、始業式だけ行っている。編入する生徒もそれとほとんど同じで、時期が合えば始業式に参加することになっている。

 制服は、男子は白いシャツに黒いブレザー、黒のズボン。女子は白いシャツに黒いブレザー、膝丈のスカート。両方ともブレザーに色の入ったラインが入っており、中等部と高等部の違いは付けているネクタイの色。中等部は緑、高等部は青で統一されている。

「それにしても、……相変わらず、かなりの人数だな……」

「え?お兄ちゃんって、そんな黄昏たこと言う人だったっけ?」

「そんな訳ないだろ。もしそんな奴いたら引くって」

 傍から見れば一体どういう会話をしているんだ、と思いたくなる会話をしながら明日香の兄は後ろの方の席に着く。明日香もそれに続いて兄の隣の席に座る。驚くべきことにそんな面白おかしい会話をしている二人の顔は表情筋が一切動いていない真顔だった。

 荷物は邪魔だからと席の下ではなく、念には念を入れて明日香の兄は、自身の太ももの上に置く。比較的コンパクトな鞄だからこそできることで、明日香が持っている鞄はそれとは違い横に長いため、同じように自分の太ももの上に置くことはできない。よって、明日香は仕方なく席の下に……は置かないで、鞄を縦にして抱え込むように持つことにした。

 周りにはこの二人と同じように、荷物を抱えて座っている生徒はあまりいなかった。そもそも、ほとんどの生徒は荷物すら持っておらず、手ぶらで座っている。

 それからほどなくして、舞台の左右の壁に設置されているスピーカーから人間の声が聞こえてきた。

「これより、榴ヶ岡学園一学期始業式を開始します」

 講堂内に響き渡るアナウンスが聞こえた直後、雑談や談笑をしていた生徒たちは口を閉じ、数秒も経たない内に静かになった。隠れて話を続けている生徒は一人もおらず、この学園の教育の質が高いことが伺える。

 講堂内が静まり返ったところで、黒いスーツを着た女性が堂々とした姿勢で舞台に上がってき来た。そして壇上の中央に設置されている小さい机の前で立ち止まり、生徒たちがいる方向へ身体を向ける。

「学園長の柊智恵だ。堅苦しい挨拶は好きではないから……省いてさっさと本題に入る。今年度から実技と実習を強化することになった!各々、覚悟して取り組むようにっ!」

 教育機関の長としては珍しい比較的若い女性から力強さもありながら、どこかサバサバしているような声が出ている。長々とではなく、端的に話しているため、内容がかなり理解し易い。女子生徒はその格好良さに魅せられて、男子生徒は別の何かに魅せられて頬が赤くなっている生徒がチラホラ見受けられる。

「……それから、〈幻想〉が強いからと言って、驕って〈幻想〉頼りで戦い、武器を使っての戦闘を疎かにしないように。そのうち、足元をすくわれるぞ」

 追加で本音から漏れたような忠告をした後、智恵は自然な流れで壇上を後にした。学園長という立場としてはもう少し話が長くても良いのだが、毎年恒例のことなので気にしているような生徒はあまりいない。入学したばかりの中等部一年生の何人かはその現実を前に、呆気に取れられていた様子だったが。

 その後、生徒会長からの挨拶、教職員からの簡単なカリキュラムの説明……などなど続いていった。全体としてかかった時間は一時間強で、ほとんどの生徒は暇を持て余していた。智恵の影響を受けて最初の方はよかったものの、途中から話が長々としていたため、中には寝ている生徒もいた。

「――これにて、始業式を終了します」

 そして、ようやく始業式の終了を伝えるアナウンスが聞こえた瞬間、大半の生徒は席から立ち上がり、講堂内から逃げるように外へ出て行った。他の生徒にぶつかりながら講堂から出て行こうとしていた生徒もいたが、その生徒は近くにいた教員に見事捕まり、大声で叱られていた。

 講堂内の生徒の半分程が外に出た頃合いで、明日香とその隣にいる明日香の兄の二人は他の生徒と同じように席を立ち、講堂から出ようとする。

「さ、式も終わったことだし、とっとと帰るかー」

「んっー、そうだね。さっさと帰ろ」

 明日香は抱えていた鞄を自分が座っていた席の上に置き、腕を上に上げ、やや固まっていた背中を伸ばす。伸ばし切ったところで置いていた鞄を持ち、先に歩き出していた自分の兄の背中を追う。

 始業式が九時頃から始まっていたため、現在は十時過ぎ。日がそこまで高く昇っておらず、二人が講堂に入る前に話していた昼食を食べるにはやや早い。二人は昼食までの時間の予定をどうしようかと考えながら校門に向かっていると、不意に横から声をかけられた。

「氷上戒斗君、氷上明日香さん、でいいかな?」

 明日香とその兄の二人は声を掛けられたと同時に立ち止まり、声が聞こえた方向に目を動かすと、そこには黒いスーツ姿をした黒髪の女性が立っていた。恰好から二人と同じ生徒ではなく、この学園の教師だということが分かるが、二人の記憶にはその女性の顔が存在しない。

「……合ってるが……、誰?」

 氷上戒斗と呼ばれた明日香の横を歩いていた男子生徒が、自分たちに声をかけてきた教員の質問に対して、怪訝そうな目をしながら無愛想に答えた。知り合いでもない人が自分たちの名前を一方的に知っている状態で話しかけてきた。この事実だけで無愛想に答える理由には十分足りている。

 声を掛けた教師はまさかそんな無愛想に答えてくるとは思っていなかったようで、少しだけ驚いていた。名前を知らない見ず知らずの人に声を掛けられたのだから仕方がないが、それでも大人に対しての敬意が何一つ感じられないことに心がもやりとした。しかし、その思いを表に出すことなく、教師はされた質問にすぐに答えた。

「私は渡辺佳林。この学園の教師です」

「それで、渡辺……さん。私たちに何か用ですか?もう帰ってもいいはずですけど……」

 物理的にも心理的にも佳林から若干の距離を置きつつ、明日香は戒斗が何かを言うよりも早く佳林に対して質問をした。明日香は半身が戒斗に隠れるように立っており、見るからに佳林のことを警戒した様子でいる。

 そんな取られたら不満が募りそうな明日香の態度を気にした様子もなく、佳林は明日香の質問にしっかり応答する。

「私が、ではないですが……。学園長がお呼びです」

「え?」

「は?」

 佳林から返ってきた答えに、戒斗と明日香は思わず腑抜けた声を出してしまった。明日香に至っては戒斗の身体に隠れていた半身が佳林に見えるようになってしまい、固まってしまった。

 教師が個別で生徒を呼び止めたのだから、個人に対して言うべき学園に関する何かしらの話があるのだろうと戒斗は思っていた。しかし、佳林の返答はその予想とは少し違ったもので、思考が一時的に止まった。

「……理由を聞いてもいいですか?」

「それは、学園長が答えてくれますよ」

 固まっていた明日香は無意識に思ったことを聞いてしまったが、佳林から帰ってきた答えはよくよく考えたら当然のものであった。

「ちなみに、どれくらいかかる?」

「それは分かりません。ですが、話自体は単純なものだそうです」

「単純、ね……」

 佳林の言葉に引っかかりを覚えた戒斗。こういうときの”単純”とは、大抵面倒なことの方が多い。話にかかる時間は短いかもしれないが、その内容は濃いものだろう。これは戒斗が幼い頃から散々積んできた母親からの頼みや指示からくる経験則。

 だからといって、ここで話を断っておくと後でさらに面倒になるのは明白。それは戒斗は勿論、明日香だって険悪に思える未来。そのため戒斗は仕方なく、佳林に大人しく付いて行くことにする。

「……はぁー、分かった。行こうか」

「はい、では……」

 戒斗の承諾の返事を聞き、佳林はそう言って二人を先導するように手を進む方向に差し出し、二人より先に歩き出した。戒斗はその後ろをついて行き、動かないでいる明日香に声をかける。

「ほら……、行くぞ、明日香」

「う、うん。……それにしてもお兄ちゃん、珍しいね。こういう話に乗るなんて」

 戒斗の言葉でようやく我に返った明日香は、少し遅れて速足で戒斗の後を追う。普段の戒斗なら断るような面倒事を承諾したことに、明日香は不思議そうな表情を浮かべていた。

「まぁな、乗らないと後で面倒になると思ったから」

「それって、勘?」

「……経験則」

 そんな会話をしながら戒斗と明日香は佳林に連れられ、学園長がいるであろう学園長室に向かった。学園内にいるほとんどの生徒が進んでいる方向とは逆の方向を教師と一緒に歩いている二人の生徒の姿は、少しだけ目立っていた。


 榴ヶ岡学園には北館、西館、東館のほか、競技館や大型車庫などがある。南館がないのはそこにあたる場所に講堂が建てられているためであり、昔は講堂のことを南館と呼んでいたとかいなかったとか。

 戒斗と明日香が佳林に連れてかれた学園長室があるのは北館の最上階、五階。南にある講堂からそれなりに離れた場所にあり、建物間の移動に徒歩では五分程かかる。榴ヶ岡学園は国内でもかなりの広さ誇る学園と言われている学校で、一つ一つの建物の間の距離が長い。その代わり、という訳ではないが、設備は有名な研究室や軍並みに充実している。

「お兄ちゃんは学園長室に行ったことってあるの?」

 北館にあるエレベーターに乗っている中、明日香は沈黙に耐えかねたのか、戒斗に対して唐突に疑問を投げかけてくる。他に話題が思いつかなかったのようで、その疑問の内容は突拍子のないものだった。明日香がいたって真面目そうな顔をしながらそんなことを言ってくるものだから、前を向いていた戒斗は思わず横にいる明日香の顔を見てしまった。

「え……?急にどうした?」

「い、いや、べつに……何となく気になっただけ……」

「……そうか」

 戒斗が質問に心配する質問で返したことで我に返ったかのように明日香の言葉と様子に動揺が走り、明日香は自分の髪を左手でいじり出した。察しが良い人が見たのなら、本心を戒斗から隠したいからこその言動に見える。

 そんなことを知りもしない戒斗は明日香の様子を見て、熱がある訳ではないと分かりホッとし、傍にいる明日香と佳林にバレないように小さくため息をつく。戒斗自身には自覚はないようだが、つい一時間ほど前に明日香が言っていた通り、戒斗は自分の妹である明日香に対して過保護なのかもしれない。

「それより、さっきの答え」

「あぁ……ないよ。学園長と関わりがないからな」

「ふーん……」

「……」

「……」

 様子が少しおかしい明日香が始めた話に区切りがついたところで、二人は黙り込んでしまった。そんな微妙な空気になってしまった空間に居合わせている佳林は気にする様子を少し見せたが、さっき会ったばかりの人間が間に入るような話ではないと判断し、最初から最後まで沈黙を貫いていた。

 それからほどなくして、佳林一行は学園長室の前に着いた。

 学園長室のドアの横壁には顔ぐらいの大きさのモニターが填め込まれており、佳林はそこに手を翳した。モニターの表示が変わり、佳林がしばらく何か操作した後、モニターに『sound only』という文字のみが表示された。

「学園長。氷上戒斗、氷上明日香、両名を連れて来ました」

『ご苦労さん、入りたまえ』

 モニターから少しこもった学園長の声が聞こえた数秒後、無造作にドアが横にスライドし、中に入れるようになった。そして佳林は後ろを向くことなく黙ったまま先に部屋に入って行き、戒斗と明日香は同じく無言でその後を追った。

 学園長室の中は両サイドに戒斗の背丈ぐらいの高さはある棚がずらりと並べてあり、その中にはハンドガンやリボルバー、ナイフといった多種多様な武器が並べてあった。一応、壺や装飾品のような芸術品も置かれているが、脇役のような置き方をしている。この部屋の主がどういう趣味、趣向をしているのかが一目瞭然になっている。

 部屋の真ん中には簡素な青いカーペットの上にはテーブルが置かれており、そのテーブルを挟んで二つのソファが対になるように置かれてあった。その奥にはやや広めの執務机があり、椅子には見つめると飲み込まれてしまいそうな藍色のイヤリングを両耳に付けた銀髪ロングの女性が堂々とした姿勢で座っていた。

「こうして面と向かって話すのは初めてかな、戒斗君。それに明日香君」

「……ええ、初めまして、学園長」

 榴ヶ岡学園学園長、柊智恵。三代目学園長であり、若いながら実戦を数多く積み、様々な実績を上げた実力者。一般科目以外に、〈幻想〉の使い方、銃や刀剣などの武器を使っての戦い方を教える榴ヶ岡学園の長に相応しい人物。

 纏っている雰囲気が少し怖いが、内面は優しいらしいと巷では言われている。それが事実かどうかは実際に話してみないと分からないが。そういったことを除いても普段の態度や話し方が凛々しいことから、主に女子生徒からの人気が高いらしい。

 佳林は智恵の斜め後ろにあたる位置まで移動し、一言も発することなく姿勢を正しくして立った。それに対して戒斗と明日香は執務机の前まで移動し、智恵の正面に立った。

「それで学園長、俺たちに用事とは何です?」

 開口一番の言葉がこれ。智恵が回りくどく話しそうな雰囲気をしていたため、戒斗は会って早々に本題に入ろうとした。戒斗はこの話を早めに終わらせて、学園長室ここから立ち去りたいと思っていたからこその言葉だった。

「おやおや、意外とせっかちなんだね。そういう性格はいいと思うけど、少しは直したほうがいいよ」

「余計なお世話です」

 どうやら噂は少し違っていたようで、学園長は単純に優しいのではなく、皮肉さが混じった優しい性格らしい。

「そうかい。じゃあ、さっそく本題に入ろうか。――佳林君」

 そして、人の話はしっかり聞くらしい。

 智恵に呼ばれた佳林は、部屋の横にある棚の一つから薄いタッチパネルの端末と手のひらサイズの黒い箱を取り出し、戒斗と明日香に見えるように執務机の上に置いた。佳林はそれらを置いてすぐ元の位置に戻った、智恵はすでに佳林の手で起動されてあった置かれた端末を操作し、その画面を切り替える。

「まずはこれを読んでくれ」

 そう言って、智恵は今さっき操作していた端末をラフな動きで戒斗に手渡してきた。

 戒斗は渋々その端末を受け取り、そこに書かれてある文章を読んだ。最初の方に書かれている文章を見てそれが無駄な――大して重要ではない――内容だと判断し、一気に最後の方まで読み飛ばした。

「……これらのことから氷上戒斗、明日香の二名を実習訓練に参加するものとする……って、どういうことですか、学園長!」

 戒斗の中の動揺と怒りが読み終わると同時に急上昇し、戒斗は声を荒げながら持っていた端末を机に叩きつけた。思いっ切りではないが、それなりの力で端末を執務机に叩きつけられたが余程丈夫なのか、本体はおろか画面にひびすら入っていない。前振りがあったとはいえ、急に出した荒げた声に明日香は驚き、身体をビクリとさせ軽く身構えてしまう。

「どうもこうもない、書いてある通りだよ」

 戒斗が急に感情的になったにも関わらず、智恵はそれを受け流すかのように造作もないような言葉と態度を返してくる。自分と違い冷静なままの智恵を目の前にし、戒斗は深呼吸をして落ち着き、すぐにさっきまでの冷静さを取り戻した。

「……取り敢えず、何で俺たちにこんな話が来たのかを詳しく聞いても?」

「…………?」

 戒斗が今話した内容、戒斗の見たことがない情緒の変化に驚きすぎて明日香は身体は自然体になったものの、目が点になっている。脳が軽くショートしたようで、可愛らしく両目をパチクリとさせている。

 端末に表示されている文書に書かれてあることは智恵の言い方的に間違いなく事実なのだろうが、戒斗は全く納得いっていない様子。結論だけ言い渡されてそれまでの過程が分からないようでは、理解すらできないため至極当然のこと。

 実習訓練とは早くても高等部二年の春、遅くとも高等部三年の秋に全生徒が受ける実戦を想定したカリキュラム。

 この榴ヶ岡学園には〈幻想〉と呼ばれる異能を持つ生徒のみが在籍しており、ここはその者達を育てるための専門の育成機関。銃や刀剣などの武器を扱う者も同様に育てているが、組織の育成方針としては〈幻想〉を使う者――〈幻想師〉を育てることを主としている。そのため、〈幻想〉を使いこなすための訓練がカリキュラムに組み込まれている。実習訓練はそのうちの一つで、その名の通り実際に〈幻想〉や武器などを使い、支援や戦闘を行うもの。

「安心しなよ、今回は実際に戦ったりはしない。どちらかというと、サポートに近いからね」

 氷上兄妹の初々しい反応を見て笑みを浮かべつつ、智恵は戒斗に見せた端末に書かれていたことについて追加で説明した。別に智恵の眼に二人が実際の戦闘に自信がないと見えていた訳ではなく、反応が面白かったがためについ茶化したくなっただけ。戒斗が何に対して説明を求めているのかは、智恵はとっくに感づいていた。

 そして智恵のその思考を分かっているかのように後ろに立っている佳林は、智恵を冷たい眼差しで見つめていた。分かっていながらわざと外れたことをして、他人の反応を見て楽しむ。人が悪いとは正にこのこと。

「いや、驚いているのはそこではなく……。何故、俺たちにそんな話が飛んできたんですか?」

 戒斗が驚きつつ智恵に説明を求めているのは参加させられる実習訓練で戦闘をするかどうかではなく、何故最低でも高等部二年生が受けるカリキュラムを受けるような話が来たのかということ。事前に決まっていた生徒が何らかの理由で参加できなくなったとしても、戒斗と明日香に白羽の矢が飛んで来ることはまずないはず。戒斗はまだ高等部に進学したばかりであり、明日香に至ってはまだ中等部なのだから。

「何故、か……。まぁ、理由は何個かあるよ」

 戒斗が強く口にした言葉を呟きながら、智恵は自分の机に叩きつけられた端末を逆さのまま操作し、別の画面を戒斗と明日香に見せた。

「まず明日香君からだね。明日香君は実技訓練の成績が高い。……それもかなり。座学はそこまでだが……」

「うっ……」

 自分でも思っている痛いところを突かれたのか、我に返っていた明日香は心臓を刺されたかのような低い声を出してしまった。さらに、自分に向けられた智恵の視線から逃げるように目を横に逸らし、邪間の冷や汗をかきながら苦い顔をしていた。

 智恵はそんな見るだけでも面白い様子になっている明日香に目もくれず、今度は不機嫌そうな顔をしている戒斗の方を見た。それでも智恵の視界の端にはしっかりと明日香の姿が映っていたが。

「次に戒斗君だね。君は……、少し特殊だね。〈幻想〉の実技は下の方だけど、それ以外の実技はかなり上。かなりアンバランスだね。……座学の方は文句なしで優秀だ」

 一方的に物珍しそうな言い方でそう語ってくる智恵。その目は珍獣を見るようなキラキラした目ではなく、目の前のものを物色するかのような目をしていた。

「で、そんな俺が何故、実習訓練を受けるんですか?」

 実習訓練は実技訓練の成績を基に、成績が上の生徒から受ける時期が決まる。総合的に見た戒斗の実習訓練の成績は、高く見積もっても中の上。実習訓練を受ける学年の制限をなくしたとしても、実習訓練が最優先で回ってくるような成績ではない。

「確かにそうだね。でも、〈幻想〉なしの実習の成績はトップだろう?」

「っ!」

 智恵の指摘に戒斗は眉毛をピクリと反応させ、智恵のことを警戒するかのように右脚を半歩下げた。戒斗の〈幻想〉はとても戦闘向きと言えるほど使い勝手がいいものではない。特定条件下でのみ、強力と言えるものになる、そんな類の〈幻想〉。

 榴ヶ岡学園の訓練の評価基準は〈幻想〉の強さ、応用力、そして〈幻想〉なしの単独の戦闘能力。つまり、三つ目の項目だけが高くても評価はあまり上がらない。この学園で、この世界で〈幻想〉がそれだけ重要視されている証拠。

「組討ちA-、狙撃B+、射撃A+、移動A……これだけ見ればかなり優秀だね。しかもこの歳で」

「……学園長は変なところに目を付けますね」

 戒斗の実技の成績が書かれたホロウウィンドウを横目で見ているであろう智恵に、戒斗は皮肉交じりに言い返した。殺気ではないがそれに似たオーラが戒斗の内側から漏れ出し、智恵を見つめる戒斗の目つきが鋭くなる。それを感じた佳林は反射的に身構えてしまうが、智恵が佳林の動きを遮るように軽く手を上げたことにより、そこから先に発展することなく、佳林は元の姿勢に戻った。

 この学園でも〈幻想〉なしの実技評価に目を付ける教師はあまりいない。これまで戒斗に接してきた教師のほとんどがその例に当てはまる。

「よく言われるよ。……それで一応確認なんだけど、この銃撃っていうのはハンドガンかい?それともアサルト?」

「ハンドガンです。アサルトも一応できますが……」

 戒斗が実技の銃撃で撃っている銃はハンドガン、それも二丁。アサルトライフルは使えはするが学園の訓練では基本的に使っていない。下手だからという理由ではなく、単に戒斗の戦闘スタイルに適していない、というだけ。

 実技の射撃では、ハンドガン、SMG、アサルトライフルの内一つ選んで実際に用意された的に向かって射撃する。とはいっても、ほとんどの生徒はハンドガンを選ぶ傾向にあり、全体の七割ほどがハンドガンを使っている。取り回しの良さとコストパフォーマンスが良いというのが主な理由らしい。

「それで、それと実習訓練は何か関係があるんですか?」

「もちろんだよ。こんな希少な使える生徒がこの学園にいるんだよ。早めに鍛えておいて損はないだろう?」

 その言葉を待っていましたと言わんばかりにニヤリと笑みを浮かべながら智恵はそう答えた。その台詞には皮肉が一切混じっておらず、目を見るからに本気で言っていると思われる。

「ですが学園長……!それはあなたの考えであり、他の教師たちの意見は――」

「君たちに拒否権はないよ」

 戒斗の口から出てくる反論を遮るように、知恵は食い気味に強い言葉を言い放った。いつの間にか智恵の顔からさっきまでの笑みは消えており、有無を言わせないような威圧する目をしていた。

 だが、これは戒斗もある程度予想していた。一学期の始業式の日に生徒二人だけ教師を使って呼び出し、書類までもすでに用意されていた。書類の書き方も当人に承認を求めるようなものではなく、すでに決まている確定事項の確認だった。戒斗がいくら口達者に反論しようが、この学園の最高権力者の智恵が決めたことが覆ることはない。

 とはいえ、智恵が言葉にして言っていた理由だけでここまでのことをするのはどう考えてもおかしい。智恵は学園内のことに関して、権力を振りかざし独裁的なことはこれまでしてこなかった。確実に何か本当の、核心たる理由が他にあるはず。

「……そうですか」

「えっ⁉それでいいの、お兄ちゃん⁉」

 明日香は驚きと動揺が書かれているような顔をし、戒斗の顔をまじまじと見た。いつもならこんな理不尽極まりない厄介事をそう簡単に受け入れない戒斗が智恵の話をすんなりと受け入れてしまったため、明日香は驚きを隠しきれない。

「あぁ、どうやらここでどんなに反論しても意味はないみたいだからな」

 横を向いて自分の顔を見てきた明日香の顔をしっかりと見つめた上でそう答えた。それを聞いて智恵は驚きが半分、納得がもう半分の表情を見せた。

「理解が早くて助かるよ」

「では、代わりに二つほど聞いても?」

「構わないよ」

 戒斗は顔を明日香から智恵へと向き直し、今自分の頭の中で考えていること、推測していることを聞こうとする。

「では、まず一つ目。この決定は学園長自身によるものですか?それとも、他の誰か、例えば……榴ヶ岡学園より上の人間によるものですか?」

 この質問は予想していなかったのか、智恵の眉がピクリと動き、今までの飄々とした表情から一変し、僅かに強張った。智恵は戒斗が何かしらの条件を付けてくるか、決定している内容の詳細を聞いてくるのかと思っていたため、内心ではかなり驚いていた。それと同時に、どこか何かに納得している部分もあった。

「……どうしてそう思うのかな?」

「学園長が言った理由では、想定される他の教師や生徒の反発を無視してまで、俺たちを実習訓練に参加させる理由付けには足りない。学園長より上の立場の人間――幻廊府の誰かが関与しているのなら、理由としては十分」

 今までにないほど饒舌になった戒斗の口から、智恵が聞いてきた理由が詳しく語られた。隣にいる明日香はその理由を必死に聞き理解しようとするが頭がパンクしたようで、途中から目が動かなくなってしまった。

 仮に智恵がこの学園の独裁者ならば、戒斗が今話した理由は理由にならない。独裁だからという端的な理由だけで片が付いてしまうから。しかし、この短時間での会話で戒斗が感じた智恵の人物像は“我が強い部分はあるが身勝手ではない”というもの。つまり、この仮定は戒斗の中では考えられないもの。

 しばらく誰も喋らない間が空いた後、智恵の高い笑い声がこの場に響く。

「あはははは……なるほどなるほど。が珍しく積極的に推薦した理由が分かったよ」

「……その答えは幻廊府の誰かが推薦したと、受け取っていいんですか?」

「ああ、構わないよ。確かに幻廊府がこのことには関わっている」

 以外にも、戒斗が聞いたことをあっさりと認めた。話している内容は学園的にも、世間的にも機密に近いことにも関わらず。

 幻廊府の誰かが戒斗と明日香に興味を持っており、智恵はその誰かと何らかの繋がりがあるということに疑問が残ったが、戒斗はすぐに話を続ける。

「では、もう一つ。この実習訓練は武装許可が下りるんですか?」

 戒斗は実習訓練を受ける話を聞いたとき、この質問だけはしようと考えていた。

 武装許可とは、学園内にある訓練場以外の場所を武装した状態で出歩くことができる許可のこと。一般人が武装することは現在でも違法だが、この許可が下りている場合に限り、特例的に認められている。この許可は基本的には幻廊府が出しており、稀に学園のような機関が出していることもある。通常の実習訓練は例外的に武装許可が下りており、この稀に含まれていない。

 今回は特例だが、最初の方に戒斗の〈幻想〉なしの戦闘能力についての話が出ていたのだから、許可は下りているはず。この質問はその確認のためのもの。

「もちろん下りているよ。でないと、君を推薦した理由が分からなくなるからね」

「……あのー、ちょっといいですか。何か忘れ去られてるんですけど、それって私も含まれてるんですよね?」

 戒斗と明日香がこの学園長室に入って来てすでに五分ほど経過しているが、驚くことや感情の起伏、考えるべきことがあったため、体感的にはその倍の時間が経っているような感覚がある。それプラス自分を置いてきぼりにして話が進み、ずっと本題の会話に参加できていなかった明日香が我慢しかね、恐る恐る手を上げ会話に入ろうとしてきた。

「……そうだよ。この話は二人に来ているものなんだから」

「その間は何ですか!絶対、忘れていたでしょっ!」

 明日香の恐る恐るした質問とそれに対しての智恵の答えに間があったのは確か。実際、智恵は話の途中から戒斗との話に夢中になって明日香の存在を完全に忘れていた。これについては智恵の方が確実に悪いが、それを咎める者はこの場には誰もいない。話に夢中になると周りが見えなくなるのはいつものことなのか、智恵の後ろに立っている佳林は小さくため息をついていた。

 そんな明日香の勢いのいいツッコミをサラッとスルーして、戒斗は話を元に戻す。

「ま、そういうことなら俺たちはもう帰っていいですか?」

「そうだねぇ……話しておきたいことはもうないからね、帰って構わないよ。悪かったね、式が終わって早々呼び出しちゃって」

 智恵は顎に手を当て、考える素振りを数秒見せてから、戒斗の帰りたいという言葉に頷いた。顔が良いからなのか、その素振りだけを切り取って見ると、ドラマのワンシーンに見えてくる。

「悪いと思うなら、次からはしないで下さい」

「はは、善処するよ」

 声だけ聞いたらから笑いだったが、若干の笑みが相まって和やかに笑っているように感じた。さっきまでの雰囲気はどこへ行ったのやら、智恵が軽く笑っただけで佳林一行が学園長室に入ってきたときと同じくらい空気が和やかになった。

 自分のことを無下に扱われたことがお気に召さないのか、明日香は頬を少しだけ膨らませ、拗ねてご機嫌斜めになっている。戒斗はそんな明日香の背中を軽く押しながら、氷上兄妹は頭を下げることなく大人しく(?)学園長室を後にした。

 後に学園長室に残ったのは、この部屋の主である智恵と氷上兄妹を呼び出しに行っていた佳林だけ。さっきまでの和やかな空気が嘘のように、真剣だが重くはない空気が流れていた。

「それで学園長、『あの人』とは誰なんですか?幻廊府とあの二人には何も関係がないと思いますが……」

 学園に登録されている情報には氷上兄妹のどちらとも、幻廊府と関わりがあるということに関する情報は一欠片も記されていない。佳林は智恵が二人をここに呼び出せと言った後に調べており、その情報が全て頭の中にある。記憶違いということは決してない。

「戒斗君の担任になる佳林君には、話しておいてもいいかな」

「それほど機密性が高いのですか?でしたら、私に話さなくとも……」

「いや、別に構わないよ」

 普段はしっかりした態度を取っている智恵だが、信頼を置いている人間の前ではそこまで気張っていない。つまり、佳林がその内の一人ということ。そのため、智恵は椅子の背もたれに深く倒れこみ、窓の方を向いていた。

「あの兄妹の身内の人間だよ。まぁ、さすがにこれ以上は私の口からは言えないかな。知りたければ、直接本人に聞いてみるといい。……答えが返ってくるかどうかは分からないが」

「そこまでして生徒のプライベートに首を突っ込みませんよ」

「そうなのかい、つまらないね。私としては、聞いてくれた方が楽しみ甲斐があるんだけどねぇ」

 佳林が立っているところからは智恵の顔は見えないが、きっとえくぼを浮かべて微笑していることだろう。智恵はそういった他人が取る珍しく面白みがある行動、そしてその結果を見聞きすることが好きなのだ。勿論、このことは智恵の周りのごく限られた人しか知らない。

「その楽しませる機会は別に取っておきます」

「なら、その機会を楽しみに待っているよ」

 そんな二人のたわいもない穏やかな会話の後、学園長室では通常事務が行われた。戒斗、明日香の実習訓練の手続きに追われながら。


 戒斗と明日香は学園長室を出た後、宣言通り帰路に足を向けていた。始業式が終わってからある程度時間が経過していたため、学園内はすでに人気がほとんどなくなっており、静まり返っている。

「そこまで時間がかからなかったな」

「うん、そうだね。……内容はちょっとあれだったけどね」

「ほんと、面倒になったな……」

 明日香は途方に暮れたような顔をして、戒斗は面倒くさそうな顔をしている。二人の声には覇気がなく、気付かれしていることが見て取れる。

『学年が上がったら、どの道やらなきゃいけないことでしょう?早めにやっておいて損はないはずよ?』

 気だるげな兄妹の会話にしれっとこの場にはいないはずの第三者の声が入ってきた。しかも、どこか機械音声じみたノイズが少し入った声で。

「……勝手に起動して会話に入ってくるなよ、ルナ」

『あら、ダメだったかしら?この程度は別にいいでしょう?』

 それが日常なのか、何事もなくごく自然に会話を続ける戒斗。明日香も特に反応するような素振りは見せず、様子は変わっていない。ルナと呼ばれた声の持ち主は周りから見ればどこにもいない。よくよく聞き分けてみると、声は戒斗のブレザーのポケットの中から聞こえてきていた。

 戒斗はポケットの中から大小サイズの違う二つの端末を取り出した。一つは現在大多数の人が使っている連絡などに使われるもの。もう一つは耳に付ける音声の送受信ができる通信用のインカム。インカムは当然、誰かと通信するものであるが、この端末はそのが人間ではないものに設定されてある。

 情報型人工知能、通称IAI。ネットワークなどに接続し、情報収集や分析・解析、高度な演算などを行い人をサポートするAI。それがルナの正体。

 人工知能には意思と呼べるものがあるが、それはプログラミングしてできたものであり、人間と同レベルの応用性や突発性は持ち合わせていない。感情の方は人間に近い部分が所々に存在するものの、興奮や嫌悪、激怒などといった強い感情は表現できず、どこか薄い感情に感じられてしまう。ここ最近、言語モジュールが改良されたモデルも発表されていたが、それでも人間と人工知能の境界は未だはっきりとしている。

 ルナにはそういったところが一切なく、人工知能自体に意思や性格が明確に存在している。それもノイズという問題を除けば、人間と区別がつかないほど。その仕組みや構造といった中身は長い間一緒にいる戒斗や明日香ですら知らない。そのため、ルナは世間的に見ても希少価値が高く、戒斗は人目があるところでは起動するのをなるべく避けている。しかし、ルナには何故か自身の起動権を持っているため、今現在のように勝手に出てくることがある。

 戒斗はインカムを起動して左耳に付ける。明日香も戒斗に倣って同じように逆の右耳に付ける。それによって戒斗が手に持っている端末から聞こえてきていたルナの声が二人が耳に付けた端末を通して聞こえてきて、端末の画面にはルナの仮想アバターが写し出されていた。その姿はどういうセンスかは知らないが、髪の色と同じ白いゴスロリ風の恰好をしている。

「よくねぇよ。というか、何でお前にも起動権があるんだ?」

『そういう仕様なんだから、仕方がないじゃない』

「いや、そんな理由で言い逃れできていたら誰も困らないよ、ルナちゃん」

 明日香もルナが勝手に起動するのに慣れた様子で、ごく自然に会話に入ってきた。戒斗が持つ端末に映し出されているルナの見つめる明日香の目はジト目になっていた。

『そうかしら。それはともかく、お昼、食べに行くんじゃなかったかしら?』

「話を逸らすな」

 流れるようにルナが話題を変えようとし、戒斗が淡々とした声でそれにツッコミを入れる。会話のテンポの良さから、これがこの三人の通常運転であることが分かる。何故ルナが起動していなかったはずの始業式が始まる前に話していた二人の会話の内容を知っているのかを指摘する人は、残念ながらこの場にはいなかった。

「そういえばそうだったね。学園長からの話の方がインパクトがあって、忘れてた。早く行こう、お兄ちゃん。混んじゃうよ」

「……だな。じゃあ、行くか」

 さっきまでの気だるげさがどこに行ったのやら、明日香は軽い足取りで校門に向かって歩いて行った。一方の戒斗はルナにすでに立てていた予定を思い出させられたことが癪に感じたのか少し苦い顔をし、文句を言うことなく速足で先を行く明日香について行った。

 戒斗と明日香が昼食を食べるために入った飲食店は、学園から少し離れた場所にあるありふれたチェーン系のレストラン。内装は木材を中心でできており、大通りに面している外とは違い、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 レストランに入るや否や、明日香が空いている角の席に座ったのを見て、戒斗は何も言わず明日香の対面になるように座った。テーブルに用意されていた端末で一通り注文し終えたところで、待っていたと言わんばかりにルナが話題を提供してきた。

『ところで……、さっきの話、本当に呑んでよかったの?』

「さっきのって、お前に起動権が何故あるのかっていう話か?」

『それは仕様だって答えたでしょう。そっちじゃなくて実習訓練の話よ』

 素なのか意図的なのか分からないボケをルナは軽くいなし、話を脱線させることなく即座に戻した。

「でもそれって、学園長が拒否権ないって言ってたじゃん」

「まさか……。推薦した張本人に話をつける、とか言うんじゃないだろうな?」

 明日香はやや頬を膨らませてルナに対して文句ありげな態度を取った。強制的と言う言葉が前に付いていたと言え、すでに決まったことを掘り返しても意味がないと言いたげな様子。

 戒斗はそんな明日香の様子と打って違い冷たい嫌な汗を垂らしながら、ルナが続く言葉を言う前に、念のためその内容を確認しようとした。戒斗の予想が当たっていれば、未来には嫌な言葉しか待っていない。それは絶対に言わせないと、戒斗は心に決めてルナの答えを待つ。

『分かっているじゃないの。その方が早く解決するでしょう?』

「確かにそうだが、それはやめておきたい。絶対に!」

 明日香も本心からこくこくと頷き、戒斗の思いに同意し、ルナの提案を真っ向から否定した。この兄妹にとって智恵が言っていた”あの人”に自分たちが実習訓練を受けるという話を直接持ち込むのは本当に、何が何でも避けたいらしい。その意思が第三者から見たとしても強く感じ取れる。

『どうしてそこまでして避けたがるのかしら?実の母親でしょう?』

「……それを言うな」

「……本当にやめて」

『すごい反応ね。そこまで嫌いなの?』

 戒斗と明日香が見るからに嫌そうな顔と声をしていることに。ルナは引くほど呆れた言葉を口にしてしまった。さすがのAIでもこれほどの反応をされてしまったら。どう反応したらいいのか見当がつかない。

 ”あの人”もとい、戒斗と明日香、二人の実の母親である氷上鎖那はかなり評判がいい。若くして出世し、今では幻廊府の幹部の一人なのだから。だがそれは表向きだけで、裏側、特に身内に関して言えば、真逆でかなり悪い。鎖那は実の子どもであるはずの戒斗と明日香に、榴ヶ岡学園に入学するまでの間にかなりのトラウマを作らせてきたのだから。今でも時々、家に帰ってきては新しいトラウマを作らせている。

「アイツに借りを作らせたらダメだ。後で散々な目に合う」

「お兄ちゃんに賛成ー。借りを作った後のことを考えるだけで憂鬱になるからねー」

『何もそこまで毛嫌いしなくてもいいんじゃないかしら?』

 本気で嫌そうな声をする戒斗と明日香。さすがにこの反応では聞いた側のルナでさえも、動揺してしまう。ある種の地雷を踏んでしまったのではないかと思うぐらいの雰囲気の変わり様。

「ま、そのおかげで今の俺たちがあるんだけどな」

 憂鬱な雰囲気の中、戒斗は明日香とルナに聞こえないぐらいの声で一人でそう愚痴った。その目は先ほどまでの嫌悪の目ではなく、感謝や懐かしさが少しだけ混じった目だった。

『そんなことより、直談判が無理ならもう少しこちらに有利な条件を付ければよかったでしょう?』

「そんなことって……でも、確かにそうだね。……ねぇ、お兄ちゃん。どうしてしなかったの?」

 漂う雰囲気から、これ以上この話を続けるのは愚策だと判断したのか、さらっと話の路線を変えてきた。ルナ自身が振ってきた話題を自分でで終わらせしまい、それに対して不満を覚える明日香。しかし、明日香にとってはかなり重い話題だったせいか、すぐに新しく提供してきたルナの話に乗っかった。

 実習訓練の参加に拒否権はなくとも、何かしらの条件を取り付けることは可能だったはず、というのがルナの意見。本来はあり得ないタイミングでこの話が来ている時点で、多少の無理なお願いをされることは智恵も覚悟はしていただろう。しかし実際は、戒斗はそれをしようともしていなかった。そのことに気付かされた明日香は不思議そうに戒斗の方を見る。

「あえてしなかったんだ。今後のために」

「ん?どゆこと?」

『……なるほどね。確かにそういう手もあるわね。よく思いついたわね、少しは頭が切れるのかしら?』

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 テーブルの上に置かれた戒斗の端末の中でルナは皮肉気に笑っていた。戒斗もそれにつられて微笑を浮かべていた。唯一理解できず取り残された明日香は頭に?を浮かべながら、不満そうに戒斗とルナを交互に見つめる。

 ちょうどそのとき、注文した料理が二人が座っているテーブルまで届き、話を一時中断することにした。

 戒斗と明日香は昔からずっと一緒にいたせいか、趣味はともかく、好物はほとんど同じになっていた。そのため頼んだメニューは二人共同じで、ハンバーグステーキにサラダ、パンだった。チェーン店とはいえ、〈アースガルド〉の技術の影響で生産業や工業の技術が発展してきたおかげで、メニューにある料理の値段は学生でも支払える金額であるものの、その値段以上のの味をしている。

 食事中も会話はしていたが、先程まで話していた実習訓練に関係することは話していなかった。こういうマナーのようなものも全部、兄妹から嫌われ者扱いされている母親――鎖那から教わったもの。正確には強制された、と言った方が近かったが。会話の内容は今食べている料理や家のこと、最近話題のことなどたわいもないものばかりだった。

 しばらくして戒斗と明日香は注文した料理を食べ終え、食後の紅茶で一息ついた。そして、そうなるまで待っていた食事をしていないルナの声が落ち着いた空気に響いた。

『一息ついたことだし、話を再開しましょうか』

「それならまず、お兄ちゃんの作戦?みたいなもの、教えてよ」

 明日香は再び不服そうな顔をして戒斗にジト目を送る。明日香がこういう態度を取るときは、明日香自身が理解するまで教えないと怒ることが多い。その怒り方は可愛くても口を利かなくなってしまうので、ほぼ家に二人しかいない家庭ではかなりじれったくなってしまう。そのためこういうときは、戒斗は明日香から質問が来なくなるまで説明することにしている。

「作戦じゃないけど。まぁ、そんなようなものか」

『簡潔に言うと借りを作っておく、ということよ明日香』

「……へ?どーゆーこと?」

 ルナが言った簡潔にし過ぎた言葉に、腑抜けた声がでてしまう明日香。一瞬頬杖をついている腕から力が抜け、手のひらの上に乗せていた顔がテーブルに当たりかけた。

「簡潔にし過ぎだ。それで分かったら誰も苦労しねぇよ」

 珍しくAIらしいことを言うと思ったらこれだ。感情が入った会話をできることはありがたいが、たまに自分のペースで勝手に話を進めていくので、理解するのに時間がかかり最終的に面倒なことになることの方が多い。過去に何度も指摘しているのだが、一向に改善する様子が見られない。

『そうかしら。戒斗ならこれで理解できると思うのだけど』

「俺の視点で話すな。明日香への説明にならないだろ」

「そんなことより、教えてよ、早く」

 仲がよろしいことで、戒斗とルナのじゃれ合いが始まり、またしても話が脱線しかけたが、そうなる前に話の線を直したのは未だ不服そうな明日香だった。明日香からしてみれば、ただ焦らされているだけなのだから当然と言えば当然なのだが。

 明日香の急かす言葉で、戒斗は一息ついてから続きを話し始める。

「学園長からの本来ならあり得ない要求を俺たちは受け入れた。つまり、その要求――実習訓練を行うのに必要な物は向こうが用意してくれるはず。当然、性能が良い物を。そうじゃないと割に合わない」

 「……ってことは私たちは得してるんだよね。でも、それって借りを作ることに何か関係してるの?」

 通常、実習訓練で必要な物は学園側が用意してくれるが、それは必要最低限の物だけ。性能も特段良いと呼べる物ではなく、最新型の一個前のモデルの物が多い。つまり、実習訓練で性能の良い物を使いたい場合、自腹で用意するしかない。

 けれど今回は、本来ならあり得ないこと――学園側が用意した特例なので、通常よりも性能が良い物を用意してくれると考えられる。そうではない可能性はゼロではないが、板挟みになっている智恵は自分自身のためにも、戒斗と明日香が参加する実習訓練の評価のためにはそうする他ない。

 一応ここまでの話は、明日香は頑張って理解しているようだった。しかし、理解しているのは戒斗が話している内容だけであって、そこから考えられる推測や可能性については考えられていない。

『今回学園長が提示してきたのは、結構無理のあることなのよ。記録から見てもかなりの例外よ。しかも幻廊府が絡んでいる。……要求に応えられなければどうなるか分かったものじゃない』

「つまり、学園長を救った、ってこと?」

『端的に言えばそうなるわね。あとはもう分かるでしょう?』

「……救った恩人だから後から条件を追加してもある程度は許容するってこと?……でも、それじゃあ、最初から条件を出していた方が得じゃないの?」

 話の全体像が見て来たようで、明日香から話の核心を突くような質問が飛んできた。ただ、理解していく過程で疑問に思ったことを口にしただけであり、頭をフル回転させているようで、目の焦点が若干合っていない。

「まぁ、今の話を聞いただけだとその結論になるよな。……だけど、こっちが先に出した条件を学園長が確実に吞むという保証はない」体裁のために知恵を立てる

『それをほぼ確実にするためのカードが、無理な要求を無条件で受け入れたっていう事実』

「……なる、ほど……?…………だから貸しってこと?」

 思考回路がショートし始めたようで、明日香が頭から煙が出ているような様子になっていた。話している最中でそれまでの思考を放棄したらしく、急に声に抑揚が出てきた。

『そうね。追加で言うなら、あの学園長は戒斗と明日香に拒否権がないって言っていたけれど、その後に推薦と口を滑らせていた。つまり、拒否権がないというのは建前で、本当は拒否もできた。……けれど、智恵からしてみれば戒斗と明日香が頷いてくれないと立場的に困ってしまうのよ』

「推薦という名の命令だからな。……まぁ、要するに、学園長を立てたってことだな」

「…………?」

 ただでさえ明日香の思考回路はショートして思考放棄していたのに、さらに追加で理解することが難しい情報が耳に入って来てしまい、ついには目が点になり固まってしまった。そのことに気付いた戒斗は自身の右手を明日香の顔の前で上下に振ったが、明日香はピクリとも反応しなかった。

「ショートしたな」

『……そうね。可哀そうな頭ね』

 戒斗の呟きに心底呆れた声で頷いたルナ。その後に続いた言葉は、戒斗は聞かなかったことにした。こういうことは過去に何度もあったため、この状態の明日香の直し方は決まっている。

 戒斗は両手で明日香の柔らかい両頬をつまみ、左右に引っ張った。それでも明日香の意識が戻ってこないので、仕方なくその引っ張った頬を上下左右に揺らし始めた。

「……――はにゃっ⁉…………⁉…………」

 戒斗が明日香の頬を引っ張り出してから数秒が経過したところで明日香の意識が戻り、戒斗の両手を振りほどき、ショートしていた頭の回路が復旧した。意識が戻るときに上げた小動物のような愛らしい声が店内に響き渡り、同じ空間にいる人々の視線が明日香へと突き刺さる。

 そんな自分に向かっている好奇な視線に気付いた明日香は恥ずかしいという感情が急激に上昇し顔を赤面させ、両手で顔を覆い身を縮こまらせた。明日香のその姿を見て気まずくなったのか、同席している戒斗の鋭い視線に怖気付いたのか、明日香に突き刺さっていた視線はすぐに消えた。

「おーい、戻ってこい。話はまだ終わってないぞ」

 まるで死体を突くかのように、戒斗は丸まっている明日香の頭を右の人差し指で突いた。それからまたしても数秒後、明日香は自分の顔を覆っている両手の指の隙間を空け、その小さな隙間から戒斗の表情をちらりと伺ってきた。

 戒斗の表情を見て店内に広がっていた状況が収まったことを確認し、明日香はようやく自分の両手を退け顔を露わにし、しっかりと座り直した。

「さて、理由は話したし。次は……」

『要求する内容ね』

「……何を要求するの?」

「装備の新調、訓練の免除とか」

 未だ明日香の頬の赤みが抜けておらず、まだ内側に恥ずかしさが残っているようで、疑問を口にするだけでも言い出すまでに時間がかかった。

 戒斗は実習訓練の内容に条件を付けようと考えていたが、幻廊府が関わっている以上、それは難しいと判断し、そういったことを求しないことにした。ただ、ある程度は実習訓練をやりやすくするために、訓練で使う装備などは要求したいと考えている。

 実習訓練は基本的に平日に行われ、他のカリキュラムよりも優先されるため、他の単位が疎かになる可能性がある。今回は異例のため、その可能性が極めて高い。その分の補填は最低限してくれないと、後々困ってしまう。プラスで、訓練を口実にサボりたいという考えもあったりもする。

『それより座学の方の免除が先じゃないかしら?数学とかはやらないと駄目だけれど、歴史はいらないでしょう?』

「全部じゃないの?」

『当たり前でしょう。必要な知識は今のうちに叩きこんでおきなさい。きっと役立つわよ』

「きっと、って……」

「最悪、中等部レベルはできないとダメだろ」

「うっ」

 明日香は図星を突かれたかのような低い声を思わず出してしまった。学園長室で智恵が言っていたように明日香の座学の成績はそこまで高くなく、平均よりやや下。だが、科目別で見てみると本当に何故かは知らないが、理科は高いにも関わらず数学は顕著に低い。というより、数学の成績が極端に低いせいで、総合的に見ると成績が平均よりやや下になってしまっている。もっとも、それ以外の科目も特段高いとは言えない成績なのだが。

 過去何度か、戒斗やルナが明日香にかなり熱心に教えたのだが、結果は言うまでもなく失敗。明日香自身もそうなのだが、戒斗やルナから見てもその理由がさっぱり分からない。ただ分かっていることは、理科ができるおおよその理由だけ。

 理科は〈幻想〉を使うのに必要な科目なため、無意識の内にその知識を使っていると考えられる。明日香の〈幻想〉の場合は化学、物理の分野の方に偏っており、意図してない内に成績が上がっていっている。当然、その分野の成績だけが。

「で、でも勉強以外はちゃんとできるよっ!」

「逆に言えば勉強はできてない。しかも一科目に限って言えば手に負えないレベルで」

『ちゃんとできるといっても、訓練以外はイマイチ……じゃなくて、凡庸なのよね』

「それ、誤魔化し切れてないじゃん。というか話、戻そうよ……」

 フォーカスが合っていたためか、今まででテンポよく会話が進んでいっていた。余程自分に対する悪口や図星のようなものを言われ続けることに、精神的にダメージがきたのか、明日香はさっさと今している話を打ち切ろうとしてきた。戒斗とルナは話を続けてこのまま『明日香勉学育成計画(仮)』を立ててもよかったのだが、それでは明日香がいろいろな意味で持ちそうにないので諦め、またの機会にすることにした。

「……それで、武器の新調なんてする必要あるの?大して損耗してないでしょ?」

「まぁ、そうだけど……、今回新調するのはパーツ。それと足りないもの」

『それでも、それなりに費用がかかるからちょうどいいんじゃないかしら』

 ルナはさも当然のように、自分の姿が映し出されている戒斗の端末にアクセスし、検索をかけ始める。そして、検索にヒットした一部の画面をホロウウィンドウにし、テーブルの上に映し出した。

 ホロウウィンドウは二一五〇年、つまりカタストロフィが起きる前に技術化されたもの。当時はこの技術が高値で、ブランド店や高級住宅街などでしか導入されていたが、今では一般市民がごく普通に使える値段まで落ちている。中にはホロウウィンドウを出すことができる端末を売り出す会社まで出てきた。戒斗が使っている端末もその一つ。

 このホロウウィンドウは操作している本人のみ自由に出し入れでき、その本人以外も画面に触れて操作することもできる。新技術とはいえ電子に関するものなので、電波が悪いと使えなくなってしまうというデメリットはある。

『例えば……戒斗にはこれがあった方がいいと思うのだけれど』

 ルナはそう言って映し出されたいくつかのホロウウィンドウの中から一つのウィンドウを拡大させた。

「これって、ホルスターだよね?ハンドガン入れる」

『ええ、そうよ』

 拡大したウィンドウにはハンドガンをしまうためのホルスターがいくつも表示されていた。腰に付けるタイプから太ももに付けるタイプ、肩にかけるタイプまで色々なタイプや色のホルスターがある。

「ホルスターなら待ってるぞ。そんなに要らないだろ」

 戒斗のメイン武器はハンドガンのため、いつでも簡単に出し入れできるホルスターは予備を含めて家に何個か常備してある。そのため、新たに欲しいかと問われれば、欲しくないと答えるだろう。

『今持っているのは戦闘用でしょう?実習訓練中は装備していてもいいけど、戦闘時以外は隠しておくか仕舞っておくかしないと駄目なはずでしょう?』

「え、そうなの?」

「そういえば、そうだったような……」

 明日香は驚いて姿勢が伸び、戒斗はそのことを軽く思い出そうとする。しかし、人間とは不思議な生き物で、戒斗は思い出すことができなかった。因みに数時間前の学園の始業式にて、教員の一人が話していた内容にそのことが含まれていた。

『そうなのよ。調べればすぐに出てくるでしょう?』

「だから、お前視点で話すな。人間、そこまでできてないんだよ」

 どうしてルナと話をしていると、どんどんペースを持っていかれるのだろう。AIだからだろうか。そんなことをふと考えてしまう戒斗がこの場にいた。

「それで、そのときに必要になるからか?」

『そうよ。せめて一つくらいは持っておいて損はないと思うわよ。でも、私は助言するだけで、買うかどうかを決めるのは貴方よ』

「そこまで言うなら買うよ。学園の金で」

「もっとオブラートに包もうよ。事実だけどさ……」

 人によっては引いてしまうかもしれない言葉が戒斗の口から出ていた。

 今回は学園からお金が出る――これは前提の話――から金額を気にしなくていい、というのが戒斗の考え。無理がありそうな話だが、事実になりそうな可能性が一番高いので、明日香は何とも言えない。ルナの場合は戒斗と同じ考えがあるからだろうかからか、その辺のことはあまり気にしてないらしく、まったく反応しない。

「で、このホルスター以外に必要な物って言ったら……戦闘服か?」

『それは学園側が用意してくれるはずでしょう。必ず必要なのだから。あとは弾倉とワイヤーかしら』

「???」

 脈絡なく出てきたワイヤーという単語に明日香は思考が一時停止してしまい、表情が腑抜けたものになった。戒斗が足りないものと言っていたが、本当に必要なものなのだろうか。

「何故にワイヤー?」

『あら、知らないの?ワイヤーは便利なのよ。建物から建物への移動とかに重宝するのよ』

 そんなことも知らないの?とシンプルな煽り文句を言ってくるルナ。端末に映っている須賀を見なくても分かるほどドヤっているのが伝わってくる。

「それはそうだけど……、使うの?」

「……まさかとは思うが、実習訓練の内容、もう知ってるのか?」

『さぁ?どうかしらね』

 ルナは知っている事実を言うのは得意らしいが、嘘をつくのは下手らしい。それがAIという存在そのものの性なのだろう。長い付き合いの戒斗と明日香からすればバレバレ。それよりも、どこからそんな情報を入手してきたのやら、底が全く見えない。

「ま、ともかく……。いると思ったものをピックアップしといてくれ。学園の金で払う」

「そこは曲げないんだ、やっぱり」

『分かったわ。ついでに柊智恵に請求しておくわね』

 呆れ果てている明日香の声がレストランの中の空気に虚しく消えていった。

 いつも自分視点で話しているルナは性格はともあれ、必要ないものは頼んだり注文したりしてこない。そこは評価すべきこと。AIなのだからできて当然だと思われるが、実際のところはそこまで完璧にできる個体はかなり少ない。情報収集から情報整理、分析などを前提としてできなくてはならないため、市販されているAI程度のスペックでは到底できない。戒斗のAI――名目上はそうなっている――のルナは、これらがいとも簡単にできているため無論、市販品ではない。

 余談だが、氷上兄妹はAIと画面に映っているとはいえインカム越しに話しているので遠目から見れば、向かい合った二人が虚空に向かって喋っているという中々シュールな光景になる。この二十三世紀でもこんな光景は滅多に見ない。

 そのため――。

「なあ、何だアイツら。誰に向かって話してるんだよ?」

「耳に通信機付いてんだから、そいつと話してるんじゃね」

「でもよ、ここ電話禁止だろ」

「なら、相手は人間じゃないんじゃね?」

「それって、AIってことか?それならそれでおかしいじゃん」

「何がだよ。AIと話してはしゃいでいることか?」

「それもそうだがよ、そこまで会話できるAIって珍しくないか?」

「確かに……」

 とまあ、周りの反応はこんな感じである。

『ひどい言われようね』

「まったくだな」

『二人が、ね』

「何でそうなる。お前の方もそれなりに言われてただろ」

『そうかしら。だとしても関係ないわね。少なくとも絡んでくるまでは』

 ルナは嘘はついていないようだが、多少は気にしているように見える。戒斗と明日香はそれに気付いていたが、指摘することはなかった。

「それより、さっさと帰ろうよ。長居は無用でしょ?」

「そうだな。帰るか」

 話を逸らす気遣いを気にしていないのか、ルナは何の言わず『そうね』という言葉だけを残し、自分から氷上兄妹との回線を自ら切った。

 ルナとの回線が切れたのを確認した後、戒斗は耳に付けていたインカムとテーブルの上に置いていた自分の端末をポケットにしまう。明日香も同じように耳に付けていたインカムをポケットにしまった。周りの自分たちに関する会話がを気にしていない風を装い、戒斗と明日香は支払いを済まして店を出て行った。

 

 戒斗と明日香が二人で住んでいる家は昼食を食べたレストランから徒歩十分、学園から十五分ぐらいのところにある一軒家。外見はごくありふれたもので、まったくもって街の雰囲気との違和感がない。違和感がないのが不自然なほどに。

 しかし、内装は一般的な人から見れば「何だこれは」と言いたくなるほどのもの。ベットやキッチンなどの生活に必要なものは何の変哲もなく、それらが置かれている場所も変ではない。変なのは壁や床で、そこら中に太さの違うラインが入っており、白から赤、青、黒といった様々な色で構成されている。

 この内装の意味は、実際に住んでいる戒斗と明日香には全く分からない。強いて言うならば、このデザインをしたのは母親の鎖那であり、彼女の趣味である可能性が高いということだけ。趣味であることは戒斗の推測でしかないが、当人に聞いてみても適当にはぐらかすどころか、逆にこちらが質問責めなどをされて圧倒されるだけ。なので、家族全員この件に関しては、今では全く触れていない。そのため、最近では興味すら湧かなくなっている。

 そんな外見だけは何の変哲もない一軒家に到着した戒斗と明日香は、家に入るなり自分の部屋で部屋着に着替え、リビングに集合した。無論ながら、リビングの壁や床にも様々な色のラインが入っている。

『さて、家に戻ってきたことだし、話の続きをしましょうか』

 戒斗と明日香がソファに隣り合って座るとすぐ、待ちわびていたかのようなタイミングで、ルナが二人の目の前にある壁に張り付けられたスクリーン型の端末から起動し、ホログラムとなって現れた。実を言うと、ルナはこの家にある全ての端末から起動できる。つまりルナはこの家に限り、好きな場所に移動でき、好きなタイミングで消えることができてしまう。

「どこからだったけ?」

「学園長に請求する話ぐらいからだろ」

『ええ。まぁ、それは決定事項だけれどね』

 この話にもう慣れてしまったのか、あるいは呆れてしまったのか、明日香の口からツッコミが出てくることはなかった。

「……この短時間で請求することだけ伝えたのか?」

『いいえ。全部よ、全部。請求理由から請求内容まで』

「……へ?」

「……は?」

 これまで経験から推測して、もうすでに根回しをしていたのかと思っていたら、その予想を超えて、行くところまで行ってしまっていた。これには普段からルナの予測不能な行動に慣れている戒斗と明日香ですら目が点になっていた。

『どうしたのかしら、いきなり固まって』

 そして、そういったところは本人も理解していない。AIなのに物分かりが悪い。この点だけは市販のAIの方が優れている。まったく、どういう性能をしているのやら。

「それはつまり、俺たちが補充すべきものをたった十五分足らずでまとめて請求した、ということか?」

『正確に言うと少し違うのだけれど、まぁ、大方その通りね。安心しなさい、別に変なものなんて頼んでいないわよ。しかもちゃんと、貴方達の趣味趣向に合わせて選んだのだから、むしろ感謝してほしいくらいだわ』

「憎たらしいほど上から目線だな……」

「ていうか、そこまで知り尽くされてるのが怖い」

 明日香は目が虚ろになりかけ、少しだけ身震いをしている。ここまでくると、自分たちのことに関してルナに知らないものがないのではないのか、と思えてきてしまう。

『ふふ、超有能ルナさんに知らないこと、知れないことなんて何一つないのよ』

「優秀だが、こっちが制御できない点においては無能同然なんだよな……」

 自分で言うのかそれを、というツッコミは口にすることなく、戒斗は呑み込んだ。一々ツッコんでいたら話が進まないのは目に見えているので、諦めてさりげなくぼやいて脱線しないようにした。

 それにしても、自分から超有能なんて言うAIなんているのだろうか。少なくとも戒斗が知っている限りの情報にはない。それ以前に、人間でさえそんなことを言う人などいないだろう。もしそんな人がいたとしたら、それはそれで面白いが、かなり痛い人だと思われているだろう。

 人間はともかく、AIは元々人間がプログラムした通りに動いて、そこから学習プログラムを使って成長していくもの。そのため、同じ機種のAIが数ヶ月、あるいは数年経つと、全く別物と呼べてしまえるAIになるケースが多々ある。だが、基盤は同じであることには変わりないので、ある程度の限度が存在する。

 ルナがこれほどまでに、人間に近い言動を取るのは市販品ではないという理由の他に、何か理由があるのかもしれない。だが生憎、ルナを作り、カスタマイズしたのは戒斗や明日香ではなく、鎖那。当然、管理者権限は鎖那が持っている。そのため、戒斗と明日香は、鎖那がルナを作った理由や目的も分からないし、中身プログラムを見ることすらできない。完全にお手上げ状態なのである。

『何か言ったかしら?』

「いや、何も。それより何頼んだんだ?」

「早く教えてよー。何か変なもの頼んでいたりして」

『さっきも言った通り、そんなものは頼んでいないわよ。ほら、これが注文したリストよ』

 ルナはそう言い、自分が映し出されている端末の画面に、商品名とその個数が記載されたリストが表示されているウィンドウを開いた。ルナ自身はそのリストを見やすくするために画面端に移動し、バストアップのみを画面に映すようにした。

 学園の金を使うという前提があったせいか、商品の数が二十個近くあった。その中にはやはりというべきか、レストランでルナが話していたワイヤーがあった。ワイヤーと言ってもワイヤー単体ではなく、長距離や高低差のある場所への移動手段として用いるワイヤーを使った武器――フックショット。それの最新型が二つ。

「このフックショット、本当に使うのか?」

『言ったでしょう。必要なものを注文したって。まぁ、保険も兼ねて持っておいて損はないと思うわよ』

「そこまで言うってことは、あった方が便利なのは確かだな」

 戒斗の経験則上、ルナがこうして執拗に言うことはほぼ確実に当たる。よって、本当に持っておくべきものなのだろう。

「そうだねー。それで、それ以外には……」

 一方、明日香はフックショットに関してはそこまで興味がないらしく、戒斗とルナの話を適当に流しながらリストを眺めていた。すでに請求はしているもの等だが、それを見る明日香はネットで買い物をしているような顔をしていた。

 ルナが頼んだのは、話にも上がったハンドガンのホルスターと弾倉やフックショット、刀の鞘など。それ以外にもナイフや小太刀、閃光手榴弾などがあったが、明らかに戦闘で使われるようなものばかりだった。

 刀は明日香のメイン武器で、二刀流。二振り使っている一番の理由としては、鎖那が「両手に武器を持った方が一つ持っているときより攻撃回数が増えるし、相手も対応し難いでしょ」という正論とも言い難いことを言ってきて、明日香に強要させたから。これは戒斗にも言えることで、戒斗自身、好きでハンドガンを二丁を使っている訳ではない。無理矢理鍛えられ、身体に染み付いてしまっているため、どうも両手に武器がないと落ち着かなかったりする。

『明日香のために新しい鞘は入れておいたわよ。今使っているのはボロボロになりかけているでしょう?』

「うん、ありがと……それで、このバッチは何?」

 明日香が少しだけ違う感情が混じった嬉しそうな声でルナにお礼を言った後、リストを眺めていた目がある一点で止まった。リストの一番下にまるで隠れるかのように、用途がよくわからない小型のバッチが小さく書いてあった。

『それはね……鎖那から「買っておいて」って言われたからよ』

「本当か?」

『本当よ。信用ないのかしら、私』

「今更だよね、それ」

 二人共、基本的にはルナのことは信用している。しかし、こういった会話で話すことは嘘や冗談のことが多いため、戒斗と明日香からの信用が一部欠如している。

「本当ならその間はなんだ?」

『言っていいのか少し悩んだだけよ』

 戒斗は「この減らず口が」という言葉が喉元から迫り上がってくるのを我慢し、とっくに脱線している話を元に戻そうとする。

「それはそうと、武器の手入れはしておいたほうがいいよな?」

『ええ、そうね。明日はさっそく訓練があるものね』

「なら、私は部屋に戻るね」

「ああ」

 明日香はルナに新しい鞘を買ってもらえることがそんなに嬉しかったのか、スキップもどきの歩き方でリビングを出て行った。今更だが、金を出すのは学園だということをツッコむ者はここには誰もいなかった。

 戒斗はというと、明日香と同様に自分の部屋に戻るのではなくリビングに残り、ウィンドウとキーボードを呼び出し、何やら検索を始めた。検索することはルナが出したリストに関することではなく、不安要素がある実習訓練について。

「ルナ、今までの実習訓練の内容と結果って分かるか?」

『当然。できるわよ』

 ホログラムの身体で右手の人差し指を右のこめかみに当て、考える素振りをしたルナはAIの才能を見せつけるが如く、一瞬で検索を終えた。その数秒後、戒斗も目的の情報が書かれている記事や掲示板を幾つか見つけた。戒斗はこういった作業を小さい時にコツみたいなものを鎖那やルナから教わっていたため、ここれほどまでに手早く終えることができる。

 今戒斗が調べた情報は表に出ている検索をかければ出てくるような情報。一方ルナが調べた情報は、通常の方法では閲覧することすらできないような情報の表面的な部分。

「それでどうだ?目ぼしい情報はあったか?」

『予想はついているんでしょう。答えはノーに近いイエスよ』

「あるにはあるが、役に立つ情報はなし、か」

 阿吽の呼吸かのように、戒斗はルナが言った曖昧な答えを即座に理解した。

『えぇ。そっちはどうなのよ?』

「お前ももう、分かってんだろ?残念ながら役立ちそうなものはなかった。あってもホームページに載っている情報にに毛が生えた程度」

 この結果は戒斗とルナからすれば悪いものだが、別の視点から見れば良いものとも言える。情報統制がしっかりとされており、安全性が信頼できるということ。自分が安全性に信頼を置けない学校に通っているというのは、なかなかひどい話になってしまう。

 戒斗にとって、学園は自分たちを鍛える場所であるとしか思っておらず、それ以上のものではない。そのため、安全性に信頼が置けるという情報に対しての感想は薄く、他人事のように「そうなんだ」ぐらいにしか思っていない。

『でも、それくらい情報網に隙間があるってことは、集めるのはそう難しいことではないわね』

「ああ、そうだな。あとは任せた。俺も明日の準備をしてくる」

『分かったわ。そこまで時間はかからないから、気が向いたら呼んでちょうだい』

 そう言い残し、端末に映っているルナのホログラムは消えた。情報収集のため、情報網にアクセスし始めたということ。ルナが「時間がかからない」と言ったのならば十分足らずで終わらせてしまうだろう。

 戒斗は静かになったリビングの電気を消し、自室に足を向けた。


 戒斗の部屋は二階の一番奥にあり、その手前に明日香の部屋がある。さらにその手前には二つ部屋があるが、今は空き部屋と化している。片方は鎖那の部屋のため、家具などは置かれおり生活している雰囲気はあるが、最近は家に帰ってきていないので、ほとんど使われていない。もう片方は誰も使っていないので、こちらは本当に空き部屋と化している。

 部屋の掃除は専用の機械がしてくれるので、空き部屋や自分達の部屋の掃除は何も苦労しない。整理整頓だけは自分の手でやらなければならないため、そこは今も昔も何ら変わらない。掃除の機械化は現代では当たり前の領域にあり、していない家庭が珍しいほど。

 そんな人間と機械の手によってきれいにされた自分の部屋に入り、明日香は部屋の隅に立てかけていた、学園に持っていった横長の鞄と小さい朱色のケースを持ち、二つともベットの上に置いた。そして明日香はベットに横になるのではなく腰掛け、鞄を開けその中身を取り出した。

 中身は明日香専用の武器、打刀が二振り。この打刀は二振りともオーダーメイドで作られており、刀身の金属は古来から使われているものではなく、特殊な金属を主とした合金で作られている。その金属はトランス鉱石と呼ばれるもので、単体での強度は天然金属最高とされるタングステンに匹敵し、〈幻想〉の媒体となる〈エレジー〉を伝えやすいという特性を持っいる。詳しい採掘場所は公には秘匿されているが、〈アースガルズ〉と繋がったところ――〈門〉《ゲート》の付近だと噂されている。

 この特別製の打刀は当然と言えば当然なのだが、明日香にアドバイス(?)をした鎖那が発注したもの。サイズも明日香の体格に合わせて作られており、かなり頑丈にできているため、多少雑に扱っても壊れる心配はない。

 だとしても、実の母から何でもかんでも渡されることが癪に思ってしまう。明日香は普段そういった考えは持たない性格だが、たまに持ってしまう。そのため――。

「自分で発注した武器も使いたいんだけどな……」

 たまに愚痴ることがある。

 絶対一人のときに。

「でも、新しい鞘か……」

 しかし今は新しい鞘を買ってもらえることに対しての嬉しさの方が強いらしく、嬉しそうなオーラを醸し出しつつ、明日香は鞘から刀身を走らせ、ゆっくり抜刀した。

 古来の刀は刀身に付いている柄や唾を取り外し、刀身に付いた油をふき取り、新しい油でコーティングした後、刀を元に戻すという作業が一般的だった。そう手入れをしないと錆びてしまい、脆くなってしまうから。

 だが、この特別製の打刀はそんな面倒なことをしなくても手入れすることができ、刀身を柄から取り外す必要性が全くない。というより、構造上取り外すことができない。刀身を専用の液で湿らせた布等で拭くだけで手入れが終わる。

 今の時代、こういう刀は主流と言えば主流だが、使っている金属の市場価値が高く、一般的にまで広がりきってはいない。つまり、母親の幻廊府幹部の名は伊達ではないということ。

「さ、やろっと」

 明日香は朱色のケースを開け、中にしまってあるハンカチサイズの布を取り出し、同じく中にあるボトルに入った透明な液体で湿らせる。そして、その湿った布で刀身をはばきから切先まで慎重に、丁寧に拭く。この作業は明日香が剣術を教わったときからずっとやっているので、流れるように手が動いている。しかし、猿も木から落ちるということわざの通り、たまにミスをして薄皮を切ってしまったりする。こればかりは時間が経っても解決しない。

 拭き終わった刀身は金属特有の光沢を出しながらも、水晶のような透き通った色合いを持つものになった。勿論、手入れする前から綺麗だったが、手入れすることのよってより一層綺麗になったのも事実。明日香はそんな綺麗になった打刀を満足そうに少し眺めた後、鞘に納め、もう一振りの打刀を鞄から取り出し、同じ作業をもう一度繰り返す。

 二振りの打刀の手入れが終わったのは、明日香が自室に入って来てから約十五分経った頃だった。明日香は手入れが終わった二振りの打刀を鞄に戻し、朱色のケースと一緒に元の場所に置き、今度こそベットに横になった。今の時間は十四時くらいで、何をやるにしても微妙な時間帯。

 明日香が今着ている部屋着は、水色のブラウスに青のショートパンツ。横になったら着崩れしてしまうかもしれない服装だが、誰も見ていないので何も問題はない。問題があるとしたら、家の中ならどこからでも出てこられるルナに見られるかもしれないということだけ。身内であるルナだが、弱みを握られたら後々面倒なことになるため、気を付けようという意識はある。もっとも、家の中だとどうしても気が抜けてしまうのは否めないが。

 今日はもうやることがないので、暇を持て余している。よって、明日香は昼寝に就くことにした。そう思ったらすぐに瞼が重くなり、視界が次第に黒くなっていった。


 明日香が昼寝をしようと決めたころ、隣の部屋では戒斗が自分の武器のハンドガンを分解して手入れをしていた。この時代になっても銃の手入れや修理の仕方は昔と変わらない。変わっている点と言ったら使われている材料だろうか。

 刀とは用途が少し異なるため、別の金属や鉱石が使われている。中には戒斗が使っているようなトランス鉱石の合金を元にしたものもある。基本的に合金にはトランス鉱石のほか、アルミニウムやスチール、チタン、ファイバーグラスといった銃を作るのに向いる金属が使われている。銃の種類や使用者の好み、戦闘スタイルによって合金に含まれる金属や鉱石、その比率はまちまち。

 戒斗が使っているハンドガンに使用されている金属・鉱石はトランス鉱石から始まり、チタン、アルミニウム、バナジウムといったものがある。耐久性に優れていて、銃自体がそこそこ軽いため、扱いやすい。ほかにも耐熱、耐寒などがあり、現在の世界からしてみても、性能がかなり良い。無論だが、市場価値が高いトランス鉱石を使っているため、戒斗が使っているハンドガンは二つとも高価。比較対象にもよるが、まず間違いなく学生では買えない。それどころか、もしかしたら、大人ですら手を出しにくい可能性までもある。

 戒斗はそれほど高価なハンドガンをテキパキと分解し、洗浄して、組み直す。その後、自分の手で弾を入れた弾倉を入れ、動きの確認をする。組み直すときに部品の位置を間違えたり、部品がうまくかみ合っておらず、滑りが悪かったりするのがたまに起こるのでその確認。

 必然的に銃は刀より手入れに時間がかかるため、明日香よりも時間がかかってしまった。だが、ルナが情報収集するのには十分過ぎる時間。戒斗は手入れが終わったハンドガンを学園に持って行っていた鞄にしまい、椅子に座り直す。そして、机に置かれている電源がついたモニターに向かって声をかけ、ルナを呼び出した。

「ルナ。情報収集、終わったか?」

『愚問ね。もうとっくの昔に終わっているわよ』

 ルナはモニターではなく、その前に置かれた薄く丸い手のひらサイズの端末の上にホログラムとして出てきた。本人が言う通り時間が余っていたからなのか、デザインはそのままだが服の色が白から青に変わっていた。

「相変わらず、減らない口だな。それで、どこまで集まったんだ?」

『全部はさすがに無理だったわよ。何せあの学園の一部は、幻廊府が管理しているもの。そんな訳で、全体の八割ぐらいは掴めたわよ』

 ルナにしては珍しく、有言実行を成し遂げられず、少し不貞腐れたような声をしていた。

「八割なら取り敢えず十分だな、今回は」

『一言余計よ。戒斗ならできるの?こんなこと』

「だから、人間とAIを比べるな。はなっからスペックが違い過ぎるだろ」

『あら、そうとは限らないかもしれないわよ』

「そんな人間いたらいたで怖いだろ。それで……どうだったんだ?」

 こんな茶番とも言える言い合いしていても何も進展しないので、戒斗は仕方なく話を進める。これが日常茶飯事のこととはいえ、こうも長々とやっていてはきりがない。それに、戒斗はこのやり取りをやっていて、たまに自分が馬鹿々々しく思えてくることさえある。

『そうかしら、私は逆に面白く思えてくるのだけれど。……情報はそれなりのものだったわよ』

 ルナはホログラムの身体を自在に使いこなし、流れるような動作で戒斗の前のモニターに報告書のような画面を映し出した。小見出しで項目が幾つかに分かれており、箇条書きに近い書き方をしている。

「これは?」

『榴ヶ岡学園の実習訓練を担当しているとある教師が書いた報告書よ』

 ルナが言ったことに戒斗は心の中で頷いた。

 戒斗は榴ヶ岡学園の報告書を見たことは一度たりともないが、書かれている項目に若干の覚えがあった。それは昔、リビングで鎖那が見ていた報告書をチラッと見たときに見えてしまった項目と同じだった。

『訓練の内容は年によって違っていて、今回は警察の仕事のサポートみたいね』

「警察の?」

 現在日本にある武装を許可された公営組織は警察、公安、自衛隊、特殊武装隊のみ。〈幻想師〉はこれら全ての組織に所属しているが、割合的に多いのは自衛隊と特殊武装隊。そのため、実習訓練の行き先として戒斗が想定していた組織は自衛隊と特殊武装隊。そもそも、警察は〈幻想師〉を必要とする案件を積極的に対応しない。そういった案件は特殊武装隊が担当することになっている。

『なんでも最近、〈幻想〉が使われている事件が増えてきているみたいよ』

「……なるほど。警察だけじゃ対応しきれなくなってきたから、か。でもそれなら、特装隊に頼めばいいじゃないのか?」

 特装隊とは特殊武装隊の一般的使われている略語であり、特殊武装隊は幻廊府の直属の部隊。

 警察は事件が起きたら対応するが、その事件の犯人側に〈幻想師〉が関わっている現行犯ならば、特殊武装隊に対応を譲ることになっている。そうではない場合は必然的に警察のみで対応する。一応、警察は内部で対応し切れなくなったとき、外部の組織――主に特殊武装隊に協力を要請することができるらしいのだが。

『特装隊は〈平行世界〉の監視、調査で忙しいからだそうよ。まぁ、本音は借りを作りたくないだけなのでしょうけど』

「社会の裏じゃねぇか、それ」

『そんなものでしょう、社会なんて』

 AIが言い切ってしまった。社会を一番理解しているはずのAIが。

 だが、何をどう言い訳をしても結果的にそこに行きつくのだから、仕方がない。根も葉もないことだが、それが社会というもの。

 特殊武装隊に借りを作りたくないから、その卵でもある〈幻想師〉の育成機関である学園の生徒を使うという抜け道のようなものを警察が使っていいのもなのか、という疑問は拭えないが。

『それはいいとして、どうするのよ。対策は?』

 そもそも戒斗が実習訓練について調べている理由は、それの対策を考えるため。本来ならあり得ないタイミングでこの話が来たのだから、何かしら裏があるだろうと思い至って行動をとったのだが、案の定面倒なことになった。

 警察のサポートと言っているのだが、具体的なことに関しては、「秘密保持のため記載できない」と開かれたウィンドウに書かれていた。つまり、何も事前情報がないまま、警察に手となり足となり扱われるということ。状況が状況なだけにうんともすんとも言えない。

 〈幻想〉は〈幻想〉でしか対抗できない。それが世間に広まっている一般的な認識。

 実際のところは、相性によっては〈幻想〉を使えない者でも対抗できる。だがその実例が公になることはあまりないため、知らない人が多い。

 そんな知識を知っていようといまいと、〈幻想〉に〈幻想〉で対抗するのが一番効率がいい。それを知っているからこそ警察は〈幻想師〉をリスクなしで借りたいのだろう。

「まぁ、やりようはある」

『どんな?』

「少なくとも一番槍ではないだろ?あくまでサポートなんだから」

 実戦的な能力ではない〈幻想〉を持っている戒斗を登用したということは、〈幻想師〉と真正面から戦う可能性が低いということになる。明日香が登用された理由はその保険的な意味も含まれているからだろう。

『確かにそうね。追跡がメインになるでしょうからね』

「そういえば、ルナ。お前、どこまで知ってたんだ?」

『何がかしら?』

 レストランでの会話から、ルナが戒斗と明日香が受ける実習訓練の内容を知っていたのは明らか。それもかなり詳細なもの。本人ははぐらかしていたが、聞いている側からしたら隠しきれていない。

「……警察からの要請だったのは知っていたのか?」

『……いいえ、知らなかったわ。物理的な追跡になる可能性が高いのは知っていたけれどね』

 くどく突っかかてきた甲斐ががあったのか、ルナの方が先に折れた。ルナはホログラムの身体を上手く使いこなして、諦めがついたかのように肩を竦めていた。

「その情報はどこから来たんだ?」

『……言えないわ』

「母さんか……」

『……』

 戒斗はそこまで読心術に長けてはいないが、鎖那からの英才教育もどきのせいで、人並み以上にできる。ましてや相手が身内であれば、比較的簡単にできる。それに、こういうルナの情報源が曖昧な情報は九分九厘、鎖那が情報源。

「まぁいいや。それで、フックショットは持って行った方がいいのか?」

『ええ、その方がいいわよ。今回は大変そうだから』

「ま、都合のいいように使われるだけだろうからな。用心に越したことはない、か」

『そういうことよ。あぁ、あと……明日の訓練、頑張りなさいよ』

 そう言い残しルナのホログラムは、モニターに開かれているウィンドウと一緒に消えていった。そうして戒斗の自室に再び静寂が訪れた。

 「……余計なお世話だ」

 戒斗は空に消えるようにボソッと呟き、ハンドガンを鞄に戻した後、ベットの上に横になった。

 明日から学園の一学期がスタートするのだが、高等部からは実技訓練が一週間に一回だったのが、二日に一回のペースでカリキュラムに組み込まれているのでかなり大変。成績は鎖那直伝の訓練のおかげで何とかなっているが、こうも多くやるのでは、精神的に疲れていく予感がする。

 そんな忙しい日々が続くのは苦労するが、変えることができない以上やるしかない。そう思い、戒斗は今日は早めに休むことを決意した。


「これから今年度初の実技訓練を行う!やり方は去年と変わらないが、配点は変わっている。あと、ついでに言っておくが、赤点の奴は補修だからな!」

 かなり広い屋内に鋭い女性の声が響く。

 ここは榴ヶ岡学園の地下にある訓練場。主に授業で使われることが多いが、たまに自主的に訓練する人がいることもある、そんな場所。無論ながら今は皆授業で来ている。

 実技訓練は始業式の日に戒斗たちが訓練と言っていたもの。訓練の内容は一人ひとり違う。戒斗の場合は去年から引き続いて射撃、狙撃、組討ち、移動。移動は行うのにかなり時間がかかる上、準備が非常に面倒くさい。そのため、年に数回しか行われず、今日の訓練では行わないらしい。

 使う武器は当然受ける訓練によって違い、学園が管理している武器を使ってもいいし、持参した武器を使ってもいい。どちらを使っても成績は変動しないが、持参した武器の方が細かく調整されており、扱いやすく点数を取りやすい。学園が管理している武器は、調整が全くされていない店に並んでいる武器と同じため、人によってはかなり扱い難い。

 戒斗は射撃のみ、昨日手入れしたばかりのハンドガンを使う。狙撃用のライフルは持っていないため、毎年学園から借りている。ただ、多くの生徒と共用するため、撃つ際に自分に合わせて調整しなければならない。これは慣れると手早くできるが、それでもかなり面倒なことは変わりない。

 それを知っていたからなのか、ルナが昨日学園長に請求したリストに狙撃用のライフルがあった。理解してくれるのはありがたいことだが、ここまでくると引きそうになる。優秀過ぎても色々と困ってしまう。

 一つ目の訓練は射撃。ハンドガンをメインとして使う人もいれば、サブアームとして使う人もいるため、この訓練はほとんどの生徒が受ける。その人数はサブアームとして使っている生徒の方が多い。アサルトライフルやSMGを使う訓練がないのは様々な理由があるが、一番の理由は必要となる弾の数が多くなり、結果として学園が赤字になりかねないため。

「次、氷上戒斗」

 時間を持て余し、他の生徒が撃っている姿をボーっと眺めていると、ようやく戒斗の番が回ってきた。

 戒斗は鞄から二丁のハンドガンを取り出し、マガジンを入れ、スライドを引き薬室に弾が入っていることを確認する。そして、予め太ももに付けていたホルスターにセットする。何度もやってきた動作なので、流れるようにできている。

「準備できたな。始めるぞ」

「一丁ですか?」

 この質問をすると毎年周りがざわつく。「何言ってんだ、アイツ」、「当たり前じゃね」などとコソコソと話す生徒が多々いる。戒斗のことを知っている生徒であれば、「また同じ質問してる」と思うだけなのだが、今年度は高等部からの編入生が多く、訓練は一クラスずつ行うため、そんな生徒はこの場にあまりいない。

 通常、ハンドガンは一丁を片手、あるいは両手で握って撃つ。これは特装隊や警察などに所属している銃を仕事道具としている人も同じ。特装隊に所属している隊員の中には、戒斗のようにハンドガンを二丁持ちする者もいるらしいが、それはまた別の話。

「そうだが……二丁同時にやるつもなのか?」

 タッチパネルを片手に持ち、射撃場所のすぐ横に立っている女性教官は戒斗を怪訝そうな目でまじまじと見つめる。その視線の先には戒斗の顔ではなく、戒斗の太もものホルスターに入っている二丁のハンドガンだった。

「……そうですが。何か問題でも?」

「去年も二丁でやったのか?」

「そうだが……」

 あまりにも質問を質問で返す会話が続いたせいか、戒斗の口から思わずぼろが出てしまった。普段の学園生活では教師と話すとき、戒斗は敬語を意識して使っているが、智恵みたいな性格や話し方をしている人が相手だとつい、意識するのを忘れてしまう。この理由はきっと、あの自分がルールなどと身勝手に言っている鎖那のせいだろう。

 別に一丁で訓練をやってもいいのだが、この訓練は実戦で使用する武器の練度を確かめるもの。ここで使用しなかった武器を実習訓練などで使うことは禁止されている。つまり、戒斗が実習訓練で二丁のハンドガンを使うためにはこの訓練でその実力を見せる必要がある。

「そうか……なら、やってみろ。そこまで言うのなら、やって見せろ」

 幸い女性教官は戒斗のため口のことについて何も触れなかったが、面倒な方向に話が進んでしまった。何故そんな解釈になってしまったのか戒斗は理解に苦しむが、訓練は行わなければならない。

「はぁ、……分かりました。どの道やることには変わりないですから」

 戒斗は小さくため息をついた後、軽く身体を動かしストレッチをする。射撃位置に着き、ホルスターにハンドガンがあるのを手で直接感じ、訓練で使われる的の方を向く。

 射撃の訓練では一人で合計十発撃つことになっている。そして、この訓練は精度と十発撃ち切るまでにかかる時間によって成績が決まる。銃の種類によって一つのマガジンに入っている弾の数は違う。そのため、訓練の条件を一マガジンにしてしまうと精度の計算の際、公平性に欠けてしまうからというのが理由らしい。

 これはそもそも、一丁でやることを前提とした訓練内容のため、今まさに二丁でやろうとしている戒斗には適用されない。そのため、どうなるのかというと――。

「一丁につき十発、計二十発撃て。それで成績を出してやる」

 こうなってしまう。

 本当に何故かは分からないが、戒斗のことを知らない教官でもこういう対応になってしまい、内容も一切変わらない。そして、周りの生徒の反応も同じ様なもので、デジャブと言っていいくらいそっくり。

 何をどう反論しても内容は変わらないのは明白であり、たとえ変わったとしても一丁でやれと言われるのが関の山。その場合、怖気づいたのかと小言を言われてしまうことだろう。

 戒斗は大人しく指示に従い、軽く頷いた。こういうときは何も文句を言わずに従うに限る。戒斗は目の前の机に置かれた防音用のヘッドホンを両耳を塞ぐように付ける。

「では、始め!」

 その言葉を合図に戒斗は両腰のホルスターからハンドガンを取り出し、構える。

 二つの的を両目で捉え、ほんの少しタイムラグを残し、二丁とも引き金を引く。

 ライフリングにより高速回転しながら発射された銃弾は加速し、真っ直ぐ的に引かれるように飛んでいく。

 右のハンドガンから出た銃弾は的の真ん中に、左のハンドガンから出た銃弾は的の中心より僅かに下のところに当たる。訓練とはいえ使っているのはゴム弾ではなく、実弾なので銃弾が発射されるタイミングで耳に響く音が出る。ここの訓練場は防音も完備されており、音が反響し難い造りになっているため、周りにいる生徒らに対してのその心配はほとんどない。

 発射の反作用によりスライドが引かれ、その過程で一発目の銃弾の薬莢が排莢される。そしてリコイルスプリングの強い反発力によりスライドが前進し、次弾が薬室に装填される。

 そして、装填されたのと同時に狙いを修正して引き金を引く。それをひたすら繰り返して、マガジン内の弾が尽きるまで撃ち続ける。戒斗のハンドガンのマガジンには九発の銃弾が入っている。つまり、全二十発撃つにはあと二発足りない。

 しかし、戒斗が構えている二丁のハンドガンから出た弾丸の数はそれぞれ十発ずつ。マガジンには弾が九発しか入らないが、予め薬室にもう一発弾が入ていたという、弾を一発でも多く撃とうという小技を戒斗は行っていた。そのため、二丁ともリロードすることなく、二十発撃ち終えた。

 最後の二発とも的の中心に当り、最後の弾の薬莢が排莢される。その薬莢が床に落ち、カランと綺麗な音を立てる。一瞬の静けさがあった空間に響き渡る音は、さながら美しく感じられた。

「終わりましたが……?」

「……あ、あぁ、そうだな。下がっていいぞ」

 女性教官は己の目で見た戒斗の実力に驚きを隠せず固まってしまったが、戒斗の言葉で我に返り、戒斗に下がるように指示を出す。その後女性教官はタッチパネルを操作し、今戒斗がやった訓練の結果を見る。射撃の開始から終了までの時間と銃弾の的への命中精度はAIが自動で計測しているため、立ち合っている教官が直接計測や操作をする必要はない。なので、この女性教官が今のように唖然としていても何ら問題はない。

 女性教官はタッチパネルに表示されたであろう戒斗の結果を見てさらに驚愕していた。戒斗視点ではかかった時間は分からないが、精度は的を見れば一目瞭然。的の中心とそこから一センチ程度離れたところにしか弾痕がなく、的のそれ以外のところや的の外には一つたりとも新たな弾痕はない。つまり、ハンドガンを二丁持ちで精度ほぼ百パーセントを叩き出したということになる。

 そして、教官のここまでの反応も昨年度までと同じ。多少は違うが、狼狽の仕方や唖然としていたのはこれまでと同じと言っていいレベル。自分から煽っておいてその反応は如何なものかと思われるが。

 一方生徒の方は、一部は騒めいていたが、ほとんどが戒斗がハンドガンで当てた的に目が釘付けになっていた。騒めきの中の声には驚きの言葉が多かったが、中には気持ち的に引いているような言葉もあった。

 戒斗はそれらを気にする様子を見せることなく大人しく備え付けの机があるところまで下がり、さっきまで撃っていたハンドガンを銃口が壁側になるようにその机にそっと置く。マガジンリリースボタンを押して差し込んであるマガジンを抜き、スライドを引いて薬室に弾が入っていないかを確認した後、スライドを前進させる。二丁とも同じ処理を終え、それら全部を鞄にしまう。

「……ふう」

 鞄を閉じた後、戒斗は思わずため息が出てしまう。さっきの射撃の訓練で思っていた以上に精神的に疲れてしまい、まだ訓練が残っているというのに先が思いやられる。そんな少しばかり暗い背中をしている戒斗に、後ろから心配しているかのような女性の声がかかる。

「毎年災難ね。これで何回目だっけ」

 戒斗は声がした方向に振り向くと、そこには明日香より身長がやや高く、モデルのような体形をしているやや暗めの銀髪ロングヘアの女子生徒がいた。手には戒斗より小さいサイズの鞄があり、かなり軽そう持ち上げている。

「とっくの昔に数えるの止めたよ、そんなこと」

「そうなの?ルナちゃんなら数えてそうだけど。今度聞いてみる?」

「しなくていい。余計なことをしそうだし」

 戒斗は本音か冗談かが分からないようなことを言う女子生徒にそう答えながら肩を竦めた。

「それはそれで面白そうだけど」

「……それより、もうやったのか、リーナ?」

 逸れてしまった話を一方的に断ち切った戒斗にリーナと呼ばれた女子生徒――岩刀加里奈いわとかりなは不服そうな顔をし、自分の鞄を戒斗の鞄の横に置いた。本人に言うと煽りに似た言葉が返ってきそうけれど、可愛い顔が勿体なく思えてしまう。今の戒斗にとって恋愛対象に入っていないが。

「その呼び方、止めてよね。私は純血の日本人よ」

「安心しろ。もうその髪色の時点でそう思われているぞ」

「何も安心できないじゃない」

 体内に入った〈エレジー〉の影響で目や髪の色が遺伝せず、突然変異のように変わる例がある。加里奈のように純日本人なのに髪色が黒色からかけ離れている人もいれば、逆に純ヨーロッパ人で日本人のような黒髪の人もいる。しかし、そういったことは稀で、加里奈のような日本人はよく外国人と間違われる。

 明日香の髪の赤いインナーカラーもこれに当てはまり、実際に母親である鎖那の髪は黒色である。髪の色に限って言えば、明日香のような部分的な色の変化の方が多い。

「で、終わったのか?」

「……終わったわよ。一応、全弾当たったけど」

 加里奈は不服そうな顔を緩ませながらも、どこか不機嫌そうな雰囲気を出しながら視線を落とし、鞄を開ける。ハンドガンを腰のホルスターから抜き、今開けた鞄にしまう。加里奈の鞄が戒斗のより小さいのは、他の生徒と同じくハンドガンを二丁も使っていないというのもあるが、加里奈のハンドガンは小さくサブアームとして使っているため。

「何がそんなに不満なんだ?数発的の外に当たっている奴の方が多いぞ」

「戒斗と比べると全然だな、って思っただけよ。……っていうか相変わらずどんな身体してんのよっ⁉二丁同時に撃って全弾当てるとか!……しかも、全部的の中心付近だし」

 加里奈は少し落ち込んだと思ったら、逆ギレのような態度を露わにし、その後すぐに呆れたように声のトーンを落とした。ジェットコースターのように感情がコロコロと面白おかしく変化しているのを見て、戒斗は心の中でクスリと笑ったが嫌な記憶を思い出してしまい、それが顔に出ることはなかった。

「母親の教育のせいだ」

 戒斗は昔やった鎖那との訓練を思い出しただけで精神的な苦痛という名の幻覚を感じてしまう。忘れたくとも忘れられない過去。しかし、そんな鎖那との過去があってこそ今の自分がある、という思いが戒斗の中には少なからずある。

 「どんな教え方されたら、そうなるのよ!あんたの母親、ほんっと何者なの?ことあるごとに絡んでない?」

 加里奈は戒斗の言葉の返しに、思わずはぁーと深くため息をついた。戒斗の一般的には考えられない技術や知識は、そのほとんどが戒斗の母親である鎖那が関係していると言うだから理解できない。鎖那がどんな人物像で、普段どんなことをしているのかさえ加里奈は知らないのだから。

 戒斗は鎖那によって、幼い頃から特殊な訓練を受けていたのだろうが、本人から詳しい内容を加里奈は聞いたことが一度もない。聞こうとしても適当にはぐらかされるか、上手く誘導して話を逸らされるかのどちらかになってしまう。いいようにあしらわれているという自覚は加里奈にはあるが、何故だが何をやっても敵わない。

「……調べれば出ると思うぞ」

「調べて出るなら、今更聞かないわよ!」

「そうか、それは残念だな。スペックが低いからか?」

「~~~っ」

 明日香と話すときと違い、加里奈との会話はお互い煽りが多い。その理由は戒斗と加里奈が知り合ったのは中等部一年生で、かれこれ三年の付き合いになり、身内以外では一番交流が深いから。会うたびに今のような煽り文句が飛び交うようなことはないが、それでも一般的な会話と比べてかなり多く、仲の良さ(?)を物語っている。

 たまに一言多く、本当のことを言っているのは確かだが、そのせいで人間性としては微妙なところに位置している。加里奈から見た戒斗の印象はそんなところ。

 加里奈は戒斗が答えるまでに少し間があったことが気になったが。気のせいということにした。そんなことに一々触れていたらまた煽られ、黒歴史みたいなものを作りかねない。

「確か加里奈のAIは、市販品じゃなかったよな?」

「えぇ、そうよ。だから性能はいい方よ。むしろ、ルナちゃんがおかしいのよ!」

「それを本人が聞いたら怒るだろうな。おかしいことは否定しないが」

「否定しないの⁉一応、身内みたいなものでしょ?」

「長く付き合っていたら、そのうち分かるさ」

 ついさっきまでの会話と打って違い、傍から見ればイチャついているように見えなくもない会話をしている。内容自体は繋がっているが、温度差が違い過ぎて聞いている人がいたら風を引いてしまいそうになる。

 加里奈が個人で所有しているAIは戒斗の言う通り、市販には流通していない非売品。非売品のAIというのは店頭やネットなどに売っていないだけで、入手すること自体はできる。加里奈の場合、父親の伝手で手に入れたらしい。そのため、加里奈が所有しているAIは一生徒が使っているのもより性能は上。しかし、どんなに学習させたとしても、ルナと比べれば天と地ほどの差がある。

 それはともかく、今の時間は授業中で、他の生徒は訓練してるので――。

「おい、そこ!騒がしいっ!少し黙ってろっ!」

 当然、こうなってしまう。

 訓練中の生徒は除く全員が戒斗と加里奈がいる方を見てくる。これほど冷たいような、仲間外れにするような視線は今まで味わったことがない。……多分。

「あんたのせいで怒られたじゃない!」

「人のせいにするな。そもそも、加里奈が勝手にはしゃいでいただけだろ」

「は、はしゃいでなんかないし!それと、あんたが原因なのは確かよっ!」

「分かった、分かった。取り敢えず落ち着け。また怒られるぞ」

「~~~っ」

 戒斗のわざとらしい大人の態度に加里奈は言い返したかったが、そんなことをしたら戒斗の言う通り、再び怒られかねない。その思考が脳裏によぎり、加里奈は声にならない叫びを上げた。そんな加里奈の背中に突き刺さる背筋が冷えるような視線を感じる。

 ふと振り向くと、さっき二人を怒った教官がまだ二人のことを鋭く冷たい視線でジロジロと見てくる。青筋を立てており、大層ご立腹のように見受けられる。さらに他の生徒たちからも、戒斗と加里奈に対して冷たい視線が突き刺さってくる。

 それを感じた加里奈は感情的になりながらも静かにし、戒斗に言葉ではなく、目で訴えかけようとする。

(戒斗のせいなのは確実よ!)

(いつまでそれ、引っ張ってんだ?)

(いつまでも、よ!)

 目で会話をするというのは、こういうことなのだろう。ただ、大体の内容は話の流れや雰囲気で察せれるが、実際のところ仲の良さがないと実現できない。

「さっさと移動するぞ。早く終わらせた方が楽だろ」

 戒斗は目での会話を一方的に切り上げて、別の訓練スペースに向かって歩いて行った。戒斗の意見には賛成だけれど、何か気に食わない、という思いが加里奈の中にある。自分が怒っていることについての話を逸らされたことに対してそう思うのは当然なのだが、何か違う気がする。

「……ま、そうね」

 加里奈はここでどうこう思っても仕方ないと割り切り、鞄を手に持ち足早に戒斗の後を追う。

 鞄に入っているハンドガンはこの後の訓練には使わないため、常に携帯しておく必要はないが、安全のために持って行く。一応個人用のロッカーは訓練場には設備されており、ほとんどの生徒がそのロッカーに自分たちが持ってきている武器などをしまっている。この個人用ロッカーがある場所は学園が開いているときなら何時でも出入りできるため、割と自由に出し入れできる。

 ただ戒斗や加里奈は手元にあった方が安心できる。そういう性分なため、他人に預けたり貸したりするのは勿論、個人用ロッカーにしまわない。安全性が絶対ではないというのも理由の一つだが。

 その後、二人は鞄を持ち歩きながら、訓練を消化していった。二人とも訓練を受ける項目は同じため、射撃の訓練後、別行動するということはなかった。訓練を受けている生徒の中には、全部の訓練を受けている馬鹿みたいな生徒がいたりもしたが、戒斗と加里奈はそんな生徒のことは気にも留めずにいた。

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