第6話
第六話 同じ叱責、違う声
桜花は、夜中に目を覚ました。
胸が、少し苦しかった。
夢を見ていた。
暗い蔵。
冷たい床。
閉まる扉の音。
――がちゃん。
その音が、まだ耳に残っている。
「……っ」
小さく息を吸い、布団を握る。
ここは、月宮邸。
閉じ込められていない。
扉は、閉まっていない。
それでも、心はすぐには追いつかない。
桜花は、身体を丸めたまま、じっと天井を見つめた。
――また、同じことをしたら。
――また、怒られたら。
胸の奥が、きゅっと縮む。
そのとき、ふと浮かんだのは、母の声ではなかった。
「桜花!!」
低く、夜を裂いた声。
月城綾人の声だった。
あの夜。
逃げ出した自分を追いかけてきた人。
怖かった。
本当に、怖かった。
声の強さも、視線も、抱き寄せられた腕の力も。
桜花は、思わず布団の中で肩をすくめた。
――怒られた。
確かに、怒られた。
でも。
母の怒りと、綾人の叱責は、どこかが違う。
桜花は、ゆっくりと思い返す。
母は、理由を言わなかった。
聞いても、教えてくれなかった。
「うるさい」
「邪魔」
「生きてるだけで迷惑」
それだけだった。
でも、綾人は。
『どれだけ心配したと思っている』
その言葉が、胸に残っている。
怒られているはずなのに、
“自分が見られている”感じがした。
桜花は、布団の中で、小さく手を握った。
――心配。
その言葉は、蔵の中では聞いたことがなかった。
『危ないことをしたら、叱る』
『それでも、捨てない』
叱る。
でも、捨てない。
その組み合わせが、まだよく分からない。
桜花の世界では、
叱る=嫌う
叱る=いらない
だったから。
でも、あの夜。
綾人は、怒りながら、離さなかった。
抱きしめる腕は強かったけれど、
扉を閉める手ではなかった。
桜花は、そっと布団から出て、障子の方を見る。
薄く開いた隙間から、廊下の灯りが見えた。
誰かが、起きている。
――怒られた後なのに。
――ここにいていいの?
小さな足で、音を立てないように廊下へ出る。
すると、向こうから足音がした。
「……桜花?」
低く、でも驚いた声。
綾人だった。
薄茶の髪に、眠そうな瞳。
それでも、桜花を見ると、すぐに膝をつく。
「どうした。怖い夢か」
その言葉だけで、喉が詰まった。
桜花は、しばらく黙っていたが、やがて小さく聞いた。
「……にいさまは」
「うん?」
「……おこった、よね」
綾人は、一瞬だけ考えるように目を伏せた。怒った」
はっきりとした答え。
桜花の胸が、きゅっとなる。
「……でも」
綾人は続けた。
「桜花を、失うのが怖かった」
その言葉は、静かで、嘘がなかった。
桜花は、涙が出そうになるのを、必死でこらえた。
母は、怖がらなかった。
失うことも、気にしなかった。
「……おこられると」
桜花は、声を震わせる。
「……いなくなるって、思ってた」
綾人は、何も言わず、桜花を抱き寄せた。
前みたいに強くはない。
逃げないように、そっと包むだけ。
「いなくならない」
耳元で、はっきりと言う。
「怒っても、叱っても、桜花はここにいる」
桜花の肩が、小さく震えた。
同じ「怒る」なのに。
同じ「叱る」なのに。
どうして、こんなに違うんだろう。
まだ、全部は分からない。
でも。
蔵の中で聞いた声と、
今、耳元で聞いている声は、
まったく違う。
それだけは、はっきりしていた。
桜花は、綾人の着物の裾を、きゅっと握った。
離さないように。
綾人は、それを止めなかった。
月明かりが、二人の影を、静かに畳に落としていた。
それは、
閉じ込められなかった夜の証だった。
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