第13話 ベネット侯爵邸

 想定よりも早く追っ手が来たのだろうか。


 胸の鼓動が速くなり、息が浅くなる。


 しばらくすると、私たちが休んでいた水源地に三頭の馬が現れ、男たちが下り立った。どうやら馬を休ませるようだ。


「侵入者の知らせがあったのは、ここから二十分ほどの場所です」

「そうか……既に移動しているかもしれん。警戒を怠るな」

「はい」

「日が暮れる前に確認できれば良いのだが……」


 誰かが、私たちを見ていた――。

 そう悟った瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 胸元に隠した短剣の柄を握りしめる。

 けれど、ノアが小さく首を振り、私の手をそっと押さえた。


「大丈夫です。

 あの方はベネット侯爵の長子、フレディ・ベネット伯爵です。

 普段は皇都で活動されている方ですが、今は帰郷中のようですね。

 面識がありますので私が話をします、ここで待っていてください」


 ノアは囁くように言い残し、木陰から姿を現した。

 その途端、馬に水を飲ませていた男たちが一斉に振り返り、剣を抜いた。


「誰だ!!」


 思わず目をつぶった。


 しかし、待てども悲鳴も剣戟の音も聞こえない。

 代わりに、どこか懐かしむような、朗らかな声が響いた。


「なんだ!ノアじゃねぇか!」

「ご無沙汰しております、ベネット伯爵」


 そっと目を開くと、男たちは剣を下ろして安堵の笑みを浮かべていた。


「おう!春の剣術大会ぶりか?……それよりどうした?皇都の天才坊ちゃんが泥まみれとは」


 軽口を叩けるほどの関係――どうやらノアと彼は親しい間柄のようだ。


「敵襲に遭い、逃げてきたところです」

「ということは、侵入者ってのはお前か。で、ロペスはどうした?」


「父は……死にました」


「は? 何言って……ロペスが死ぬはず――」


 伯爵の顔がみるみる青ざめていく。帝国随一の剣士の死など、誰が想像できただろう。


 その空気を破るように、私は木陰から一歩踏み出した。私が現れたほうが、真実が伝わると思ったからだ。


「本当です」


 私を見た瞬間、男たちの視線が鋭く変わった。


「貴女は?」

「名乗り遅れました。エリシア・ヴェル・セレスティアと申します」


 できる限り丁寧に、皇族としての礼を尽くす。すると、男たちは一斉に膝を折り、頭を垂れた。


「これはこれは皇女殿下! ご無礼をお許しください。私はフレディ・ベネットと申します。こちらは弟のオーウェン、執事のウィリアムです」


「デビュタント前ですので、ご存じなくて当然です。急な訪問をお許しください」


「とんでもない。ですが……殿下が“逃れている”ということは、皇族が襲われたということですよね?

 なぜ皇都から知らせがないのです?」


 フレディ伯爵の声には困惑が滲んでいた。無理もない。


 説明しなければと口を開いたが、唇が震え、言葉が喉の奥でつかえた。母の血に染まったドレスと、弟の泣き顔が脳裏を過ぎる。


「……っ」


 声にならない声を、ノアがそっと引き取った。


「一刻を争う事態です。

 侯爵にお取次ぎ願えますか?

 詳細は追ってお話しします」


 その言葉に、伯爵の表情が引き締まる。


「わかった!話は後だ!邸宅に急ぐぞ!

 ノアは殿下とウィリアムの馬に、オーウェンは先に行け!」


 矢継ぎ早の指示が飛び、私たちは馬に乗せられた。蹄の音が夕暮れの森を駆け抜けていく。


 西の空にはまだ、微かに茜色の名残があった。

 その光を追うように、私たちはベネット家の邸へ向かった——。



――――――――――


 やがて、森を抜けた先に石造りの大邸が現れた。

 月光に濡れた屋根が黒く光り、幾つもの塔が空を見上げている。

 帝都の古城を思わせる、重厚で誇り高い佇まいだった。


「……着きました。ベネット侯爵の邸宅です」


 ノアの声は静かだったが、その奥に安堵の色が滲んでいた。

 

 門の前にはすでに数名の衛兵が松明を掲げて待っていた。


 「フレディ様!お戻りを!」

 「父上には伝えてあるな?」

 「はい!侯爵様は応接の間でお待ちです!」


 鉄の門が軋む音を立てて開かれた。

 馬の蹄が石畳を打ち、静かな夜気の中にその音が響く。


 屋敷の中庭には手入れの行き届いた樹木が並び、灯りの光が葉の間を淡く照らしていた。


 玄関前には、数人の使用人が並んでいた。皆、眠気の色など微塵もなく緊張した面持ちで頭を下げている。


 馬を降りた瞬間、疲労が一気に押し寄せて、私は思わず膝を折りそうになったが、ノアがそっと支えてくれた。


「大丈夫ですか?」

「……ええ、少しふらついただけです」


 屋敷の扉が開くと、温かな灯りが溢れ出した。


 中は古いけれど美しく整えられた空間だった。大理石の床に、古典様式の絵画と彫像。

 壁際の燭台の火が静かに揺れ、黄金色の光が廊下を染めている。


「皇女殿下、どうぞこちらへ」


 案内役の執事ウィリアムに導かれ、長い廊下を進む。

 歩くたびに靴音が静かに響き、その音がやけに遠く感じた。


 ——この先にノアの祖父であり、ベネット家の当主、私たちの運命を左右する人物が待っている。


 扉の前で立ち止まると、ウィリアムが静かに告げた。


「エリシア皇女殿下、並びにアルヴェルト公子様をお連れしました」


 ノアと顔を見合わせ、私は深呼吸をした。

 冷えた空気が肺に満ち、心臓の鼓動が早まる。


 ウィリアムは私達に軽くうなずき、扉を押し開けた。

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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~ Marumi @ma-ruuuuu

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