第12話 黎明の約束

 泣き疲れたのか、あるいは暴れ疲れたのか。

 私はノアの腕から抜け出すことを諦め、静かにその胸に身を委ねた。聞こえてくる彼の鼓動と体温が心地よかった。


「ノア…私を置いていって下さい」


 その言葉が唇から零れた瞬間、自分でもひどく身勝手なことを言っていると分かっていた。


 ノアを困らせるだけだ。それでも、もし彼が私を見捨てたとしても、誰も咎めはしないだろう。


 私は皇族でありながら何の力もなく、ただ守られて生きてきた人間。ここで命を落としても、きっと世界は変わらない。


 けれど、ノアの返した言葉は、そんな私の予想を裏切った。


「エリシア様は……私に失望されてますか?」


「え……?」


 思わず顔を上げた。失望するのは、むしろ彼の方ではないのか。

 こんな惨めな私を、守る価値があると思えるのだろうか。


「どうして、そんなことを?」


「父に言われました。――皇太子妃様と、レオン様、そしてエリシア様を命に代えてもお守りせよと。

 それが父の……最後の命令でした。それなのに、私は妃殿下を守れず、レオン様を見捨ててしまった。失望されても……仕方がありません」


 彼の声は震えていた。

 その肩が小刻みに揺れているのを見て、胸が締めつけられる。

 どうしてこの人は、自分を責め続けるのだろう。

 まだ十四歳――本来なら、無邪気に笑っていていい年なのに。


「どうして……そこまでして、私を守ろうとするの?」


 問いながら、泣きはらした喉が痛んだ。


「……さて、どうしてでしょうか」


 ノアは少しだけ遠くを見た。遠くの山々を見つめるように、ゆっくり言葉を選んだ。

 

「深く考えたことはありません。ただ――それが、アルヴェイン家に生まれた者の宿命なのです」


「宿命……それだけですか?」


「はい。それだけです」


 その淡々とした答えに、なぜか心が軋んだ。

 宿命。それだけで人は死ねるのだろうか。

 ノアの父も、彼自身も、そんな形のないもののために命を懸けているというのか。


 けれど、その時――私ははっきりと気づいていた。

 この絶望の中で、私が唯一願っていることを。


「ノアには、死んでほしくない」


 それだけは、確かだった。


 私は彼の腕から離れ、顔を上げた。

 霧に溶けるような水色の瞳を、まっすぐに見つめて。


「ノア……私はこれ以上、大切な誰かが死ぬのを見たくありません。

 もしノアが死ぬくらいなら――私も死にます」


 その言葉に、ノアは目を見開いた。

 

 それは、もしかしたら初めて、真正面から彼の瞳を見て話した瞬間だったのかもしれない。


 ノアは短く息を吸い込み、やがて決意の色を宿した瞳でうなずいた。


「エリシア様。今は信じられないかもしれません。

 ですが、私が必ずこの困難から貴女を守り抜きます。

 ですので……もう一度、私にチャンスをください」


 ――チャンスをもらうのは、私の方だ。

 彼に守られ、生かしてもらうために。


「……はい」


 かすれた声で答えながら、その一言に“生きる”という小さな約束を込めた。


 その後、ノアは私を抱えて近くの水源へと運んだ。

 澄んだ水で喉を潤し、互いの傷を清める。

 冷たい水が頬を流れ、少しだけ心が落ち着いた。


「ここは、私の祖父の領地に入った所です。

 小さい頃、狩りでよく来ました」


「……じゃあ、この場所を知っていたのですね?」


「ええ」


 胸の奥が熱くなった。

 恥ずかしさと、安心と、ほんの少しの温もりが入り混じる。


「どうして、すぐに言ってくださらなかったのですか?」


「皇女様も道をご存知なのかと思って……すみません」


「いえ。私が勝手に歩いていったせいですから」


 傷を洗い、立ち上がろうとした瞬間、足首に鋭い痛みが走った。


「エリシア様、足が痛みますよね。動かないように固定しましょう」


 ノアは自身のマントのまだ綺麗な部分を切り取り、手際よく私の足を包んだ。

 彼の指先が触れるたび、痛みの奥で、心がくすぐったく感じる。


 手当をしながらノアはこの後のことを私に説明した。

 

「まずは私の祖父であるベネット侯爵の邸宅に向かい、今後のことを相談しましょう。

 ベネット家は皇族への忠誠心がとても強い家門です。

 皇太子殿下と私の父も絶大な信頼を置いていました。

 このような状況下でも頼れる存在ですのでご安心ください」


「分かりました」


「なのですが、少し急がないとなりません……」


 ノアによれば、今回の事件が帝都にまで知れれば、関所での検問が厳しくなる。

 今回の皇族襲撃には皇族と深い関係を持つ人物が関与している可能性が高い為、検問で居場所が見つかれば、また暗殺の危機にさらされる可能性も否めない。


「……ですのでお辛いかと思いますが、急いでベネット家に向かう必要があります」


 ノアの言葉を聞いて、私は気を引き締めた。

 幸い、ここからベネット家の邸宅までは馬の速足で小一時間の距離、休憩なしで歩けば五時間ほどの距離だという。


「固定できましたが、あくまでも応急処置ですので無理はなさらないでください」


「ありがとうございます。だいぶ楽になりました。

 それでは急ぎましょう」


 私はノアに差し出された手を掴んで立ち上がると、ベネット家のある方角を向いた。

 足に負担がかからなくなったからだろうか、ズキズキとした痛みは幾分か楽になった。


 ちょうどその時だった。

 馬の蹄の音がこちらに向かってくるのが聞こえ、私はノアに腕を引かれてすぐ近くにあった木陰に身を隠した。

 

 

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