第3話


 案内が終わった鈴歌と別れた。


 心動術とやらに興味はもちろんあったが、現実離れしすぎている。どのみち、車が直ればこの町を去るわけだから、余計なことは訊かないようにした。

 桂オートに戻るなり、愛車を見終わった桂が渋い顔をして言った。


「セルモーターがいけんようになっとる。こらぁすぐには直らんで」

 陸郎たちには、方言がキツくて何を言っているのか半分もわからなかったが、最後の言葉だけはっきりとわかった。


「な、直らないんですか?」

「メーカーに部品取り寄せないけんけぇ(取り寄せないといけないから)、ちぃと時間かかるわ」


 こんな山奥まで取り寄せるとなると、二、三日では済まないだろう。

 遅くても夜には直って、チェックイン時間が大幅に過ぎながらも無事旅館に辿り着くという青写真を描いていたが、その可能性がなくなってしまった。

 直すという選択以外ないが、紗恵には、言い出しにくかった。


「車、直してもらうってことでいい?」

 ガレージの出入口で優唯をあやしている紗恵は、「うん、もちろん」と気軽に答える。


「なんか、マズい?」

「うん、今日明日に修理が終わるのは無理みたい」

「え」


 さっき聞いた話を紗恵にもすると、苦い顔をしてから、一度うんとうなずいた。


「しょうがない。切り替えていこう」

「そう言ってくれると助かるよ」

 紗恵が以前言ったように、車検前に買い替えればよかった。そう思って、中古車情報をそれとなく眺めることだってあった。だが、紗恵から買い替えを提案されたことで意固地になってしまった部分がある。


 そのことが陸郎の中でじんわりとした苦味となって広がっていった。

「壊れたのは陸郎のせいじゃないし、旅にトラブルはつきものでしょ」

 打ち込まれたピッチャーを励ます監督のように、紗恵は陸郎の背をとんとん、と叩く。


「にしても、こんなところで壊れるかね」

 すん、とした澄まし顔をしている愛車につぶやいた。学生の頃にバイトで稼いだお金で買った思い入れのある車だ。八百万の神は、あの車には住んでいなかったのだろうか。


 頼れる人間といえば、ここまで連れてきてくれたかんちゃんと鈴歌くらいだが、彼女は桂オートまで陸郎たちを送ると、家に帰っていってしまった。


「電波もない。見た感じ民宿っぽいのもない。俺はともかく、優唯と紗恵だけでも休める場所がないかな。三人で野宿するわけにもいかないし」

「泊まれる場所が見かけなかっただけで、あるかもしれないでしょ。探しましょう」

「それもそうだな」


 前向きなのはいいが、陸郎はその推進力にいつも巻き込まれている気がしていた。助かることのほうが多いが、妻がしっかりしている分、相対的に自分がひどく不出来に感じてしまう。

 しかし、ここでどうしよう、と立ち尽くしていても状況は好転しないし、紗恵の提案が一番現実的だった。


「あればいいけど」


 桂にあてがないか陸郎が訊こうとすると、別の来客があり、世間話をしていた。

 灰色の作業着を着た男は、何か用事があるわけではなさそうで、日課のように足を運んでおしゃべりしているようだった。

 作業着の男が嘆くように首を振っている。


「あら熊かもしれん」

「そらいけんがな。もうこっちまで下りてきよるか」

「だったらマズいでな」

「それかアレかな」


 会話が一段落したのを待って、陸郎は話しかけた。


「すみません。修理、お願いしようと思います」

「おお」

「直るまでどこにも行けそうにないので、町に泊まれる場所ってあったりしますか?」

 作業着の男と桂が顔を見合わせると、男が言った。

「宿はないで」

 小さな民宿でもあれば理想的だったが、そうはいかないようだった。


「それだったら、かんちゃんのとこが、ええでないか」

「かもしらん。奥さんももうおらんけぇ、部屋も空いとるでないかな」


 紗恵に目で確認してみると、腕をゆるく組み、しばらく目線をそらした。そして、無言で首を縦に何度か振った。陸郎と感じているものは同じだったようだ。親切にしてもらったとはいえ、今日出会った他人で、かんちゃんのことは何も知らない。どんな家で、どんな生活をしているのかもわからない。何泊かさせてもらうとして、娘が何事もなく過ごせるだろうか。


 とはいえ、背に腹は代えられないのも確かだ。消去法で選択肢を絞るしかなかった。

「ありがとうございます。じゃあちょっと訊いてみます」

 キツすぎる方言も、しばらく浴びていると聞き慣れてきて、半分くらいはなんと言っているかわかるようになっていた。


「しょうがないわね」

 紗恵の言葉に、陸郎はうなずいた。

 桂から教えてもらった道を歩きながら、家族三人でかんちゃん宅へ向かうことにした。


「英語でリスニングのテストってあったでしょ」

 ベビーカーをコロコロと押す紗恵に、脈絡なく話しかけた。

「うん? どうしたの、いきなり」

「英語の文章を聴きまくるって、効果あるんだなぁって」

「まあ、点数取るために、そういうふうに勉強するからね」

「キツい方言も、そうなんだなって」


 はぁ、と曖昧に返事をする紗恵の横で、陸郎は一人で実感していた。

「それよりも、あの話どう思った?」

 紗恵が声を潜めた。内緒の答え合わせをするかのようだった。

 あの話とは、おそらく心動術のことだろう。


「嘘じゃないと思う。手品とかイリュージョンだったとしても、そういうレベルを越してたよ、あれ」

「同意」

「そういう町ってこと?」

「じゃないの? 一部の人は使えるって」

「鈴歌ちゃんも、だよな」

「ってことよね」


 踏み込んで訊いていいものかわからず、あのとき、そのくだりはそこで終わってしまった。普通の町ではないのかもしれない。そんな場所に家族で逗留する。陸郎の胸の中に不透明な澱が沈んでいった。


 歩き続けていると、この町まで導いてくれたあの軽トラが、家の玄関前の敷地にぽつんと置かれていた。かんちゃん宅だとすぐにわかった。少し古い一軒家で、その脇に納屋がひとつ建っている。表札には塩尾とあった。


「しお? かな」「珍しいね」と二人で言い合っていると、ガラリ、と家の二階の窓が開く。鈴歌だった。

「車、ダメでしたか」

「そう。それで、塩尾さんなら、親切にしてもらえるんじゃないかって桂さんが。で、塩尾さんいる?」

「ちょっと待ってください」


 鈴歌が引っ込むと、玄関からかんちゃんこと塩尾がやってきた。

「今度はどうされましたか?」

 陸郎は頭を下げながら事情を話した。

「車が、しばらく直りそうになく、行くあてもなくて。非常に厚かましいことは重々承知の上で、どうか、ご自宅に泊めていただくことはできないでしょうか? 妻と娘だけでも構いません」


 紗恵も隣で頭を下げると、優唯も「あぅあ」と声を上げた。

 反応がないのでゆっくりと頭を上げて様子を窺うと、塩尾は破顔していた。

「こんな可愛げのある子にお願いされたら、断れんですよ。部屋も余っとりますけぇ、ご家族で好きに使って下さい」

「ありがとうございます」

 再び夫婦は深く頭を下げて、お礼を言った。


「あんまり片付いとりませんけど」

 と、前置きした塩尾に自宅を案内してもらった。古い家ではあるが、物が少なくすっきりとした印象を持った。


 一般的な戸建て住宅といった様子で、一階にはリビングとダイニング、キッチンがある。昔ながらの作りで、リビングは和室だった。水回りも平成初期あたりを彷彿とさせる設備だったが、どれも丁寧に長く使っているようだった。

 それから二階の部屋を見させてもらい、その中から六畳間の和室を選び使わせてもらうことにした。鈴歌が顔を出した隣の部屋だった。


 荷物を運び入れると、町を訪れてからはじめてのプライベート空間に、陸郎は大の地に寝転んだ。

「疲れた」

「居候させてもらうわけにはいかないから、私、家事手伝わせてもらう」

「それがいいかもな」

 ちら、と紗恵が視線を向けるので、おまえはどうするのか、と訊かれたような気がして、陸郎はさっと答えた。

「俺はその間、優唯のことを見てるよ」

「お願い」

 いくつかあった選択肢の正解を選んだらしい。

「じゃ、ミルクとオムツお願いね」

「あ、おう」

 すっと立ち上がった紗恵は、部屋を出ていき、階段を下りていった。


「鈴歌ちゃん、今、晩御飯の準備してる? 手伝うよ」

「いいんですか? ありがとうございます」

 そんな会話が階下から耳に届く。

 紗恵は陸郎とは対照的だった。表情がいつも明るく、さっぱりとした性格ではじめて会う人ともすんなりと仲良くなれる。


 一種の才能なのではと陸郎はいつも思っていた。対して陸郎は、教室の隅で仲のいい友達二、三人としゃべっているような学生時代だった。

「優唯も、ママみたいになるんだぞ」

 携帯用ミルクの缶を捻って開ける。硬いダイヤル錠を回したような音が鳴った。ミルクを荷物から引っ張り出した哺乳瓶に注ぐ。娘は、自分の手が珍しいようで、手の平を天井にむけて何やら一生懸命に眺めていた。





 鈴歌と紗恵が作った夕飯を四人で囲んでいるときのことだった。


「もう一回やって」

「またですか?」


 懇願する紗恵が目を凝らし、鈴歌は楽しそうに体を揺らしている。


「紗恵。鈴歌ちゃん、疲れるかもだから」

「いやいや、全然大丈夫ですよ。このくらいなら」

「そう?」


 本人がそういうなら、と成り行きに任せることにした。陸郎も、紗恵と同じように眉間に皺をよせ、鈴歌の手元をじいっと凝視する。


「じゃ、いきます」


 合図をすると、鈴歌が空気を揉み込むように指を動かした。すると、大皿に盛ってある里芋の煮っころがしが一つふわりと浮かんだ。

 映画でしか見たことがない奇妙な光景だった。現実感がまるでなく、これで三度目なのにまだ慣れない。目を凝らしても原理は理解できそうになかった。


 落ちてテーブルの上を転がるのではないか。逆に、こちらへ飛んでくるのではないか。陸郎は何かあったときのために、すぐ手を動かせるようにした。だが、煮っころがしは、そのまますーっと空中を滑るように飛んでいき、鈴歌の口の中に入っていった。何度か咀嚼する。


「おいしいです、紗恵さんの煮っころがし」

「鈴歌、行儀悪いで」

「あ、うん、ごめん」

「すごいね、何回もやってもらって」


 紗恵の言葉に、鈴歌は照れくさそうだった。


「宴会芸じゃないんだから、もうやめような」

「自分だって見たかったくせに」

「ま、そうだけど」


 ボソっと言ったのが聞こえていたらしく、塩尾が快活に笑った。

 塩尾が「どうですか」と陸郎に日本酒を勧めてくれたので、恩人の酒を断るわけにもいかず、グラスに入れてもらった。それをうらやましそうに見つめる紗恵の目線に塩尾が気づき、「奥さんも」と水を向けると、「え、いいんですか! すみません」と紗恵はすぐさま空のコップを差し出した。


 その日本酒が、すっきりとした味わいで飲みやすいせいか、紗恵は早々に酔いが回ってしまったようだった。

 その酔っ払いは、可愛い妹ができたかのように鈴歌にちょっかいを出し、きゃっきゃと笑わせている。


 年は一回り以上違うのに、姉妹のように見えた。塩尾は、そんな二人を微笑ましげに眺めながら陸郎に言った。

「珍しいもんですか、心動術は」

 あの力は、そう呼ばれているらしい。

「もちろんです」


「町におったら誰かしら使えるけぇ、当たり前に思っとるけど、外と違うんですね」

「はい」

 自分たちはただの旅人なので、立ち入ったことは訊かないつもりだったが、外と違いすぎるので、どうしても興味のほうが勝ってしまった。

「千稔寺さんの一族以外でも、一部の町人は使えるって鈴歌ちゃんが言ってましたけど」


「ええ、そうですよ。町にずっとおると、感化されて血筋関係なくある日目覚める人もおるみたいです」

「ああ、それで」

「素質っちゅうか、才能みたいなもんがある人に限るみたいですけどね」


 ということは、長く滞在すれば使えるかもしれない。陸郎は自分の手に目線を落とす。紗恵も、優唯も、その可能性があるのだろうか。思い描く普通の家族とはかけ離れていた。

 空になった盛り皿がふわっと浮くと、意思があるかのように流しに飛んでいく。落ちて割れるかもしれない。音や破片が飛んでこないか身構えていると、無事運ばれていった。


 紗恵が拍手しながら感動している。

「うわぁ、便利」

「いつもこうしてるんです」

 鈴歌は得意げで、用済みの食器をどんどん宙に浮かせて移動させていった。

 何度目かの心動術だが、陸郎はショーのように観察することはできなかった。ピエロの空中ブランコでも見ているかのような気分だった。


 食事が粗方片付き、酒の肴になるようなおかずだけがテーブルに残った。いつも塩尾はこうやってのんびり酒を飲みながらつまんでいるのだろう。

「あの、塩尾さん、泊まらせていただく間は、妻が家事を手伝わせていただきます」

「そんな、気ぃ使わんでもええのに」

「僕に何か手伝ってほしいことってありますか? 自分だけ何もしないというのも」

 主婦をしている紗恵は、家事をしながら優唯の面倒を見るなのは日常茶飯事。陸郎がいなくても何も困らないのだ。


「じゃあ、畑、手伝ってもらわぁかな(もらおうかな)」

「ご迷惑にならないように頑張ります」

 恐縮したように応える陸郎に、「気にせんでええのに」と塩尾は頬をゆるめた。

「普段通り、なんもんなかったら、さよならになるだろうしな」


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