第2話


 何度か分かれ道を右に曲がったり左に曲がったりを繰り返し、彼らが町と呼んでいる場所に言われた通り四十分ほどで到着した。


 谷間の平地に広がった集落で、信号機はなく、かつて栄えていたであろう大通り沿いには寂れた商店に電気店、場違いなほど白く清潔感のある診療所があった。他には、肉魚野菜などを取り扱う個人店がひとつずつあった。村というには規模が大きく、町というには寂れている。


 やがて、『桂オート』という古いデザインの看板が見えた。陸郎たちの乗る車と同じメーカーのロゴが描かれている。軽トラは修理場らしき大きな口が開いたガレージ前で止まった。


「かんちゃんか。それどうした?」


 建物から油で汚れた作業着を着た男が出てくると、陸郎たちを指した。

 軽トラのあの男は、かんちゃんと呼ばれているらしく、彼は車から降りて経緯を説明しはじめた。そこに、陸郎と紗恵も加わった。


 かんちゃんに紹介された修理工らしき男は、店主の桂だと名乗った。年の頃もかんちゃんと同じくらいのようだった。


「まあ、あんたがたみたいなのは、ときどきおんさるわ。来てもらってあれだけど、直せるかはわからんよ」

 桂にぴしゃりと淡い期待をかき消されるが、事実なのだろう。

「はい。承知の上です」

 ここまで来てしまった以上、もう彼に頼むしかない。

「お願いします」


 紗恵が頭を下げると、さらりと髪の毛が垂れる。桂の目線が紗枝の顔にむかい、胸元まで下りて、また顔に上がっていった。

 シンプルなファストファッションだが、都会からやってくる女性はこの年頃の男には珍しいのだろうか。

 ひいき目なしに、紗恵は顔立ちがいい。男であれば、多少見てしまうのもうなずけた。


「車こがなとこに置いとってもいけんが(車をこんなところにおいててもいけないでしょ)。押して、中に入れよう」

 桂の熟成された濃度の高い方言に、夫婦が一瞬理解する時間がかかると、いつの間にかそばにいた少女がこそっと教えてくれた。


「車をこんなところに置いててもダメだから、と桂のおっちゃんは言ってます」

 ああ、と陸郎が理解すると、かんちゃんが牽引を解き、紗恵がハンドルを握り、男三人と少女で軽自動車を工場の中に押し込んだ。

 四人も集まれば、軽自動車であれば案外動いてくれるらしい。最初の一メートルほどは力を入れたが、タイヤが動いたあとは、楽に進んでくれた。


 キーを桂に預け、陸郎たちはその間町を回って見ることにした。

 最初は診断結果を待つつもりだったが、他人が待つような場所はなく、遠回しに出ていくことを勧められたのだ。

 ベビーカーをトランクから引っ張り出して広げていると、かんちゃんがやってきて「無事直ったらいいですね」と言う。

「本当に。長年乗ってる車なんで」


 切実に陸郎が愛車を見つめると、かんちゃんは励ますかのように肩を叩き、じゃあ、と去ろうとし、思い出したように少女に言った。

「鈴歌。さんに挨拶してもらったほうがええわ」

「あ。うん。そうだね」


 紗恵が優唯をベビーカーに乗せながら訊いた。

「チネンジさんって?」

「この町を治めている方です。風習があって、余所から来た方には、ご挨拶してもらわないといけないことになってるんです」

 陸郎が大きなリュックを背負いこみ、ボストンバッグを手に持ち、もう片方の手でスーツケースの持ち手を掴んだ。


「千稔寺さんに挨拶終わったら、またきんさい」

 桂に送り出され、三人は千稔寺という町長のところに向かうことにした。

「遅くなりましたが、私、鈴歌って言います。十五歳です。千稔寺家の屋敷まで案内しますね」

 快活な鈴歌の笑みに、陸郎は既視感を覚えた。口に出すほどの引っかかりでもなかったので、陸郎も自己紹介を返した。


「長松陸郎です。よろしくね。こっちは妻の紗恵と、娘の優唯」

 どうも、と紗恵がにこやかに会釈すると、鈴歌が深く頭を下げた。

「お会いできて、町に来ていただけて」

「いや、そんな大げさな」


 陸郎が返礼に慌てていると、顔を上げた鈴歌は微笑んだ。

「そうかもしれませんけど、私、嬉しいんです」

 田舎町なので、来訪者が珍しいのだろう。微笑ましく思った夫婦は頬をゆるめた。

「かんちゃんは、鈴歌ちゃんのおじいちゃん?」

「おじいちゃんみたいな人です。血は繋がってないんですけど、一緒に暮らしてて面倒を見てもらってるんです」

 何か事情がありそうだったので、陸郎も紗恵もそれ以上は訊かなかった。


「今日はご家族でどこに行こうとしてたんですか?」

「旅行だったんだけど、車がああなっちゃって」

「そうでしたか」

 鈴歌が気の毒そうに言った。


「車、買い替えようって私は言ってたんだけど、陸郎……この人が、乗り潰すまでは替えないっていうから」

「そしてああなってしまった、と」

 普段言われ慣れている妻の愚痴とは違い、鈴歌の追撃のような一言は特に刺さった。

「車検通ったばっかりなんだよ。消耗品的なパーツもそのときにまとめて交換してもらってたし、壊れる要素なんて全然ないんだよ」

 と、鈴歌に理解を求めた。


「なるほど」

「でも結果的に故障したじゃない」

 そう言われるれると、もう何も言えない。

「うん」

「だから車検前に替えたらよかったのよ」

「もういいだろ、その話は」


 陸郎の勘弁してくれ、と言わんばかりの表情の歪みがおかしかったのか、鈴歌がクスクス笑う。

 スーツケースをゴロゴロと鳴らしながら、道中、鈴歌が町のことを教えてくれた。商店があるほかは、電気店、桂オート、診療所、青果店、精肉店、鮮魚店、雑貨店、中高年のたまり場であるスナック、公民館――生活するだけなら不自由がない町だった。


「あとは、山と川と畑と田んぼくらいしかない大田舎です」

 冗談っぽく最後に付け加えた。

「ううん。のどかでいいね」

 紗恵が首を振ると、陸郎も首肯した。

「うん。ザ田舎って感じで、いい」


 都会で生まれ育った二人は、地元がそれなりに大きな街であるため、田舎に対する憧れが多少あった。予約した旅館も山奥の温泉地だし、優唯が生まれる前の国内旅行は、決まって静かな場所を選んでおり、これに関して意見が割れたことはなかった。


「今日って平日ですよね。陸郎さん、お仕事じゃないんですか?」

「まあ、うん。仕事、休みで」

 中学生くらいの少女に会社がブラックで上司も仕事に厳しくて耐えきれずに辞めた、とは言えず、苦笑いで濁すしかなかった。

 退職しようか悩みに悩んだとき、妻に相談すると大いに賛成してくれた。


「辞めたら? お金のことは、ちょっとくらい大丈夫よ」

 辛そうな陸郎に言葉をかけてくれた。それを機に、必死に堪えていた堤防が決壊した。

 業界ではほどほどに知られた住宅機器メーカーの卸会社で、陸郎は営業をしていた。上司は仕事に厳しく、帰宅は深夜になることは珍しくなかった。休日出勤も当たり前だった。

「でも、仕事ってそういうもんだろう」と陸郎は自分に言い聞かせていた。学生時代の友人も似たような境遇だったのもあった。


 生まれたばかりの娘のために、という思いが支えだった。

 それでも、限界がやってきてしまったときの妻の後押しは、とても大きかった。失業保険の制度をしっかりと調べていたそうだ。

 そのおかげで、申請後しばらくは、失業保険をあてさせてもらうことにした。


「あそこです。千稔寺さん」


 鈴歌が指さす先には、大きな屋敷があった。塀で敷地を大きく囲っており、正面には大きな門がある。厳かな見た目からして、門番が立っていても不思議でないくらいの威圧感がある。平屋建ての家屋は、築何百年と経っているような風格があった。長が住む家だと名乗るに相応しい歴史を感じる。


「お寺じゃないのね」

「はい。名前を聞いたらそう思いますよね」


 よくあることなのか、鈴歌が小さく笑う。

 ようやく荷物を下ろせると思った途端に、肩や背中にずっしりとした重さがより強くなった。


「挨拶って、どういうことをするの?」

「大したことじゃないですよ。ご当主のシノ様にお顔を見せて、立ち寄った理由とかをお伝えする程度のものです」

「そんなもんなんだ。いきなり出ていけって言われない?」

「そんなこと言いません。大丈夫ですよ。絶対」


 陸郎の発言がよっぽどズレていたのか、鈴歌は愉快げに肩を揺らす。

 町の風習と言われて身構えていたが、大したことではないらしい。山奥の田舎には、都会暮らしの人間には理解できないルールが多数存在する、という話を噂で聞いたことがあったのだ。


「余所から人が来ることは少ない町ですから、その方々が何か問題を起こしたら困るので、お館様とまず面通ししていただく、ということのようです」

 ふうん、と夫婦は声をそろえた。

「鈴歌です。迷い人様たちがいらっしゃったのでここまでご案内しました」と門の向こうに用件を伝えると、黒いスーツ姿の老女が、門の脇にある勝手口から風のように現れた。灰色の髪の毛を撫でつけ、余った部分は後ろでくくっている。無表情のまま陸郎たちに一礼する。


 こんにちは、と陸郎たちも返した。

 この屋敷の人間のようだが、葬儀屋と思われても無理のない風貌だった。

「どうぞ」

 老女の一言に、門扉が軋みながらゆっくりと開いた。

「こちらへ」

「行ってください。私は、ここで待っています」


 鈴歌がそう言うので、陸郎たちは案内役の老女のあとについていった。紗恵がちらっと後ろを振り返ると、首をかしげた。

「扉、誰が開けたの?」

「自動ドアなんじゃない?」

 陸郎が適当に答えて、自分も振り返る。それらしき仕組みはなさそうだった。

「っぽくないわよ」

「だな」


 敷居をまたいで、土間の玄関から屋敷に上がらせてもらう。ベビーカーと荷物はここに置かせてもらうことにし、優唯は紗恵が抱いた。

 長い廊下には、几帳面に貼られた障子がずらっと並んでいる。中庭には日本庭園があり、色とりどりの花が咲いていた。


「重要文化財の中みたい」と紗恵がぽつりとこぼした。

「奈良にこういうのあったよな。どこのお寺だっけ」と思い出そうとする陸郎に「奈良じゃないわよ、京都じゃない?」と他愛もないやりとりをすると、老女が窘めるようにして振り返った。


 余計なことをごちゃごちゃ話してはいけないらしい。陸郎は首をすくめるようにして会釈した。

 渡り廊下を通り、迷路のようにあちこちを回り、やがて豪奢な襖絵の前で足を止めた。さぞ名のある職人が描いたのだろう。


「お館様は町の象徴で、大変寛容なお方ですが、繊細です。決して失礼のないように」

 老女が語気を強める。夫婦は「はい」とうなずいて背を正した。

「こちらです」

 老女が襖絵の向こうを手で示すと、音もなく襖が開いた。

「自動ドア?」

「違うわよ多分」

「迷い人様、ご家族をお連れいたしました」


 老女が奥にいるであろう当主に改めて伝える。その御方は、畳から一段高い最奥にある御簾の向こうにいるようだった。

 しかし、ずいぶんと遠い。十畳ほどもある空室が三部屋ほど連なっており、最奥まで三十メートルはありそうだった。小さな子供が屋敷にいれば、運動会ができてしまえるほど、室内は広い。


「中へお入りください」


 老女が勧めて、夫婦が足を踏み入れた。

 その瞬間、周囲の景色が前から後ろへ流れていき、気づいたときにはすぐ前にはあの御簾があった。とんでもなく早いエスカレーターに乗せられたら、こうなるかもしれない。


「え?」

「何今の」

 夫婦は顔を見合わせ、後ろを振り返ると、さっき目にした襖があった。あそこからここまで、一瞬で移動したようだった。

 移動させられたというべきか。動いて今ここにいることはわかる。だがそれだけだった。それ以外は、何もわからない。周囲を見回してみる。入口で見た場所であることは確かだった。


「遠いところから、よくいらっしゃいました」


 御簾の向こうから、女性の声がする。

 滑らかで流暢な、機械の音声だった。クセも方言もなく、イントネーションも何一つ間違いがない、フラットで上手な日本語で逆に気持ち悪いくらいだった。


「どうぞ、お座りください」

 言われるがまま、用意してもらっている座布団に夫婦は正座した。

「この久原町には、どうして立ち寄られたのですか?」

 機械音声がまた聞こえる。

 御簾の向こうは誰もいないのでは、と疑ったが、なんとなく人がいるような気配はある。だから、いるにはいるのだ。

 陸郎がここにやってくるまでの経緯を説明した。


「今は、桂オートさんで、車の様子を見ていただいているところです」

「そうでしたか。それは大変でしたね。久原町とご縁があるのでしょう」

「のどかで、町の人たちも優しくて、綺麗でとてもいい町ですね」

 紗恵が言うとさらに続けた。

「こういう場所、好きなのでむしろありがたいくらいです」


 さすがにそれは言い過ぎでは、と陸郎は内心思ったが、本心なのだろう。

「赤ちゃん、とっても可愛いですね」

 硬くなった夫婦の表情が和らいだ。

「ありがとうございます」

「美しい娘になりますよ」

「だといいんですが」

「何もない町ですが、ゆっくりしていってください」

「はい。ありがとうございます」


 夫婦が頭を下げると、またさっきの高速エスカレーター現象が起こった。

 後ろから前へ、景色が急速に流れていき、気づけば廊下で正座していた。音もなく襖が閉まると、「これで挨拶はおしまいです」と待っていた老女が言う。狐につままれたような気分で二人は立ち上がり、出口に向かう老女についていく。


「あの、今のって」

 いくつか気になったことを、ひとつひとつ解説してほしかった。老女は振り返ることもなく、淡々と教えてくれた。


「ご当主様は、会話は機械を使って行います」

「あ、やっぱり機械」

 同じことを思っていた紗恵が、すっきりしたようにつぶやく。

「技術が進歩したおかげで、意思疎通しやすくなりました」

 それが意味するところは汲み取れないが、それに近しいものといえば、ひとつしか知らなかった。


「初音ミク……みたいな?」

 陸郎は口に出してみたが、的外れな気がしてならない。それ以上に流暢で考えられないほど滑らかだった。

「いや、違うでしょ」

 すぐさま紗恵が突っ込まれるが、老女は何も答えてくれなかった。


 屋敷を出ていくと、鈴歌と合流した。紗恵がベビーカーを押しながら砕けた口調で言った。

「いや、面通しって一方通行なんかーい」

 当主が御簾の向こうにいたことが引っかかったらしい。

「俺も思ったけど言うなって」

「シノ様は、お顔をお見せにならないので、気にしないでください」

 そういうお方らしい。陸郎はそれよりも、もっと話したいことがあった。


「そんなことよりも、アレって何」

 以心伝心した紗恵が、改まったように尋ねた。

「鈴歌ちゃん、襖の前にいたのに、いきなり当主様の前に移動したんだけど、あれって一体何? 何かわかる? 私たちの勘違いじゃないと思うんだけど。しかも二回」


「この町では、ああいうことができる人がいるんです」


 立ち止まった鈴歌は、地域ごとの特色を説明するかのように、平然としていた。

 真っ先に陸郎が思ったのが、なんだそれ、だ。当たり前のように話すので、聞き逃しそうになった。


「それってどういうこと?」

 陸郎は思わず尋ねていた。

「言った通りです。千稔寺の一族や町人の一部に限るのですが」


 夫婦は顔を見合わせた。交通ルールか何かのように淡々としゃべるので、知らないこちらが非常識かのような気になる。

 ああいうこと、と濁したからには、移動させるだけではないのかもしれない。


「超能力みたいなこと?」

 声を潜めて紗恵が訊いてきた。

「かもな」


 自分たちが知っている単語で、当てはまりそうなのがそれだった。しかし、ありえないと笑うこともできない。現にもう二度も体験してしまった。あの高速移動だけではない。自動ドアだと思った門扉も襖も、そうだったのではないか。


 今さっき起こった事実と話の内容が、まだしっかりと結びつかず腑に落ちない。

 車が直れば、すぐに出ていこう。簡単な作業であれば数時間で済むこともある。エンジンが動かなくなる故障が、簡単な作業で済むのかはわからないが。

 見たままのことを受け止める紗恵ですら、今回ばかりは歯切れが悪い。


「そんなことあるの?」

「はい」

 鈴歌はさらりと断言した。そういうもので、それが当たり前の常識なのだと言わんばかりだった。


 そして、にこりと微笑んだ。


「便利ですよ?」





※※※

本作は、カクヨムコンテストに応募中です!

『面白いかも!』

『続きに期待!』

『応援してる!』

と思われた方は、ぜひポイント評価、作品フォローいただけると嬉しいです!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る