第3話 人活

友人は、ほとんど喋らなくなった。


 声をかければ、返事はある。

 でもそれは、言葉というより反射に近い。


「……うん」


「……そう」


 表情も乏しい。

 怒らないし、笑わない。


 ただ、そこにいる。


 代わりに、あのぬいぐるみは――

 以前より、よく動くようになった。


 鞄の中で、ではない。

 外だ。


 机の上に置けば、ほんの少し体勢が変わっている。

 床に落ちれば、向きが直っている。


 誰も、それを不思議がらない。


 私以外は。


「ねえ」


 放課後、私は意を決して声をかけた。


「今日、うち来ない?」


 友人は一瞬、迷うような素振りを見せた。

 それから、ゆっくり頷く。


「……えっと、ごめん。行けない。代わりにうちにおいでよ。」


 その返事はあまりにも心がこもっていないように思えた。


 家に着いても、友人は鞄を手放さない。

 靴を脱ぐときも、椅子に座るときも。


 まるで、

 鞄の方が本体みたいだった。


彼女のお母さんが部屋へ来る。


「飲み物、いる?」


 返事はない。


 振り返ると、友人はソファに座っていた。

 背筋を伸ばし、膝の上にぬいぐるみを乗せて。


 その光景が、あまりにも整いすぎていて、

 私は言葉を失った。


 ――人形と、人間。


 どちらが持ち主で、

 どちらが付属品なのか。


 区別がつかなくなっていた。


「……ねえ」


 私は、声を震わせながら言った。


「それ、変だよ」


 友人は、ゆっくり顔を上げた。


「……何が?」


 その声は、

 驚くほど平坦だった。


「最近、全然話さないし……

 感情も、なくなってる」


 友人は、しばらく黙っていた。


 そして、ぬいぐるみを見下ろす。


 ――その瞬間。


 私は、見てしまった。


 布の指が、

 ほんのわずかに、友人の服を掴むのを。


 友人は、穏やかに言った。


「……大丈夫だよ」


 その言葉に、

 友人自身の意思は、ほとんど残っていなかった。


「この子が、代わりに動いてくれるから」


 背筋が、凍りついた。


「……代わり?」


 問い返す私を、友人は見なかった。


「私、上手く喋れないし

 感情も、表に出せないでしょ」


 淡々と語る。


「でも、この子は違う

 ちゃんと、求められてる」


 そのとき、

 ぬいぐるみの首が、こちらを向いた。


 ――確かに、向いた。


 縫い付けられた目が、

 私を見ていた。


「ねえ……」


 私は、思わず後ずさった。


「それ、動いてるよ」


 友人は、首を傾げた。


「……そう?」


 心底、どうでもよさそうに。


「前からだよ

 私が、動けなくなっていくのと引き換えに。

 私が頼んだの。動いて欲しいって。」


 言葉が、喉に詰まった。


 それは、彼女の

 願いだったのだ。


 「この子が動けたらいいのに」


 好きなキャラクター。

 ずっと一緒にいた人形。

 自分より、愛される存在。


 その願いが、

 少しずつ、友人を削っていった。


 私は、思わず叫んだ。


「やめよう!もう外しなよ!

 それ、もう人形じゃない!」


 友人は、静かに首を振る。


「……大丈夫」


 そう言って、

 自分の手を見つめた。


 指先は、力なく垂れている。


「もう、私が動かなくても」


 そのとき。


 ぬいぐるみが、

 はっきりと口を開いた。


「――この子が」


 聞き覚えのない声だった。

 乾いていて、やさしい声。


「この子が、動けたらいいのに」


 彼女の願いと同じ言葉だった。


 友人は、微笑った。


 それが、

 最後に見た、人間らしい表情だった。


 次に瞬きをしたとき、

 友人は動かなくなっていた。


 目は開いている。

 呼吸も、ある。


 でも、

 そこにはもう、何もいない。


 代わりに、

 ぬいぐるみは、膝の上でじっとしていた。


 まるで、

 満足した完成品のように。


 後日、友人は「体調不良」として学校を休み続けた。

 やがて、転校したことになった。


 誰も、疑問を持たない。


 私は、彼女の家に、近づけなくなった。

 あれ以来、人形もどこか恐ろしくて手にしていない。


 あの部屋のどこかで、

 動かなくなった人間の隣に、

 今日も人形がいる気がして。


 ――もし、誰かがその人形を見つけたら。


 きっと、こう思うだろう。


「この子、動いたらいいのに」


 そしてまた、

 彼女は、ひとつ増える。

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沈黙の造花 綴葉紀 琉奈 @TuduhagiLuna

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