第2話 異変

最近、友人はあまり話さなくなった。


 正確に言えば、話してはいる。

 挨拶もするし、相槌も打つ。

 でも、言葉の数が減った。


「おはよう」


「うん」


「今日さ――」


「……そうなんだ」


 会話は成立している。

 それなのに、どこか一方通行だ。


 視線が合わない。

 返事が、少し遅い。

 まるで、こちらの言葉を噛み砕くのに時間がかかっているみたいだった。


 それと引き換えに――

 あのぬいぐるみは、いつも同じ場所にいた。


 鞄の持ち手。

 誰の目にも入る位置。


 以前より、確実に存在感がある。


 色は相変わらずくすんでいるのに、

 なぜか輪郭だけがはっきりして見えた。


「その子、ずっと連れてるね」


 昼休み、そう言うと、友人は少し考えてから頷いた。


「うん。落ち着くから」


 理由は、それだけだった。


 ぬい活が趣味になるのは、珍しいことじゃない。

 SNSを見れば、みんなぬいぐるみを連れて出かけている。


 だから、誰も気にしない。


 私だけが、気にしていた。


 ある日、友人の声を聞いて、ぞっとした。


「……ありがとう」


 それは、放課後の教室だった。

 私がノートを貸したときの一言。


 声が、ひどく平坦だった。


 抑揚がない。

 感情が乗っていない。


 それなのに、鞄のぬいぐるみは――

 ほんの少し、揺れていた。


 まるで、満足したみたいに。


「ねえ」


 私は思わず、声を落とした。


「最近、疲れてない?」


 友人は、すぐに答えなかった。

 その代わり、ぬいぐるみを見た。


 ほんの一瞬。

 でも、確かに視線を向けた。


「……大丈夫」


 そう言って、鞄を抱え直す。


 その仕草が、ひどくぎこちない。


 まるで、重いものを庇っているみたいだった。


 その日、帰り道で一緒に歩いたとき、

 ふと、友人の足取りが遅いことに気づいた。


「どうしたの?」


「……ちょっと、疲れただけ」


 呼吸も、少し浅い。


 でも、鞄は外さない。

 椅子に置くこともしない。


 ずっと、体の一部みたいに抱えている。


 私は、耐えきれずに言った。


「ねえ、その子……外したら?」


 一瞬、空気が凍った。


 友人の動きが、止まる。


「……なんで?」


 声は小さいのに、妙に強かった。


「いや、重そうだし……」


 理由を探す私を、友人は見なかった。


 代わりに、ぬいぐるみを撫でる。


 ゆっくり。

 大切そうに。


「この子は、大丈夫」


 その言葉を聞いた瞬間、

 胸の奥が、ひどく冷えた。


 友人のことを気遣う声じゃない。


 まるで、

 自分より大事なものを庇っているみたいだった。


 その夜、私は夢を見た。


 友人が、椅子に座っている。

 動かない。


 代わりに、膝の上のぬいぐるみが、ゆっくりと手足を動かしていた。


 布の指先が、

 友人の頬に触れる。


 その瞬間、友人の表情が、すっと消える。


 目が、ガラス玉みたいになる。


 ――起きたとき、心臓が痛いほど鳴っていた。


 翌日、学校で友人を見つけた。


 席に座っている。

 ちゃんと、そこにいる。


 でも。


「……おはよう」


 声をかけても、返事がない。


 もう一度呼ぶと、ゆっくりこちらを向いた。


 表情が、薄い。


「……ああ」


 それだけ。


 そして、視線はすぐに下がる。


 鞄。

 あのぬいぐるみ。


 気づいてしまった。


 話さなくなったのは、疲れのせいじゃない。


 言葉も、感情も、

 少しずつ、どこかへ吸われている。


 そして、その行き先を、

 私はもう、知ってしまっていた。

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