第5話 月下の剣舞、あるいは殺意なき一閃
「違う! 膝! 膝が硬いんだってば!」
「ぬぐぐ……これ以上曲げれば、折れる……! 人の膝は、逆には曲がらぬ!」
「折れないよ! もっと腰を振って! セクシーに! K-POPは腰が命なの!」
「せくしー……とは、なんぞ……」
地獄じゃ。
ここは間違いなく、焦熱地獄の底じゃ。
タワマンの45階。
眼下に広がる帝都の夜景とは裏腹に、密室の中では南蛮の音楽が大音量で鳴り響いている。
ドンドコ、ドンドコと腹に響く太鼓(バスドラム)の音。
意味のわからぬ異国の呪文(歌詞)。
それに合わせて、わしは奇妙な動きを強要されていた。
鏡に映る自分の姿を見る。
泥は落ち、小綺麗なジャージを着せられているが、その動きはまるで関節の外れた操り人形だ。
老いた体に鞭打ち、腰を振り、媚びるように笑顔を作る。
情けなくて、涙が出てくる。
「はぁ……全然ダメ。リズム感死んでる。アンタ、本当に運動神経いいの?」
玲奈が苛立ち紛れに音楽を止めた。
突然訪れた静寂に、わしの荒い息遣いだけが響く。
「アンタさぁ、戦場じゃもっと機敏に動いてたんじゃないの? 槍とか避けてたんでしょ?」
「……戦場での動きは、生きるか死ぬかじゃ。重心を低く保ち、無駄を削ぎ落とす。尻を振って敵を油断させる戦法など、聞いたことがない」
「あーもう、屁理屈ばっか。これじゃバズんないよ。可愛げがないんだってば」
玲奈は不機嫌そうに高級な革のソファに倒れ込み、また光る板(スマホ)をいじり始めた。
画面の向こうの「数字」しか見ていないその横顔は、美しいが、どこか冷たい硝子細工のようだった。
わしは汗を拭いながら、大きく息を吐き、窓の外を見た。
ガラスの向こう、人工の星々が埋め尽くす帝都の空。
その遥か上空に、ぽっかりと白い月が浮かんでいる。
「……月か」
あの月だけは、戦国の世と変わらぬ。
あの時、泥にまみれて死んでいった部下たちも、はらわたを流して息絶えた馬たちも、最後にあの月を見ただろうか?
硝煙と血の匂いが、ふと鼻腔を掠めた気がした。
強烈な郷愁の念がこみ上げてくる。
ここは暖かく、腹も満たされる極楽だが、魂が渇いていくのがわかる。
「なぁ、玲奈殿」
「殿はやめて。何?」
「外へ……行かぬか」
「は? 今から? もう深夜だよ」
「月が良い。……少し、風に当たりたい。この箱の中は、空気が綺麗すぎて息が詰まる」
玲奈は面倒くさそうに顔をしかめたが、ふと何かを思いついたように目を輝かせた。
インフルエンサーとしての勘が働いたのだろう。
「……そっか。夜のロケ撮影、アリかも。雨上がりの渋谷の街中で『迷子のサムライ』、エモい映像撮れそうだし」
「ロケ?」
「撮影のこと。行くよポチ。ほら、その汚い鎧に着替えて」
こうしてわしは、再びあの泥と煤(すす)にまみれた鎧兜を身にまとい、夜の渋谷へと連れ出されることになった。
深夜の渋谷。
昼間の喧騒は少し収まったとはいえ、それでもまだ人は多い。
ネオンの光が、濡れたアスファルトに反射して揺れている。
まるで、極彩色の毒の川だ。
行き交う若者たちは、誰も彼もが光る板を覗き込み、あるいは耳に栓をして、自分の世界に閉じこもっている。
わしは玲奈の後ろを、亡霊のように歩いた。
「うわ、見てあれ」
「撮影? ユーチューバー?」
「コスプレのクオリティ高くね? 汚し塗装ヤバい」
すれ違う者たちが、遠慮のない視線を向けてくる。
それは「人」を見る目ではない。
「面白い見世物」を見る目だ。
かつて戦場では、敵意や殺気といった視線を浴びてきた。
だが、この現代の視線はもっとタチが悪い。
殺意なき好奇心。
わしという存在を消費しようとする、無邪気な悪意。
「ここにしよ」
玲奈が足を止めたのは、ビルの谷間に挟まれた、小さな神社だった。
極彩色の街の中で、そこだけがぽっかりと暗闇に包まれ、静寂が残っている。
コンクリートのジャングルに残された、最後の聖域のように。
鳥居の朱色が、街灯に照らされて鈍く血のように光っていた。
「ここなら人も少ないし、照明もいい感じ。よし、ポチ、そこで踊って」
玲奈が手際よく三脚を立てる。
「また……あの奇妙な踊りか?」
「そう。神社の前でK-POP踊る侍。このミスマッチがシュールで面白いんじゃん。はい、曲流すよ」
わしは、鳥居の下に立った。
スピーカーから軽薄な電子音が鳴り響く。
だが、わしの足は石のように動かなかった。
この場所には、神がいる。
あるいは、行き場を失った霊たちが集まっている。
そのような場所で、媚びた笑いを浮かべて尻を振るなど、武士として、いや人としてできぬ。
「……何してんの? 早く踊ってよ。充電切れちゃうじゃん」
「……玲奈殿」
「だから殿はやめてってば」
「一度だけ。……わしの好きなように、舞ってもよいか」
わしの真剣な声色に、玲奈が少し眉をひそめた。
光る板越しに、わしを睨む。
「は? アンタのオリジナル? 素人の創作ダンスなんて誰も見な……」
「頼む」
わしは深く頭を下げた。
なぜか、どうしても今、やらねばならぬ気がした。
頭上の月が、わしを呼んでいる。
この神社の暗がりが、置き去りにしてきた死者たちの魂と繋がっている気がしたのだ。
玲奈はしばらくわしを見ていたが、ふっと鼻を鳴らした。
「……ま、いいけど。つまんなかったら全カットでボツにするから」
「かたじけない」
わしは音楽を止めさせた。
静寂が戻る。
遠くで首都高を走る車の音が聞こえるが、それはまるで遠い潮騒のようだ。
わしは、腰の刀に手をかけた。
鯉口(こいくち)を切る親指の感触。
冷たく、重い、鉄の感触。
「え、ちょ、抜くのはヤバいって! ここ日本だよ!? 銃刀法違反でまた警察来るって!」
「抜かぬ。……鞘(さや)のままでよい」
わしは、鞘に収まったままの刀を帯から外し、両手で捧げ持った。
――剣舞(けんぶ)
戦場で散った友を弔うための、鎮魂の舞。
あるいは、明日死ぬかもしれない己を鼓舞するための儀式。
わしはゆっくりと、玉砂利を踏みしめた。
「…………」
すり足。
ジャリ……ジャリ……という微かな音だけが、夜気に響く。
空気が変わる。
玲奈が息を呑む気配がした。
刀を天へ突き上げる。
切っ先が月を突く。
そこから、ゆっくりと袈裟(けさ)に斬り下ろす。
動きは水のように緩やかだが、全身の筋肉が軋むほどに力を込める。
見えぬ敵を斬るのではない。
己の迷いを斬るのだ。
生き残ってしまった罪悪感を斬るのだ。
(すまぬ、源太。すまぬ、平蔵)
脳裏に浮かぶのは、雷に打たれる直前の光景。
「善次郎様、逃げて」と叫んだ新入りの足軽の顔。
泥の中で息絶えた部下たちの、見開かれた目。
なぜ、わしだけが生き残った。
なぜ、わしだけが、こんな極彩色の天国で、温かい肉を食い、笑われている。
(申し訳ない。申し訳ない……!)
悔恨が、刃(やいば)となって空気を裂く。
鞘が風を切る音が、ヒュオッ、と鋭く鳴いた。
回転。跳躍。そして静止。
「静」と「動」。
それは、さっきやらされていたダンスとは対極にある動きだった。
泥臭い足軽の舞ではない。
そこにあるのは、46年分の死を見てきた男だけが纏(まと)える、濃密な「死の気配」だった。
玲奈は、ファインダーを覗くことさえ忘れていた。
光る板を持つ手が震えている。
画面越しの「ポチ」は、いつもの情けない、おにぎりも開けられないおじさんではなかった。
月光を背負い、夜の闇そのものを従えた、美しくも恐ろしい「武人」がそこにいた。
その背中からは、黒い炎のようなものが立ち上っているように見えた。
(なんなの……これ……)
玲奈の背筋に、ゾクゾクとした寒気が走る。
怖い。けれど、目が離せない。
今まで自分が撮ってきた、どの煌びやかな動画よりも、圧倒的に「重い」。
本物の命のやり取りをしてきた人間だけが持つ、圧倒的な説得力。
最後の型。
わしは刀を正眼に構え、深く、静かに残心(ざんしん)をとった。
肺の中の澱(おり)を全て吐き出すように。
「……終わったぞ」
わしが刀を腰に戻すと、世界に音が戻ってきた。
遠くのサイレン、電車の音、風の音。
「…………」
玲奈は、呆然と口を開けたまま、わしを見ていた。
まるで幽霊でも見たかのような顔だ。
「どうじゃった? やはり、地味すぎたか。尻も振らなんだしな」
「……あ、いや。……うん」
玲奈が慌てて録画を止める。
その顔は、興奮と畏怖で少し紅潮していた。
「なんか……よく分かんないけど。……凄かった。初めて見た、あんなの。空気がビリビリするっていうか」
「そうか。……ならば良い」
わしは少し照れくさくなり、鼻をこすった。
これで少しは、あやつらへの供養になっただろうか。
と、その時である。
「おいおい、何やってんだァ?」
神社の入り口から、下卑(げび)た声が静寂を引き裂いた。
振り返ると、三人の男が立っていた。
髪を派手な色に染め、だらしない服を着た若者たち。
手には酒の缶を持ち、足元は千鳥足だ。
酒と煙草の安っぽい匂いが漂ってくる。
「撮影? ユーチューバーじゃん!」
「てか、その子めっちゃ可愛くね? モデル?」
「ねえねえ、俺らも混ぜてよ。コラボしよーぜぇ」
男たちが、ニヤニヤしながら玲奈に近づいていく。
典型的な、酒に酔った野盗(やとう)の類いだ。
いつの時代も変わらぬ。群れなければ何もできぬ、弱き獣たち。
「……パス。今忙しいんで」
玲奈は冷たくあしらい、機材を片付けようとする。
その手は冷静さを装っているが、僅かに震えていた。
だが、男の一人が、逃がすまいと玲奈の細い腕を掴んだ。
「いいじゃんかよォ。ツレないなぁ」
「このカメラ高そー。これ売ればもっといい酒飲めるんじゃね?」
「てか、こっちで飲み直そうぜ」
「痛っ……離してよ!」
「おっと、生意気言うなよネーチャン」
男の手が、玲奈の肩に回ろうとする。
玲奈の顔が強張った。
いつもは強気で、画面の中では無敵のインフルエンサー。
だが、暴力という理不尽な現実を前にして、彼女はただの17歳の少女に戻っていた。
助けを求めるように、一瞬、わしの方を見た気がした。
わしは、静かにため息をついた。
(……まったく。休息もままならぬか)
戦国の野盗も、現代のチンピラも。
弱きを挫(くじ)き、数に頼ってイキがる。
最もわしが嫌いな、そして最も軽蔑すべき手合いだ。
「おい」
わしは、低く、地を這うような声でかけた。
「あ? なんだよオッサン。コスプレじじいは引っ込んで……」
男が不快そうに振り返り、わしを見た瞬間。
その言葉が、喉の奥で凍りついた。
ヒュッ。
男たちの喉が鳴った。
わしは何もしていない。
刀も抜いていない。手も上げていない。
ただ、三人の男たちを「見た」だけだ。
だが、その視線には込めていた。
46年間、血と泥の中で培ってきた純度100%の「殺気(さっき)」を。
眉間の皺、瞳孔の開き、呼吸の音。
そのすべてを使って、わしは彼らの脳内に直接、映像を送り込んだ。
――右の男の頚動脈を噛み切る。
――左の男の眼球を突き刺す。
――真ん中の男の喉笛を、素手で潰す。
具体的な「死」のイメージ。
現代の、平和ボケした若者たちには想像もつかない、生々しい暴力の予感。
(動けば、殺す)
言葉には出さない。
だが、わしの全身から立ち上る空気が、雄弁にそう語っていた。
今のわしは、面白いペットではない。
飢えた狼だ。
「……ひッ……!?」
「な、なんだこいつ……!」
玲奈の腕を掴んでいた男が、火に触れたように手を離した。
ガタガタと膝が震えているのがわかる。
生物としての本能が、警鐘を鳴らしているのだ。
目の前にいるのは、薄汚れたおっさんではない。
今にも自分たちを肉塊に変えようとしている、捕食者だと。
「……失せろ」
わしは静かに一歩、砂利を踏みしめて踏み出した。
「姫様の撮影中じゃ。……次、その汚い手で触れれば……手首を置いていってもらう」
感情のない、冷え切った声。
それは脅しではなかった。
わしにとって、彼らの腕を落とすことなど、枯れ枝を折るより容易いことだという事実の通告。
男たちは短い悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように夜の街へと消えていった。
空き缶が転がる音だけが、虚しく響いた。
静寂が戻る。
わしは殺気を霧散させ、肩の力を抜いた。
いつもの「疲れたおっさん」の顔に戻る。
やれやれ、威嚇だけで疲れてしまった。腰が痛い。
「……大丈夫か、玲奈殿。怪我はないか」
振り返ると、玲奈はへたり込んでいた。
その目は、恐怖ではなく、信じられないものを見る目だった。
今まで見たことのない、震える瞳。
「あんた……何なの……」
「だから、ただの足軽じゃと言っておろう」
「嘘つき」
玲奈は立ち上がり、震える足でわしに近づいた。
そして、わしの泥だらけの袖を、ギュッと掴んだ。
その手は、氷のように冷たかった。
「……怖かったんだから」
「すまぬ。駆けつけるのが遅れた」
「……ありがとう」
その声は、今まで聞いたどの声よりも小さく、そして「本物」の響きがした。
いつもの計算高いインフルエンサーの声ではない。
ただの無力な少女の、感謝の言葉。
わしは、少しだけ目を細めた。
この我儘(わがまま)な姫君も、やはりただの子供なのだ。
金や虚栄心で鎧ってはいるが、中身は脆く、傷つきやすい。
守るべきものができたなら、この現代での生活も、あながち悪くないかもしれぬ。
亡き部下たちも、許してくれるだろうか。
「さあ、帰ろう。腹が減った。……また、あの黄金の鳥(ナナチキ)が食いたい」
「ふふ、うん。……あ、でも待って」
玲奈は涙を拭うと、深呼吸を一つして、再びプロの顔(インフルエンサー)に戻った。
そして、手際よくスマホを確認する。
「今の……撮れてた」
「なに?」
「あんたがチンピラを睨みだけで撃退したとこ。……音声もバッチリ入ってる」
玲奈がニヤリと笑う。
その目には、もう涙の跡はなく、野心的な光が宿っていた。
「ダンス動画のオチにこれ入れよう。『迷子のサムライがガチで最強すぎた件』ってタイトルで。……これ、絶対世界中でバズる」
「……」
わしは天を仰いだ。
感動の余韻など、この魔女には通用せぬらしい。
転んでもただでは起きぬ。さすがは現代の商人(あきんど)じゃ。
「……お手柔らかに頼むぞ、主君(あるじ)」
「任せときな、ポチ。あんたはアタシが世界一にしてあげる」
月が、わしたち二人を静かに照らしていた。
こうして、わしの名は「面白いコスプレおじさん」から「謎の最強剣士(リアル・サムライ)」へと、予期せぬ進化を遂げることになるのである。
『死に損ないの足軽(46)、渋谷で最強JKに拾われる。〜コンビニのおにぎりが開けられないので、仕方なくインフルエンサーになります〜』 @kirigakuresaizou
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