第2話 極彩色の魔女、あるいは飼い主


………詰んだ。

と、現代の軍学(タクティクス)では言うのだろうか?


「おい、聞こえてんのか! 刀を置け!」


「……某(それがし)は、怪しい者では……」


「問答無用だ! 公務執行妨害で現行犯逮捕するぞ!」


……これは厄介じゃ。


この紺色の服を着た岡っ引きたち、目が笑っておらん。


わしを取り囲む四人の男。


腰には奇妙な形の鉄砲(チャカ)と、黒い警棒。

殺気はないが、義務感という名の冷たい圧がある。


(……やはり斬るか?)


柄(つか)に手をかける。


いや、駄目じゃ。

わしは戦場で死に損なった身。


こんな異国の地で、名もなき捕吏(ほり)相手に果てるなど、武士の沽券に関わる。


だが、このまま捕まれば、間違いなく終わる。

牢獄か、あるいはもっと酷い場所か。


進退窮まった。腹を切るべきか?


いや、痛いのは嫌じゃ。



その時じゃった。

「あー、ちょい待ち。ストップ、ストップ」


緊張した空気を、甘ったるい、それでいて人を小馬鹿にしたような声が切り裂いた。


岡っ引きたちが振り返る。わしもつられて見た。

そこに、「異界」が立っていた。


黒い髪の隙間から、毒々しいほどの桃色(ピンク)が覗いている。


南蛮渡来の奇妙な外套(パーカー)を羽織り、首には銀の鎖。


そして手には、あの忌々しい「光る板(スマホ)」を掲げている。


小娘じゃ。


だが、ただの小娘ではない。


その目は、わしや岡っ引きたちを、いや、この世界の全てを値踏みするような、冷たく濁った光を宿していた。


「なっ、なんだ君は! 今、公務中だぞ!」


「だからァ、止めてんの。ウチの『商品』に傷つけないでくれる?」


「商品……?」


小娘は、光る板を岡っ引きの顔面に突きつけた。



「見えません? 今、TikTokの撮影中なんすけど。このおじさん、ウチの事務所のキャスト。このリアルな特殊メイク、高かったんだからさァ」


「さ、撮影……?」


「そ。てか、お巡りさんたちが映り込んだらバズんないじゃん。肖像権とかマジ勘弁なんだけど。……あ、それとも、ウチのパパの顧問弁護士呼ぶ?」


小娘が何か呟くと、岡っ引きたちの顔色が変わった。


「パパ」という言葉に、何か強大な権威を感じたらしい。


「……ちっ、紛らわしいことしやがって。撮影なら許可証を……」


「あーはいはい、後で事務所から送らせまーす。ほら、行った行った」


犬を追いやるように手を振る小娘。

岡っ引きたちは、渋々といった体で散っていった。


助かった……のか?

わしは呆気にとられていた。

剣も抜かず、槍も使わず。たった一言二言で、あの場の空気を制圧した。


これが、現代の「戦(いくさ)」なのか?


「……ふぅ。ダル。やっぱ権力ってクソだわ」


小娘が振り返る。

光る板を下ろし、生身の目でわしを見た。

その目を見て、わしは直感した。



この娘は、あの岡っ引きたちよりも、遥かに危険な「捕食者」だと……。


「……かたじけない。礼を言う」


わしは一応、頭を下げた。


「は? 何その喋り方。マジでウケるんだけど」

小娘は鼻で笑った。


そして、わしの泥だらけの鎧を、汚い物を見るような目で見下ろした。


「ねえ、おじさん。あんた、これからどうすんの?」


「……行く当てはない」


「だよねェ。その格好で歩いてたら、またすぐ通報されるっしょ」


小娘が一歩近づく。甘い南蛮の香油の匂いがした。


「あたし、如月玲奈(きさらぎ れいな)。見ての通り、暇を持て余した金持ちのJK」


「……はあ」


「で、あんたは、いい感じに人生終わってる『素材』」


玲奈と名乗った娘は、ニヤリと笑った。


その笑顔は、獲物を見つけた肉食獣のそれだった。


「取引しよっか。このまま野垂れ死ぬか、あたしに飼われるか」



「……飼われる、だと?」



「そ。衣食住は保証してあげる。警察からも守ってあげる。その代わり……」


玲奈は、光る板をわしの顔に向けた。


「あたしの『おもちゃ』になりなよ。あんたを使って、世界スカッとさせてやるからさ」


わしは、46年生きてきた。


戦場で幾度も死線をくぐり抜けてきた。


だが、こんな屈辱的な提案を受けたのは初めてじゃった。


武士の誇り。男の意地。それが音を立てて崩れていく。



だが。

グゥゥゥ……

腹が鳴った。


生きねばならん。どんな恥を晒そうとも。


生き延びることこそが、わしの唯一の特技なのだから。


わしは、泥にまみれた膝を折った。

「……承知した」


玲奈は満足げに頷き、冷たい声で命じた。

「じゃあ、まずは挨拶からね。……『ワン』って言いなよ、ポチ」


わしは歯を食いしばり、雨のアスファルトに額を擦り付けた。


「…………わん」

渋谷のネオンが、惨めな老犬を嘲笑うように明滅していた。

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