紫月花の日常―― 14


「じゃあ、始めようか」


その一瞬、空間が震えた。

視えている者たちの、闇の中での戦いが、始まった。


だが、その刹那——

「レイ〜〜〜〜〜〜!!ここにいるんでしょ〜〜!!!」


高らかに響く声が、全てを止めた。

全員の動きが、止まる。

廃工事の崩れかけた入り口から、ばたばたと走ってくる足音。

 

そして現れたのは——

フードを深く被り、パーカー姿の少女。

その顔は見えない。けれど、仕草は無邪気で、愛嬌がある。

「レイ〜〜今日、一緒に映画見るって約束したじゃん〜!!」

完全に戦場の空気じゃない。

男が振り返ると、少女はその胸に飛び込むようにしてしがみついた。


「やっと見つけた〜。もう、レイはすぐお仕事行っちゃうんだから〜」

一瞬、誰もが何も言えなかった。

「……なに、これ」

円がぽつりとつぶやく。

「……女?」

集が警戒を緩めずに目を細める。

男は小さく息を吐いて、祭たちに背を向けたまま、

少女の頭をぽんぽんと撫でる。

「……ごめん、先に片付けてしまいたかったんだよ。」

「もぉ〜絶対忘れてたでしょ〜〜!」

俺たちの目前で繰り広げられるのは、

恋人としか思えない甘ったるい空気。


そしてそのフードの奥の顔は、誰にも見えない。

「……何考えてんだ、こいつ」

円があからさまに眉をひそめた。

「このタイミングで……恋人のご登場?」

集が低くつぶやいた。


ふざけんな……。

こんな時に恋人登場って何考えてんだ?

 

映画の前に片付けたかった?

お前等にとって命ってそんなものなのか?


俺の拳が勝手にぎゅっと握られた。

心の中の怒りがぐっと沸き上がって、抑えきれそうにない。

「ふざけんなっ………!」

叫び声が自然と漏れた。

目の前の少女に向けて、俺の手が止まらずに伸びていく。

思わず、フードの端を掴んでぐいっと引っ張った。


「いい加減にしろよ!お前等っ何考えてんだ!!」



その瞬間――

 

フードがずり落ちて、

薄闇の中で隠されていた顔がはっきりと現れた。


 

「は、……花?」


少女が振り向いた瞬間、

その無防備な目が、俺の視界をまっすぐに射抜いた。


……間違いない。

……花だ。

そう思った途端、言葉が溢れた。

 

男は咄嗟にその肩を抱いて背後に守るように前に出た。

少女は男の身体によって隠される。

でも、俺が見たのは確実に花だった。


「……え?」

「花だよねっ」

集と円の戸惑いも聞こえる。

 

やっぱり花なんだっ………

「おい、花っ……!おい……!お前っ、生きて……」

いつもの俺の声じゃなかった。

ガラついて、やけに優しくて、どこか震えていた。

花は男の背後から顔を出した。

信じられなくて、でも信じたい気持ちが爆発する。

一歩前に出て、何度も何度も顔を覗き込んだ。

円も集も、何も言わなかった。

誰も、俺を止めなかった。

少し首を傾げて、俺たちを見る花。

フードの奥から見えた、笑顔。

首元にはあの、

俺たちが作った、あの時の指輪が、光って揺れていた。


指輪が揺れるその瞬間、

あの日の笑い声が、ふいに耳の奥で弾けた。


やっぱり花だ。

生きてた。

やっと会えた。


でも俺たちに帰ってくる言葉は

俺の心を深く抉った。


「え?貴方達、誰?」

――その一言で、すべてが凍りついた。


「………俺だよ!祭っ!集と円もいるんだぞ!ずっと花の事っ、探してたんだぞ!!」

焦りが口をついて出た。抑えようとしても、声が震える。

 

「ん?花?誰?」

笑って、首をかしげるその仕草が、あまりにも自然で。


「は?花はお前だろ!お前は紫月花だよ!」

 

「え?私はハレだよ?ねー?レイ」 

そう言って男に抱きつく花。


男――レイ、と呼ばれたそいつの顔が、

一瞬だけ凍りついた。

でも、すぐに柔らかな声で答えた。


「そうだな。きっと人違いだよ」

心の中で何かが崩れた音がした。

「そっかぁー。間違えちゃったなら仕方ないね!早く会えるといいね!花ちゃん」

 

花は俺たちにそう声を掛けて、再び男の胸に顔を埋める。


……違う、全然違う、全部違う。

なのに、なのにっ、

あの笑顔は、あの日と同じで――


「レイ、早く帰ろ〜〜。お菓子買ってきたんだぁ〜」

「悪かった。……帰ろうか」

男が花を抱き寄せる。

その腕の中に、俺たちが命を賭けて探した“花”がいた。

でもその瞳はもう、俺たちを見ていない。

 

……なんでだよ。

ずっと探してたんだよ。

ずっと信じてたんだ。

あの日、笑ってたお前が――俺たちの前で、あんなふうに。


俺の胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。

男の瞳が、最後にこちらを見た。

無表情で、冷たく、どこか誇らしげに。

まるで――「これは俺のものだ」と言うように。

 

……ふざけんな。

返せよ。

お前に渡した覚えなんかねぇ。

その目に、殺意にも似た感情が、静かに灯った。


「待てよっ!!まだ話は終わってねぇ!!」

俺は花を連れて立ち去ろうとする男の肩を掴んだ。

 

「なあ、花。……俺だよ。俺、祭だよ」

まるで子供みたいに繰り返してた。


すがるような声だった。


「……思い出してくれよ!花っ!」

その名前を口にした瞬間だった。

それまで何もなかった空間が、一瞬にして満ちた。

 

圧が、ある。

息を吸うだけで肺が震え、心臓が細く軋むように痛む。


花はゆっくりと振り返る。

あの時と同じ顔で、穏やかに微笑んでて、

それなのに、視界が染まるほどに怖い。


「……レイに触らないで?」

やわらかい声。

笑っていた。愛らしいほどに。


けれど。

指先がかすかに痙攣した。


指先から手首、腕へ、冷たい痺れが這い上がってくる。

足が――動かない。

動かそうとしても膝が鳴るばかりで、脚の感覚はあるのに言うことを聞かない。

背筋にじっとりと汗が伝う。

その感覚が異常なほど鮮明だった。

まるで一滴一滴が背骨に爪を立ててくるような錯覚。

喉の奥がカラカラに乾いているのに、なぜか口の中だけがぬるい。

息がうまく吐けない。

視界が細かく揺れている。

花は笑っている。こちらを、見て。


「私はハレだって、言ったよね?」


その言葉と共に――

足元が緩んだ。

嗅覚だけが、やけに鋭くなる。

自分の汗と、服の繊維の匂い——


「っ……!」

奥歯を噛みしめた。

足先の感覚が戻らない。けれど、この場にいてはいけないことだけはわかる。

これは違う。

敵だとか、戦うとか、そんな次元じゃない。

自分たちの知る“花”は、こんな目で誰かを見るような人じゃなかった。


でも、これは


――殺気だ。



男はフッと鼻で笑うと、花のフードをすっと直した。

「……帰ろうか、ハレ」

その言葉に、花は微笑んでて頷いた。

そして、何も言わずにレイの腕の中に収まり、

そのまま二人は、ゆっくりと背を向けて歩き出す。 


止めなきゃ。

そう思っているのに、足が動かない。

喉は震えているのに、声も出ない。

目の前で、“花”が消えていく。


目の奥がじんと熱くなる。

走って、抱きしめて、なんでもいい、何か言いたい。

でもその背中は、もうずっと遠くにある気がして。

俺の声なんか、届くはずがなかった。

 

――花。

違う。あれは、ハレだと、言うのか。

 

……そんなはず、ない。

笑ってくれたじゃないか。


あの笑顔も、声も、

あれは全部――花だ。 



「お疲れ〜!車回しといたぞー!」

唐突に響いた軽い声に、思考が止まる。

花とレイが歩く先、街灯の下。

そこに、もう一人の姿があった。

 

そこにはかつて、あった事のある男。

チャラくて、よろしく〜だとか言って、馴れ馴れしくしてきた男。


「……カイっ」 

無意識に名前が漏れる。

あいつも、いたのか。

ずっと花の隣に。 

カイはゆるく振り返り、こちらに目をやる。

そして何かを言いたげにニヤリと笑った。

 

――その一瞬、チラリと白い布が覗いた。


視線がそこに吸い寄せられる。


黒い制服の腕につけられた白い腕章。

赤い刺繍で縫い付けられている名前。


――“霊災害対策庁”


背筋が、ぞくりと冷えた。

目の前にある現実に、やっと名前がついた気がした。

 

花は、霊対庁だった。

レイも。カイも。

最初から、ずっと。


全部、敵だった。


 

膝が震えた。

足元が、ぐらついた。

 

「う、そだ……ろ……」

誰に向けたのかもわからない声が、空気に消える。

レイと花の背中は、もう見えなくなっていた。

その代わりに、カイがこちらに背を向けて歩き出していた。

さっきまで、同じものを信じていたと思ってた。

あいつはきっと、俺たちの味方だと、どこかで思ってた。


だけど―― 


「カイ、ハレを寄越すなって言ったよな?」

「ごめんごめん!レイに会いたいって暴走しちゃってさぁ〜、追いかけたんだけど全然追いつかないのー」

「あのなぁ」

「まぁまぁ、それだけお前の事愛してんじゃん?な?」

「いくぞ」

そのやりとりが、あまりにも自然だった。

まるで、これが正しい日常かのように。

ああ、もうあの子は花じゃない。


――ハレだ。

 

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