紫月花の日常―― 13



いつもの帰り道。

俺たちがよく通る、ちょっと古くて狭い裏通りだ。

昼間は人の通りもそこそこあるが、夜になると一気に静けさが増す。

電柱のポスターが風で揺れ、軒先の古びた自販機がぼんやりと明かりを放っている。

路地の隅に積まれた段ボールやゴミ袋が、街灯の下で不気味な影をつくっていた。

「いつも通ってる道だけど、夜はやっぱり気味悪いよね」

円がぽつりとこぼす。

「村よかマシじゃないか? ……まぁゴミは最悪だけどなー」

 

——その時、集のスマホが震えた。

 

「……霊対庁からだ!!」

画面を見て、集の顔がさっと硬くなる。

「中規模の霊災発生。現場は……この裏通りの先だ」

「急ごう!」

俺たちは声を合わせる間もなく駆け出した。

夜の街に、俺たちの足音だけが響く。


通知が来てから十数分。

俺たちがたどり着いたのは、昔使われていた工場の跡地だった。

鉄柵で囲まれた敷地の中は雑草が生い茂り、崩れかけた倉庫がいくつも並んでいる。

どこかで風が吹き抜け、錆びたトタンが軋む音がする。

「……ここか?」

俺がつぶやくと、集がスマホの画面を覗き込みながら頷いた。

「間違いない。霊災反応の座標はこの場所だ」

俺たちは柵を乗り越え、敷地内に入った。

霊魂を辿って、俺たちは一つの倉庫の中へと足を踏み入れる。

倉庫の中は薄暗く、古びた機械やパイプが無造作に積み上げられていた。

砕けたガラスや使い古された作業用具が床に散らばっていて、足を踏み出すたびに微かな音が鳴る。

錆の匂い。湿った埃。時が止まったような空間。

その奥に、ぼんやりとした光が揺れていた。

「いた……」

集が小さく呟く。

そこには、背を丸めて黙々と作業を続ける老人の魂があった。

まるでまだ生きているかのように、何かを組み立て、また外し、繰り返している。

俺はそっと息を吸い、声をかけた。


「……おじいさん、俺たちは悪い奴じゃない。安心して」

その魂は一瞬だけこちらを見たが、すぐにまた作業に戻る。

ただ、その目には深い疲れと、拭えない寂しさが宿っていた。

円が静かに口を開く。

「この魂……ただ迷っているだけじゃない。何かに縛られてる感じがする」

「中規模霊災としては小さいけど、質が重いし、拗れてる」

集がスマホを操作しながら呟いた。

「霊対庁が来る前に送ろうか」

俺たちは頷き合い、魂送りの準備を始めた。

ここで一つ、区切りをつけるように。

過去と、この場所と、その魂に。

 

「……送る前に、少し話を聞いてやったほうがいいかもしれないな」

集の声に、俺と円は頷いた。

老人の魂は、古びた作業台の前に腰を下ろし、小さなパーツのようなものをいじっている。

何かを組み立てようとしているのか、それとも、もう完成しないことが分かっていながらも、手を止められないのか。

 

「おじいさん」

俺がそっと声をかけると、老人は手を止め、ゆっくりとこちらを見た。

目は濁っている。でも、どこか優しい光が残っていた。


「……ああ。誰かと思えば、お客さんかい?」

「いいえ、ここで何をしているんですか?」

尋ねると、老人は苦笑するように口を開いた。

「この工場を、元通りにしようと思ってね。……やっぱり、私にはここしかないんだよ」

しばらくの沈黙のあと、ぽつりぽつりと語り出す。

「昔は、それなりに賑やかだったんだ。この工場。私は社長って肩書きだったけど、みんなと同じように汗かいて、笑って……それが、楽しかった」

「でも、時代の流れには逆らえなかった。設備投資が追いつかなくて、取引先が次々に離れて……最後には、従業員に給料も払えなくなった」

彼の声は、どこか遠くを見つめているように震えていた。

「みんな、笑って去っていった。責めるやつなんて、1人もいなかった。かえって、私の心配する声が多かったくらいさ……情けない話だよ」

彼は、自分の手をじっと見つめた。

油で汚れた黒い手、ささくれの立った指。

震えが止まらないその掌には、かつて誰かを支えた温もりが、まだ残っている気がした。

「でも……だからこそ、私は諦めきれなかった。いつか必ず立て直して、またみんなを呼び戻すって……ずっと、そう思ってた」

手の中のパーツが、かちゃりと落ちる。

「……けど、もう身体は動かないし、あいつらも、きっと新しい道を歩いてる。分かってるんだ。分かってるのに、手が止まらないんだ」

言葉が、音のように空気に溶けていく。

円が、静かに言葉を添えた。

「……未練じゃない。ただ、寂しかったんですね」

老人はふっと微笑んだ。

 

「そうかもな……寂しかったんだ、私は」


 

 

どこまでも、静かな夜だった。

俺たちはその魂が、ようやく“終わり”を受け入れ始めているのを感じていた。

「……そろそろ、行こうか。みんなが待ってるよ」

俺はおじいさんに手を差し出した。

老人はそれを見つめ、そっと微笑んだ。

そして、その手に触れる。

でもその瞬間、背筋がひやりと冷えるのを感じた。

送れない。

 

――縁が、強すぎる。


ここにこの魂を縛っていたもの。

それは工場の設備でも、過去の栄光でもなかった。

仲間との“縁”だ。

彼は、彼らのことを、まだ信じているのか。

信じたまま亡くなって、念だけが残ってるのか。

 

だから――成仏できない。


「送れない」

「え?」

俺が呟くと、集は驚いて振り返った。

「魂同士の“縁”が、この場所に深く、深く絡みついてる。これはもう……」

円が口籠ると集が下唇を噛んで拳を握った。

「……俺がやるよ」

「いいのか?」

俺の問いに、集は無言で頷いた。

「俺たちは……お前の力も、葛藤も知ってる。出来ればやらせたく無い」

「でも、俺しか出来ない……だろ?」

俺は頷いた。

「……頼むよ。集」と円も続けた。

集はゆっくりと老人の背後に回り込んだ。

集なりの配慮だろう。

右手で手刀を作り、覚悟を決める様に息を吐いた。


集の実家に伝わる秘技。

縁への介錯。

“縁”を切れば、この魂は自由になる。

……その代わり、彼はこの場所との記憶も、仲間たちとの思い出も、全部、失う。

息を呑む俺たちの前で、集は顔を歪ませて手を振った、

すっと音もなく空気が裂けた瞬間、老人の体がふわりと軽くなる。

「……ごめん」

そう呟く集に、おじいさんは振り返った。

『・・・・ありがとう』

そう言ったおじいさんの表情には、もう苦しみも、執着もなかった。

けれど、それは確かに、何かを失った穏やかさでもあった。

円が小さくつぶやいた。

「……終わったね」

集は手を下ろし、その場に膝をついた。

「ありがとうとか言うなよ・・・」

俺は集の背に手を置いた。

「あの人なら記憶がなくても上手くやってけるよ。お疲れ、集」


 

夜の風が、ふいに吹き抜けた。

工場跡の薄闇に、どこか懐かしい鉄と油の匂いが滲む。

ひとつ、終わったはずだった――

 

俺は立ち上がる集の背を支えながら、ふと、背筋を走る寒気に気づいた。

……誰かに、見られてる。

 

「円」

小声で呼びかけると、彼女も小さく頷いた。気づいてる。

この気配。馴染みがない。けど――ただ者じゃない。

次の瞬間、空気がピンと張り詰めた。


「……感動的だったね」

その声は、闇から現れた。

静かに立つ、黒髪の男。

メガネの奥で、感情の読めない瞳が光る。

俺たちと大して年の変わらないように見える。なのに……

ただそこに立っているだけで、呼吸のリズムが狂うような、異質さ。

「“縁を断つ”ね……なるほど。そんな芸当ができる奴がいるとはね」

円が一歩、前に出た。

「誰だ、お前!」

男は名乗るそぶりもなく、こちらを観察するように見ていた。

背後で、集が小さく息を呑んだのがわかった。


――なんだ、この緊張感。

まるで、心臓を掴まれてるみたいだ。


「まさか……霊対庁?」

円の口から出たその名に、男の表情は微かに動いた。

だが、何も答えない。

「……違う。こんな単独で動くなんて考えられない。なら……」

俺も言葉を失っていた。

人間とは思えない。ただ、霊でもない。

どうしてこんな存在が、今、ここにいる。


「何が目的っ!!」

円が低く問うと、男は少しだけ目を細めて――微笑んだ。

ぞっとするほど、意味のない微笑。

「君たちは、ほんとうに何も知らないんだね」

「……!」

その言葉に、円の肩がピクリと動いた。

男の声は静かだった。

それなのに、その言葉だけで胸の奥が冷える。

まるで裁きでも下すような響きだった。


「何が言いたいのっ!!」

円が叫び声が聞こえる。

でも俺はその男から視線を外せなかった。

男は少しだけ顔を上げ、目の奥を光らせ笑った。

話す気なんか無いと言うような

まるで、面白がっているようにすら見えた。

男は、スッと片手を上げた。

 

その瞬間。

空気が裂けるように揺らぎ、まるで時間が歪んだかのように音が消えた。


ガゴーンッー

鈍い爆発音と共に、鉄柱が弾け飛んだ。


「……っ!!」

本能が叫んだ。

 

“避けろ”と。

だが、目に見えるものは何もなかった。

やばい………!!


男が動いたその刹那——視界が、真っ白に弾けた。 

あれは……光、いや、違う。

違和感の残像だ。


「!!」


円が咄嗟に距離を取った。

俺と集は動けないまま。

「今……攻撃、した?」

「いや……俺、何も見えなかったぞ」

それでも、確かに狙っていた。

次の一手が来るまでの間を、殺す気で計っていた。

円の声が低くなる。

「こいつ……マジでやる気だよ」

「マジかよ……」

「完全に……殺す気でいるのかよっ」

静かに、男が一歩前に出る。

そのたった一歩で、背筋が凍る。

呼吸が止まりそうになる。


「君たちが何者で、何を守ってるか。正直、興味はない」

男はそう言った。

「でも、排除対象であることに変わりはない」

「……排除?」

「おい……本気で言ってんのか」

「本気。だから、殺すよ」

即答だった。何の感情も込めずに。

その瞬間、胸の奥で何かが爆ぜた。

理屈じゃない。全身が、本能で叫んでいた。


「——来るぞ!!!」

 

叫んだと同時に、雷光のような踏み込み。

頬に火花が散った。


目で追えてなければ、今ので終わっていた。

咄嗟に悟った。

これは視えた者だけが、生き残る世界。

俺たちは一瞬のうちに対応を迫られた。


「やるしかねぇっ……!」

「来い!!」

円が先陣を切り、吼えるように突っ込む。

集は真横から回り込み、手刀を構えた。

俺はその後ろから、心臓を撃ち抜くつもりで拳を握った。

全員同時に、重力の狂ったようなその空間に突っ込んでいく。


「絶対に──負けねぇっ!!!」


「………じゃあ、始めようか」

 

 

 

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